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【cinema】『永遠の門 ゴッホの見た未来』

2019-12-08 01:51:44 | cinema

2019.11.16 『永遠の門 ゴッホの見た未来』鑑賞@角川シネマ

 

見たいと思って公開待ってた。試写会ってあったかな? ウィレム・デフォーが来日していたような気がしたけど気のせいか?🤔 公開日見て帰る予定だったのだけど、残業になってしまったので翌日早速見て来た~

 

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「アルルに移り住んだゴッホは孤独と貧しさに耐えていた。弟のテオが援助を申し出たことでゴーギャンと共同生活をすることになり、2人で写生をしたり芸術談義を繰り広げて幸せな時を過ごすが、やがてゴーギャンは去って行く。再び孤独になったゴッホは精神のバランスを崩していくが・・・」という話は、もちろん実話でゴッホの晩年を描いている。芸術家の内面に迫った作品で、そのあたりとても良かったと思うのだけど、あえての手振れ感などの撮影方法が効果を発揮しつつも若干酔う😵

 

画家でもあるジュリアン・シュナーベル監督作品。共同で脚本も担当している。監督の代表作といえば『潜水服は蝶の夢を見る』で、今作との類似点を指摘する声があるけど、残念ながら未見。監督の作品で見たことあるのは『ミラル』だけかも。画家でもあるので芸術家に対するアプローチもそういう感じがあるように思う。ゴッホについても共感している部分があるように思った。ゴッホの見ている世界を見せようという試みなのか、彼目線のカメラが手振れたり、一緒に走ったり、時々画面の下の方がボヤけたりしているけれど、それがゴッホの危うい内面を表していると思うものの、ちょっと酔ってしまう。

 

作品について毎度のWikipeidaから引用しておく。『永遠の門 ゴッホの見た未来』(えいえいんのもん ゴッホのみたみらい、At Eternity's Gate)は、2018年のアメリカ合衆国・イギリス・フランス合作の伝記映画。監督はジュリアン・シュナーベル、主演はウィレム・デフォーが務めた。 2017年5月、ジュリアン・シュナーベル監督の新作映画にウィレム・デフォーが出演するとの報道があった。シュナーベルは本作に関して「必ずしも史実に沿ったストーリーにはなっていない。これは私なりのゴッホ解釈だ。」という主旨のことを語っている。

 

2017年9月、本作の主要撮影が始まった。撮影は38日間にわたって行われ、ロケ地にはブーシュ=デュ=ローヌ県、アルル、オーヴェル=シュル=オワーズのようなゴッホが晩年を過ごした場所が選ばれた。

 

2018年5月、CBSフィルムズが本作の全米配給権を購入したと報じられた。9月3日、本作は第75回ヴェネツィア国際映画祭でプレミア上映された。10月12日、本作はニューヨーク映画祭で上映された。 2018年11月16日、本作は全米4館で限定公開され、公開初週末に9万2856ドル(1館当たり2万3214ドル)を稼ぎ出し、週末興行収入ランキング初登場32位となった。

 

本作は批評家から好意的に評価されている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには101件のレビューがあり、批評家支持率は81%、平均点は10点満点で7.3点となっている。また、Metacriticには32件のレビューがあり、加重平均値は78/100となっている。 本作における演技が評価され、ウィレム・デフォーは第75回ヴェネツィア国際映画祭で男優賞を受賞し、第76回ゴールデングローブ賞の主演男優賞 (ドラマ部門)にノミネートされた。 とのことで、ほぼほぼコピペしました😅

 

ゴッホの一生を描くのではなく、アルルに移ってからの最晩年を描いている。ゴッホについて特別詳しいわけではないけど、晩年の出来事たとえばゴーギャンとの決別からの耳切り事件、精神病院に入院、ピストル自殺などゴッホについて必ず語られることについては知っていた。そして、先日見た「ぶらぶら美術博物館」(記事はコチラ)で山田五郎氏が語っていた事柄を参考に見てみたけど、基本知っていたことと大きなブレはなかったように思う。最後の事件を除けば。

 

そして、今作はゴッホの内面に迫るという観点から描かれているため、ゴッホが絵を描いているシーンが映し出されたりと、そんなに動きがあるわけではない。書かなきゃならない映画の記事もたまっているし。少しサラリと書こうかと思う。とはいえ、毎回そんなこと書いてる割には、長くて嫌気がさして途中で読むのを止めましたとコメント書かれちゃうくらい長くなってるけど。正直記憶も曖昧だったり😅 一応断り書きとして書いておく😌

 

冒頭、羊飼いの女性に動かないでと声をかけているシーンから始まる。完全にゴッホ目線で手振れがスゴイ。絵を描きたいのだというようなことを言っていたと思うけれど、女性は少しおびえている。これは後の伏線なのだけど、なかなか斬新な入りだけど、いきなりここで酔いそうになった。

 

場面変わって酒場のようなところ。芸術論を語る人物。フィンセント・ファン・ゴッホ(ウィレム・デフォー)は一人でそれをおとなしく聞いている。すると、彼に反論する人物が。ポール・ゴーギャン(オスカー・アイザック)だった。ゴッホはそんなゴーギャンに感銘を受けたようで、彼の後を追いかけて話しかける。この時も芸術について語り、ゴッホがアルルに向かうきっかけのようなものをゴーギャンから受けていたように思うけれど覚えていない😅

 

ゴッホがアルルに向かったのは浮世絵に強く影響を受けて、日本の"光"を求めたからなのだけど、その辺りのことには全く触れていない。アルルに行ってから死に至るまでのゴッホを描きたいということらしいので、そこに至るまではバッサリ切ったということなのでしょうかね🤔 日本人としては残念だけどしかたがない。

 

シーンが変わると冬の寒い日にゴッホが写生から帰って来る。狭い部屋には家具はほとんどなく、窓は風でガタガタと鳴り隙間風が入る。寒そうに手をこすり合わせ、靴を脱ぐと靴下には穴が開いている。ギリギリの生活。そして孤独が感じられるシーン。でも不幸そうな感じもしない。

 

町の居酒屋で飲んでいると女将が話しかけて来る。この女将はゴッホに気があるらしい? 絵を描いて欲しいのかな? ゴッホがいつか絵を描かせてほしいと言うと顔を輝かせるけど、ゴッホが声をかけた相手は別の人物。そして、この人物がモデルとなった作品が映る。一瞬だったけどたしか「郵便配達夫ジョゼフ・ルーランの肖像」だったと思う。この後もたびたびモデルになった人物や風景などが映り、描かれた作品が映し出されたりする。これは見ていて楽しかった。

 

ゴッホはこの女将に部屋を探してると言うと世話してくれる。これよく分からなかったのだけど、この居酒屋の上が下宿になってるってことだったのかな? 黄色い部屋ってたしか居酒屋の2階だったような? とにかく、この女将に世話されたのが黄色い部屋。黄色い部屋に飾るために描いた「ひまわり」も壁に掛けられており再現度が高い。さらに女将はスケッチブック代わりにと帳簿をくれる。これは後の伏線。

 

ゴッホは毎日のように写生に出かける。ある日、えーとああいう場所どう説明すればいいのかな? とにかく自然の中で絵を描いていると、小学生くらいの子どもたちと引率の女性教師が通りかかる。子どもたちはゴッホに興味を示し、女性教師が止めるのも聞かずに近づいてくる。ゴッホは戸惑うけれど子供たちの質問に答えたりとそれなりに対応していた。しかし何故か女性教師が画家をバカにした発言をしゴッホを怒らせる。自分の感情を上手く表現できないゴッホは、怒りをそのまま出してしまい、女性教師や生徒たちを怯えさせてしまう。

 

このエピソードが実際にあったことなのか分からないけど、これは女性教師が悪いでしょう😠 この女性教師が画家に偏見があったとしても、それを画家本人に言う必要はないわけで。アルルについて詳しくはないのだけど、とかく田舎というのは閉鎖的でよそ者には偏見があるものだし、ゴッホも奇行があったようなので、周囲から浮いていたのは偏見だけではなかったのかもしれないけれど、今作としては純粋だけど不器用過ぎるゴッホが周囲から誤解されてしまうという構図で描きたい様子。

 

おそらくこの報復なのだろうけれど、ゴッホが町を歩いていると少年たちが石を投げてくる。これは酷い😡 ゴッホが少年たちを追いかけて行くと、少年たちは父親に助けを求め、父親は理由も聞かずゴッホを罵倒。数人の男たちがゴッホを押さえつける。酷い💦

 

シーン変わるとゴッホは病院らしい所のベッドで寝ている。そこに弟のテオドルス・ファン・ゴッホ(ルパート・フレンド)が見舞う。テオにすがるゴッホ。テオはベッドにゴッホを抱きかかえるように並んで座る。ゴッホはテオに一緒に居て欲しいと頼むけれど、テオは仕事があるので直ぐに戻らなければならないと言う。兄の弱り切った様子に心を痛めるテオ。このシーンは切なかった😢

 

ゴーギャンにテオが送った手紙の内容は、給料を支払うのでゴッホと一緒に暮らしてほしいというもの。また、ゴーギャンの絵も取り扱うとも記載されていた。ゴーギャンはこれを受けてアルルにやって来る。この辺りのことは、ぶらぶら美術博物館で山田五郎氏が語っていたので知っていたけど、映画としてはゴーギャンはイヤイヤ来た的に描かれてはいなかった。

 

暮らし始めた当初は2人で写生に出かけ、イーゼルを並べて風景を描きながら芸術論を語ったりして楽しそうだった。ただ、ゴーギャンは外で描くことにあまり意味を見出していないらしく、そのような趣旨のことをゴッホに語ったりしている。それに対してゴッホは外で実物を見て描くことが重要だと語る。ゴーギャンとしてはアルルに惹かれてきたわけではないので、ゴッホが好んで描いている風景にも感じるものはなかったのかもしれない🤔

 

ちょっと印象的な場面があった。ゴッホが写生から帰って来ると、ゴーギャンが居酒屋の女将をモデルに絵を描いていた。それに刺激を受けたのかゴッホも女将の絵を描き始める。描いて欲しいと頼んだ時には見向きもしなかったくせにと思ったのか、女将はゴーギャンが描き終わるとゴッホがまだ途中なのに帰ってしまう。ゴーギャンもあえて止めない。この出来事が実際にあったのか不明なのだけど、このシーンをあえて入れた作り手の意図が自分にはよく消化できなかった。そういうゴッホの絵に対する情熱が、時に人に不快感を与えるというか、無神経であると感じられてしまう部分があるということなのかなと自分は受け取ったのだけど、作り手の意図したものとは違うかもしれない🤔

 

ゴーギャンはゴッホにアルルを去ることを告げる。これ遺跡のような所で話してたけどこの場所に何か意味があったのかな? ゴッホは一緒に居て欲しい懇願するけれど、ゴーギャンとしては自分たちは合わないと言う。また、自分の絵が売れたのでパリに戻らなければならないというのだった。そもそもゴーギャンがアルルに来たのはテオの支援があったからなわけだしね。ただ、やっぱりゴーギャンの行動にいいイメージはなかったのだけど、映画としては自分勝手な人物という風には描いていない。前述したとおりそれなりに楽しそうに過ごしていたし、自分が去ることを告げる時にもゴッホに気を使っていた。そして、個性の強い画家同士が共同生活をすることはやっぱり無理があると自分も思う。

 

テレビなどで見るゴッホについての説明で必ず出てくるアルルでの共同生活。ゴーギャンとは上手く行かず別れたと言われると、なんとなくケンカ別れしたような印象だった。なのでゴーギャンにいいイメージがなかったのだけど、そういうことでもなかったのかもしれない。映画の中では後にゴーギャンから手紙を受け取っていて、その文言もゴッホを尊重したものだった。この手紙が本当に送られたのか分からないのだけど、思っていたような別れではなかったのかもしれない。

 

ただ、このことがゴッホに大きなショックを与えたことは間違いなく、有名な耳切り事件を起こしてしまう。シーンが代わると頭に包帯を巻いたゴッホがフェリックス・レイ医師(ウラジミール・コンシニ)の診察を受けていた。その内容によるとゴッホはどうやら自分の切り落とした耳をゴーギャンに届けて欲しいと女中に渡したらしい。当然騒動となってしまったため、レイ医師の診察を受けているということらしい。ここでゴッホは自分は正常であると主張したように思うけれどどうだったかな? ちょっと忘れてしまったけれど、結局サン・レミの療養所に入院することになる。

 

療養所生活はそんなに詳しく描かれることはなかったけれど、ここで実際のゴッホは作品を残しているので、映画の中でも絵を描いている。ある日、ゴッホは中庭で牧師(マッツ・ミケルセン)と話をすることになる。どうやら牧師がゴッホが療養所を出ても大丈夫か判断する役割らしい。牧師はゴッホの絵が理解できず、こんな芸術とは思えない作品を何故描くのかと聞く。これはヒドイ😅 これに対してゴッホがどう答えていたか具体的なセリフは忘れてしまった。決してセリフの多い作品ではないのだけど、登場人物たちが話す内容が難しいというか、観念的というか哲学的というか・・・ 自分の中にあまりすんなり降りてこないものがあった。特にこの場面では相手が牧師だったため、キリスト教的なことも話しており、キリスト教に詳しくない身としては分かりにくい部分があった。単純に自分の理解が足りないだけかもしれないけれど。

 

牧師は結局ゴッホのことを理解できなかったようだけれど、療養所を出ても問題ないと判断したらしい。たしかここでレイ医師と面談していたように思う。アルルの住民たちはゴッホが戻って来ることを拒否したそうで、ゴッホには居場所がなくなってしまったのだった。そこでレイ医師の紹介でポール・ガシェ医師のもとに向かうことになる。

 

黄色い部屋を引き払うため荷物の整理をするゴッホとテオ。下宿から借りていたシーツなどと一緒にあのスケッチブックも一緒に箱に入れるけれど、女将は中身を見ることもなく棚にしまってしまう。下宿の主人などはなんとなくゴッホを気の毒そうに見ていたけれど、ゴッホを見送る人はいない。この当時の画家という職業がどのように見られていたのかは謎なのだけど、絵が売れた様子もなく、挙句に耳を切り落とすような事件を起こしてしまえば、それも仕方がないかなと思うけれど、純粋で不器用すぎるゴッホが誰からも理解されていないことに切なくなる。

 

ポール・ガシェ医師(マチュー・アマルリック)はゴッホの作品にも残っている人物。実在の人物をモデルにたくさんの絵を描いたゴッホだけど、肖像画を残したということはガシェ医師との間柄は良好だったのかな? 麦畑のようなところで写生するゴッホの絵をのぞき込みながら、話しかけるガシェ医師の態度や口ぶり、そして内容もとても温かみのあるものだった。今回、ゴーギャン、牧師、ガシェ医師などキーとなる人物に名優を配しているけど、この3人がそれぞれの言葉でゴッホに問いかけるのは「なぜ描くのか」ということ。それぞれトーンやニュアンスが違っていて、それに対するゴッホが答えることが、作り手側がゴッホが描き続けた理由だと考えていることなのでしょうかね。なかなか難解ですんなり落ちてこなかったし、セリフもほとんど覚えていないけれど、毎回とても切なかった😢

 

その頃、おそらくレ・ヴァン展(Wikipedia)と思われる展覧会にゴッホの作品が展示され、アルベール・オーリエ(Wikipedia)が高く評価する。これは先日のぶらぶら美術博物館で山田五郎氏もおっしゃっていたので本当のことなのでしょう。生前のゴッホの作品が評価されたとは知らなかったので驚いた😲

 

しかし、パリのテオの家(なかなかの豪邸)を訪ねたゴッホは、絵をやめようと思うと話す。理由は自分が絵を描こうとすると人を怖がらせるということだったように思ったけど違ったかな。するとテオはせっかくオーリエが評価してくれているのだし、これから売れるから頑張れと励ます。これにテオの妻も同意し一緒に励ます。死の直前にゴッホがテオを訪ねたことは事実なのだけど、この時に何か決定的な事がありゴッホは自ら命を絶ったのではないかと言われているというのは、先日のぶらぶら美術博物館で山田五郎氏が話していたけど、今作としてはそうは描いていない。これはラストへの伏線でもある。

 

シーン変わって冒頭の場面につながる。ゴッホは絵のモデルにしたくて羊飼いの女性に声をかけるのだけど、きちんと説明しないので、女性としては戸惑うばかり。なので余計ゴッホのテンションが上がってしまい、ますます女性を怖がらせるとこに。何故かは分からないけどゴッホは女性に地面に横になってポーズをとって欲しいようなのだけど、女性が横になるとポーズの指示をするために覆いかぶさるような感じになってしまう。イヤ、ゴッホそれは怖いよ😅 女性にしたら恐怖しかないわ。このエピソードがどの位置だったのかちょっと曖昧になってしまったのだけど、この出来事がゴッホの運命を決定づけたと感じたので、ここだったと思うけど、もしかしたら牧師と話して療養所を出た直後だったかもしれない。

 

カメラがゴッホ目線になったり、女性目線になったりするので、2人の気持ちがとてもよく分かる。女性目線の時には恐怖を感じるし、ゴッホ目線の時には思いが上手く伝えられないもどかしさや、理解されないことや怯えられていることへの焦りを感じる。そういう意味ではこの手ぶれ感満載のカメラワークは効果があると思う。ただ、あまりに多用されるとちょっとくどいし、そして酔ってしまう。

 

このことにより療養所に入ったゴッホは、中庭で絵を描いている。そこに2人の少年が現れてゴッホに向かって銃を発砲する。彼らが誰で、何故ゴッホを撃ったのか説明がないので分からない。確かゴッホは「お父さんには言うな」と言いながら倒れたと思うけれど確信はない。そしてお父さんが誰なのかも分からない💦

 

その後、ゴッホは数日後この傷がもとで亡くなったこと、誰に撃たれたかは最後まで語らなかったこと、ゴッホの死から数か月後にテオが亡くなったこと、ゴッホが残したあの帳簿に女将は気づくことがなく帳簿が発見されたのは2016年であったことがクレジットされる。あれ?ゴッホって自殺じゃないの?😲

 

どうやらゴッホの死については自殺、銃の暴発、他殺など諸説あるらしい。自殺だと思っていたので、てっきり頭を撃ち抜いたのかと思っていたけど、どうやらお腹だったそうで、確かに自殺するには不自然かも。お腹じゃ助かっちゃうかもしれないから、本当に死にたいと思ったら確実に頭を撃つよね🤔 まぁ、なんとも言えないけど。

 

とにかく、製作者側としてはゴッホは自殺したのではないと考えていて、その結論に向かって進んでいたわけだから、ゴッホが精神的に辛い思いをしても死にたいと思っている描写はなかったように思う。人に理解されないことが精神を病んだ理由であることは描いていたので、そういう意味では個人的には鬱だったのかなと思うのだけど、そういう風にも描いていなかったかも。ゴッホはどこまでも純粋で、不器用さゆえに人に理解されず、そのことがより彼を不器用にしていく感じ。誰からも受け入れられないということが、人を壊していくということを描きたかったのかなと思った。

 

それはやっぱり監督ご自身が画家でもあることが大きいのかなと思う。おそらくどんなに成功している芸術家でも、一度は自分の作品が評価されないという経験があるのではないかと思う。ゴッホだって現代では超人気の画家で、作品には数十億の値がつくけれど、それでも好きじゃないと感じる人はいると思う。万人に理解されて指示されるということは無理。それは分かっていても面と向かって言われれば傷つく。そういう芸術家の苦悩を描きたかったのではないかと勝手に解釈。

 

役者たちの演技がスゴイ! 牧師のマッツ・ミケルセンとガシェ医師のマチュー・アマルリックはわずかな出演シーンで印象を残す。特にマチュー・アマルリックの優しさが救いとなっている。身内のテオ以外に唯一素のゴッホを理解してくれた人物なのではないかと思う。見ている側にも救いだった。

 

テオのルパート・フレンドの化けっぷりも良かった。良い役でも悪い役でもイケメン前提だった気がするけど、その辺りを全く封印してゴッホを支える弟に徹していて好印象。ゴーギャンのオスカー・アイザックも良かった。ゴーギャンの印象が変わったのは、そういう演出であったこともあるけど、やっぱりオスカー・アイザックの演技のおかげ。セリフだけでなく表情などでゴッホに対する複雑な思いを感じることができた。

 

そしてゴッホのウィレム・デフォーがスゴイ! ゴッホって37歳で亡くなっているから、本来デフォさんでは年が上過ぎるのだけど、そんなこと全く気にならない。ゴッホ本人のドキュメンタリーを見ているような印象だった。そういう演出もあったと思うけれど、本当にゴッホが生きているみたい。もちろん本当のゴッホのことは知らないから、あくまでイメージなのだけど。純粋で不器用過ぎるがゆえに誤解されてしまうゴッホが切なくて切なくて。それはデフォさんの演技のおかげ。これは本当に素晴らしい演技

 

セットや風景など映像が美しい。貧しいゴッホの部屋や暮らしですら絵的。ゴッホが日本だと思ったアルルの風景は、自分のイメージとは違っていたけど、麦畑の黄色が美しくかった。作品の題材となった風景や人物と、その作品が映るのもニヤリ。何度も書いているようにあえての手振れやボカシが入るので、ちょっと酔いそうになるし、そういう演出が苦手と思う人もいるかも。

 

見る人を選ぶ作品とまでは思わないけど、そもそもゴッホに興味がないと辛いかも? 芸術が生まれる過程や、それを生み出す苦悩などに興味がある方オススメ。ウィレム・デフォー好きな方必見!

 

『永遠の門 ゴッホの見た未来』公式サイト


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