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【tv】ぶらぶら美術博物館「テート美術館所蔵 コンスタブル展」

2021-04-17 01:51:56 | tv

【tv】ぶらぶら美術博物館「テート美術館所蔵 コンスタブル展」

 

 

開催中の美術展や博物展を紹介する番組。今回は三菱一号館美術館で開催中の「テート美術館所蔵 コンスタブル展」を取り上げていた。見に行く予定だったので、メモ取りながら鑑賞。備忘メモとして残しておく。

 

19世紀前半まで西洋絵画界では宗教画や歴史画が主流だった。風景は背景であり、それをメインに描く風景画家は三流という時代。風穴を開けたのがイギリスが世界に誇る風景画の巨匠、ジョン・コンスタブル(Wikipedia)はジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Wikipedia)だった。

 

コンスタブルは屋外にキャンバスを立てて油絵で風景を描いた先駆者。印象派やバルビゾン派にも影響を与えた。イギリスよりフランスで評価を得た。日本で35年振りとなる回顧展。コロナ禍で何とか開催💦

 

テート美術館から約40点の作品が来日。日本の美術館を信頼してくださり、学芸員は来ないが作品だけ貸してくれた。展示も自由でOK! 日本に対する信頼の強さを感じるとおっしゃるのは、今回の解説を担当する法政大学教授の荒川裕子先生。

 

ターナーがコンスタブルの絵を見て自分の作品を直した! そして、ウジェーヌ・ドラクロワが(Wikipedia)「キオス島の虐殺」を直したという逸話があるスゴイ人。

 

「ジェイムズ・アンドリュー師」

 

まずは肖像画から。肖像画を描かないと稼げない。肖像画はイギリスで長い歴史があり、誰もが描いてもらいたがり、孫子の代まで残したいというニーズがある。画家として成功したければ肖像画家になる。ナショナル・ポートレート・ギャラリーがあるくらい肖像画が大好き。コンスタブルは裕福な家庭出身。食べるのに困ることはない。

 

「ゴールディング・コンスタブル」

 

父親。農場主で製粉所所有。7年間家業を継ぐため修行した後、画家を志す。画家としては遅咲き。ターナーとのライバル関係で分が悪いのはスタートが遅かったため。没後100年で評価がターナーに追いついた。

 

「イースト・バーゴルド・ハウス」

 

コンスタブルの実家と土地。素人っぽいタッチ。代名詞である雲もイマヒトツ。コンスタブルは故郷を愛し、故郷の風景を描き続けた。

 

当時はロンドンで仕事をして、地方にお屋敷を持つのが一般的だった。屋敷と地所を描いてもらうことが多かった。風景画というよりは土地と不動産の肖像画。

 

コンスタブルは売れるより自分が何を描きたいかを優先したため、認められるのが遅く苦労した。ターナーは貧しい階級出身なので売れる作品を描いた。コンスタブルは芸術にまい進できる環境だった。自分のやりたいことをやっていたら、いつの間にか時代を先取りしていた。印象派やバルビゾン派の先駆者。

 

「デダムの谷」

 

サフォークのストゥーア川沿いの景色を延々と1802年から20年以上描く。構図は多少絵を加えているが、屋外にキャンバスと絵具を持ち出して描いていた。19世紀初めは画家が屋外で描き始めたが、ほとんどはスケッチのみ。コンスタブルは完成まで描いた。チューブ入り絵具が出来たので、クロード・モネ(Wikipedia)やピエール=ルオーギュスト・ノワール(Wikipedia)も屋外で描けた。コンスタブルの時代は豚の膀胱に絵具を詰めてピンで穴を開けて少しずつ出し、また穴をふさぐという面倒くささ。油絵具は乾きにくいので、屋外で描くのは考えられない時代。

 

見たまま感じたままに描くため、屋外で描いた先駆者。コンスタブルカントリーとして観光地になっている。それ以前は影響を受けたクロード・ロランのように理想の風景画。「ハガルと天使のいる風景」と同じ構図で実景を描く。誰もやっていない。

 

「フラットフォードの製粉所」

 

サフォーク時代の集大成。ロンドンに移る前の恩返し的作品。101.6cm×127cmの大作。全て外で描く。当時、風景画はあまり大きくない。しかし展覧会では目立たない。展示室の真正面の真ん中の段オンザラインを目指す。

 

大きいだけではなく技術も上がる。特に雲は少し湿気を帯びたような質感まで表現。緑の使い方。以前は茶色っぽく描いていた。あまりに生々しく描いたため、古典的なものを良しとしていたフランス画壇では評価されなかったが、ドラクロワなどに評価された。ターナー以上に評価。

 

木に白絵具を点々。"コンスタブルの雪"と呼ばれる。白を白のまま置く。印象派の筆触分割。印象派の時代は離れて見ると、自然に見えるというのが確立したが、この時代は粗いとか未完成だと思われた。下手なのでは?

 

「マライア・ビックネル、ジョン・コンスタブル夫人」

 

マライアと40歳で結婚し、ロンドンへ出て7人の子をもうける。ロンドンの中央にアトリエを構えるが、大作を描くのに時間がかかるので、小型で売れ筋の作品で生計を立てる。

 

「ヤーマスの桟橋」

 

海辺はリゾート地。家に飾りやすい。画面の1/3が空。雲が上手くなる。イギリスではよくある雲? 天気の移り変わり早い。湿気。ロイヤル・アカデミーの誰かが「コンスタブルの絵を見ると傘が欲しくなる」と語った。

 

「ハムステッド・ヒース「塩入れ」と呼ばれる家のある風景」

 

ハムステッド・ヒースはロンドンの北にある。1970-80年代に日本人が多く住んでいた。山田五郎氏のお父様も住んでいた。ロンドンまで地下鉄で15分くらいなので、田端くらいの感覚。ヒース=荒野。広大な空き地。19世紀ロンドンは霧の都と呼ばれ大気汚染が深刻化していた。

 

妻のマライアが胸を病んでいたので、療養のためハムテッドへ。夏の間だけ住んだが、後に一家で移住している。ロンドンより高台で見晴らしがよい。この空で磨きをかける。

 

「雲の習作」

 

雲が好き。2年間で100枚くらい描く。自然の表現に空が必要。空が全ての絵画の基調。感情を写し出す。気象学的が発達し、夏の暑い日にはこんな雲がイギリスではさかん。

 

コンスタブルの時代、古い絵画の伝統と科学的な知識の葉境。17世紀オランダ(例としてフェルメール「デルフトの眺望」)土地が低く空や雲を描いていたが、見たままを描くコンスタブルは、その雲が何故発生したのかサイエンス意識。裏にも観察日記あり。

 

「チェーン桟橋、ブライトン」

 

6フィート絵画(127cm×182.9cm) 展覧会で目立つため大きくターナーでもこの大きさはあまりない。ブライトンは湘南的な感じ。ロンドンから特急で1時間くらい南の温かいリゾート地。左に描かれているのはロイヤル・アルビオン・ホテルという現在も営業中の三ツ星ホテルで、この頃建ったばかり。

 

繁華街は描かず海岸描くも人が多く、ロンドンのピカデリーみたいで嫌だと語る。コンスタブルは結構悪口が多い。コンスタブルの手紙は人の悪口だらけ。性格が悪かったのかも? 生前にあまりウケなかったの理由。妻のことは大好き。療養に連れて来た。

 

当時、海水が結核に良いとされていた。海水浴用の馬車が並ぶ。中で女性が水着に着替え、馬車のまま水辺に行く。評価は割れた。白い点が不評。今見るとおかしくない。でも売れなかった💦

 

売れない作品が数百枚。コンスタブルが亡くなった翌年い売り立て45ポンド。当時のターナーの作品が1000ポンド。この大きさではなしに等しい。ターナーを尊敬しつつも僕とは違う人間だと語る。

 

「草地から望むソールズベリー大聖堂」

 

虹がかかった有名な作品の習作。ソールズベリーはストーンヘンジの近く。ソールズベリー大聖堂は時計好きは必ず行く。イギリスで一番古い1386年に作られた時計が現存する。

 

ソールズベリーにはコンスタブルの古くからの友人ジョン・フィッシャー大主教と、その甥が住んでいた。妻が亡くなった後、心を癒すために訪れていた。知っている所しか上手く描けない。名所ではなく、その場所に愛着があるから描く。

 

1832年のロイヤル・アカデミー展を再現! ターナー VS コンスタブル

 

「ウォータールー橋の開通式」

 

130.8cm×218cm。コンスタブル最大の作品。いかに目立ちたいか😅 力入れ過ぎ😅😅 ウォータールー橋、テムズ川、セント・ポール寺院。協会を描いた初めての作品。中央に後の国王ジョージ4世。輝かしい場面。あわよくば国王からの庇護を期待? 野心作。

 

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー「ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号」

 

いつものターナー。ターナーのメインの絵は別の部屋に展示してあり、今作は脇の部屋。とはいえ、隣のコンスタブルの絵に負けてしまうとうことで、水面に赤を加えた。1点だけで絵の印象を変えた! 天才的。それを見たコンスタブルは「ターナーがやってきて銃をぶっ放していった」とつぶやいた。逆転させた。

 

「ウォータールー橋の開通式」を展覧会後も描きたす。描き過ぎて買い手がつかない😢 ターナーの方が一枚上手。

 

「虹が立ったハムステッド・ヒース」

 

晩年の作品。荒野の虹。実際は水車はなし。妻が亡くなったあたりから、見たままではなく今まで描きためたものを組み合わせて作っている。絵画的に作っているが、にわか雨が上がって虹が出たという自然らしい風景が描けるようになってきた。ある意味、理想風景画に戻った。

 

技法的に新しい。"コンスタブルの雪"も使われている。亡くなる前年に描いた作品。61歳になる直前、心臓悪い。子供たちがテート美術館に寄贈。コンスタブルの評価が遅れたのは生前あまり売れず、子どもたちに作品が残り、大切に保管して長く持っていたこともある。1880年代後半、生き残った7人目の娘が手元に残していた作品を一気に寄贈。まとまって見てやっと認識。

 

ターナーは自分が死んだら作品を国家に寄贈するように言い残していたため、直ぐに目についた。コンスタブルは隠されていえ一気に来たと同時に時代的に印象派が評価されていたため、印象派の本家ということで再評価された。早過ぎた。

 

現在の自分たちは風景画の評価が確立されてから見ているわけだけど、なかなか認められない時代の中で、コンスタブルという画家が風景画を一つの芸術として認識させることに一役買ったということは、とても興味深かった。

 

記事書くの遅くなってしまったので、実はもう見て来た😅 ということで、近々感想記事UPする予定。

 

ぶらぶら美術博物館:毎週火曜日 20:00~21:00 @BS日テレ

BS日テレ - 「ぶらぶら美術・博物館」番組サイト


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