私の生き方を左右している言葉に"年を重ねるごとに幸せになる"がある。
いつから使っているのかと言えば、20年前の50歳あたりになるのではと思っている。税理士で経営コンサルの天野隆さんと言う方のセミナーを東京で受けたことに始まった。
この頃迄の25年間は経営者人生を夢中で走って来た、然し自分の能力の限界に悩み、この先の人生をどうするか模索し始めた頃であった。
人は常に意識の中に、高い志と自覚を持って生きていれば、一歩一歩階段を上がれるものではないだろうか?
この頃は世界同時不況の予兆があり経営環境が大変厳しい時代に差し掛かり、銀行も貸し渋り高利の街金業が増え、倒産、離婚、自殺、ストレスなどで経営者受難の時代でもあった。
社長業は孤独な職業で、常に瞬時の間違わない決断力が求められた、幸い我が社は赤字もなく右肩上がりの数字を残していたので、良い時に次に繋ぎ、肩の荷を下ろした生き方に道筋を定め、加齢に向かって日々幸せ感を持とうとし、この言葉は願望ではあるが生きる柱に据え、心の中に携えて歩いて来た。
20年が過ぎた今、幸せと言えるのかは分からないが、仕事からは全く解放され、会社は益々成長し、健康で食うには困らないから幸せと思うが、何かが欠けているような気がしている。これからはその何かを探す旅になりそうだ!
(孫と紫陽花)
いつから使っているのかと言えば、20年前の50歳あたりになるのではと思っている。税理士で経営コンサルの天野隆さんと言う方のセミナーを東京で受けたことに始まった。
この頃迄の25年間は経営者人生を夢中で走って来た、然し自分の能力の限界に悩み、この先の人生をどうするか模索し始めた頃であった。
人は常に意識の中に、高い志と自覚を持って生きていれば、一歩一歩階段を上がれるものではないだろうか?
この頃は世界同時不況の予兆があり経営環境が大変厳しい時代に差し掛かり、銀行も貸し渋り高利の街金業が増え、倒産、離婚、自殺、ストレスなどで経営者受難の時代でもあった。
(西洋あじさいも満開)
社長業は孤独な職業で、常に瞬時の間違わない決断力が求められた、幸い我が社は赤字もなく右肩上がりの数字を残していたので、良い時に次に繋ぎ、肩の荷を下ろした生き方に道筋を定め、加齢に向かって日々幸せ感を持とうとし、この言葉は願望ではあるが生きる柱に据え、心の中に携えて歩いて来た。
20年が過ぎた今、幸せと言えるのかは分からないが、仕事からは全く解放され、会社は益々成長し、健康で食うには困らないから幸せと思うが、何かが欠けているような気がしている。これからはその何かを探す旅になりそうだ!
=おわり=