飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

「LGBT」いうテレビ番組(11月放送)見た感想

2008-12-11 | Weblog
LGBTとは、L:レズビアン、G:ゲイ、B:バイセクシャル、T:トランスジェンダーのことをさす。いわゆるセクシャル・マイノリティのこと。それをテーマにした番組が(古いのですが先月の11月7日にアップした記事にも書いたNHK教育テレビのメタボリックに関する健康情報番組の後です)放送され、それを録画しておいたので時間も1ヶ月前とちょっと経ってしまっていますが、それを見ました。今回はそれに関する記事です。

番組にはいろいろな立場のセクシャル・マイノリティの方たちが登場して、それぞれが悩みや苦しみやどう生きていくのか、どう生きているのかを語り討論していました。その番組を見て思ったことは、あらためて性のあり方は多様だということです。ボクがセクシャルな感性で感じていることはほんの一部の部分であり、知りえない感性の地平が広がっているということ。意外とマジョリティであると思っているかも知れないが、感性の鎖国状態にあるかもしれないのだ。そしてマイノリティの彼・彼女らは、自分を取り巻く環境から否応がなく、他者と比較せざる得ない状態に追い込まれ、違和感を感じ、悩み苦しんでいるのだ。

セクシャル・マイノリティをめぐる問題は哲学的が多分にあるような気がしました。なぜならここには分かる、分からないの感性の断絶の問題があり、見ていくと存在論的な、認識論的でもあり、私とは何かを問うてくるからだ。人間なんて、思うに進んで苦悩するところへはいかないだろう、快の部分に無意識に向かのが常なのではないだろうか。そして自分の問題としてふりかからない限り、その問題に対して少なくとも人生を欠けて悩もうとは思わないだろう。身近な例でも病気になったから健康のありがたさを感じる訳だし、そこに今までの平和な日常とは違う障害が発生したからこそ、初めて意識に昇ってくるというのが現実なのではないか。だからマイノリティの性を抱えた子供がカミングアウトしたから、親はそれを初めて問題にして、理解への心を働かすにちがいないのだ。番組に登場していた親をみてそう思った。マジョリティの性を持っている子供の親が、マイノリティの性の問題を真剣に考え悩んでいるということは、まずありえないからだ。

セクシャル・マイノリティに生まれた人はその性(さが)を変えることはできず。それと一生付き合っていかねばならない。それは本人の意思とは別のところで発生したものなので、どうすることもできない。自分を生ききるしかできないからだ。悩むことが常態であること。その人を取り巻く環境次第では相当大変なことだろうと思う。しかし、自分は自分でしかないので、やはり発想の転換が求められるに違いない。

コメンテーターとして登場していたセクシャル・マイノリティの方々は、非常にイキイキしていたように思えた。違和感を抱えながら前向きであることがそのように見えるのかもしれない。以前に記事としてアップした姜尚中ではないが「悩む力」が、宿命のように否が応でも降りかかってくるので、鍛えられ乗り越えていく力づよさ人を輝かせ魅力的にさせるのだろうと、番組を見てそのように思ったのでありました。

★NHKによるLGBTの特別サイト「虹色」
★番組で紹介されていた団体
レインボウ・カレッジ
GIDメディア
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