■製作年:2008年
■監督:トーマス・アルフレッドソン
■出演:カーレ・ヘーデブラント、リーナ・レアンデション、他
スエーデン映画なのだといいます。そして世界中でいろんな映画祭の賞を受賞している異色の吸血鬼映画なんだと。その映画のチラシを見て、件数は少ないのせすが、ボクは吸血鬼をテーマに数本記事を書いてきた経由もあるし、題名が面白そうだったので、映画「ぼくのエリ 200歳の少女」を見てきました。
設定が普通の?吸血鬼映画(どれが普通とは基準がないのですが)とは違います。12歳の孤独な少年オスカーにガールフレンドができるのですが、なんと少女は吸血鬼で200歳だったというのです。それだけで異色の吸血鬼映画というのがわかりますが、舞台が雪に閉ざされたストックホルム郊外というのがまたユニークであります。ですから映画の記憶はどんよりした空に白色の世界、色が少ないという印象が残っています。
主人公のオスカーは学校でいじめにあっており孤独や疎外感を味わっています。そして雪で閉ざされた世界はそれを一層強調するかのようです。(ちなみに映画館は冷房が効きすぎていて寒く、見ていてちょっとばかり季節の感覚がおかしくなりました)オスカーはいじめの反動かナイフを常備し、一人そのナイフを樹に刺して紛らわしていまし、猟奇的な事件の新聞記事をスクラップしているなど少しばかり感情が歪んでいるかもしれません。そんな彼の目の前に表れたのが、同じく孤独と疎外感の中で生きてきた推定200歳の吸血鬼。ディスコミュニケーション下における小さな魂の出会い?のような話
少年オスカーと吸血鬼エリは、モールス信号でコミュニケーションを深めていきます。それはダイレクトなコミュニケーションではないのですが、ささやかかなコミュニケーションという印象を受けます。そうした映画の場面を見ていますとこの広い世界では、我々人間を始め生き物たちは、そこかしこで休むことなく一杯いろいろなコミュニケーションを取り合っているんだな、コミュニケーションなくして生きていることの実感を持てないよなとあらためて気づかされます。コミュニケーションが取れず、コミュニケーションがねじれ歪んだ中で、ひそやかな一風変わったコミュニケーションが生まれ、そこから純な感性から沸き上がってくる、映画はそうした展開を見せます。
やがて、エリを吸血鬼と知らないオスカーは猟奇的な事件の記事を集めていることもあってか、彼女に儀式的な遊び感覚で、血の交換をしようと自らの手をナイフで傷つけます。血を見せられたエリは本能的に居ても立ってもいられなくなり、床に滴り落ちたオスカーの血を四つん這いになって舐め始めます。そこで始めて見せるエリの吸血鬼の本性。2人の関係はその後どうなるのか?ネタバレになるのであまり書けないのですが、エリが吸血鬼たることの能力を見せつけるように終わる終盤の驚くような映像。
実は、2人のコミュニケーションは断たれることなく、映画は続くのですが、途中、人間を逆さ吊りにして首をかっ切り血を収集するエリと一緒に住んでいる中年男がいます。彼は人間であり、最終的には面が割れないよう薬品を顔にかけその容姿を惨たらしいものに変えてしまいます。映画では詳しく描かれていないのですが、彼はエリに長らく使えてきたのだろう。その中年男性をみていると将来のオスカーを予見しているかのようです。それは数十雨年前の同じく自己に閉じこもったオスカーのような少年の成れの果てなのかもしれません。
ところで、吸血鬼のエリがオスカーの家で着替えをするシーンがあり、一瞬裸の彼女の下半身が映る所があります。ただ肝心の部分にはボカシが入っておりそれをみたオスカーからの表情でしか判断するしかありません。ボクは戸惑いと恥じらい、驚きのようなものをそこに見たので、少年期の性的な感情の芽生えのようなエロティシズムを表現したのかなと思ったのですが、どうやらそうではないらしく、パンフレットに寄稿していた高橋諭治氏によると「彼女の性器は欠損していることが判明する。200年以上も前に切り取られてしまったのだ」とあるのです。つまりヨン・アイヴィデ・リンドヴィストの原作「モールス」ではエリの女性器(←男性器の誤りです)は削り取られているということらしいのです。一体どんなふうになっているのかボカシのためわかりませんが、劇中でエリが女ではないと何回か言っていたことが、そういうことなのだと思いました。エリは、彼女ではなく彼であるということ…なのだと。
この「ぼくのエリ 200歳の少女」は、ハリウッドでリメイクされるそうだ。その独特な発想と着眼点、展開のユニークさは、なるほど頷けるものあるし、ベルイマンしか印象のないスエーデン映画ですが、頑張っているなと思いました。
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■監督:トーマス・アルフレッドソン
■出演:カーレ・ヘーデブラント、リーナ・レアンデション、他
スエーデン映画なのだといいます。そして世界中でいろんな映画祭の賞を受賞している異色の吸血鬼映画なんだと。その映画のチラシを見て、件数は少ないのせすが、ボクは吸血鬼をテーマに数本記事を書いてきた経由もあるし、題名が面白そうだったので、映画「ぼくのエリ 200歳の少女」を見てきました。
設定が普通の?吸血鬼映画(どれが普通とは基準がないのですが)とは違います。12歳の孤独な少年オスカーにガールフレンドができるのですが、なんと少女は吸血鬼で200歳だったというのです。それだけで異色の吸血鬼映画というのがわかりますが、舞台が雪に閉ざされたストックホルム郊外というのがまたユニークであります。ですから映画の記憶はどんよりした空に白色の世界、色が少ないという印象が残っています。
主人公のオスカーは学校でいじめにあっており孤独や疎外感を味わっています。そして雪で閉ざされた世界はそれを一層強調するかのようです。(ちなみに映画館は冷房が効きすぎていて寒く、見ていてちょっとばかり季節の感覚がおかしくなりました)オスカーはいじめの反動かナイフを常備し、一人そのナイフを樹に刺して紛らわしていまし、猟奇的な事件の新聞記事をスクラップしているなど少しばかり感情が歪んでいるかもしれません。そんな彼の目の前に表れたのが、同じく孤独と疎外感の中で生きてきた推定200歳の吸血鬼。ディスコミュニケーション下における小さな魂の出会い?のような話
少年オスカーと吸血鬼エリは、モールス信号でコミュニケーションを深めていきます。それはダイレクトなコミュニケーションではないのですが、ささやかかなコミュニケーションという印象を受けます。そうした映画の場面を見ていますとこの広い世界では、我々人間を始め生き物たちは、そこかしこで休むことなく一杯いろいろなコミュニケーションを取り合っているんだな、コミュニケーションなくして生きていることの実感を持てないよなとあらためて気づかされます。コミュニケーションが取れず、コミュニケーションがねじれ歪んだ中で、ひそやかな一風変わったコミュニケーションが生まれ、そこから純な感性から沸き上がってくる、映画はそうした展開を見せます。
やがて、エリを吸血鬼と知らないオスカーは猟奇的な事件の記事を集めていることもあってか、彼女に儀式的な遊び感覚で、血の交換をしようと自らの手をナイフで傷つけます。血を見せられたエリは本能的に居ても立ってもいられなくなり、床に滴り落ちたオスカーの血を四つん這いになって舐め始めます。そこで始めて見せるエリの吸血鬼の本性。2人の関係はその後どうなるのか?ネタバレになるのであまり書けないのですが、エリが吸血鬼たることの能力を見せつけるように終わる終盤の驚くような映像。
実は、2人のコミュニケーションは断たれることなく、映画は続くのですが、途中、人間を逆さ吊りにして首をかっ切り血を収集するエリと一緒に住んでいる中年男がいます。彼は人間であり、最終的には面が割れないよう薬品を顔にかけその容姿を惨たらしいものに変えてしまいます。映画では詳しく描かれていないのですが、彼はエリに長らく使えてきたのだろう。その中年男性をみていると将来のオスカーを予見しているかのようです。それは数十雨年前の同じく自己に閉じこもったオスカーのような少年の成れの果てなのかもしれません。
ところで、吸血鬼のエリがオスカーの家で着替えをするシーンがあり、一瞬裸の彼女の下半身が映る所があります。ただ肝心の部分にはボカシが入っておりそれをみたオスカーからの表情でしか判断するしかありません。ボクは戸惑いと恥じらい、驚きのようなものをそこに見たので、少年期の性的な感情の芽生えのようなエロティシズムを表現したのかなと思ったのですが、どうやらそうではないらしく、パンフレットに寄稿していた高橋諭治氏によると「彼女の性器は欠損していることが判明する。200年以上も前に切り取られてしまったのだ」とあるのです。つまりヨン・アイヴィデ・リンドヴィストの原作「モールス」ではエリの女性器(←男性器の誤りです)は削り取られているということらしいのです。一体どんなふうになっているのかボカシのためわかりませんが、劇中でエリが女ではないと何回か言っていたことが、そういうことなのだと思いました。エリは、彼女ではなく彼であるということ…なのだと。
この「ぼくのエリ 200歳の少女」は、ハリウッドでリメイクされるそうだ。その独特な発想と着眼点、展開のユニークさは、なるほど頷けるものあるし、ベルイマンしか印象のないスエーデン映画ですが、頑張っているなと思いました。
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ではなくて、男性器が切り落とされているのですよ。