乱歩歌舞伎「京乱噂鉤爪(きょうをみだすうわさのかぎつめ)―人間豹の最期―」
■日時:2009年10月18日(日)、12:00~
■劇場:国立劇場
■原案:市川染五郎
■脚本:岩豪友樹子
■演出:九代琴松
■出演:市川染五郎、市川幸四郎、中村梅玉、中村翫雀、他
“市川染五郎宙乗り相勤め申し候”、前作の江戸川乱歩の「人間豹」を題材にした歌舞伎「江戸宵屋闇妖鉤爪」において、明智小五郎への皮肉もたっぷりのそして見るも鮮やかな染五郎演じる人間豹・恩田の宙乗りで終わりました。実際その場面はボクに鮮烈な印象を残し、今のように歌舞伎を見るきっかけの一つになったのでありました。さらに今回はグレードアップさせたものを見せてくれるという。これはワクワクしないではいられないでありませんか。
で、噂の宙乗りですが、客席の頭上を斜めに横断しクルクルと体を回転させながら、人間豹である恩田の口には銀の牙がキラッと光る。ボクが見たのは、一階の真ん中あたりの客席でしたが、その姿が見えなくなっても照明の効果で恩田の影が劇場の壁に映し出されるという心憎さの演出で。でも、どうなんだろうか、宙乗りの技としては今回の方が確かに上回っている。でも、その効果は前回作品の方があったように感じました。前作は乱歩の原作の通り人間豹は空中へと去っていくのですが、それが紙吹とともに消えていくその艶やかな姿と共に彼の残心が表現されていて、そこに悪の新ヒーローの誕生を予感させたわけではなかったか。その人間豹・恩田は、異形性ゆえに語る言葉にも人の心の裏側の真実を暴き出す痛快さもあって、前作では明智小五郎への皮肉をぶちかまして消えていった。ただ今回はそうした部分がっや薄かったようにも感じ、ひとつのトレードマーク的なサービスに感じてしまったのです。
(画像をクリックすると過去記事へ)
人間豹の逆説的な魅力ある哲学は今作も生きており、たとえば明智小五郎と対峙したときの台詞は、「鏑木、おめえはなるほど悪の権化だ。だが小五郎、その独りよがりの正義面もこうも度が過ぎりゃ、立派な悪だぜ」とあって、この善悪の彼岸にあるような人間豹のスタンスがカッコイイのだ。その人間豹・恩田ともに今回は、中村梅玉演じる陰陽師鏑木幻斎が登場します。この腹に一物もつ陰陽師は、人よりも人形が好きでなのです。それは人形しか愛せない性向は乱歩の「人でなしの恋」にも繋がるピグマリオニズムで。
迫力があったのは、舞台も大掛かりで燃えたはずの羅城門がセリ上がってくるところ。こうなってくると、もちろん乱歩の世界の具現化を目指した歌舞伎なんだけれども、鶴屋南北の世界にも通じるようなところも見えてきます。公演パンフレットを読んでいると、企画の元ネタになっている江戸川乱歩が敬愛した作家でその名前ももじったエドガー・アラン・ポーが活躍した頃の同時代の日本では、歌舞伎界に鶴屋南北が登場したそうです。特に今回のお芝居において南北の名前は伺うことはできmせんが、そのエロさ、そのグロさ、そのナンセンスさが、どこかで共振させてくれる部分があるのかもしれません。
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いずれにせよ、今回も文句なしに面白かったです!人間豹は最期ボクっちに警告すします。「どっちにしろ、手前たちの作ったしがらみ。人が決め、人があやつる人間の檻の中で、がんじがらめになって、這いずりまわっている、それがお前たち人間の本当の姿だ。俺は嫌だ。手前たちの作った檻の中で一生のたうちまわるなんざあ、まっぴらごめんだ。俺の行く先は決まった。俺にゃ俺の目指す世界があるのだ。この燃える命を道連れにそこへ向かって突き進むのだ。」
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■日時:2009年10月18日(日)、12:00~
■劇場:国立劇場
■原案:市川染五郎
■脚本:岩豪友樹子
■演出:九代琴松
■出演:市川染五郎、市川幸四郎、中村梅玉、中村翫雀、他
“市川染五郎宙乗り相勤め申し候”、前作の江戸川乱歩の「人間豹」を題材にした歌舞伎「江戸宵屋闇妖鉤爪」において、明智小五郎への皮肉もたっぷりのそして見るも鮮やかな染五郎演じる人間豹・恩田の宙乗りで終わりました。実際その場面はボクに鮮烈な印象を残し、今のように歌舞伎を見るきっかけの一つになったのでありました。さらに今回はグレードアップさせたものを見せてくれるという。これはワクワクしないではいられないでありませんか。
で、噂の宙乗りですが、客席の頭上を斜めに横断しクルクルと体を回転させながら、人間豹である恩田の口には銀の牙がキラッと光る。ボクが見たのは、一階の真ん中あたりの客席でしたが、その姿が見えなくなっても照明の効果で恩田の影が劇場の壁に映し出されるという心憎さの演出で。でも、どうなんだろうか、宙乗りの技としては今回の方が確かに上回っている。でも、その効果は前回作品の方があったように感じました。前作は乱歩の原作の通り人間豹は空中へと去っていくのですが、それが紙吹とともに消えていくその艶やかな姿と共に彼の残心が表現されていて、そこに悪の新ヒーローの誕生を予感させたわけではなかったか。その人間豹・恩田は、異形性ゆえに語る言葉にも人の心の裏側の真実を暴き出す痛快さもあって、前作では明智小五郎への皮肉をぶちかまして消えていった。ただ今回はそうした部分がっや薄かったようにも感じ、ひとつのトレードマーク的なサービスに感じてしまったのです。
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人間豹の逆説的な魅力ある哲学は今作も生きており、たとえば明智小五郎と対峙したときの台詞は、「鏑木、おめえはなるほど悪の権化だ。だが小五郎、その独りよがりの正義面もこうも度が過ぎりゃ、立派な悪だぜ」とあって、この善悪の彼岸にあるような人間豹のスタンスがカッコイイのだ。その人間豹・恩田ともに今回は、中村梅玉演じる陰陽師鏑木幻斎が登場します。この腹に一物もつ陰陽師は、人よりも人形が好きでなのです。それは人形しか愛せない性向は乱歩の「人でなしの恋」にも繋がるピグマリオニズムで。
迫力があったのは、舞台も大掛かりで燃えたはずの羅城門がセリ上がってくるところ。こうなってくると、もちろん乱歩の世界の具現化を目指した歌舞伎なんだけれども、鶴屋南北の世界にも通じるようなところも見えてきます。公演パンフレットを読んでいると、企画の元ネタになっている江戸川乱歩が敬愛した作家でその名前ももじったエドガー・アラン・ポーが活躍した頃の同時代の日本では、歌舞伎界に鶴屋南北が登場したそうです。特に今回のお芝居において南北の名前は伺うことはできmせんが、そのエロさ、そのグロさ、そのナンセンスさが、どこかで共振させてくれる部分があるのかもしれません。
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いずれにせよ、今回も文句なしに面白かったです!人間豹は最期ボクっちに警告すします。「どっちにしろ、手前たちの作ったしがらみ。人が決め、人があやつる人間の檻の中で、がんじがらめになって、這いずりまわっている、それがお前たち人間の本当の姿だ。俺は嫌だ。手前たちの作った檻の中で一生のたうちまわるなんざあ、まっぴらごめんだ。俺の行く先は決まった。俺にゃ俺の目指す世界があるのだ。この燃える命を道連れにそこへ向かって突き進むのだ。」
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私にとって初めての歌舞伎となった「京乱噂鉤爪―人間豹の最期」。
とても面白かったので、これからまた歌舞伎を見て行きたい・・・けど、古典の歌舞伎はこれほど面白いのでしょうか?
というわけで、これからもこちらを参考にさせていただきます。
私の場合は、昨年前作の人間豹のこの乱歩歌舞伎を見たのが一つのきっかけとなって、どんどん歌舞伎に引き込まれていったのは事実です。
古典歌舞伎も意外とわかりやすいし、人間豹と負けじ劣らずの奇想天外な展開があります。とは言いながらもまだまだ初心者なのですが・・・。
演劇の公演で一番気になるものが、今は歌舞伎かもしれません。来月新橋演舞場の「盟三五大切」は、以前テレビで見て、その展開に現代劇にない衝撃を受けた作品です。(見に行く予定です)
また気軽に見てやってください。ありがとうございます。
「その独りよがりの正義面もこうも度が過ぎりゃ、立派な悪だぜ」というセリフ、私も感銘を受けました。このセリフが活きていたのは、幸四郎さんの明智が人間豹の明智評どおりだったからだと思います。
最近の歌舞伎は、古典も新作も再演も、どれも素晴らしい舞台が多いですね。「盟三五大切」は、仁左衛門さんの三五×吉右衛門さんの源五兵衛が好きですが、若手がどんな舞台を繰り広げてくれるのか、楽しみですね。
「このセリフが活きていたのは、幸四郎さんの明智が人間豹の明智評どおりだったからだと思います」とおっしゃる通り、私も同感です。
よろしければまた見てやってください。