東京都府中市の多磨霊園。ここには江戸川乱歩の墓があります。39万坪(=128㎡)と広大な所なので、案内地図をガイドにしないと、とても乱歩の墓までたどり着けません。(正門横の管理事務所で地図を売っています)墓は区画整理がされているので、地図を片手に向かいました。乱歩の墓は、事前情報のとおり本名の「平井家之墓」となっていました。
その墓を前にして、乱歩は確かに存在していたんだ(あたり前ですけど)とあらためて実感。乱歩の才能に感謝をこめて手を合わしました。作家の奥泉光氏は、「乱歩の墓」と題して光文社「江戸川乱歩全集 第19巻 十字路」の巻末で、多磨霊園の傍に住んでいたため、散歩で度々乱歩の墓に訪れいたことを綴っています。流石作家、その描写が上手すぎなんです。
“乱歩の墓は、柵で囲われた墓所の、楓や柘植の植木が案配されたなかに、白っぽい花崗岩を矩形に記って磨いた墓石が佇立する変哲のないものであった。・・・墓石には「平井家の墓」とただ彫られて、それが乱歩の墓と分かるのは、脇に「江戸川乱歩」と自署を象った標柱が立っているからである。・・・「江戸川乱歩」の標柱の反対側には墓碑があり、乱歩の戒名「智勝院幻城乱歩居士」の下に「繁男嫡男 平井太郎 昭和四十年七月二十八日歿 行年七十才」にはじまって、日本探偵作歌クラブ初代会長を勤めたとか紫綬褒章や勲三等瑞宝章を貰った事跡などが感銘に記されている「処女作『二銭銅貨』の外創作随筆多数」の文字も見える。・・・”
※光文社「江戸川乱歩全集 第19巻 十字路」より抜粋
ところで、この多磨霊園には、三島由紀夫、岡本太郎、与謝野晶子といった著名人の墓が多数あるのですが、とにかく霊園が広すぎ時間もなかったこともあり、他の方々の墓を見るのは次回に譲るとして、そこを後にしました。
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さっそく(?)お墓の記事を読みにうかがいました。
写真を拝見するに、楓がいい枝振りで、静かそうなところだと感じます。
しかしなによりも、案内地図がある、しかも売っている!! ということに驚きました。……他の文豪・著名人も眠ってらっしゃるようだし、そういうものなんですね。