![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/b8/8fc5e0de302e72f001723277b00459e7.jpg)
70年代のアニメソングは、「巨人の星」「タイガーマスク」「サインはV」「ルパン三世」「マジンガーZ」などリアルタイムでテレビにしがみついて来たボクとしては、いずれも懐かしく、かついつでも口ずさんで唄うことができるほどに体に浸みこんでいるものばかりだ。
先日書店の店頭で見かけた雑誌「Extime(エクスタイム)」は、70年代を回顧するものでつい購入してしまった。そこには山口百恵の誕生秘話や吉田拓郎が節操なく駆け抜けた70年代の特集記事があった。そして、そのなかに一際目を引くように記載されていたのが、名曲の誉れも高いアニメ「あしたのジョー」のテ-マソングを作詞した寺山修司とその主人公・矢吹丈に関する記事であった。
寺山は、漫画を読むのは嫌いで彼が率いる「天井桟敷」の役者達が漫画を読み漁っているのを苦々しい目で見ていたこと。ボクシング好きの寺山は映画「ボクサー」まで製作したものの、彼が時折みせるシャドーボクシングの握りこぶしはその親指を拳の中に巻きこんでいること(間違っている)。漫画嫌いのボクシング好きの寺山が「あしたのジョー」にのめりこみ、ついには矢吹丈の宿敵・力石徹が漫画の中で壮絶な死を迎えた時、この架空の人物の告別式を企画するという前代未聞のイベントを実施したことなどが書かれてあった。
それらは有名なエピソードであり、ボクにとっても何度か読んだり、聞いたりしたことがあるもの。その記事の中の最後のほうに寺山と交友のあった文化人類学者の山口昌男のコメントにグッと感じるものがあった。
“歌詞を見ればわかります。荒野がほしいというのは、間違いなく彼自身の姿。右か左か、あしたはどっちだ、それが表面化した時代だったといえるでしょう。”
荒野!時代のパイオニアとして数々の文化的な実験とハプニング、スキャンダルを展開してきた寺山修司は、まるで矢吹丈のように余りにも早く駆け抜け燃え尽きるようにこの世を去っていった。その2人の姿がこの雑誌の記事を読んでいて、ダブって見えてこなくもない。
寺山修司はエッセイ『誰が力石を殺したか』(「新・書を捨てよ、町へ出よう」河出文庫/所収)の中で、“「あしたのジョーの最新号には、二つの死がえがかれている。一つは矢吹丈のリング上でのKO負けと、そのことによる「あした」の死である。”と書き出し、告別式を企画したその力石徹を“体制社会の権力の投影”“スラムのゲリラだった矢吹丈の仮想敵、幻想の体制権力だった”としている。そして、“力石は最初から死んでいたのであり、丈のように「闘うべき理由」など何も持っていなかった”と力石の存在をつかみどころのないもののように述べている。
時代は安保闘争で揺れる中、よど号ハイジャック犯の有名な言葉「おれたちはあしたのジョーになる」は、まさしく寺山修司の指摘のように時の権力を仮想敵と見做しているのかもしれないが、実は打倒すべき権力などは雲のようなもので打倒しようにも摑みどころがなく、また次から次へと湧いてくる・・・。“荒野”は自身の中にしかないと、寺山が企画した力石の告別式は物語っているように思えてくるのだが、はたして考えすぎか?
※寺山修司と「あしたのジョー」の記事はこれで2回目
↓ ↓
僕は知らない寺山修司NO.29⇒「あしたのジョー」テーマ曲作詞
※「新・書を捨てよ、町へ出よう」の過去記事はこちら
↓ ↓
僕は知らない寺山修司NO.48⇒「新・書を捨てよ、町へ出よう」(河出文庫)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/07/dade550f8ab275bc1d7713c00a4456a0.jpg)
ところで、雑誌に載っていたアグネス・ラムです。グラビア・アイドルのはしり、当時はこんなキューな顔立ちの女の子に不釣合いのダイナマイトボディ、思春期入口辺りのボクなど鼻血ブーもののインパクトがありました。今見ると割と普通に見えてしまうのですが・・・。
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先日書店の店頭で見かけた雑誌「Extime(エクスタイム)」は、70年代を回顧するものでつい購入してしまった。そこには山口百恵の誕生秘話や吉田拓郎が節操なく駆け抜けた70年代の特集記事があった。そして、そのなかに一際目を引くように記載されていたのが、名曲の誉れも高いアニメ「あしたのジョー」のテ-マソングを作詞した寺山修司とその主人公・矢吹丈に関する記事であった。
寺山は、漫画を読むのは嫌いで彼が率いる「天井桟敷」の役者達が漫画を読み漁っているのを苦々しい目で見ていたこと。ボクシング好きの寺山は映画「ボクサー」まで製作したものの、彼が時折みせるシャドーボクシングの握りこぶしはその親指を拳の中に巻きこんでいること(間違っている)。漫画嫌いのボクシング好きの寺山が「あしたのジョー」にのめりこみ、ついには矢吹丈の宿敵・力石徹が漫画の中で壮絶な死を迎えた時、この架空の人物の告別式を企画するという前代未聞のイベントを実施したことなどが書かれてあった。
それらは有名なエピソードであり、ボクにとっても何度か読んだり、聞いたりしたことがあるもの。その記事の中の最後のほうに寺山と交友のあった文化人類学者の山口昌男のコメントにグッと感じるものがあった。
“歌詞を見ればわかります。荒野がほしいというのは、間違いなく彼自身の姿。右か左か、あしたはどっちだ、それが表面化した時代だったといえるでしょう。”
荒野!時代のパイオニアとして数々の文化的な実験とハプニング、スキャンダルを展開してきた寺山修司は、まるで矢吹丈のように余りにも早く駆け抜け燃え尽きるようにこの世を去っていった。その2人の姿がこの雑誌の記事を読んでいて、ダブって見えてこなくもない。
寺山修司はエッセイ『誰が力石を殺したか』(「新・書を捨てよ、町へ出よう」河出文庫/所収)の中で、“「あしたのジョーの最新号には、二つの死がえがかれている。一つは矢吹丈のリング上でのKO負けと、そのことによる「あした」の死である。”と書き出し、告別式を企画したその力石徹を“体制社会の権力の投影”“スラムのゲリラだった矢吹丈の仮想敵、幻想の体制権力だった”としている。そして、“力石は最初から死んでいたのであり、丈のように「闘うべき理由」など何も持っていなかった”と力石の存在をつかみどころのないもののように述べている。
時代は安保闘争で揺れる中、よど号ハイジャック犯の有名な言葉「おれたちはあしたのジョーになる」は、まさしく寺山修司の指摘のように時の権力を仮想敵と見做しているのかもしれないが、実は打倒すべき権力などは雲のようなもので打倒しようにも摑みどころがなく、また次から次へと湧いてくる・・・。“荒野”は自身の中にしかないと、寺山が企画した力石の告別式は物語っているように思えてくるのだが、はたして考えすぎか?
※寺山修司と「あしたのジョー」の記事はこれで2回目
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僕は知らない寺山修司NO.29⇒「あしたのジョー」テーマ曲作詞
※「新・書を捨てよ、町へ出よう」の過去記事はこちら
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僕は知らない寺山修司NO.48⇒「新・書を捨てよ、町へ出よう」(河出文庫)
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ところで、雑誌に載っていたアグネス・ラムです。グラビア・アイドルのはしり、当時はこんなキューな顔立ちの女の子に不釣合いのダイナマイトボディ、思春期入口辺りのボクなど鼻血ブーもののインパクトがありました。今見ると割と普通に見えてしまうのですが・・・。
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