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飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

鮮血の美学NO.2⇒長塚圭史作・戯曲「ドラクル」(文学界10月号)

2007-09-18 | 吸血鬼
長塚圭史作・戯曲「ドラクル」(文学界10月号/文藝春秋)

昨日に続き文化村・シアター・コクーンで見た吸血鬼をテーマとした芝居「ドラクル」についてです。この芝居の戯曲と演出を担当したのは長塚圭史という方。俳優の長塚京三の長男で劇団「阿佐ヶ谷スパーダース」を率いているそうだ。

彼の存在は不勉強で知りませんでした。今回初めて知ったのですが、芝居を観て中々重厚で哲学的な戯曲を書いている、誰だろうとその興味が向かったのです。劇場で文芸誌「文学界10月号」にその戯曲が掲載され、販売されていたので購入しました。この「文学界」なる雑誌、図書館などで見かけたことはありましたが、買ったのは初めてで、それだけ戯曲の魅力を感じ取ったのかなと思います。

戯曲以外にも、長塚氏へのインタビュー記事も掲載されている。神の存在証明や宗教的な問題がテーマの底に流れているだけに、長塚氏の考えも知ることができ興味深く読むことができました。


以下、「ドラクル」について印象に残った台詞(一部ですが)を戯曲からの抜粋です。


◇ジョン:嘘をつくなレイ、おい、どうあがいても俺たちは欲望の結晶だ。俺たちを悪魔と呼ぶ奴もいる。悪魔でも構わんじゃないか。欲望のままに生きる甘美。お前もよく知っているだろう?あの解き放たれたような高揚は何だ?つまりこれこそが本来の姿なんだ。人間は腹の中に生まれたその瞬間から母親の栄養を貪り食い、欲しければ泣き、摑めばまた別の何かを欲する。そこに核心があるとは思わないか?モラル?秩序?それこそ人間の本質を裏切る、神に背く行為だ。


◇レイ:愚かな神よ、俺を見くびったな。このジル・ド・レイを!もう祈るのはやめた。立ち上がれぬほどに後悔させてやろう。朝が来るたびに嘆くのだ。夜ごと流れる夥しい血の前で立ちすくむがいい!


◇司教:私が祈るのは当たり前過ぎるだろう。勿論、毎日心から祈っているがね。いいか?連中はただ病に怯えているだけじゃない。生きていくためには働かなきゃいかん、そんなことはわかっているんだ。しかしもう退屈しているんだ。代わり映えしない世の中に。変化を求めている。刺激が必要なんだ。君がどれだけ罪深い罪人であろうと、この街の為に塔の上で命尽きるまで祈る姿は民衆の恰好の退屈凌ぎだ。退屈が紛れて、信仰心という大義名分の下に、働くきっかけを取り戻す。


◇司教:悪魔の存在は神の存在をより明らかにする。

※文学界10月号(文藝春秋)掲載・戯曲「ドラクル」より引用




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