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【tv】100分de名著「ヘミングウェイ スペシャル」第1回「老人と海」(2)

2021-11-08 00:15:53 | tv

【tv】100分de名著「ヘミングウェイ スペシャル」第1回「老人と海」(2)

死闘から持ち帰った不屈の魂

 

 

1回25分×4回で1つの作品を読み解く番組。2021年10月は「ヘミングウェイ スペシャル」ということで、「老人と海」「敗れざる者」「移動祝祭日」の3冊を読み解く。今回は「老人と海」の第2回目。講師はアメリカ文学研究者の都甲幸治氏。第1回の記事はコチラ

 

備忘のために記事にして残しているのだけど、とても時間がかかって大変💦 なので、今回「老人と海」のみで「敗れざる者」「移民祝祭日」の記事はなしになります🙇

 

伊集院光氏:(第1回の感想として)シンプルな中にいろんなことが描かれているイメージ

 

主人公の老人サンチアゴは3日間かけてカジキを釣り、あとは帰るだけ。カジキの血の臭いを嗅ぎつけサメが襲ってくる。カジキを釣り上げて成し遂げたと思うが、実はこれからが重要。

 

朗読:(今回の朗読は俳優の寺脇康文氏。朗読部分は自分が重要だと思う部分のみ引用)

 

ナレーション:舟の横にカジキをつなぎ止め老人は港を目指す。

 

朗読:最初のサメがおそってきたのはそれから1時間後のことだった。カジキから流れ出た血のにおいをかぎつけサメがやって来た。老人はすぐさま銛を手にする。

 

ナレーション:サメがカジキに食らいついた瞬間、脳天に銛を突き刺し仕留めた。しかし、サメとともに銛も沈んでしまう。そこでオールにナイフを括り付け次の襲来に備えた。

 

朗読:二時間後カジキの肉をちぎって食べていると、二匹のサメの先頭のやつが目に入った。

 

ナレーション:ナイフ付きのオールで二匹のサメを撃退。しかし、カジキは1/4ほど食いちぎられてしまう。

 

朗読:こいつは1人の老人が冬を越せるくらいのかせぎになるはずだった。(略)何も考えずに、次に売って来るやつを待つ。それしかない。

 

伊集院光氏:普通の展開だと何匹も雑魚キャラを倒してからのボスキャラのイメージだけど、ボスを倒した後にサメですね。

 

いま考えられることってあるか、と老人は思った 直ぐに考えるなというが?

 

考えずに「いま」に集中する。考えると言葉を使って過去にあったことが未来のことを考えるということ。そうすると現在にいられない。しかも言葉を使って状況をつかむと感覚が鈍くなる。そうなるとサメに負けてしまう。じつはカジキと闘う中で「考えるな」と何回も出てくる。すごく大きいテーマなのではないか。

 

伊集院光氏:未来こうなるかもが動けなくしてしまうこともあるし、楽観で動きが緩慢になったりみたいなことを考えると、後は反射に頼れみたいなことなのか?

 

体の感覚、身体性を現代社会だと忘れがち。スマホでだいたい済むのではないかとうような。「からだ」を見直すことが強いのではないか。

 

カジキがサメに食べられてしまうというのは知っていたのだけど、まさかこんな死闘を演じているとは思わなかった! 窮地に陥った時「考えろ」と思うのが普通だと思うけれど、「考えるな」というのは興味深い。自分の漁師としての経験や感覚に委ねろということで、そこに絶対の自信があるということなのかな?

 

ナレーション:サメの襲来に続き3回目でナイフのオールをなくしてしまう。

 

朗読:「人間は負けるようにはできていない」しかし、この年ではこん棒で奴らをなぐりたおす力はない。

 

ナレーション:陽が落ちて疲れ果てた老人の前にまたもや二匹のサメが現れる。

 

朗読:こん棒でサメを撃退するも、夜になり老人に不安が広がる。

 

ナレーション:夜の冷え込みの中、無理をしいた老人の体は悲鳴を上げていた。もう闘うのはごめんだ。そう願う老人の前に現れたのは

 

朗読:サメの群れとの死闘を制するがカジ(までしかメモが残っていない💦)

 

ナレーション:サメの群れは撃退したものの、カジキの肉はほとんど失われた。老人の気力も限界。残骸となったカジキを連れて、老人は港へと舟を滑らせる。こうして3日ぶりに港に帰り着いた。

 

工夫を重ね闘う老人。ナイフが折れてもこん棒で闘い、こん棒がなくなればカジ棒の折れたので刺したりと、次々咄嗟の工夫をしていく。そのさまはスゴイ。いつもそこにあるベストを尽くす。

 

「叩きつぶされることはあっても、負けやせん」= A man can be desroyed but not defeated.

 

身も心もバラバラ。客観的に見たら負けている。負け惜しみ。負け惜しみだが、男性でも女性でもやがて年を取り体力や能力が落ちる。それでもその時のベストを尽くすのは、それぞれ抱えて行くこと。

 

伊集院光氏:結局のところ、負けたと言わない限りは負けじゃないということが、さらにこの人が何かまた出会うんだろうという感じを持たせてくれる感じ。

 

安部みちこアナウンサー:カジキを放してしまえばよかったのでは?

 

「カジキを手放さなかった理由」

 

1つ目はカジキへの極端な思い入れ。尊敬の念を持って一体化した以上、最後まで責任を持って連れ帰らなきゃいけないというある種の倫理観がすごくある。

 

伊集院光氏:カジキあるいは海からの、お前は俺を殺す権利があるのかという死闘。するとサメに対しては、お前は俺からカジキを取り上げる権利があるのかという闘いだから不戦勝はダメ。死闘の末サメがもぎ取るのは自然の摂理。

 

老人にとっては若い頃に漁師として向き合ってきた"死"とは別の、宿命としての"死"が身近になっているわけだよね。年齢的に漁師をいつまで続けられるかも分からない。もう最後かもしれない大物のカジキと出会えたことは、それこそ天からの啓示のような、運命のようなものを感じたのかもしれない。そういう存在を最後まで責任を持って連れ帰らなければならないと考えるのはとても理解できる。

 

もう1つの理由は、他の漁師に生き方を示すため。特に少年マノーリン(老人を慕い世話をする少年漁師)に自分の様を見せたいという思いがあるのではないか。

 

港に帰った老人はベッドに倒れ込んで眠りにつく、翌朝マノーリンが様子を見に来る。

 

朗読:マノーリンは老人の手を見て泣き出した。外へ出ると他の漁師たちが老人が舟にくくりつけたものを見ていた。

 

ナレーション:マノーリンは老人のためにコーヒーを買いに行った。店主は「たいした代物だな。初めてお目にかかったよ、あんな魚には」と言う。マノーリンは小屋に戻ると眠る老人のそばに座った。しばらくしてようやく目を覚ました老人は言う。

 

朗読:やられたよマノーリン。ぐうの音もでないほどな。

 

ナレーション:マノーリンからぺドリコがカジキをばらしていると聞き、頭はぺドリコにやるがマノーリンがくちばしが欲しいと言うので、好きにすれば良いと言う。老人の伝言を伝えに行く道すがらマノーリンはまた泣いていた。

 

「老人と少年マノーリンに伝えたい思い」

 

カジキの漁に出る前にマノーリンに漁の心構えを教えるシーンがある。マノーリンは老人の不漁が続いたため、親から老人と一緒に船に乗ることを止められていた。

 

老人の中にはマノーリンがいた。マノーリンがいたら助けてくれるにと何度も思う。だからこそ最後まで死力を尽くしいろんな工夫をして戦い続けた。生き様を伝えたいという気持ちがある。

 

伊集院光氏:彼は何かプライドとか勲章のようなものを持ち帰っている。それがいいなと思うのは、もちろん尊敬する少年にも伝わっているが、そのコミュニティの人たちがとんでもないヤツと闘ってきたなと思うわけですよね? もし一番安全に帰ることだけを考えていたら、それはないわけだから、そこにもグッとくるものがある。

 

コミュニティの人たちは同業なので、言葉に出さなくてもカジキの骨などで何が起きたか正確に読み取ることが出来る。その中で尊敬の念が集まってくる感じが分かるように書いてある。

 

マノーリンは老人を尊敬して身の回りの世話をしてくれているんだよね? その代わりとして老人はマノーリンに自分が持っている漁師としての経験や心構えどを教えている。不漁が原因で親から一緒に漁に出るのを止められているそうなので、親から弟子入りを頼まれたというわけではなく、マノーリンの意志なのかな?

 

そう考えるとマノーリンの涙がとてもグッとくるんだよね。おそらく、若くて腕のいい漁師もいるのだろうに、無口な老人に敬意を抱いていたことが間違ってなかった!とか、老人の生きざまに感動したとかもあるだろうけれど、何か崇高なものを感じたような気がする。それはマノーリン自身にも言葉にならない感覚なのではないかな?

 

あの後、マノーリンの方からまた一緒に海に出ようと言う。それに対して老人の答えは「まずは、仕留めるためのいい銛を手に入れんとな。それをいつも舟に乗せておくんだ。穂先はおんぼろフォードの板バネを使えば何とかなる。グアナバコアの町にいきゃ、研いでくれる店がある」

 

おんぼろフォードの板バネで作るのが重要。フォードは廃車になっているアメリカ人から見ればゴミ。ゴミから漁業の道具を作り、高い精神性に到達する漁をしている。

 

舞台はカリブ海に浮かぶキューバで、キューバ革命が起こる前。アメリカの属国で大したことないと思われている人たちが、ゴミ同然のものを使いスゴイことをやっていることを、この一文で表している。

 

うーん💦 よっぽどアメリカ文化やヘミングウェイを読み込んでいなければ、おんぼろフォードの板バネで銛を作ろうとしているというという一文で、これはアメリカ批判だな😏とは気づかないかなー💦 当時と現代とではまた違ってくるとは思うけれど、当時のアメリカ人はフォード=アメリカと思ったかもしれないけど、現代の日本人にはなかなか難しい😣 これは教えていただかないと分からない!

 

何故アメリカ人のヘミングウェイがキューバ人の物語を書いたのか?」

 

ヘミングウェイが「老人と海」の舞台をキューバにした理由の1つにアメリカへの批判精神がある。

 

1918年赤十字の一員として第一次世界大戦に赴き負傷。第一次世界大戦で大勢の死をまじかで見たヘミングウェイは技術の進歩で世界が良くなるというアメリカ的な考えに疑問を持った。

 

それはアメリカの支配から脱しようと革命を起こした(キューバ革命:1959年アメリカの影響が強かった政府を倒した社会主義革命)キューバの人々への強い関心へとつながった。

 

「革命は起きて当然だ」

 

アメリカ的価値観に抗うキューバの人々の気骨をヘミングウェイは高く評価した。さらに日常の中に自然や宗教が息づくスペイン語圏の文化にも惹かれていた。

 

そうしたキューバの人々の精神性をアメリカ人でも分かるようにと「老人と海」を書いた。1952年「老人と海」出版。

 

しかし、アメリカ人には伝わらないだろうという冷めた視点も持っていた。それを象徴するのが「老人と海」のラストシーン。

 

ナレーション:老人が目覚めた日の午後、観光客の一団がテラスで海を見下ろしていた。一人の女性が大きな尻尾のついた白くて巨大な背骨が海に浮き沈みしているのに気づく。それは老人が死闘を経て持ち帰ったカジキの骨。

 

朗読:「サメが・・・」「知らなかったわ。サメにあんなに立派な骨があったなんて」「俺もだよ」連れの男が言った。

 

伊集院光氏:観光で来てカジキのステーキは食べるかもしれないし、ツナサンドは食べるかもしれないけど、果たしてそれがどういう形で、どこから来てどこへい行くのかには全く興味がないっていう。

 

「住人と観光客のすれ違い」

 

漁村の人たちはカジキの骨を見たら何があったか全部読み解ける。細かく説明しなくても。では、観光客の女性はというと「サメなんだ」と全然分かっていない。英語で会話がなされているというのがミソ。

 

伊集院光氏:最初に説明しようとした人まではギリあると思う。すごく大事なことだからいつも使っているスペイン語でサメのことを言おうとしたけど、一からちゃんと説明しようとしてSharkに食べられたカジキがって言おうとしたSharkで、ああサメねってなっちゃう人には、もうその輪に入る権利ないじゃん。来ても何も分からないじゃんていうのすごくある。

 

スペイン語のtiburónというのと英語でSharkで翻訳したことで大事なものが抜けてしまうというところ。言語が変わることによって、表面的な意味だけ分かっても、そこにある精神性はちょっと分からないよみたいなところがよく出てる。

 

英語ってだけじゃなくて、何でも分かった気になって、キューバのことも支配した気になって、実は何も分かってないじゃないかという、痛烈なアメリカ批判。

 

観光客の女性が"何かの骨"に興味があっても、その本質には興味がないということについては、それ自体は別に悪いことではないよね。本当は「老人が3日間死闘を繰り広げて仕留めたカジキで、そのカジキを狙ったサメとの死闘の末に生還した結果である」という部分を知った方が、人生に深みが出ることは確か。でも、早とちりでその機会を失うのも、ちゃんと聞いたとしても興味を持たないのも"観光客"であれば、特段問題ない。

 

でも、その"観光客"がアメリカを象徴しているのだとすると話は別で、今度は読者が試されているよね? 正直、自分はこの観光客の女性と男性に人を見下したような違和感を覚えるくらいはするかもしれないけど、これはアメリカを皮肉っているんだな😏とは気づけないかも。

 

安部みちこアナウンサー:ものすごく表面に批判を出したというわけではなかった?

 

ジョー・ディマジオ(1914-1999 アメリカのプロ野球選手)の話を老人はすごくする。ディマジオはイタリア系移民で、キューバ人もイタリア人もカトリックでラテン系で文化が近い。しかもディマジオは漁師の息子。漁師の息子が頑張っている。だったら海で俺も頑張らなきゃと思ったり、アメリカの読者はすごく親しみを持ってキューバの漁師も大リーガーが好きなのか、ジョー・ディマジオが好きなのかみたいな感じで違和感なく読める。1つ1つアメリカの読者と解釈がズレるようになっている。

 

伊集院光氏:巧妙! 子供の頃、学校の教科書で読みましたという人と、もう一回読みましたと言う人で全然深さが違う。

 

10代、20代、30代、40代、50になったが、もはや老人とそんなに年が変わらないと思う。そうするとやることなすこと負け戦で、負けるという形の勝ちがあるというのが沁みる。

 

伊集院光氏:53になって疑問を持っている。わりと目の前に見えている物だけで構成される合理的なモノとか、効率的なモノとかにかなり疑うようになってきて、そういうことの話をしてくれているような。

 

そうですね。

 

ヘミングウェイだけに限らず、作者は自分の思想や思考を作品に込めるものだと思う。その全てを理解するのは難しい。今作だけをとっても、ヘミングウェイの生い立ちや戦争体験、当時のキューバとアメリカの関係、さらにはジョー・ディマジオのことまで知らないと理解できない。例え知っていたとしても、ジョー・ディマジオを老人が口にする意図をくみ取れなければ、やはり正しく理解することは出来ない。なかなか難しい💦

 

まぁ、なのでこの番組を見て勉強しているわけで、今回のこの「老人と海」が単純に老人がカジキを釣り上げたのにサメに食われたという話ではないことはとても良く分かった。おそらく、カジキとの闘いも、サメとの死闘もヘミングウェイの戦争体験が反映しているのでしょうかね🤔

 

ということで、また興味のある作品が取り上げられたら、勉強のために見てみようと思います!🤗

 

100分de名著:毎週月曜日 午後10:25~10:50 Eテレ

100分de名著


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