♦️888の2『自然と人間の歴史・世界篇』オバマケア(2009~2020)

2020-03-21 19:52:18 | Weblog
888の2『自然と人間の歴史・世界篇』オバマケア(2009~2020)

 さても、2020年に入ってからの「新型コロナウイルス」の世界的流行が進行中であり、アメリカでは、これに関連する形で、オバマ政権時代に拡充された医療保険制度の今後のあり方が、きたる11月の大統領選挙の重要な争点と化しつつあるという。
 2009年1月には、アメリカにおいて、民主党のオバマ大統領が就任する。この政権が取り組んだのが、後に「オバマケア」と通称される国民保険制度の創設であった。
 2010年3月にこれの関連法が成立するのだが、大詰めの議会工作については、かなりの程度複雑なコースをたどり、こう評される。
 「ここにきて、政権および民主党は、まず上院で12月に可決した法案を下院で通過させた上で、上院案の内容に不満を持つ民主党議員を納得させるたみに、予算調整法案というかたちでの別個の修正案を上下院で可決させる、という戦略をとった」(久保文明他「オバマ政治を採点する」日本評論社、2010)という。
 2012年6月には、連邦最高裁判所が合憲判断を出し、そのことで、2014年1月には、施行関係が整い、本格実施となる。

 そこで、こうしてできたオバマケアの柱から紐解こう。その1としては、それが民間会社の提供する保険プログラムであれ、公的保険プログラムであり、国民の医療保険加入を義務化する。
 ただし、この時点で、一定の条件を満たす健康保険に加入していない人には、ペナルティーが科される。そうはいっても、歯科保険、眼科保険、介護保険、サプリメント保険、海外旅行者保険、移民用保険、短期用医療保険、生命保険などはオバマケアの対象外にて、これへの加入義務は働かない。
 また、低所得者などの一定の条件を満たす人に対しては、かかる保険加入義務が免除される道が通じている。それに、違反には罰金とあるものの、全てについてそうあらねばならぬ、ということではなかった。
 その2は、保険料の制限など民間保険会社への規制を敷く。例えば、既往症を理由に加入希望を拒んだり、その分高額の保険料を徴収することは、できない。それというのも、それらの会社は、儲けが目的であるからして、「リスクによる選別」や「患者の医療記録の監視などを通じ、保険金を負担しない方法を探ること」を行いかねない。
 その3としては、高齢者や低所得者に向けての公的医療保険の適用だ。この領域でのそれまでは、「メディケイド」(低所得者層べを対象とする医療扶助制度)が中心であったのだが、これにより、「連邦レベル133%までのすべての国民までのすべての国民に、受給資格が付与される」
(前掲書)ことになる。
 その4としては、主に低所得者層を対象に、当該保険に入りたくても経済的にできない人のために、税額控除という形での「補助金」の提供を盛り込む。

 こうして船出した制度なのだが、2014年の後半からは、逆風も出てくる。2014年11月に実施された中間選挙では、民主党が上院、下院ともに過半数を失う。

 続いての2016年12月の大統領選挙で、共和党トランプ候補は、オバマケア廃止を公約として訴える。翌年1月の就任初日に見直しに向けた大統領令に署名し、廃止法案が議会にかけられる。与党共和党が上下両院で過半数を握っていたのを当てにしていた。
 
 2017年7月、無党派的な立場で知られる米議会予算局(CBO)だが、19日、与党・共和党が成立を目指す医療保険制度改革法(オバマケア)廃止法案が施行された場合の試算を公表する。
 それによると、無保険者が来年1700万人増え、2026年までに3200万人増加するとの見通し、これだと保険料は来年25%上昇し、2026年には倍増する。一方で、連邦政府の赤字は4730億ドル(約52兆9000億円)減少するという。
 共和党は、この時点で2回、新たな医療保険制度案の採決に失敗しているが、引き続き、2010年に成立したオバマケアをまず廃止した後、2年かけて代替案をまとめることを提案している。

 ところが、2017年7月には、与党内でマケイン上院議員らが造反し法案は否決される。それでも、トランプ政権は2017年末に、保険の加入義務化の廃止にこぎ着ける。こちらは、同年12月に、同保険への加入義務廃止を盛り込んだ税制改革法が成立したことによる。
 
 そしての2018年11月の中間選挙で、上院では議席を増やして過半数を維持するも、民主党に下院で多数派を奪還される。12月には、南部テキサス州の連邦地裁が、保険加入義務付けを違憲とする判決を下す。

(続く)

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♦️360の1の9『自然と人間の歴史・世界篇』ペニシリンの発明(1928)

2020-03-21 15:03:29 | Weblog

360の1の9『自然と人間の歴史・世界篇』ペニシリンの発明(1928)

 世紀の発見というのは、たまに本人も気づかないうちに、近づいてくるのだろうか。1928年9月30日は、「世界初の抗生物質であるペニシリンが発見された日」だとされる。これを発明したのは、イギリスの医師で、細菌学者アレクサンダー・フレミングだ。
 これに至る道としては、 第一次世界大戦が勃発し、イギリスが参戦する中、軍医として戦地で兵士の治療を担当していたフレミングは、傷口から入った細菌によって苦しみながら死んでいく兵士たちの姿を見て、「どうにか治療薬がつくれないか」との思いを持ち続ける。
 待ちに待ったであろう、戦後になると、彼は医業の傍ら、感染症治療のため、薬剤研究に取り組んでいく。そんな日の続いていた1928年のある日、フレミングは黄色ブドウ球菌を培養していたペトリ皿を廃棄しようとしていた。その時、ふとそのペトリ皿を見ると、カビの胞子が落ちていて、しかもそのカビの周囲のブドウ球菌が溶解しているではないか。

 このことにヒントを得た彼は、青カビを液体培地に培養し、それでできた培養液を濾過(ろか)した濾液(ろえき)に、ある種の抗菌物質が含まれているに違いない、アオカビの培養液中からブドウ球菌の発育を阻止する物質ということで、アオカビの学名ペニシリウムにちなみ、「ペニシリン」と命名する。

 ついては、その働きの有り様について、例えば、日本薬学会による説明には、こうある。
 「Flemingにより発見された最初の抗生物質.ペニシリンはβ-ラクタム系抗生物質であり、真正細菌の細胞壁を構成するペプチドグリカンの合成酵素(ペプチドグリカン合成酵素、ペニシリン結合タンパク、PBP)と結合し、その活性を阻害する。この結果ペニシリンが作用した細菌はその分裂に伴って細胞壁は薄くなり、増殖が抑制される(静菌作用)。また細菌は細胞質の浸透圧が動物の体液よりも高いため、細胞壁が薄くなり損なわれた細菌細胞では外液との浸透圧の差から溶菌を起こして死滅する(殺菌作用)。」(公益法人日本薬学会「薬学用語解説」インターネット配信、2020年3月23日拝見)
 これに真性細菌というのは、生物界のそもそもの始めと目される古細菌や、酸素発生型のシアノバクテリアなどの微生物の仲間にして、原核生物(細胞)といって、細胞の中に「核」を持っておらず、DNAはむき出しのまま細胞の中を浮遊している。

(続く)

 

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