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送迎活動の昨年度実績についての手紙

2022-01-04 12:02:28 | もろっこクラブ
本日から送迎活動を開始。今日は2件ありますが、順次、昨年度の実績などを纏めた手紙を継続利用者の方々にお渡ししようと思っております。

内容は、下記のようなものです。

もろっこクラブ利用者 各位
        
2021年度のもろっこクラブの活動実績についてお知らせいたします。

  • 送迎回数:617回(ほとんどが往復送迎でした。)
 2020年は430回、2019年は529回、2018年は155回でした。
 2020年度はコロナの影響で少し落ち込んでおります。
1日3-4人(最大6人)程度がほどよい感じですので、うまくスケジュール調整できれば、月に60人ー70人(年間700人程度)は送迎可能です。

  • 現継続利用者数:約27人。(一度でも利用した方を含みます。)

  • 皆様からの貴重なカンパ(任意の謝礼)の使い道:
   ・クルマの維持管理費用(車検・点検、任意保険、自動車の税金等)への充当。
   ・クルマの特別修理代 5万円。(利用者宅での車庫入れ時に横腹を擦る)
   ・一時不停止の罰金 7千円。(これは私のミスでした。今後気をつけます。)
   ・社会福祉協議会への年末募金 3万円。(特別支出があったため、ちょっと少なめ)

  • その他トピックス
  毎年掲載しておりました社会福祉協議会発行の「ふれあいマップ」からは、もろっこクラブのページの削除を依頼しました。理由は、町の援助がない中、これ以上拡大すると現利用者に迷惑がかかるのと、町の約束不履行下での福祉関連部署等からの紹介を受けるのは道理に合わないと考えたため。また、町からの紹介なので町の福祉政策の一環として考える自己中心的な方が多いのも大きな理由。現利用者からのご紹介のケースは、この送迎の趣旨をご理解頂ける前提で、これからもサポートしますのでご安心下さい。


以上です。来年2022年も皆様にとっていい年になりますように。
私も健康に気をつけてできるだけ長く送迎活動ができるようにしたいと思っております。

以上です。

単なるボランティア活動であれば、4年以上続けることは恐らくできないでしょう。少しでも今住んでいるところを良くしたということで始めた、いわば「地域貢献活動」です。

その活動は、利用者の方々の善意によって支えられておりますので、こうした活動報告を行うのは必要だと思い、今年から手紙をお渡しすることとしました。

一人でもこの活動は出来ます。もし、クルマの運転が苦にならず、身体がまあまあ丈夫で時間がある方、この経験を通じて得た「ノウハウ」を伝授します。嫌な思いをしないで送迎できるノウハウが溜まっております。

少しでも興味がある方ご連絡ください。全国どこに住んでいてもズームなどで話しが出来ますので大丈夫です。
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互助送迎基準の新たな設定に光明が??

2021-05-30 10:47:52 | もろっこクラブ
「互助送迎」を始めて年月が経つたびに、自分のやっていることの意味を日々問うております。

最初は、単にこの小さな地域で何らかの事情で生活に必要な移動に困っている人を少しでも助けられないかとの気持ちで始めました。

厳密に言うと、最初から自分ひとりで始めようとした訳ではなく、この「地域社会の課題」については行政の責務ではないかと考え、町長を始め町の幹部の方々に説明し、町の施策として立ち上げないかとアプローチしてきました。

ところが町としては、

1.新しいことはやらない。
2.うまくいくことが保証されていないとやらない。
3.リスク(移動には事故のリスクあり)があることはやらない。
4.住民からクレームがないことはやらない。

との唖然とする回答を寄せました。あまりに驚愕したのできちんと議事録にも残して町に提示し確認済みです。

2度目の町長との会議の結果、「そんなに気になるからXXさん、やったら?」と見事にうっちゃられてしまいました。そこで今の互助送迎をたったの一人で始めたのが2017年11月でした。

以後、このブログでも色々と書いている通り、利用者の中には様々な人がいます。約3割はいわゆる「自己中心的エゴイスト」とも言える人々です。

見知らぬ相手(私のこと)から、時間通りに迎えに来てもらって、医療機関などで長時間待たせて、きちんと家まで送ってもらう、その見知らぬ人が提供する「労力」というものの大変さに全く無頓着な方々です。頂けるのは、燃料費相当(100円か200円)と任意の謝礼だけです。運転や待ち合わせの時間に対する対価を貰えば、「白タク行為」として処罰の対象となります。

場合によってはお抱え運転手に話しかけるような口調で話しかけられます。
「はい、これ!次の通院予定!」と命令調で紙を差し出すお方。

奥さんが任意の謝礼として差し出したコインを、「そんなことするな!」と叱責して止めさせたお方。この方は、いわゆる競合見積もりをして、私の活動にしか行き当たらなかったと呟いていたのを鮮明に記憶しております。

この方、少しでも安く移動したいだけの「エゴイスト」でしょう。(何とか自分で運転できるようになっての)送迎活動終了後も、検査入院の日のための足に私のクルマを使おうとして、「タクシー会社が電話に出ないのでお願い出来ないか?」と嘘までついてタクシー代を節約しようとしたお方です。(タクシー会社の通話ログにその方の名前が残っていたので、後で嘘だったと分かりました。)

このような例は他にもたくさんあります。

そこで本題ですが、こうした「変なお方」は、これまでの経験からかなり「排除」することができるノウハウが溜まって来ましたが、今日のテーマはそうでない普通に「移動に困難を抱えている」方々をどういう基準で優先順位をつけながら送迎するかという点です。

利用希望者への最初の説明の際に、「移動困難度に優先順位をつけて、困難度の高い人から優先的に送迎をします」という点は説明します。一番ゆるい基準は、高齢者(概ね80歳以上)でクルマなど移動手段がなくて困っている人になります。

先日、そのような最低基準に合致する利用者の方から電話がありました。

「息子が墓参りのためこちらに来ているので、それが終わったら隣町のXX市役所まで送ってくれないか?」とのこと。送迎中だったので詳しい事情は聞けず、その後の連絡を待ちました。

朝電話を貰ってから、午後をかなり過ぎても連絡がないのでこちらから電話。「まだ息子が来ていない」とのこと。そこで、こちらから電話をして、「実は、ご家族は送迎対象ではないのですよ。最初にご説明した文書に書いている通りです。」と申し上げました。

すると、「私が乗っても駄目ですか?」 との返答。「はい。駄目ですね。」と答えてこの送迎はお断りしました。その際、その方が電話口で言った言葉にカチンときました。「今日は千円出すつもりなんですが、それでも駄目なんですか?」との言葉。「お金の問題ではないんですよ。」と言って電話を切りました。

実は、この方からは以前にも急な電話がありました。精神を患った娘さんがいて、その娘さんが免許証をどこかで落としたとのこと。その時は、「それは大変だ。すぐに探しに行って、ないなら警察署まで急行しなければ」と思って娘さんとその方を乗せての送迎活動を提供しました。隣町の警察署や健保組合事務所などにも行って大変時間もかかりましたが、その際に頂いたのは、いつも通りのワンコイン(ガソリン代込み)でした。

この話には後日談があって、その40-50代と思われる娘さんは翌日急死しました。普段からアル中だったそうです。何らかのショック死でしょう。

どうやら、こうした緊急時に私が対応したことがその方の脳裏にあったので、今回は、「身体は何でもない息子さんの便宜」のためにだけ私の送迎を「利用」しようとしたらしい。

前置きが長くなってしまいましたが、こうした「嫌なこと」があると、この私がやっている互助送迎活動って一体何のためにやっているのだろう?と時々疑問に思うことがあります。

そこで、ふと読んだ本の中に書いてあった、以下のマルクス・ガブリエルの言葉です。

「私達は皆、他者の苦しみに責任があるのです。」

そうだったんだ、その責任を果たすために、私ができる唯一と言ってもよいこととして、このような送迎活動をやっているんだ。と思い直しました。

となると、上記のケースですが、その方の息子さんは果たして何かに苦しんでいるだろうか?その苦しみを私の市役所への送迎で解決の一助にできるのだろうか?

答えは「否」です。

単に実家の墓参りに来たついでに、何かの用事で隣町の役所に行くのに便利で安価な移動手段はないかと探していただけではないのだろうか? 普段の利用者であるその息子さんの母親も、単に息子の助けになろうとして私の送迎活動に便乗しようとしただけではないのだろうか?

そうであれば、この互助送迎の理念からしてもおかしいことになります。

問題は、「足腰が本当に不自由で移動に苦しんでいる方」であり、上述のように私を騙してまで1円でも安い移動手段を探している方をどう扱うかということです。

これは、一旦送迎してみないと、その方が「たちの悪い人間」かどうかは何とも分かりませんが、私としてはもう二度と上記の方々の送迎時に被ったような「不快感」を味わいたくはありません。

今では3年半ほどの経験を重ねて来ましたので、お会いした時におおよそのその方の人間性は分かりますが、やはり実際に送迎してみないと真の人柄は分かりません。

解決策としては、とりあえず送迎はしてみるものの、とんでもないお方であった時は、こちらから辞退できる余地を最初の説明の段階で残しておくということぐらいでしょうか。。

マルクス・ガブリエルの言うように、「私達は皆、他者の苦しみに責任があるのです。」と言われても、その他者の苦しみには様々な人間の欲望が渦巻いております。そこまで考えた上での心理的な葛藤がないような、何か哲学的な解答はないものだろうか?
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地域での高齢者移動支援のあり方

2020-11-12 09:49:26 | もろっこクラブ
最近、伊藤忠商事が移動サービスの全国展開に乗り出すというニュースがありました。リリース以外の詳細は分かりませんが、複数乗車で65歳以上なら300円から700円でドアツードアの送迎を行うとしております。

一方、富山県の朝日町が「ノッカルあさひまち」と称して今年夏から実証実験を開始しております。
こちらは、ドアツードアの送迎ではなく停留所方式のようです。

詳細が分かっているあさひまちのケースに基づき、これまでの経験から少し感想を述べてみたいと思います。

1.スマホでの予約
  これは、高齢者には無理。携帯すら持っていない方がいますが、かろうじて、携帯での電話はできます。SMSメッセージが使える人もごく僅かですがいます。しかし、スマホ予約は無理です。

2.前日予約
  電話受付だと前日予約になるようですが、これは、予約システムの問題かと思います。人が受ける場合は、前日ではなくとも当日でも空きを案内できます。これも予約システムに頼る弊害。

3.病院での帰路予約ができない
  これも、何らかの予約システムに依存していることからくる弊害。送ったドライバーが直接、帰路電話をもらうようにすればOK。

3.ドライバーの運転技量
  二種免許があれば「運転上手」とは限りません。失礼ながら、一部のタクシー運転手の荒っぽい運転についてはよく噂を聞いております。また、運転講習を受けたドライバーならOKかというと、運転についての人それぞれの「癖」は、一朝一夕には治りません。これは、私の経験からも言えます。余談ですが、私が使っているマツダのCX-5というクルマにはiDMという、運転技量をレーティングする装置がついております。運転歴数十年の私でも、最高レベルのレーティングになるのに3年ほどかかりました。1日程度の運転講習会を受講したからといって、人の運転の癖はそうそう治るものではありません。

4.トラブル解決への町や協議会の役割
  特にドライバー側に何らかの問題があるかどうかを、町や協議会がチェックするのは意味があることだとは思います。しかし、これも運転と同じで人それぞれ人格面で「癖」があり、それを第三者がチェックするのはかなり困難でしょう。しかし、後ろ盾としてそうした団体がいるというのは、ある種の歯止めになるかも知れません。

5.自家用有償旅客運送の枠組み
 この枠組みだと、タクシーの半額程度の料金であり、タクシー会社とのバッティングが基本的には生じます。この町のようにタクシー会社が1社で、コミュニティバスでの依存関係もあり、共存共栄が図られている場合でも、タクシー料金の半額というのは、利用者にとってかなりきつい出費だと思います。

また、地域交通活性化協議会などの場で、(テリトリーなど)さまざまな制約が課せられたりして利便性に問題点があります。またタクシー並の管理コストがかかるのも問題でしょう。

以上、思いつく問題点を、私の3年間に及ぶ実体験に基づき挙げてみました。

では、どうするのがもっとも効率的で利便性もありかつ永続性があるのか?

ここは我田引水になりますが、私が手掛けている「互助による輸送」のスキームに基づき、ドライバーに対する支援プログラムを公的・私的組織が提供する形が一番いいかと思います。

何よりも、システム投資や組織運営コストが一切生じません。ドライバー一人で複数の利用者を担当する専任担当性を採用します。この専任担当性のメリットは、

1.個々の利用者について熟知できる。
 家の場所はもちろん、どういった病院でどのくらいの頻度で、一回あたり何時間ぐらいの時間を要するかは、大体予測できるようになります。お迎えに行く時間や場所が大体分かります。

2.利用者にとっても、乗るクルマとドライバーが固定されているので、病院などで送迎クルマを見つけやすいし、ドライバーと馴染みになって気楽に乗れるようになります。

3.ドライバーは、各利用者の家の地理的関係や、迎車のための所要時間、その利用者のニーズ(例えば、帰路に薬局やスーパーの寄る人など)は予めよく分かっているので、最適なルート編成が行える。相乗りや待ち合わせを許容するよう予め利用者の方にご了承頂いておりますが、待ち合わせ時間は、私の経験ではせいぜい10分から15分程度で済んでおります。

以上のような様々なメリットがあります。極めて柔軟にコストをほとんどかけずに、個別の利用者対応がなされる上に、利用者の支払いは基本は燃料費のみ。後は任意の謝礼+市町村や企業などからの援助(もしあれば)です。これなら、低所得の利用者の方も頻繁に利用できます。

また、上記の「援助」によってドライバーのインセンティブを高めれば、ドライバーの成り手もそれなりにいるのではないでしょうか?

但し、この互助輸送の欠点は、「市町村」や「XX協議会」などに、高齢者の足の問題を解決するためのやってる感が醸し出されないことです。
何だか、勝手に地域での助け合いが進んでいる状態とも言えますね。

10年もすれば、自動運転車が増え、過疎地域でも交通問題は解決に向かうでしょう。その間のつなぎに、そんなに大仰な組織を作りお金を投じて、あまり高齢者から歓迎されない仕掛けで「やってる感」だけ醸し出しても仕方ないのではないでしょうか?
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互助移動支援のこれまでの実績

2020-10-09 13:23:50 | もろっこクラブ
この移動支援を始めて3年が経過しました。これまでの実績や雑感を下記にまとめてみました。(丸3年を経過しましたので、データを更新し、コメントも削除・追加しました。

★年度別送迎者数(ほとんど往復送迎です。2017年は2ヶ月、2020年は10ヶ月の実績)

2017年---4名 2018年----155名 2019年----529名 2020年----361名  送迎者総数:1049人(送迎回数はほぼこの倍)

今年は、昨年より少なくなっておりますが、コロナの影響と下記に述べるお断わり件数の増加が理由かと思います。

★利用登録者数----60名

 うち、送迎終了者--3名 送迎中断中---13名 送迎お断わり---18名  未利用者---3名 死亡者---1名 送迎継続中---22名

 送迎終了者というのは、骨折などの治療が終わって自力で移動が可能となった方です。
 送迎中断中は、何らかの事情でおよそ3ヶ月間、送迎依頼がこなくなった方です。
 送迎お断わりは、ほとんどが燃料費以外は支払わない方です。
 
★雑感

 送迎お断りの比率がほぼ三分の一です。これは実に意外でした。この地域の三分の一は、人件費ゼロ、待ち時間料ゼロ、クルマ持込み、その他維持費ドライバー持ちの「互助送迎」に対して、燃料費以外は出さない方です。「互助」の精神は、地域でお互いに助け合うということにあります。私はガソリン代の他に「お気持ち代」として頂くいわゆる「任意の謝礼」は、クルマの維持費への充当だけでなく、社会福祉協議会を通じての共同募金へと「還流」させ、地域での互助が一応完結するようにしておりますが、この点を最初にご説明しても、ガソリン代のみの支払いしか行わない方々は現にいます。そのような方は、いわゆる「互助の精神」に欠ける方と判断し、私の精神的な負担をなくすためにも、それとなく、あるいは正面切ってお断りしております。

国交省のいわゆる互助送迎というのは、互助ですから、家族や近隣の方が助け合うという従来からのよい意味での、日本社会の慣習を尊重したやり方ですね。

タクシーの約30分の1の燃料費ですが、もしご近所の方に、時間通りに迎えに来てもらって、帰りも時間どうりに迎えに来てもらっての、数時間の移動支援提供に対して、本当に100円とか200円の燃料費しか支払わない方々が、こんなにもこの地域にいるとは全く想像できませんでした。恐らく、ドライバーがご近所の知り合いであれば、恥ずかしくて??こんなことはしないのかも知れません。

(念の為、この方々は国交省のガイドライン上は何も問題はありません。謝礼や換金性のない物品はあくまでも「任意」ですから。従って、私も最近は数回程度は「乗車拒否」をすることなく、きちんとお送りしております。多い方は何と数十回以上。多分、この方が発するストレス物質のせいで体調がおかしくなりました。)

私が同じ町に住むとはいえ、全くの他人だから(使い倒さなければ損)という理由以外には思い当たりません。もっと安い(タダに近い)移動手段はないかと思い、相見積もりをするお方までいるのは、これは全くの想定外でした。そこまであこぎな人間がいるとは。。。まさに、自分の欲望を満たし、自らの利益を最大化させようとする、この社会が持つ宿痾ともいうべき風潮に毒されている人々がおよそ三分の一ということですね。これはひょっとして現代日本社会の実態に限りなく近い数字かも知れません。

いやいや、実に嫌な世の中になってしまったものです。という訳で、私も不本意ながら、我が身を守るため(実は今年、このストレスで入院しました)そのような「身勝手極まる」お方はお断わりすることにしました。その数、何と利用登録者の三分の一。

こんな実態を目の当たりにすると、私から「互助の移動支援をやらないか?」とは、とてもお勧めできませんが、幸い、このような方々を最初の面談の時点で「排除」するノウハウ?が溜まってきましたので、ご心配なく。

残りの方々とは、和気あいあいと実に気楽な送迎活動が日々できておりますので、時間があってクルマの運転が好きな方、是非是非、ご一報下さい。幾らでもお手伝いしますよ。

しかし、地域社会でまた役所で、そしてブログなどで幾ら訴えても、誰もこの活動に興味を持つ人がいないという現状を、一体全体どう見ればいいのか???
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中村哲さんを偲んで

2019-12-05 11:38:16 | もろっこクラブ
ペシャワール会の中村哲さんが不慮の死を遂げました。
私も一時、アフガニスタンの人々の生活基盤そのものを1から作り上げるという彼の活動に共鳴を受け、ペシャワール会に寄付をしていたことがあります。まさかこのような形で死を迎えるとは思いも寄りませんでした。

一体、誰がこのような地を這うような地道な活動を行う人間に対して凶弾を向けたのか?

今日の東京新聞を見て、改めて彼の活動のすごさを知りました。

★誰も行かないところにこそわれわれに対するニーズがある。

これは、「誰もやらないことにこそ、我々に対するニーズがある。」とも言い換えられるでしょう。

★彼ら(アフガニスタンの人々)はわれわれの情熱のはけ口でもなければ、慈善の対象なのでもない。日本人と同様、独自の文化と生活意識をもった生身の人間たちなのである。

限りなく、アフガニスタンの人々が置かれた現状に対する共感意識が高い言葉です。

私が行っている互助移動支援活動についても、ある時から、ボランティア活動と呼ぶのは止めました。もちろん、慈善活動でないとも書きました。この中村哲さんの語録を読んで、すっきりとした気分です。

互助移動支援の対象は、身近な同じ日本人(或いは日本に住む人)です。たまたま、図らずも生活上の不便(移動)を抱えてしまっている方々です。しかし、移動しなければこの社会では人は生きていけません。そこに切実なニーズがあります。にもかかわらず、行政はもとより、地域の団体などは、必ずしもそうしたニーズに応えておりません。ましてや、このような「持ち出しの面倒なこと」にかかわろうとする個人は、私の住む町も含め今のところゼロです。

ボランティア活動を行っている人々はたくさんいらっしゃいます。ですが、そうした方々に声をかけても、この互助移動支援活動については賛同はして頂けるものの、ご自身が積極的にかかわろうとする方は、不思議なことに皆無です。ニーズはいっぱいあるのは皆さん分かっていらっしゃいます。でも、ご自分からはどういう訳か動かない。

これは一体どういうことか?、何が中村哲さんを動かしたのか?中村哲さんの語録を読んでこの思いを新たにしました。
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