スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

水無月雑感'17

2017年06月30日 | Weblog
早いもので今年もハーフタイムの通過点に来た。21日東北も梅雨入りはしているが余りピンと来ない、昔は雨と湿気でジメジメした日が続き憂鬱で梅雨明けが待ち遠しかった。水無月の語源は田植えに水は欠かせないから、祈りや願いも含まれてのことだろう。

我が家の庭にはつる性植物が多い、好きで植えたのだが、管理に骨が折れる、藤、つるバラ、スイカズラ、忍冬、サルナシ、ノウゼンカズラと花が移り咲いて行く。この時期はスイカズラの言い表せない癒し系香りを楽しんでいる。
放っておけば庭が荒れてしまう植物類ではあるが、生命力が旺盛で、自分の元気の源でもある。

(スイカズラ=花言葉は愛の絆)

広田半島に会社の施設があり、ここの管理も自分がやっている。バブル時代のマイナス産物だが、この季節は雑草が繁殖し放っておけない。
今月はその管理に数日出向いて来た、東日本大震災前とは大きく様変わりしている、何よりも寂しいのは緑地が減り、鶯をはじめとした野鳥の鳴き声が少なくなった事である。

(広田半島 サテライトマリン)

その夜は気仙在住の友人菅野征一君と髙田市内を数件も飲み歩き、鶯にはほど遠い喉でカラオケを歌いまくった。
この町の復興もやっと半ばに差し掛かってきたようだ。

=おわり=

確執ー序章

2017年06月28日 | Weblog
生前お袋に「兄弟は仲良くしてよ」とよく言われた言葉が脳裏に焼き付いている。

先にあの世に旅立ったお袋と長姉は10歳の年齢差であった、お袋は菅村家に後妻に入ったので姉とは姉妹みたいなもので、自分らには怖い姉でお袋亡き後は母代わりであった。大正生まれの女は逞しい。

(万松寺のイメージ)

岩手奥州市の曹洞宗の古刹「祝峰山万松寺」で生を受けた姉や兄達は、鶏頭牛後的な性格があったようで江刺、仙台、盛岡で夫々が自分で商いを始める。
姉は日本舞踊、長男は家電販売(現在は住職)、次男はコンピューター関係の商いの道を起す、末弟の自分もそんな影響を受けたのか建築設備サービスの会社を興した、山中の寺の住職と小学校教師をしながら、家計を支えた厳格な親父に育てられたとは想像もつかない生き方になる。

5歳違いの男同士、手に手を携えて生きて行けば万々歳なのだが、お袋の通夜席で長男が「自分だけが何故寺を守らなければならないのだ」と鬱積していたエネルギーが爆発し、散々な弔いになったのは13年前の事だった。

2012-2013と2011東日本大震災以降、ブログを書く気になれず一時休んだが、この間「株式会社みちのく冷熱」は大きな転機を迎えていた。
第二創業と銘打って2014(平成26)年4月に社名も経営陣も新たにしてスタートをすることで大改革の作業をしていた。
=つづく=




俺と茂

2017年06月20日 | Weblog
高校時代に知り合った仲間に茂君がいた、君付けでは親しみが湧かないから茂と言わして貰う。
生まれた田舎は岩手の奥州市(旧江刺市)で山ひとつ隔てた隣村同士であったが、高校までは学校が違った。然し幼い頃に赤フンで泳いだり、ザッコを捕ったりして遊んだ川が人首川(ひとかべがわ)に共通していたから、茂が川でションベンした水をちょっと下流で俺たちが遊んだことになる、飲みもしたナ。・°°・(>_<)・°°・。

(人首川の由来は?)

優秀な茂は大手都市銀行を勤め上げ、海外旅行やゴルフを楽しみながら、関東圏で愛妻と暮らしている。
自分は危ない橋を渡りながら、会社を立ち上げ、現在は役目を終え強妻?と盛岡で暮らしている。

「2017いわて奥州きらめきマラソン」
(菊池茂ランナーは70歳超の部で100人中40位)

茂が還暦から挑んだことにマラソンがある、11年余りでハーフやフルを68回も走り、常に完走している。俺から見れば、6時間も走り続けるなんてウルトラマンに匹敵する。
ホノルルマラソンが最終目標とか、この歳でどんな体力の持ち主だろうか?、無理しないで楽しんで貰いたい。

自分も今までは、大した病気もしていないから健康な方だろうが、加齢は階段を登るのにも気合がいる。
お互い人首川で産湯を使ったのに、川上には"養老の滝"でもあったのだろうか・・・( ◠‿◠ )
=おわり=





強者どもが夢の跡

2017年06月08日 | Weblog
「かえで会」という名の親睦会に出席した。この会は我が社の看板である空調専業メーカー「ダイキン工業」さんが東北に開発拠点を出した際の仙台営業所長(後に初代東北販社長)興松肇さんが立ち上げた会で20年近い歴史がある。

今や空調関連売上げでは世界トップと言われているダイキン工業であるが、昭和40年代はダスキンは知っているがダイキンは知らない方が殆どで知名度が低く、社名を知って貰うことから始まった東北市場開拓だった。
商社、販社、代理店、工事サービス会社等でダイキン製品の普及に苦楽を共にした、様々な会社の幹部OBが会員になり、春と秋に集い親睦している。

オモテ面は"強者どもが夢の跡"であり、ウラ面は"終わった人々"の集いである。昔は激しく競い合った仲だが、今はそんなことも忘れてしまって、和気あいあいに話が弾む。年齢も82歳から65歳と熟年高齢者の憩いの場になっている。
今回もゴルフを楽しみ、夜は秋保温泉で懇親会となる。

それに付けてもこの歳になると、癌や心疾患の病が生き方を遮るようだ。
山家さんは4つの癌を克服したそうだが、興松さんは心臓にメス、石井さんは膀胱癌、谷さんは動脈瘤、吉田さんは前立腺癌、木皿さんは全身癌等々凄まじい闘病の話を聞く夜となった。

そんな方々ではあるが、酒量は社会人として、華々しく活躍していた頃と余り変わらないほどによく飲む。

この会では青年部域にある自分は早々と途中ダウンとなる。
ゴルフも優勝の諸星さんに、僅かに及ばず準優勝と悔しい結果で終わる。
こんな楽しい会がいつまでも続くことを願う日となった。
=おわり=