ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

借りぐらしのアリエッティ:ジブリがらしさいっぱいで誰もが楽しめる作品

2010年07月20日 | 映画♪
スタジオ・ジブリの新作「借りぐらしのアリエッティ」を鑑賞。一言で言えば、「こういうジブリ作品が見たかった」というのが感想。宮崎駿が好きで、「ナウシカ」も劇場で見たし「ラピュタ」や「紅のブタ」、「もののけ姫」も好きなんだけれど、「千と千尋の神隠し」や「ハウル」「ポニョ」といったところはもう1つ好きになれなかった。「アリエッティ」は米林宏昌監督ということもあってか、ちょっと頭でっかちになりすぎたジブリ作品がジブリらしさを取り戻したといっていい。名作とはいえないかもしれないけれど、いつ見ても楽しむことができる作品だ。

【予告編】

借りぐらしのアリエッティ 予告 (30秒 ver.)


【あらすじ】

アリエッティはとある郊外の古い屋敷に住んでる小人の女の子。小人の一族は、自分たちの暮らしに必要なモノを必要なだけ人間の世界から借りて生活する、借りぐらしの種族だ。アリエッティが初めて借りに出たその夜、借りの最中に病気の静養でこの屋敷にやってきた少年・翔に姿を見られてしまう。人間に姿を見られたからには、引っ越さないといけない。掟と好奇心の間でアリエッティの心は大きく揺れるのだった…。(「goo 映画」より)


【レビュー】

ビジネスの世界では、お客さんを満足させ続けるために新しい機能やサービスを開発しつづけた結果、お客さんの求めていること以上に技術(≒コンセプト)が先走りすぎて、お客さんがついてこなくなることがある。それを「イノベーションのジレンマ」だったり「キャズム」という言い方をするのだけれど、最近のジブリ作品にはそうした危険性があったと思う。

そもそも宮崎駿氏自身、社会問題に対して意識が高い作家であることは間違いないのだろうが、初期の作品はそうした問題意識がいい意味で「物語」の中に回収されており、作品そのものに深みを与えていた。「未来少年コナン」や「ナウシカ」の生きる世界は既に文明による環境破壊以降の世界であったし、そこに描かれる良心はまさに僕らが失いつつあるものだった。

そうした物語性と思想性がもっとも高い水準で一つになったのが「もののけ姫」だった。それは「環境問題」や「文明批判」といった水準を超えて「進歩史観」や「ヒューマニズム」が抱える矛盾や「生きる」ことがもつ残酷さといったものを引き受けつつ、それでも「共に生きる」姿を目指すというメッセージを、アシタカともののけ姫、エボシとの戦い/交流のなかに描いた傑作だった。子どもたちにとっては、誰が正義かもわからない複雑すぎるところはあったかもしれないが、作品の深みという点では「ナウシカ」以上だ。

「もののけ姫」で宮崎駿氏は1つの頂点を迎えたかもしれないが、ジブリ映画に見せられた人々はそれで済ませてはくれない。ジブリの作品は(宮崎駿の作品は)より多くの人々の期待を背負うこととなり、それは観客動員数の記録や作品としての満足度、映像品質の高さ、さらには「より深み」のある物語が求められていたように思う。いくら作品としては面白かったとはいえ宮崎駿が「時をかける少女」を創っても許してはくれないのだ。

その結果、「もののけ姫」以降、「千と千尋の神隠し」や「ハウルの動く城」、「崖の上のポニョ」は決してメッセージ性が高い物語というわけではないのだけれど、変に社会性を意識させるようなところあった。観ている側からするとその作品の中で描かれている「社会風刺」や「現代批判」といったものを「読み解かねばならなく」なり、それが本筋と関わるものであれば問題はないが、それ以上にそうした「意識」が先立つようになった。「ハウル」に描かれた「戦争」などどれほどあの物語に「深み」を与えただろう?

そう考えると、ジブリ作品がより「高み」を目指すために取り組んできたことと、一般の人々が期待しているジブリの作品像はいつ乖離してもおかしくなかったのだろう。

今回、この「借りぐらしのアリエッティ」はそういった意味でシンプルに物語を楽しむことができる、「みんなが楽しめる」ジブリ作品だ。あえて「米林監督」を選んだところなど、鈴木プロデューサーなりの「保険」といった意味もあったのだろう。失敗しても宮崎駿ではない、と――。

もちろんこの作品も社会問題とリンクさせて考えることも可能だ。

「借りぐらしの小人」を「低所得者層」や「社会的弱者」になぞらえれば、67億にも膨れ上がった「人間」という「勝ち組」の論理で「絶滅種」≒負けたのは社会に適応できなかった結果だから仕方がない、として扱われることは許されることではないだろう。彼らは彼らなりに必死に生きているのであり、自分たちが権勢を握っているからといって彼らの努力や生き方を否定すべきではない。そうではなく、栄えているものが、弱者たちも共に生きていけるようにその富を還元させるべきではないか、翔がアリエッティに「砂糖」を渡したように。それは「施し」ではなく、共に生きるための「いたわり」でなければならない、と…

米林監督の中にはこうした「共生へのメッセージ」はある程度意識されていただろう。しかし何よりもこうしたメッセージは物語の中に回収されており、ごく自然に、物語を通じて僕らの心に届くことになる。僕らは物語を通じて、アリエッティの姿や翔との交流を通じて、そうしたメッセージを理解していくのであり、単純に物語を楽しめばいいだけなのだ。

【評価】

綜合:★★★☆☆
小人の世界とセシル・コルベルの音楽がうまくマッチしていた:★★★★☆
「ジブリ」ブランドを維持するってのは大変なんだなぁ:★★★★☆

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Arrietty's Song / Cecile Corbel ( セシル・コルベル )


【アリエッティ原作】床下の小人たち―小人の冒険シリーズ〈1〉/メアリー・ノートン (岩波少年文庫)


Kari-gurashi~借りぐらし~(借りぐらしのアリエッティ・イメージ歌集アルバム)


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