ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

マオリ族とモリオリ族、あるいは中国と日本を考える上で

2012年09月24日 | Weblog
今、読んでいる本(「銃・病原菌・鉄」/ジャレド ダイアモンド)に「マオリ族」と「モリオリ族」の話が載っていた。

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎 / ジャレド・ダイアモンド


マオリ族とモリオリ族はともにポリネシア人をルーツにもつ部族。マオリ族はニュージーランドを先住地とする部族でニュージーランドは温暖な気候でポリネシア式農作物を育てる農耕民族。彼らは農具をはじめとした道具や武器、祭事の道具を発達させ、また族長や物づくりを専門とする職人、兵士を育て上げるなど分業化した社会を作り出し、近隣部族間での衝突を起こしたりもした。

これに対しモリオリ族はチャタム諸島に移住してきたポリネシア人がルーツではあるけれど、チャタム諸島自体が寒冷地であるため農業に不向きで、狩猟が中心。狩猟民というと一見、残虐にも思えるかもしれないが、実際にはそうではない。必要な食料を皆で協力し合って捕獲し、分け与える。農耕民族が食料を保存・蓄積することで人口を増やし、分業制・ヒエラルキーといった社会組織を作り出したのに対し、狩猟民族はそうした組織化がなされなかった分、平等で公平な社会を作り出していた。彼らは揉め事は穏やかな方法で解決するような部族であった。

1835年、そんなモリオリ族が住むチャタム島へ、銃や斧で武装したマオリ族が突然現れる。人数では勝っていたモリオリ族であるが、彼らは彼らの習慣に乗っ取り、話し合いを行い、抵抗しないことを決め、友好関係と資源の分かち合いを基本とする和平案をマオリ族に申し出ることにした。

しかしモリオリ族がそうした申し出を伝える前に、マオリ族は集落を襲撃し、数日間で数百人を虐殺、食人を行い、また生存者を奴隷とした。マオリ族はマオリ族の習慣に従い、島を征服し、逃げるものを殺したのだ。

このことは今の日本を取り巻く状況を考えたときに、いくつかの示唆を与えてくれる。

1つは閉じた社会では通用するルールが外部の社会では全く通用しない場合があるということであり、もう1つは「平和主義」とは理想ではあっても現実ではないということだ。

日本では戦後教育の一環として憲法前文及び第9条に基づく「平和主義」が教えられてきた。

「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」

事実、この9条を肯定する左派陣営の中には、ガンジーの「非暴力・不服従」よろしく、憲法9条を守れば外国から攻撃されないと訴える政治家も少なからずいた。

東西冷戦により国際政治の勢力図が二分されていた時代や日本の経済力が他を圧倒していた時代であれば、そうした理想論もそれなりに現実味をもっていたのかもしれない。しかし状況は変わってしまった。東西冷戦は過去のものとなり、日本企業が低迷する中、中国はGDPで世界2位に躍進、サムソンなど韓国企業が日本メーカーに取って代わって世界の中心となった。対外的な日本の影響力は低下しつつある。

そんな中で日本の国政では民主党が政権をとり、経験不足が露呈することとなる。その結果、「竹島」と「尖閣諸島」という隣国との「領土問題」が持ち上がり、特に中国に関しては、経済成長の勢いや深刻な内部矛盾を抱えていること、反日教育の結果などもあって、「中華思想」「覇権主義」的な風潮が高まってきている。

モリオイ族は自分たちのルールに従って「友好的」に問題を解決しようと考えた。その内容は無用な殺生なしでもマオイ族にとってメリットのあるものだった。しかしルールの違うもの同士では必ずしもそうした「合理的」な判断がなされるわけではない。「ゲーム理論」のように何が最終的な利益の最大化に繋がるかを考えるわけではない。相手のことなど考えず、自分たちのルール・思考パターンに従ってただ行動するのだ。

中国や韓国が日本と同じルールに基づいて考えている/行動しているとは限らない。よかれと思ったことが相手の逆鱗に触れる、話し合いのつもりがいきなり殴られる、そんなことだってありうるのだ。僕ら自身、相手を見ずに自分たちのルール・モノの見方に固執していないかを注意しなければならない。

日本が平和主義の理想を唱えたところで、それが通じない相手ではどうしようもない。「平和主義」という理想を唱えながらも、通じない相手に対してどのように対処するか、世界をどのように巻き込むかということを考えねばならい。現実の国際政治は血なまぐさい世界だろう、ただの理想論に固執するのではなく、それを実現するためにリアリスティックに対応することが必要だ。

特に今後、中国は盲目的に反日教育を教えられた世代が台頭してくる。これまでの中国ともまた違うルール・思考パターンで行動してくるこの世代に対して、最悪のケースも想定しながら対処しなければならないのだろう。日本において右派系が勢力を伸ばしているのは、こうした潜在的な不安を皆が感じ取っているからなのかもしれない。




銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎


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