スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

ペットとの別れ

2016年01月31日 | Weblog
どんな生き物にも命に終わりがある、が人は誰しもそんな終わりが訪れることを考えたくはない。

隣に住んでいる娘夫婦が可愛がっていたミニダックス犬の"ウナギ"の名の子供が欲しくて、12年前に我が家で生まれた。この子の名はスシ(レッドカラー♀)と命名される。



5つ生まれた中で一番の美人だったが、どうも身体が弱く、数年前には白内障にかかり全盲になってしまった、然し宅内の行動には支障はなかったのだが、4ヶ月前に乳ガンを患い手術をして腫瘍は取り除いたのだが、既にリンパに転移していた。

インターフェロン投与していたが次第に衰弱していった、これ以上苦しませることには耐え難く、1月27日が命日になった。12歳7ヶ月(人年齢66歳)の命となった。早期発見出来なかったこと、言葉が通じないのだから飼い主としてはもっともっと触診すべきだったと悔やまれる😹



いつも添い寝をしていた奥方はペットロスで毎日泣いている、それでも一緒に生まれたエコ(ブラックタン♂)が居るから、少しは助けられてはいる。

喪明けまでは寿司は控えている我が家である。
                                          =おわり=

太 極 拳

2016年01月23日 | Weblog
ブログを中断して3年半、新しく始めたことと言えば太極拳くらいである。
ジムのスタジオプログラムも殆どやらないで、有酸素と筋トレだけの運動で6年程経っていたが、盛岡南イオンがオープンと同時に始めたジム通いである。



太極拳には少なからず興味があった。男性の先生から女性の先生に変わったのをきっかけに習い始めた、週一で1時間だけであるが3年位になる、いつも大体同じメンバー10人くらいでのレッスンを楽しんでいる。
美人先生の名は伏せるがネットを見たなら3段とあった、無駄な力を抜く呼吸法と軸をしっかりする姿勢法をいつも言われるが、奥が深くなかなか上達しない。
然し、その甲斐もあって、ジムに入ってから徐々に体重も10kgくらい落ち、現在はベストな状況である。
思えば前回書いた「PM2.5」も「太極拳」も中国発である、多少複雑な気分だが相当多くのファンがいる健康なスポーツには違いない。

付録
沖縄神社のおみくじは"凶"だけ
何でか?
=次号へ=

PM2.5 その3

2016年01月09日 | Weblog
昨秋、今年の定期健診を主治医のところで受けた、その結果肺に影があるので精密検査をするよう中央病院を紹介して頂いた、ガン(≧∇≦)
師走12月呼吸器科を訪問した、県の中核病院の混みようには驚いた、問診、X線検査、CT検査、結果診断まで予約を取りながらの一月ばかりの通院になった。



最終的な病名は?、CT画像には肺の胸膜面に異質なものが帯状に数カ所張り付いているのが見えた、担当ドクターも明確には分からないが、過去にどんな職業をして来たのかと聞かれた。
とっさに浮かんだことは50年近く前の、石炭粉塵や断熱の仕事にも関っていたのでアスベスト粉塵のことを伝えた。ドクターは明確な病名は付けなかったが、それ以外に考えられず定期検査で症状の推移を見ましょうとなった。"焼酎での消毒など効き目なし‼︎
粉塵公害が、50年も経って私のようになるのであれば、北京のPM2.5も将来に暗い影を落とことになるだろう。



中国の故事に"人間万事塞翁が馬"という教えがある、自分に置き換えれば、石炭で落ち込み、石油で運が回復し、今また石炭で落ちる、そんな故事の教えが身につまされている。再び運気が上がれば嬉しいのだが⁈
=終わり=

PM2.5 その2

2016年01月08日 | Weblog
昭和40年代前半のエネルギー事情と言えば、39年の東京オリンピックあたりから日本が高度成長に向かって、石炭燃料から石油燃料に急速に変わって行く時代であった。
石炭燃料では大気汚染が進むばかりで、防止法はその対策として昭和43年に法制化されている。



自分も石炭燃料では相当生き方を考えさせられたのだが、この法律によりこれからの人生が一転し救われた、産業用ボイラーの燃料を石油燃料に強制的に変えなければならなくなったのである。
現在はボイラーも安価になったが、当時は高価な財産であり中小企業経営者にそう簡単には買えるものではなく、石炭から石油になったからと言って、新品に交換するのは多大な投資であったと思う。
そこにビジネスチャンスがあり自分も生き返って行った、燃料変更に伴う改造工事がいくらでもあり、それをやれる業者が少なく面白いほどに仕事が取れたものである。

現在の北京で取り組まなければならない、大気汚染問題は日本では40年も前に取組み改善されている。
=続く=

PM2.5 その1

2016年01月04日 | Weblog
今回のブログは、現在北京で騒がれている、大気汚染物質であるが、自分とも因縁がある。

自分が現在の(株)トライスを個人創業したのは昭和43年、それ以前の数年間仙台の会社で修行した時がある、その会社は産業用の蒸気ボイラーの販売工事と修理整備が主な業務だった、然し、旗揚げして間もなかった為ゴンド(ゴミ)のような仕事しかなく、ボイラーの清掃が主な仕事であった。この時代背景は正に今の北京のような石炭や亜炭が主エネルギー源であった。
そんな訳で来る日も来る日もボイラーの煤払いや煙突掃除をした、防塵マスクもない頃で髪の毛から足先まで真っ黒になった、目はアイシャドー状態、耳・鼻・口の中もススだらけ、爪や皮膚に染み込んだススは亀の子束子でこすっても、そう簡単には洗い落とせなかった、こんな底辺の様な"カンカン"と呼ばれた職業があった時代である。



一部上場会社に就職し、花形の総務の席を蹴って、何も分からず飛び出し都落ちした自分ではあるが、落ちるところまで落ちたと思ったものである。
20歳そこそこの若人が従事するような職業でもなく、同僚も何かワケありで年輩のその日暮らしの人が多かった、そんな連中と仙台駅北側のX橋の立ち飲み屋で安ものの焼酎を酌み交わし、憂さ晴らしをし一日が終わる日々を過ごしたのが、今では妙に懐かしい。

🎶
今日の仕事はつらかった
あとはしょうちゅうを あおるだけ
どうせ どうせ山谷のドヤ住い
ほかにやることありゃしねえ🎶
=続く=




ブログ再開

2016年01月01日 | Weblog
平成28年元旦
あけましておめでとうございます。
今年からは年賀挨拶を失礼する事にしましたが、本音は年賀状を待っているような、そんな違和感をもった新年を迎えております。

2012.7.31「ブログ最終章」を書いてから早3年半が過ぎてます、自分もいつの間にか古希という大台に到達している。
この間、自分が創業した会社(株)みちのく冷熱は(株)トライスと社名が変わり、経営陣も40代に若返っている。
自分が最後に在籍していた(株)アメニティも、トライスと合併し消えてしまった、のを機に自分は会社を去っている、然し幸か不幸かオーナーの権利だけは引続き保持している。
この間の3年半は何とか健康で過ごしている、俗に言う"忍び寄る年波"にくたびれてはいない、然しやはりどっかは劣化し錆び付いている、特に脳機能は若い時の様には行かなくなっているようだ!
そんなことでブログを書く話題は結構ありそうであり、暇つぶしにもなりそうなので、久し振りに復活してみようとペン?を取った次第である。
復古版の最初に書こうとしたのは、最近の大きな話題の一つである中国発「PM2.5」からと致します。