ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

東日本大震災:福島原発事故とブラックスワン

2011年03月17日 | Weblog

池田信夫さんのブログで、この原発事故の原因やリスクについて書かれている。

池田信夫 blog : 危機は避けられたか - ライブドアブログ

池田さんのブログの中では、「今回の事故の最大の原因は耐震設計よりも津波の想定である。福島第一の周囲には高さ7mの防波堤が建設されているが、今回の津波は14mだった。これは1000年に1度ぐらいの「ブラック・スワン」で、想定しろというのが酷だろう」と述べている。

ここでいう「ブラックスワン」とは、確率論や既存の知識や経験から予測できない不確実性やリスクのこと。

例えば、1万羽の白鳥が白いからといっても、1羽でも「黒い」白鳥が見つかれば「白鳥は白い」という前提は崩れてしまう。同様に、我々が既存の知識や方法論でどんなにリスクヘッジを行っていても、その知識や方法論が前提としてしまっているものの外部に存在するリスクによって全ての前提は崩され落ちてしまう。この「真のリスク」や不確実性のことを「ブラックスワン」という。

そのとおり。これは「ブラックスワン」なのだ。

しかし「いろいろ予防措置や対策を講じたけれど、これは『ブラックスワン』だから仕方がなかった」とはならない。

今回の経験を活かし、津波対策・地震対策を強化し、電力の確保を複線化や太陽光など自律的電源確保を可能とし、手動による原子炉の冷却対策を講じます…といった、合理的判断による「リスク対策」では、結局こうした「ブラックスワン」を消し去ることはできない。否、ブラックスワンとは決して消し去れないものなのだ。

では、根本的に行うべきものは何だろうか。

結局のところ、一度、暴走したときに人間の英知ではコントロールできないものには「手をださない」という選択も考慮しなければならないのだろう。

原子力によって得られるエネルギーは確かに石油のような化石燃料によって得られるエネルギーよりも効率がよく莫大だ。今の日本の経済活動や現在のライフスタイルは、こうした原子力エネルギーに支えられているのも事実だろう。

しかしより安価に、効率よく、大量の電力が求められるからといって、自分たちでコントロール不可となるリスクを過小評価したり、全てをコントロールできると思い込んでいいわけではない。我々は「神」ではないのだ。

これまでの「合理主義」や「効率性」を中心とした「発展」を前提とした社会から、もしかすると、転換期を迎えているのかもしれない。


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ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質 / ナシーム・ニコラス・タレブ



ブラック・スワン[下]―不確実性とリスクの本質 / ナシーム・ニコラス・タレブ




















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