まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

存在の彷徨(1)

2008-08-09 | 小説




財閥系企業の歴史あるビル  その総務応接の一室に俺はいる  ドアのノックの音で試合は開始  担当者が入ってくる  俺は集中する 俺は集中する 俺は集中する

俺  (笑顔をつくり、深々と礼をする)    「どうも、ご無沙汰しております。時   期がまいりましたんで広告のお願いに   あがりました」
担当者(反り返るようにソファに腰を下ろす)   「時期って、別にいつもおたくの雑誌   に広告を出すって決まっていませんよ」俺  (作り笑いをさらに倍加する)「いや   いや、ま、そんなこと、おっしゃらず   に。去年もこの時期でてるわけですか   ら、ま、お願いしますよ」
担当者「だいたいおたくの雑誌に広告出して   も、なんのメリットもないんですから、   発行部数だって何千部でしょ、実質」俺  「そんなことないですよ、五万部ちゃ   んと出ていますよ、ま、そんなことよ   り、付き合いですから、頼みますよ」担当者「付き合いって、なんですか」
俺  (溜め息をひとつつき、コビ型から次   の手に、言葉をゆっくりと重々しく発   する)「今日は随分シビアですね。ま、   いいですけどね。ところで、お宅の副   社長にこの間お会いしましたよ。偶然   クラブでね。時期社長でしょ、あの人。   総務所轄で、あなたの上でもある」
担当者「…………」
俺  「部下の女性とお盛んですねって言っ   たらびっくりしてましたよ。ま、英雄   色を好みますわね、それはそれでいい   でしょ、しかし、部下に手を出しちゃ   いけない。あの秘書課の子、やめたん   ですってね」
担当者「狭間さん、知っておられたんですか」俺  「いやいや、ああいう人が社長になっ   てはいけない。社会正義に反します。   あなたもそう思うから私に辛く当たる   んでしょ。まかしておいてください。   あなたの意をくんで次号で書かせても   らいますよ。いや、お忙しいところ失   礼しました」(そう言って俺は席を立   つ)
担当者(実に慌てて)「は、狭間さん、ま、   待ってくださいよ。ま、座ってくださ   い」(俺を押し止めようとする)
俺  (よし、勝った。生意気な分、二頁は   貰おう)

 生命に善も悪もない  在るものは「在る」  それだけだ  そして「在る」がごとく生き抜くこと  それが人生のすべてだ

 アパートの闇の中 俺は畳の上で寝そべっている  一日の疲れを時計の音が刻んでいる 静寂に  俺は部屋の明りを付けて コンビニ弁当をかき食らう
 ある時コミュニストの姉が言った 「直人、あなたは財界におべっかを使うムシケラよ」 俺は言ってやった 「あんただって企業から給料貰って食っているじゃねえか。その大企業がどうだ、原料五〇円のものを五千円で売ってるじゃねえか。付加価値? 笑わせるんじゃねえよ。そりゃあ合法的詐欺ってもんだ。あんただって詐欺の片棒担いでおまんま食ってるんじゃねえか」 姉とは一〇年逢っていない
 目の前の水槽 今日も稚魚が一匹死んでいる  それを唯一生き残っている一センチにも満たない最後の稚魚が食べている
 水槽の金魚が初めて産卵し 親どもがそのすべてを食い尽くした  二回目の産卵の時 俺は別の水槽に約二百もの卵を移し替えた  そのうち約半数が無精卵で腐乱し 五日後百匹ちかくが新しい生命として動き始めた  その稚魚たちは無精卵を食べて大きくなり 死んだ仲間を食べて大きくなり やがて先に大きくなったものが生きている仲間を食って大きくなった  勿論俺は生まれてきたすべてを大きくしょうと餌もやり水も替えた しかし残ったのは僅かこの一匹だ  それでさえ尾っぽが歪んでいる  いのちは とにかく 与えられた環境の中で生き抜くこと  そこには善も悪もない

 存在を纏めようったって無駄なことだ
存在は ただ 在る  それに人間は意味をつけようとする それが間違いのもとだ
存在はただ在る  ただ 在るがままをうけいれること 形も性質も本質も 在るがままうけいれる  蜘蛛が一匹 「無限」と書いたボードの上を通り過ぎる  「エロス」の紙の上でジャンプする  蜘蛛はボードの境で暫く止まったが 裏側に消える  見えない裏側に蜘蛛は「在る」  しかし 一匹ではなく実はボードの裏側には何千匹の蜘蛛がびっしりとへばりついている それが否定できるか?  時間前後の常識で「推察」するほかはない 何千匹もいて一匹しか表に出ないわけがないと  しかし偶然見た一匹すらも偶然見なかったならば 蜘蛛はボードの裏にはいないことになる  人間の認識は解っているようで何も解っちゃいない 存在は解らないことも含めて 在るがまま受け入れるしかない
 不思議は不思議のまま受け入れなさい  白か黒か明白である必要はないのです
 しかし明白でありたいのです 私は何のためにここにいて 何のために生きているのか 明白でありたいのです そうでなければこころが不安で力強く生きてる感じがしませんもの
 いつになく風が強い  ベランダの洗濯モノのふかれる音 波板が発砲スチロールに擦れる音 空の遠くまで響き渡る音 その揺らぎは力強く生きている  生は「動き」なり エネルギーなり ひたすらエネルギーの発露なり エネルギーに善も悪もない ひたすら「動き」なり 風に目標はあるか 風に生きがいはあるか 風はひたすら「動く」のみ 吹きつけるのみ 生きるとは動くこと 己が本質の有り体に「動く」のみ まずは生きている それだけでいい 次に 今 やりたいと思ったことが最良の道
 風は単独で存在しない 環境の中で生まれる その環境も環境(他存在)の中で生まれる 人間(俺)もまた環境(他存在)の中から生まれたもの 他存在が俺を生み 俺は与えられたエネルギーとしてあるがままに「動け」ばいい 「俺はあるがままに動けばいい」 風もまた吹き続ける そして停止し また 生まれる エネルギーは輪廻転生 今(現在)の俺はこれでいい 次の俺も次のそれでいい E=mc2乗

 俺はバックに女房の下着とパジャマを入れて アパートを出る

 電話をしておいた狭間です 仕事で遅くなるものですみません  一か所だけ照明の付いた病院の受付は 黒い空洞の中に浮かび
その女は 三途の川で待つ番人のようだ
俺は給料袋から約半分の札を番人に渡して今月の支払いを済ます  エレベーターで昇るといつもの病室 ノックなどする必要はない  俺はゆっくりとノブをまわす  そしていつもの啓子がそこにいる  身動きひとつせず いつもの啓子がそこにいる  椅子に座って俺はおまえをみつめる  愛すべきものがそこに在る  啓子の目頭は濡れている ひとすじと ふたすじと 水滴は耳を伝って枕に落ちている  医者は言うだろう 筋肉の弛緩によっておこるもので泣いておられるわけではありません 奥様には意識がないのですから……
 俺は啓子の涙を舌の先で拭う 何度も 何度も 拭ってみる  そして俺の濡れた目頭を啓子の唇に押しつける  と 温かな唇から啓子が俺の中に入ってくる  俺は嬉しくなって 啓子の掌をとって 高みに昇る  暗天 あるいはクリムソンレーキー色の空間を泳ぐ  泳いでいるうちに俺は空間に拡散され やがて空間が俺になる  ところが その中で啓子はただ物体として浮遊している 頑強に空間との融和を拒絶しながら 物体として浮遊し続けている  俺は風のように啓子に抱擁を試みる  しかし啓子は動かずそれを拒否する  俺は月夜の薄闇のなかを超スピードで疾風し 啓子の存在を忘れようと荒れ狂い 地上にある一本の電信柱を意識が捉えたところで止まる  鈍い銀色の鉱物に俺は絡み付き なめるように抱擁し 一体化を図ろうとする  しかし セメントの突起物もやはり毅然と進入あるいは融和を拒否する  融和を図ろうとする俺に あらゆるものは拒絶する  もう それでいい  それらは他存在であり 俺ではない  明確な境界線を引かれたほうが「俺」が解るというものだ  いや 解ったわけではない  俺は少なくとも電信柱ではない 啓子ではない そういうことが解っただけだ  俺は渦巻いて塊となって地面に潜る  砂 及び土の隙間に浸透して 下に下にと走っていく
 神はいるか いるはずもない また 暗黒のモヤが包む

 啓子は植物人間でありながら 拒絶を意志し
 俺は「自己欺瞞」を確認して ひとりのまま 生きるしかない

存在  存在する  花を咲かす  毒か薬か 毒でも薬でも 個性が存在  輝きが存在  存在に悪も正もない  あるのは輝きの強と弱  新しさ  特出  固体変異
 広がり  次のもの  その次  止まらない  止められない  落ち着く時  それは死か  動き  新しさ  広がりを求めて 動きづめに動く時 生命は輝く  そこには善悪はない  存在の輝きは倫理道徳を越える  刺激は反応の動きを求める
存在に善も悪もない  在るのは 存在の輝きが強いか弱いかだけ  光は念いの強さ
 新しさと広がりへの  それが存在の意味  世界の意味  それが表層世界の 明るい世界の意味  そして その裏には 沈黙 闇 無 空の世界が一体として 在る
存在の輝きと死

 おまえらッ 何故取れんのだッ ここは失業者の集まりかッ 俺は慈善事業しとるんじゃないぞッ  いいかッ今週が勝負だッ 血を吐いてでも取って来い  おまえら狭間を見習え 狭間くんはしっかり取って来てるじゃないかッ
 朝礼で皆の冷ややかな視線が俺に集まる  俺には誇るなにものもない  誰も読まない誰も喜ばない 自分が食うためだけの経済誌に広告の成績を上げることはむしろ加害者だ  一度足を洗ったはずの俺は食らうがために 再び戻って ここに いる
 木村ッ おまえは仕事しているのかッ 住菱はどうしたッ  狭間に行かしたら ちゃんと取ってきたじゃないかッ 大先輩が何をしとるんじゃッ  木村さんの眼鏡の奥が虚ろになる  突然木村さんは発する  しゃ、社長 私だって一生懸命やってますよ 狭間さんみたいに脅したりしないだけですよ
住菱の担当者が泣いていましたよッ 脅されたって  再び社長の激が飛ぶ  馬鹿もんッ 狭間くんが脅すわけがない  それは木村ッ 負け犬の遠声だ 醜いぞッ  たとえ脅したっていいんだッ それぐらいの元気を出せッ
 俺は 無表情で社長の訓示を聞いている真似を続けるほかはない  砂漠に幾万ともつかぬ野牛の群れ  身を守る凶器もないそれらは 自然大地の塵埃にまみれ 小さなオアシスで水を飲むために場所を奪い合う  それでも彼等は群れを離れない 生きるために理不尽な習性に身を任せ 群れは必ず群れとして行動する
馬鹿な形而下に 意識は自由か  自由であるはずもない

こうして また一日が始まり  終わる

 目の前には 啓子が買った造花のハナが見え 二年前に死んだ洋一の 学校の工作でつくった鬼のお面が埃を被ってぶら下がり 正面の鏡に俺らしきものが写っている  俺は そこ ここ にあるモノとどう違うのか
 肩の痛み こわばりだけの意識 それがモノと違う俺か  その上で 時計らしきものが 秒速で動く  それだけが 今 の変化か  溜め息をついて瞼を塞ぐ  電車の音  空間  風の音  耳鳴り  そして時計の音  全く 別々の響き 波動  因果的な関連のない個の存在  存在間のコミュニケートに期待するのは弱さであり 奢りである  存在群は不連続でばらばらなもの
個は独りである  カップヌードルを食らい 焼きいもをほおばる  宇宙法則に於ける生物の目的は 環境の変化に対応し 生き抜くことのみ  カラスが鳴いている  電車の音  茫々とした空間  深い溜め息をついて ここに 俺はいる


みんなバラバラだなんて 馬鹿なこと言っちゃいけないよ  笹川良一さんじゃないけれど 人類はみな兄弟です 人類だけじゃなく あらゆる動物も植物も……

鏡に向かって 俺は言う

いいですか 人間なんてエラそうなこと言っちゃいけないよ  言ってみれば人間なんてバクテリアの化身なんですよ  いいですか あなたも私も 人間 約六〇兆の細胞から成り立っております  その一つの細胞を見たら 核と数千匹のミトコンドリアがいる
いいですか 核もミトコンドリアも三五億年も前に地球上で生まれたバクテリアなんですよ 最も生命のタネは宇宙から降ってきた雑菌という説もありますがね  ま そいつらが環境の変化に単体では対応できなくて生き延びるために複合体となって共存したんですよ  核は司令塔の役目を果たしミトコンドリアはエネルギーの生産を司る  植物だってそうですよ 植物はミトコンドリアの代わりに葉緑体 こいつもバクテリアですがね
こいつと核が共存して 植物という複合体で環境の変化に生き抜いてきた  「環境の変化に対応し生き抜くこと」  生物の目的はそれだけですよ あとに何もありゃあしません  バクテリアどもは生き延びるために
「固体変異」という宇宙の法則に則って多様化を図った  宇宙には同じものがふたつとしてない あれですよ  種類が多ければ多いほど 急激な環境の変化が地球上であったとしても生き延びる可能性がでてくるわけだ  そんなこんなで三五億年経った今 地球上の生物は三千万種を数えるに至ったわけですよ  しかしみんな同じバクテリアの化身ですよ 兄弟ですよ  たまたまそれが狸だったり人間だったりするわけですよ  それだけの違いで人間なんて なあんも エラくともなんともないですよ

鏡の俺は ニイッと笑う

いいですか コンピューターの時代だとか言って たかだか五〇年ですよ  ちょんまげ切ったところから入れても一〇〇年でしかないんですよ  今を席巻している自由主義経済の観念だって たかだか二〇〇年ですよ
立派でも絶対でも何でもないですよ  自由と言ったって競争とセットで もう人間の心も地球もぼろぼろじゃあないですか もう
新しい観念をつくらにゃいけませんよ 傲慢じゃなく謙虚にね  世の中 コンピューターできたって こりゃあ 進歩でも発展でもなんでもないですよ  何故って 仮に進歩や発展ということがあるとすれば それは幸福に感じるひとが前よりも増えたということでしょう  しかし紀元前の時代の人類と較べてみて 幸福に感じる人間の比率が今のほうが増えたとはどうしても思えない  つまり世の中に進歩や発展なんてもともとないんですよ あるとすればそれは「環境の変化」でしかない  だからその変化に生き抜く新たな観念の創出が必要な時期に来ているということでしょう  人類が生まれて三〇〇万年の歴史のうち たかだか二〇〇年がエラそうにしちゃあいけませんよ もっと謙虚であらなくちゃあねェ  そして生命が生まれて三五億年ですよ 宇宙の塵やガスから地球が生まれて四六億年 ビッグバンから宇宙が生まれて一五〇億年ですよ 人間は宇宙にひれ伏さなくっちゃいけません なめたらあかんぜよ ですよ

鏡の俺は ニイッ ニイッ と笑う

いいですか 我々は太陽系に位置していますよ  ところが我々の属している銀河系には そんな太陽が一〇〇〇億個もあるんですよ  その銀河系も宇宙にはこれまた一〇〇〇億個もある  ええっと 仮に地球みたいなものが太陽一個にひとつとしたら 一〇〇〇億個×一〇〇〇億個  つまり……  一〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇個の地球があることになりますわね
いいですか 月まで光の速さで一・三秒ですよ  太陽まで八分ですよ  冥王星まで五時間三〇分ですよ  ところが我々の銀河系のお隣りのアンドロメダ銀河まで二二〇万光年 最近発見された最も遠い銀河まで一四二億光年ですよ  光の速さで行ってですよ
 月に上陸したとか 木星に探査機が行った程度で 宇宙を制覇したような気持ちになって 笑わしちゃあいけませんぜ  人間の傲慢さにはヘドが出ちまいまさあ

鏡の俺は ニイッ ニイッ ニイッ と笑う
いいですか この地球だって一〇億年たちゃあ無くなっちゃいますよ  火星に住むようになっても太陽は五〇億年で死んで爆発を起こしちゃいますよ  人間が死んで墓つくったって永遠には残らんのですよ  世の中で いいことしたって わるいことしたって 何も残らんのですよ  歴史に刻む偉大な一頁? 冗談じゃないですよ 歴史だって残りゃあしない  エジプトのピラミッドだって ヒットラーだって 赤軍派だって 阪神大震災だって 堤義明だって ビートルズだって 小沢一郎だって オウム真理教だって 狭間直人だって 谷口正雄だって なんにも残りゃあしませんよ  飯だって 鏡だって 月だって 女房だって クーラーだって
文字だって 兄弟だって コップだって 鉛筆だって 造花だって 指だって 夜だって 水だって バイクだって バーナーだって 机だって 残らない  魚だって 布団だって カレンダーだって 腹一杯だって 静寂だって 垂れ目だって 光だって 草だって 残らない  土だって 茶碗洗いだって 親だって 電話だって 頭痛だって ガチャガチャだって 夕焼けだって ゴミ袋だって ストーブだって 病気だって 煙草だって よく生きるだって 虫の音だって 華道だって 野球だって 哲学だって 残らない  恋愛だって 死だって 時だって 蛍光灯だって 新聞だって 汗だって 個室だって 喧嘩だって お風呂だって くしゃみだって すね毛だって 風だって 歯痛だって 激論だって 鞄だって コーヒーだって
ハンパンだって 冷蔵庫だって 涙だって
歯磨だって 伝統だって 雪だって季節だって なんにも残らない  溜め息だって テレビだって 性だって 脚だって 定規だって 常識だって 新しさだって 眼鏡だって 不況だって 絵画だって 写真だって 釣りだって コルクだって 停電だって 服だって トランペットだって 吃りだって 永遠だって エックスだって ユーミンだって ティッシュペーパーだって ガラスだって カラスだって 皮膚病だって 疲労だって 中傷だって 子供だって A4だって 雑誌だって……… ………

世の中に 「絶対」 はない

鏡の俺は とっくに 消えている


東阪ガスの社長の弱みを握っている俺に そこの社長は頭が上がらない  それを利用して そこの資材部長から取引先に紹介の電話を入れさせる  事務用品を納入している垣崎社長を前にして 俺は東阪ガスとの親しい関係を捲し立てる  俺は集中する 俺は集中する 俺は集中する
 ま そういうことで広告のほう ひとつ頼みますよ 俺は言う  渋面する垣崎は不況で経費削減しているのでと言いながらも 秘書を呼び 持ってこさせた現金の入った封筒を俺に差し出す  こんな中小企業ですから広告の掲載は結構ですよ ま コンサルタント料とでもしておいてください 領収書も結構ですから 狭間さん個人で受け取られても結構ですよ 垣崎は言う  いやいや会社にバレてこの金が退職金代わりになるとツマランですからね あとで雑誌購読料名目の領収書を送りますよ
 俺は会社を後にして 地下鉄の六本木駅に向かってゆっくりと歩く  背広を脱ぐ
一件落着だ これであの企業は半年に一回定番になる  定番?  これが俺の人生の定番か  実になさけない定番  よろよろ上り坂を歩いて「定番」を考える  「おいしいとこだけ 一番搾り」の看板  「カラオケXで楽しもう」の旗  横の国道を自動車が何台も猛スピードで過ぎていく  砂埃が歩道にまで舞い上がる  白髪で長身の男がひとり歩道で左手でパンフレットを通行人に差し出したまま右手で顔を隠すように本を読んでいる  「神は本当にわたしたちのことを気遣っておられますか」  その小誌を俺は無言で受け取る 彼も無言で渡す
 歩く ただ歩く  ただ歩くと 妙な音が次第に大きく響いてくる  ドンドン ドドント ドンドンドン  リズムカルで実に力強い音  大きく国道の高架の下に響き渡っている  こいつだ  もう少し行くと手ぬぐいを頭に巻いた精悍な顔付きの老人が金属の大きなゴミ箱を力一杯叩いている  ドンドン ドドント ドンドンドン  出稼ぎの老人が故郷の村祭りの太鼓でも思い出しているのか  しかし老人に衒いはない  躍動しろ 躍動しろ 人間よ 躍動しろ とゴミ箱は響く  神はここにも降りてきているではないか 俺はそう思う

十億年後 すべては無くなる  それを待たなくったって あと四〇年もすれば平均寿命で死んじまう  どう生きるか 何をもって生きるか 何も解らない
俺は「絶対」を求めている  「神」を求めている

新規を三軒回って門前払いを食わされた後 神田駅前の立ち食い蕎麦屋に入る  ざるそばにてんぷらのっけてェ  あいよ~  てんぷらはタレつけないでそのままね  てんぷらはタレつけないでそのままと あいよ おまちどう
俺はかき喰らう 旨いとかまずいとか感性のない味をかき喰らう  少なくともかき揚げはこうしてバリッと折って食べる瞬間にそばつゆにつけるのがいい  食っている最中に金を払ったかどうか判らなくなる 五〇〇円玉を握ってたところまでは覚えていたのだが……  ご主人 お金払いましたよね  「あいよ 三〇円お釣渡しましたよ 私の手はお金貰わないと動かないようになっているんでねェ」大柄な男が言う  ご主人面白いこと言うねェ 以前何やってたの?  「いろいろ なんでもね そば食っててんぷら食ったらビール欲しくなるでしょ」  仕事中ですから ご主人酒強いんでしょ  「いや 嗜む程度です ま あとは競輪かな でも何万とやらないよ 三〇〇円とか五〇〇円買って おーあいつ勝ったなって楽しむんですよ 光輪閣知ってるでしょ」  ええ名前だけは  「あそこで上からど~んと墜っこちるの見ましたよ 警察が来てそいつのポケット調べたら二〇円しかない イチかバチかやけくそになって勝負に出る奴多いんですよ 同じ場所で二度見ましたよ あれって人呼ぶんだね この中央線だってよく飛び込むよね たいへんな人 一杯いるよ そば食って笑ってられるの いいほうよ」

ごちそうさん ご主人そば旨かったよ  俺は外に出る


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