ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

ダークナイト:バットマンとジョーカーの倒錯した関係が生む恐怖

2009年04月04日 | 映画♪
「正義」が存在しない時代、いや違う、まだ牧歌的だった頃のように「正義」が純粋に「正義」として存在しえない時代に「正義」という灯火を掲げるということは、こんなにも苦悩と悲哀や偽りを背負わねばならないのか。「正義」の使者であるバットマン が存在するための悲劇を現代劇のように描いた一作。



【ストーリー】
ゴッサム・シティーに現れた最悪の犯罪者ジョーカー彼は、マフィアたちに成り代わってバットマンを追い込む“ゲーム”を開始。それは「バットマンが正体を明かさなければ、毎日市民を殺す」という卑劣なルールで、戦いの中ゴードン警部補も凶弾に倒れてしまう。ブルースは遂にバットマンの正体を明かすことを決意。記者会見に登場しようとするが、それを制したのは新任検事で“光の騎士”と慕われるデントの意外な行動だった……(「goo 映画」より)

【レビュー】

まずダークな世界観が凄い。普通のヒーローものやSFのように「虚構」を前提に楽しむというのではなく、妙にリアルな、ある種のハードボイルドかクライムサスペンスのような渇いたリアルさがそこにはある。

そうした状況もあって、ジョーカーを演じたヒース・レジャーの演技も凄いのだけれど、何よりも本作の主人公であるバットマン自らがその「正当性」というか正義さを否定して考えている。自分はダークナイト(闇の騎士)であり、ゴッサム・シティの希望ではないのだと。

その辺りのバットマンの人間的弱さをジョーカーはうまく突いてくる。ある時は名乗りでなければ(無差別)殺人を繰り返すといい、バットマンの正体を知っている人間がそれを公表しようとすると邪魔をするなと言う。ジョーカーにとってはバットマンの正体を知りたいのではなく、いたぶりたいのだ。

ジョーカーはバットマンに自分と似ていると言う。正体不明の何者かになった上で、暴力を背景に「恐怖」を与えて悦んでいるのだと。

整理してみよう。マフィアを背景にしているとはいえ無数の匿名の悪人たちが街の住人を恐怖に陥れている。これは

匿名性のある悪人=「S」
住民=「M」

であり、S→M の関係が成り立っている。これに対してバットマンが行っていることは正体不明のコスプレ野郎(S)が「匿名性のある悪人(M)」を恐怖に陥れているということだ。つまり S→M の関係が成立しているのだ。

これに対してジョーカーが行っていることは、バットマンが(合理的に)理解できない正体不明の男(S)がバットマン(M)に対して恐怖を与えているということだ。しかもそれは単なる物理的暴力ではない。本人ではなく他者が自分のために傷付くという痛みであり、住人たちが自分のことを嫌っていくことへの苦悩であり、隠していた素顔を曝さねばならない=辱しめられることへの恐怖である。いずれもジョーカーによる「精神的な」苦痛なのだ。

この交錯するSM関係。当初、Sだった者がMとなり、同様な状態に見回られる。しかもバットマンが行っていたことが物理的暴力を背景にしているのに対し、ジョーカーはより高度な「精神的な暴力」であり、恥辱や凌辱といった言葉が似合う。ジョーカーはそんな悶え苦しむバットマンの姿を想像しながら楽しんでいたのだろう。

それだけではない。ジョーカーはバットマンを更に精神的に追い込んでいく。レイチェルを助け出そうとして見捨てたはずのハービー・デントを救いだす。逆に助け出そうとしたレイチェルを失うこととなり、助けたはずのデントは希望ではなく失望へと変わる。あらゆる物事が失われ彼は追い込まれていく…

結果的に追い込まれたバットマンは「街の希望」を守るために、自らが「闇」として生きることを選び、人々に偽りの「希望」を与えようとする。それはある意味「覚悟」であり、「ヒロイズム」であり、「ナルシズム」でもあるだろう。

いずれにしろこの結末は現在という時代が「正義」を純粋に「正義」として成立することが困難であり、大衆そのものが倒錯した感性を持っていることを示しているのだろう。



【評価】
総合:★★★★☆
ストーリー:★★★☆☆
ヒース・レジャーの演技が凄い!:★★★★★
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