□149『岡山の今昔』瀬戸内の幸多し(ばら寿司、ままかり)

2018-11-11 22:00:49 | Weblog

149『岡山(美作・備前・備中)の今昔』瀬戸内の幸多し(ばら寿司、ままかり)

 そんなこんなで、このあたりの海辺は、行き交う人もかなりであったろうが、土地の人々の生活の場でもあった、このあたりに住む人々は、目の前の海で穫れた具材を、昔からいろいろな郷土料理に取り込んできた。新幹線の岡山駅の駅弁売場を覗いてみると、色鮮やかに飾った料理が点灯にズラリと並ぶ。新幹線を利用する度に、弁当の種類が実に多いことに驚く。

その中に、「祭り寿司」の弁当がある。別に「祭り」でなくても、桜でんぶなどて箱の中のご飯を綾取っているので、まばゆいばかりで、見ているだけで心が浮き浮きしてくる。これと良く似ているというより、同じものの別名ともおぼしき郷土料理に、江戸期の始めから岡山地方の家庭料理となっている有名な「岡山ばら寿司」(他の地方のばら寿司を区別するため、「備前岡山ばら寿司」と呼ばれることもある)がある。

こちらは駅弁のために開発されたのではなく、江戸期から町屋かつて池田光政が岡山城主であった時代、「町人の食膳は一汁一菜たるべし」との倹約令が出された。ところで、岡山の町人達はこれに真っ向から逆らうのではなく、表向きはこの命令に従っているように見せかけて、「実をとる」作戦に出た。
 このばら寿司の作り方は、まず沢山の具を用意しておく。NHK「美の壺・選・すし巡り旅」(2015年4月放映)で紹介された、ある主婦が作るその寿司は、広げると、びっしり詰まったカラフルな色がまばゆいばかりだった。美しさでも人を引きつけるだけの魅力を持っている料理だ。この例によると、ざっと二十四種類にも及ぶというから、驚きだ。

そもそも江戸期にどうであったかは教えられなかったが、しいたけやれんこん、ふきや、きぬさや、菜の花、そら豆などは当時でも比較的安価で調達できたのかもしれない。いまでは仏教などの催し事で精進料理が出されるのは稀だが、寺で修行するお坊さん達の食事には高野豆腐がよく入れられる、それがこの寿司にも入っているとは知らなかった。
 そんな岡山ばら寿司の主役は鰆(さわら)や蝦、穴子などの魚類であって、こちらは、当時は町人でも、普段は裕福な家庭しかそろえることができなかったのかもしれない。重箱の一つを用意しておいてから、最初に重箱の底にそれらの具を載せていく。錦糸卵、しいたけの煮しめかられんこん、鰆、あなご、ふきなどを置き、その上にきぬさや、菜の花、蒸し蝦などを順次に置いてから、その上に具が見えなくなるように酢飯を重ねる。こうすると、役人がやって来ても、「はい、このとおりの質素な飯でございます」と言い逃れることができた。食べる時は、これを逆さに大皿に受けて本当の表を出汁、きらびやかにしてからいただくのだそうだ。

このようなエピソードがどれだけ通用したかは知らないが、権力に屈しないという岡山町人の心意気、そして春の訪れを祝う。そのことで、食の楽しさを大事にしようという心意気には脱帽するしかない。
 岡山に来たら是非「食べてみられえ・・・」(方言)と土地の人に勧められる「特産寿司」は、他にも色々とあるようだ。まずは、岡山沖で穫れる小さめの魚といえば、ママカリではないか。この魚は、和名をサッパといい、体長は十センチに満たない、ちょいと小さめから、十センチはあろうかと見える中くらいのものまで寿司ネタになっている。

その背が緑黒色、腹が銀白色のコノシロとか、コハダに似た魚だ。学者によって、この魚をイワシ科に入れる人とニシン科とする人で意見が分かれるらしい。ママカリが棲息しているのは汽水域で、5~7月ごろ産卵期を迎えて内湾に集まって来るとのこと。元々は南日本から朝鮮半島南部の南海に分布していたのが、最近は温暖化の影響なのか、新潟あたりの海でも出荷できるほどの量が穫れているのかもしれない。
 岡山産のママカリは、午窓、日生、下津井、笠岡のみならず、今では埋立ての進展で海からかなり遠くなっている児島や岡山のあたりでも、漁師の網にかかっていたらしい。ままかりは、暑い日中は藻の中にいて、夕方近くになると藻の外に出て群れをなして泳ぎ回り、さらに、太陽が沈む頃には大群となって沿岸近くの浅瀬までやって来る習性があるらしく、陸岸よりの海域の海面近くに浮刺し網き網を仕掛けて引き揚げていたのだという。ところが、倉敷の水島灘などの工業地帯が近いところでは、船舶の往来が激しいため、安全の観点から戦後5年目くらいからしだいに制約を受けることになって来た。代わりに、安全にはほど遠い、船舶の常用航路付近で操業する漁船も見られるようになっている、とのことだ。
 このママカリを使った郷土料理には、そのままこんがりと焼いたり、2枚にして甘酢に漬けたり、さらに刺身にして食べることもあるのだろうか。とくに有名なのがママカリずしで、駅弁への登場は、1982年(昭和57)年ともいわれる。長方形の容器の中にママカリのにぎり寿司を並べたシンプルな駅弁ながら、ママカリの鱗をそぎ、尾を残して頭とはらわた、そして骨をはずして開いてある。古くは、ママカリの押しずしも作られていたようだ。これは升型の木枠の底に葉らんを敷き、その上にすし飯を置いて、ママカリの酢漬けをのせ、さらに葉らんを敷く。これを交互にくり返して強く押して四~五日おいてから食べていたらしい。

(続く)

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