♦️434の3『自然と人間の歴史・世界篇』ボリビア革命(1952)

2018-11-17 07:01:54 | Weblog

434の3『自然と人間の歴史・世界篇』ボリビア革命(1952)

  1952年4月、ラパスその他の諸都市での労働者を含む武装蜂起があり、それまでの軍事政権が崩壊した。これより前の1951年の大統領選挙では、亡命中のMNR(民族革命運動)のパス・エステンソロが出馬、当選した。ところが軍部は、選挙の無効を叫んで政権を奪い、MNRを非合法化した。これに対し、4月9日にMNRは武装蜂起し、鉱山労働者や民衆を民兵として組織し、軍と警察を管理下におく。

 そして迎えた1952年4月17日、MNR(民族革命運動)のパス・エステンソロが大統領(1952~1956)になる。新政府は、 三大スズ鉱山の国有化、普通選挙法の制定、土地改革それに旧軍隊の解体の四大改革に取り組む。これを「ボリビア革命」という。とはいえ、財政赤字や未曾有のインフレといった経済的な困難が目立っていく。

 続いては、1956年の大統領選挙でバスト並ぶMNR巨頭のエルナン・シレス・スアノが当選する。この時期になると、難局を切抜けるためにはアメリカ合衆国政府やIMF(国際通貨基金) との決裂を避けていく。アメリカは、MNRを反共の防波堤と位置づけ「52~60年に1憶50万ドルが供与され、ボリビアはラテン・アメリカにおける米国援助の最大受け入れ国となった」(増田義郎編「ラテン・アメリカ史2」山川出版社、2000)という。

 政権は、パティーニョ、オスチルド、ホシルト及びアラマヨという三大錫財閥と大土地所有者層が中心となって経済を支配する体制を変え、ボリビアに民主主義を根付かせようとした。三大錫財閥は有償で国有化され、ボリビア鉱山公社が管理することになった。土地改革では、大土地所有をとりあげ、貧農らに分配した。また、経済政策で石油開発、道路建設、頭部の開発をめざす。

 しかし、1950年代末には政権内の不統一が目立ってくる。待遇改善を求め労働者のデモが相次ぐ中、第二次パス政権(1960~1964)は、対米融和政策をさらに進める。一方、パス政権は労働者に対し賃金凍結、解雇、組合運動の制限、鉱山の労働者共同管理の廃止などを実施した。 

 1964年に発足した第三次パス政権においては、アメリカの援助で近代化された軍に協力を求めるにいたる。そこでバリエントス・イ・オルトゥニョ将軍らの軍はいったん政府に協力するも、MNRのさらなる内部不統一もある中で、1964年 11月には態度を翻して無血クーデターでパス・エステンソロを追放した。これにより、ほぼ12年間続いたパス・エステンソロ政権は崩壊し、軍事政権が復活した。

(続く)

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