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ボクは寺山修司についてこのブログで多くを取り上げてきていますが、タイトルに「僕は知らない…」と付けているように、リアルタイムで寺山修司の活動を見てきたわけではありません。生前は興味が無かったので見向きもしなかったというのが実際です。寺山の死後に、天井桟敷の引き継いだ万有引力のお芝居も何度か見に行きましたがまだ寺山修司という存在の影響力に気づくまでは至りませんでした。キッカケは数年前に映画「田園に死す」を見たときです。すごい衝撃を受けました。そこで初めて<寺山修司>という存在に気づいたのです。
とは言いながら、寺山修司は死んで20年近くも経っている存在で、その息吹は感じようもありません。ですからボクにとっての身近な寺山とはJ・A・シィザー率いる万有引力であることが多いのです。映画にしろ、演劇にしろ、イメージ化する際に、大きな影響を与える音楽、その寺山修司の世界における音楽を構築してきたのがJ・A・シィザーであるわけで…。あるいは、寺山修司が生前、天井桟敷で評判をとった実験演劇を再現するのがJ・A・シィザーの万有引力であったのです。ですから寺山修司≒J・A・シィザーと言えなくもないくらいで。そのJ・A・シィザーの演劇活動のかけらを集めたノートのような展覧会が開かれるというのは、興味深いことでした。
展示内容は色濃いもので相当な物量、市民ギャラリー等と名の付くところで開催するようなものではありませんでした。むしろそんなところで開催されるのがびっくりで、2年前に松山で見た市街劇「ソロモン」の時もそう感じたのでありますが、当時、反体制で過激なサブカルチャーも時代を経るとそれも自治体がオマージュとして許容されるものとなってきてしまう。前半は天井桟敷時代、後半は万有引力時代を中心とした様々な資料が無造作に雑然とそのかけらが並べてありました。ボクより上の世代の人達にとってみれば、凡庸な言い方であるけれども、それらは青春の1ページに違いないのだ。必要以上の情報が氾濫し、望む情報が簡単に手に入り、目に入るものはデザイン化され、予定調和な物語があらかじめ用意されてしまっているような現代とは違って、まだそれらの残骸には、<時代よ開け>という熱き想いが残っているように感じました。
時代が否応なしに変遷する中で、初志貫徹というか、新宿の3大フーテンとして名を馳せた後に、寺山修司の天井桟敷に加わり、そこで右腕として欠かせない存在となり、寺山の死後もお金がかかり挫折して解散していく劇団運営を今まで継続的に維持しているということはなかなかできないこと、素晴らしいことだなと思いました。できそうでできないことです。
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