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飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

僕は知らない寺山修司NO.84⇒OSAKAテラヤマ'07-'08「狂人教育」

2008-05-15 | 寺山修司
ここのところずっとサロメにこだわりサロメについて書いてきた。その間に寺山修司の命日のGWも過ぎてしまいました。サロメを書いている最中にも寺山修司に関連する芝居を観たりしたので、遅れながらも備忘録としてそれらをアップしていきます。
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OSAKAテラヤマ'07-'08「狂人教育」

■日時:2008年4月29日(日)
■劇場:SPACE雑遊
■作:寺山修司
■演出:丸尾丸一郎(劇団「鹿殺し」)
■出演:坂本けこ美、橘輝、傳田うに、関根信一、政岡泰志

昨年のゴールデンウィーク大阪で企画されたテラヤマ博(ボクも観に行った)、おもしろくって東京進出!?そして今年は寺山修司の作品が入れ替わりで5作品上演された。まず最初に観たのが「狂人教育」、演出は劇団「鹿殺し」の丸尾丸一郎、
ボクは初めて聞く名前。この「狂人教育」はもともとは人形劇のために書かれたものであるが、調べるとここ最近、いろいろな劇団で上演されている。シンプルながらも人間心理の奥底をつく内容が受けているのか。

公演の方は、小さなスペースの最前列に坐ったこともあり役者の息づかいを真近かで感じることができ、感想は一言、おもしろかった。観ながら、サロメの項でも取り上げたフランスの思想家ルネ・ジラールの“身代わりの山羊”の理論を思い出した。一定の秩序を守るため時に集団は暴力で生贄として同調しない異邦人を葬ることがある。まさしくこの「狂人教育」はそれであった。この狂言的なドラマを演じさせる、本当の演出家、作者は誰なのか?寺山修司はシャーマンとしてそれを書いたにすぎない。真の作者こそは、大衆としての我々なのではないか。そんな問いかけを受けたように思えた。

上演終了後に、演出家の丸尾丸一郎のアフタートークがあった。なんとこの芝居は上演の1ヶ月前に依頼されたそうだ。それを聞いて驚きました。演出の力もさることながら、台詞を憶えなくてはならない役者の集中力も大変なもんだ。その丸尾丸があかしていたのは、目をクローズアップさせた装置。それは舞台そのものは観客とそれを支える裏方がなくては成立しない、つまり視線。そしてこの劇自体も登場人物たちの猜疑の視線が重要で、それを象徴的に表わそうとしたとのことだ。また、モノクロームで出来上がった装置や衣装などは、虚構性を際だたせるためで、小道具なども見えているようで見えないようなあやうさを狙ったとも発言していた。


マユ:あたしたち、人形同志でも一応ドラマの中では「家族t」ってことになっているの・・・・・・、そしてその中から、たった一人の気違いをえらびだすためにもめているって訳なのだからあたし、言ってやったのよ。
人形使いさんにきけば簡単よ・・・・・・って。
毎日毎日つくりものの舞台で、アテレコで、ほんとの人生があるみたいなふりをして・・・・・・かなしいでしょう、あたしたち。だからたまには知りたいの、ほんとのこと。
ねえ・・・・・・
だれが気違いなの?
(※寺山修司の戯曲4「狂人教育」思潮社より引用)


ちなみに「狂人教育」ついての過去記事は、流山児祥★事務所公演の『狂人教育~2006バージョン』です。

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本当に「あの人」でいいの?




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