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変な奴が来るから気をつけろ。

2019-11-11 12:01:50 | もろっこクラブ
タイトルは、思想家の内田樹が古武道の道場を開くとき、某先輩に求めた助言に対する先輩の返事です。道場は一般に開かれておりますので、確かに様々な方が入門を志願します。そして、その中に「変な奴が」が混じるので、それに気をつけるようにとの先輩の助言だったようです。

このことは、私が2年前からやっている「互助による移動支援」についても、確かに当てはまります。

利用希望者にとっての情報源は、町役場、地域包括支援センター、社会福祉協議会、そして現利用者の口コミです。いわば口コミ以外は一般に広くこの活動が喧伝されております。

これまでも、「変な奴」についてはこのブログで書きましたが、最近も色々な経験をしましたので、再度、「変な奴」の類型をまとめてみたいと思います。これから、このような活動をする方の一助になれば幸いです。

★パターン1(絶対に排除すべき利用者)

完全な自己中心主義者。燃料費以外は一切支払わない。送迎対象でなくても、自分が行きたい場所を臆面もなく要求する。時間も関係なく早朝などに連絡してくる。足腰は丈夫で比較的若い人(60歳以下)が多い。まさにタクシー代わりに使い倒す意図がみえみえの方。

★パターン2(身体的な障害がある限り、空きがあれば送迎する程度。できればご遠慮したい。)

表面的には、この互助輸送の活動に対して褒め、尊敬するとまで言う。しかし、これは自分の利益を最大化するための、いわば褒め殺し言葉(偽りの賞賛)であることが多い。このケースも燃料費以外は一切出さない。「この活動がそんなに賞賛すべき活動なら、燃料費以外にお気持ち代を頂くことはありますよ」とあえて2-3度申し上げても、頑として燃料費以外は出さない。本当に互助移動支援をありがたく思って恐縮している方は、こんなに賛辞を何度も口にすることはないもの。

生活保護者のようなケースは、私も、お気持ち代は頂くことまでは期待していない。むしろ遠慮して押し戻す。しかし、その方の言葉の端々に感謝の気持ちが自然と出ているので、特に不快に思うことはない。

★パターン3(足腰の障害がない限り、利用をお断りしたい)

燃料費だけでは悪いと思うのか、缶コーヒーやお茶を1本だけどこかで買って差し出す人。「ありがとうございます。」と言って頂くが、私はカフェインを含んだ利尿作用のある、また糖分を含んだそうした飲み物を飲むことはない。家に持ち帰るものの、そのまま捨てることも多い。

感じが悪いのは、何か飲み物1本でも与えておけば、ご自分の気持ちが済むと考えていることが、こちらとしても分かること。例えは悪いが、馬に人参を与えられるような感じ。足腰が丈夫であれば、こうした方は公共交通機関や、タクシーを使うべき。それを、私の互助による輸送をわざわざ使おうとするのは、明らかに移動時間と移動費用の節約が目的だと思われる。

以上、3つの類型を書きましたが、これはこの活動を始めてから分かったことです。始める時に、こうした方々をきちん排除できるような説明文書にしておけば良かったのですが、やはり、こうした「人情の機微」に触れるような事柄は、実際に経験してみないと分かりませんでした。

こうした方々を送迎すると、不快な感じにどうしてもなってしまいます。ストレスが貯まるということでしょうか。これでは、この活動を長続きさせることができないので、「送迎枠が一杯になってきたので、利用対象となる方の基準を改訂しました。XXさんは、申し訳ありませんがその基準に合致しておりません」とでも申し上げて、ご利用を遠慮頂くことにしております。

これは、公的な援助もなく、所属する団体もない活動だからこそできることです。上のパターンに該当する方は、いわゆるクレーマーとしての「素質」がありますので、役所や団体の事務局にクレームを申し立てるかも知れません。そうなると、その団体に属するドライバーに対するモチベーションの維持をどうやって行うのか?

難しい問題ですね。
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何のためにこんなことをやっているのか?

2019-09-02 22:27:07 | もろっこクラブ
会社を辞めてから14年も経ってから、今の町に移り住んでしばらくして、互助送迎なるものを一人で始めました。つまり、燃料費だけを頂いて地域の皆さん(移動困難な事情を抱えている方だけですが。)を医療機関やスーパー、公共施設などへお運びする活動です。

この活動を、当初は「ボランティア」と称しておりましたが、どうもしっくりこないので、今はあえて「活動」と言っております。

今日のテーマは、「何のためにこんなことをやっているのか?」です。

自分でも、どうやら成り行きでこんなことをする羽目になったとしか思えません。何しろ、燃料費だけということは、時給ゼロ円ということになります。しかも送迎相手は身内でも何でもない真っ赤な他人です。

この活動、一言で言い表すなら、「運転手付き、無料レンタカーサービス」ということになります。まともに考えれば、こんなにうまい話がこの世の中にあるのか?という疑問がわき起こって当然ですね。

従って、この「甘い蜜」には、当然「自己利益を最大化する」という人間の本能に導かれた方々が群がってきます。その数、大体、2-3割です。

これはこの活動を始める前には思いもよりませんでした。つまり頭でっかちの私は、人間の「善意」というものをほぼ100%信じていた訳です。まさに、「地獄への道は善意に満ち満ちている」です。

しかし、これは薬で言えば副作用のようなものです。副作用があるからと言って、一切の薬を拒絶するのは、これは行き過ぎというものです。要は、副作用は注意深く除去すればいい訳です。

そして、除去して残った方々は、まさに善意の方々ばかりです。今日、ある思想家というか、評論家というか、哲学者というか、私が注目している若手が書いた本を読んでいたら、次のような一節に当たりました。

「そもそも、人生の困難なるものは、自分と世界とのズレの表れである。」

「困難な時期を支えるとは、言い換えれば、支える相手と世界の関係が変化する過程に、時間をかけてつきあうということである。」

今日は、たまたま送迎活動は少なく1件だけの送迎でした。

その方のご主人は、1ヶ月前に倒れて医療センターで治療を受けておりますが、いわゆる脳死状態です。それでも、延命治療ではなく、穏やかな死を迎えるために医師は精一杯の治療をしております。そのためか、肺炎に罹っても抗生物質が功を奏して未だご存命です。

いつ、病院からコールがあるのか、ご本人は電話が鳴るたびに命が縮む思いだそうです。

その困難な時期にあるその方を、医療センターとか、その方が生きるための食料調達とかに、私がたまたま時間をかけて付き合っております。

これは、考えてみれば奇妙な事態です。何で、見ず知らずの私がこんなことにかかわっているのか?しかし、この方を送迎するときは、実に心地よい心理状態になります。これは不思議です。この感覚が、まさに私を今の互助送迎に駆り立ているものではないかと思います。

この不思議な感覚は、この互助送迎という活動を始めてみない限り、一生分からなかったでしょう。これがある意味、この世に生を受けた人間だけが味わうことが出来る冥利かと。。
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ここまでやるか?

2019-08-14 10:50:34 | もろっこクラブ
お盆休みで送迎がない今日、片道2時間ほどかかる霊園にお墓参りに行ってきました。お墓の文字が経年変化で剥げていたのを持って行ったペイントで塗ること30分。何とか綺麗になりました。

帰りのクルマに突然電話。これまで10回ほど近隣の整形外科にお運びした方の奥様からでした。ご主人が急に明日病院に入院することになったため、タクシー会社に電話をしているのですが出ないので、私に明日主人を病院まで届けてくれないかとのこと。

公共交通のタクシーが、お盆だからと言って休むことはちょっと考えられないため、ちなみにMタクシーに電話して聞いてみました。すると、「やってますよ。」との返事。しかも、T団地(その奥様が住んでいる団地)の女の方から電話がありましたよ、との話。

話しが全く食い違っております。タクシー会社はきちんと出ておりました。

家に帰ってから、ちょっと行くところがあったので、途中で、社長とも面識もあるそのタクシー会社に立ち寄って、窓口担当者と話しをしました。すると、きちんとその方との電話のログ(氏名付き)が残っているではありませんか!

そういえば、「タクシー会社がでないんですか?」と念を押すように私が尋ねたとき、その奥様は無言でした。

どうして、ここまでの嘘を何故つくのか?

タクシー会社に話を聞いてみると、タクシーは事前予約は出来ないそうです。その理由は、今、タクシー会社は人手不足で、予約されてもその時間に都合がつくかどうか分からないためだそうです。

それに、その日にきちんと時間通りにお迎えに行くためには、その日のドライバーのスケジュールやら、その日に入る乗車依頼の電話やらの調整が難しいため、基本的には予約制はできないとのこと。

それでも、どうしても予約したい場合は、お金を頂いてその時間にドライバーを「拘束」すれば可能だとのこと。

どうりで、奥様に「タクシーは予約できないですよ!」と私が話した時、「そうなんですって」と答えた理由が後で分かりました。つまり、同様なことをその奥様はタクシー会社から聞かされていたのです。にもかかわらず、私には「タクシー会社がでない」と言う。

では、なぜお金を払えばタクシーを予約できるのに、「タクシー会社が出ない」と、嘘を言ってまで、私にわざわざ互助送迎(ガソリン代だけの負担)依頼の電話してきたのか?

これは、「タクシーを予約して余計なお金を払いたくない。」ご主人は今はある程度回復しており自分で運転して病院まで行けるけれども、「入院中に病院の駐車場に入れておけばお金がかかるため」、としか思い当たりません。

そう言えば、このご主人、同じようなことを最後の乗車の時に私に呟いておりました。その時は、黙って聞いておりましたが、内心、「それはないですよ」と思っておりました。

このご主人は、以前のブログにも書きましたが、最初の送迎の時に奥様が感謝の気持ちの謝礼を200円ほど燃料費に加えて私に差しだそうとしたとき、「そんなことしちゃいかん!」と語気を強めて奥様に言った方です。

それ以降、全10回の送迎で、ガソリン代だけは頂きましたが、1回に2時間は要した私の運転時間と整形外科での待ち時間に対しては、「無償」のままです。降りるときに一言、「ありがとうございました。」とだけしかおっしゃらない方でした。まさに典型的な「フリーライダー」ですね。

また、この方は、地域の民生委員と町の高齢者福祉課の両方から私の互助送迎を紹介されたと、最初にお会いした時に得意げにおっしゃっておりました。後で考えると、ガソリン代の負担もしたくなくて、二股(会社業務では「見積もり合わせとも言います)を掛けていたことになります。

ここまで自分中心の方がいるとは?? 嘘をついてまでタクシー代(あるいは、病院での駐車場代)を節約しようとする方がいるとは?? まさに絶句です。。。

注)以上の話は、私の電話での会話はすべて自動録音されておりますので、タクシー会社との会話も、奥様との会話も、後で何度か確認した「実録」であることを申し添えて置きます。
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「任意の謝礼」考

2019-06-22 09:25:14 | もろっこクラブ
国交省のガイドラインに沿って行っている「互助輸送」ですが、ガソリン代などの実費の他に、あくまでも任意ですが、謝礼やちょっとした品物を受け取ることができます。

https://kouseikyoku.mhlw.go.jp/kantoshinetsu/houkatsu/shiryou1.pdf (←13ページ参照)

この任意の謝礼は、決してこちらから「催促」することはありませんが、タクシー代の30分の1程度のガソリン代で、往復をハイヤーのようにきちんと送り届け、「今回は100円になります。」と利用者に告げた時の、利用者の反応は大きくは以下の2つに分かれます。

1.あぁ~、本当に助かったぁ~。ありがとうございます。
2.(内心の声として)あぁ~、儲かった。ありがとうございま~す。

1のケースは、恐らく利用者の方は、それまでは近くのバス停に行くのさえ足が悪く苦労していて、たまにタクシーを使えば、こんな100円などでは決して済まないという事実に驚いているのです。思わず、本心から「本当に助かったぁ~。どうもありがとうございます。」と言って下さいます。

従って、こうした方々は、100円のところ+100円とか+200円とかの謝礼を、(毎回ではないにしても)これでジュースでも買って下さいと言って渡されたりします。それに加えて、たまにはメロンやぶどう等の果物やお菓子箱を頂いたり、土曜日の稼働に対しては「金一封(千円札1枚)」を頂いたりします。

私も人間ですから、こうしたことで、ガソリン代だけの100円で、2時間も3時間も費やしたことに対して報われる思いがします。何というのか、心の中で無意識に感じている、この「互助運送」の「負担感」が癒される感じがするのです。また、こうした方々には困った時に何とかして運んであげようという気になります。

ところが、2のケースの方ですが、どうしても私の中で、100円のガソリン代だけで、リムジンサービス並のことをして、2-3時間の拘束を受けたことの、身体的・精神的な負担感との釣り合いがどうしても取れないのですね。

しかも、相手の言葉や仕草から、「あぁ~、儲かったぁ~。」との心情が何となく伝わってきます。こういうことがありました。「今日は50円未満ですからただです。」と告げた時、ほとんどの方からは、それは幾ら何でもそれはあり得ないということで、100円とかの謝礼(この場合は謝礼になります。)が渡されますが、中には、平然と、「ありがとうございま~す。。またよろしくお願いしま~す。」と言って、降りた方もいました。もちろん、それはそれでルール上の計算ですので全く問題はありませんが、私の心情としてはどこか釈然としないものが残ります。「何故こんな自分中心の人間のために、これだけの労力を割かなければならないのか?使い倒されているのではないか?」というような気持ちが、人間ですからどうしても残りますね。

こういうこともありました。ご夫婦で乗ってお一人の方が、チップ込みの料金を渡そうとしたところ、「そんなことするんじゃない!」との一声がパートナーの方から掛けられました。私は、てっきり、「この互助輸送では、チップは一切受け取ってはいけないルール」だと思っての声がけだと思い、「そんなこともないんですけどね。」と言って、「せっかくのお気持ちですから、では、100円だけ頂きます。」と言って受け取ってしまいました。

ところが、この一声は私の誤解だったのです。その一声は単に「チップなどあげることはない!」という意思の表明だったことが、その後、分かりました。

ここまで露骨な態度を示される方がいるとは、いやはや、世の中は一筋縄では行かないですねぇ~。

段々と互助輸送の活動も活況を呈しておりますので、そのうち、利用者の移動困難程度が高い人を優先せざるを得なくなるのは目に見えております。移動困難度合いが高いほど、そうした人々からガソリン代だけを頂いても、私の心のなかではバランスが取れているのが不思議ですね。もちろん、そうした方々は、この互助輸送の「有り難み」を身にしみて感じておりますから、心からの感謝の言葉をかけて下さいます。
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世の中がよく分かる

2019-03-16 22:40:38 | もろっこクラブ
互助移動支援活動をより地域に広めるため、友人を通じてドライバー候補を探しておりました。ある候補の方は、お歳は召しているものの、運転歴も長く、現在の役職(地区の民生委員を30年ほど+地区の自治会長を何年か)が解かれたら、この互助移動支援活動のドライバーになってもよいとの、好感触を友人を通じて得ておりました。

その友人からその方に、互助移動支援活動の利用者向けとドライバー向けの説明書きを渡して貰ったところ、何とその方は任意保険に一度も入っていないとのことが分かりました。何十年もずっと無事故無違反なので任意保険は不要だし、そういう保険には入らない主義だとまで言われたとのことです。

これにはびっくりしました。地域で公的な活動をされている立派なお方とは聞いておりましたが、ことクルマの任意保険の話になると、こうした「主義」のためか、「これは僕には出来ない」とおっしゃり、友人も絶句。この話は立ち消えになりました。

まさに「地獄への道は善意で敷き詰められている」ですね。

皆さん、この互助移動支援活動については感心されますが、いざとなると、自分がその一端を担おうという気持ちはないように思われます。

こうした現実に遭遇するまでは、この活動が地域に広まればどれだけ移動に困った住民の役に立てるだろうと思い、こうした活動には住民の中からドライバーとして手を挙げてくれる方も、きっといるだろうと思っておりました。

ところが、これはどうやら私自身の現実認識が極めて甘かったようです。

このところ、利用者が増え続けております。もう朝の医療機関通いの移動支援には、相乗りや時間調整での複数移動の掛け持ちは常態化しております。このままでは、希望者はどんどんと増えるのに、やむを得ずお断りすることになるのは目に見えております。

それに、社協などの紹介で、目の不自由な方や障害者手帳を持つまだ若い女性の方なども利用者登録しております。こうした方をきちんと救うためにも、ドライバーを何とか増やしたいのですが、どうやってこの地域でアプローチすればよいのか?
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