8.シゲとテルのその後
泰家の前妻は長女光子(昭和2年生)を設けた後、病気で亡くなった。後妻のテルには長男泰志(昭10年生)、次男巻雄(昭16年生)、三男経悦(昭20年生)と男子3人の子に恵まれ、萬松寺で暮らしながら共に育ち、光子は仙台に嫁ぎ、泰志は萬松寺を継ぎ、巻雄と経悦は盛岡にて結婚し暮らしている。
祖母シゲは萬松寺で昭40(1965)年に80歳で亡くなり、母テルの夫泰家も昭46(1971)年に71歳で旅立ち、テルは何故か安住の地であった筈の萬松寺を離れ、仙台〜盛岡と流転した後、平15(2003)年に87歳で波乱の生涯を閉じた。
シゲとテルは一ヶ所に留まることを好まなかった様だ、縄文人より弥生人の血筋だったのかも・・
=おわり=
「あとがき」
.シゲの生まれた鈴木家
鈴木家は又蔵没後次男の春喜が戸主を継ぎ、春喜没後は長男の孝が戸主を継ぐが、昭3(1928)年若くして没した為、鈴木家は、同地域の菅野家に移管し消滅した様だ。
・未調査
シゲ・テルの江刺玉里のことを知る可能性が残されている先は、奥州市江刺区梁川の金性寺ご住職(守林寺松森弘隆住職の父親)なのだが、未だ接触を試みていない。
・編集者として、こうして推測を入れながら時系列に2人の生涯を顧りみたのだが、この親娘の人生はとんでもない波乱の生涯だったのだろうが、何にせよ書き記せる資料が不足している現実だった。"ばあちゃん、かあさん、ごめん🙏"
特にも先頭に立って辛苦の矢面に立って来たシゲの労苦に涙が停めどなく流れた。明治女の気質の強さを知った。
俺にもそんな血が流れていることに誇りを感じる。 (2024.1 経悦記)