
◎2015年1月25日(日)
300円駐車場(7:33)……日和田山(7:58)……物見山(8:38)……北向地蔵(9:02)……スカリ山(9:30)……ユガテ(10:08)……福徳寺(10:54)……東吾野駅(11:07 11:18発)──高麗駅(11:27)……駐車場(11:44)
「日和田山」を知ったのは昨年のハイトスさん記事である。奥方のリハビリ山行で歩かれている。何でこんな山をハイトスさんが知っているのか不思議だった。調べると、この山、「関東百名山」。なるほどといったところだが、疲れずに山歩きをしたい折にでも行ってみようかなと思っていた。関越道を使って1時間半ほどで行けるエリアだ。
昨日は出勤だった。今日の日和は穏やかそうだが、わざわざ疲れを残してまでの山歩きをするつもりはないし、雪をこぐ歩きとなると最早、論外だ。ということで、あっさりと日和田山に行くことにした。
当初の机上の計画では、日和田山の先、物見山から北向地蔵経由で武蔵横手駅に下る。そのまま多峯主山、天覧山を回って高麗駅に出るというものであった。日和田山だけなら、地元の金山よりもあっ気なさ過ぎだろう。
(とりあえず駐車場から上がると公園になっている)

日和田山の真下に300円駐車場があるという情報は知っていた。予定コースの下山後のことを考慮して、飯能市民会館に車を置き、電車で高麗駅に行くことも想定したが、そんなややこしい歩き方をする必要もないだろう。件の駐車場は、仕切りは狭いが30台以上は入れるようだ。すでに7台くらいあった。カップウドンを食べて出発する。
ここも、空身の毎日歩きの方が目に付く。駐車場のすぐ上が公園のようになっていて、道があちこちにある。どこから上がって行けばいいのか迷ったが、標識を見つけ、これにしたがって上に行く。整地された幅広のハイキング道が続き、「日高市ふるさとの森」の看板が置かれていた。
(この先で男坂、女坂に分かれる)

(根が暴れている。上の岩場からの雨水の流れでこうなったのだろう)

(岩場の登り)

ちょっと行くと、鳥居。先で男坂と女坂に分岐する。別に意識したわけではないが男坂を選んだ。無意識のうちに、この程度の山なら、男坂とてたいしたことはないだろうというなめた思いもある。
先に水場があり、右手に小さな神社があった。中には石のようなものがある。これがご神体だろうか。続いて岩場に上がるルートが見えてきた。これが男坂だろう。規模の大きな岩場だが、よく歩かれているせいか、さほどの危険はない。上から2人下って来た。
(展望地に着く)

(富士山。やはりちっこい)

鳥居(二の鳥居というらしい)のある見晴らし場に着いた。後ろにはトタン張りの華奢な神社(金刀比羅神社だそうだ)。富士山が見えた。ここから見えるのは知っていたので、これを楽しみにもしていた。青空バックのすっきり富士だ。埼玉から見る富士山は小さいが、見えるとうれしいものだ。今年に入って、すっきりした富士山を見たのは初めて。高崎線の車窓からちらっと見ただけでいた。昨日の出勤がなかったら、もっと間近に富士山を眺めに行くつもりでもいたのだが、今さらぶつくさ言っても仕方がない。昨日のどんよりした天気では、富士山を拝めたかも怪しいところだ。
(日和田山山頂はそこ)

(日和田山山頂)

(山頂から南東方面)

山頂に間もなく到着。歩き出しから30分もかからなかった。やはり、日和田山だけならこの程度のものだ。さっきの展望スポットにもこの山頂にもハイカーはいない。山頂からの眺めはぱっとしないが、南東側が120度ほど開けている。かすかにビル群が臨める。あれは埼玉新都心の方だろうか。あるいは新宿か。ここからでは富士山方向は見えない。
山頂には大きな石塔があった。享保年間のもの。「宝筺印塔」というらしい。宝筺印塔の何たるかを知らないが、胴体に彫られた文字を読む限り、寺院か神社の相応の身分にいた方の供養塔だろう。高麗神社関係だろうか。
(こんな道がずっと続く)

(高指山)

道標に合わせて次の高指山に向かう。高指山はネット記事で、鉄塔だか電波塔だかが立っていて、山頂には入れないことは知っている。下って、林道レベルのハイキングコースを行くと、本物の舗装林道に出た。取りあえず、チェーンを越えて山頂に近づくと、やはり山頂にはバリケードがなされて入れない。石垣に登って富士山を見ておしまい。ここからの富士山は木がじゃまをしてすっきりしない。
舗装林道に戻り、しばらく歩く。車は通わないというか、あるいは通行禁止なのかもしれない。歩いていて、早々に退屈した。舗装林道は、そのまま集落に入って行く。里山とはいえ、日高あたりの里山は平野部の中にある里山だ。鬱蒼とした樹林の中の歩きを期待すること自体、錯誤している。
(東屋からの富士山。これは少しアップで)

(物見山。木の後ろにはファミリー)

右手に東屋とトイレがあった。東屋に入って、結果的に今日見納めの富士山を眺めた。その先に「ふじみや」なる店があり、シャッターが下りているのでも何屋かは知らないが、道標が置かれ、物見山と北向地蔵はここから右手に入る。舗装道はこの先でようやく途切れた。
右手に神社のようなものがあり、植林の中、少し薄暗くなって、ようやく山中を歩いている気分にはなってきたが、ハイキングコースは依然として幅広の整備道だ。踏み跡のない尾根に登って歩いても、すぐ先で合流する。最早、ここで余計な期待は持つまい。数人のハイカーで出会って物見山に到着。ファミリーが休んでいた。
物見山からの展望はない。落ち着かないので先に行く。
作業小屋の先に無人野菜販売所が置かれていた。品数はニラとジャガイモ、サトイモ程度のもの。脇には軽ワゴンが置かれていたが、窓にシートを被せ、置きっ放しの状態になっている。この八百屋の主の車だろう。
(北向地蔵)

毛呂山町表記の杭を見かける。日高市から離れたようだ。今、北向地蔵に向かっている。標識を見て、切通しの道を通って、また舗装林道に出た。途中、未舗装の旧道(古道?)に迂回したが、すぐに本道と合流し、そこに北向地蔵が置かれていた。上には腰掛けできる場所もあり、ここで休み、この先のルートを検討することにした。何だか、歩いていても、あまり楽しくもないなぁといった感じのままでいる。歩き損の思いにはならなきゃいいが。
この北向地蔵の北とは「野州岩舟地蔵」の方向で、天明の飢饉の際、岩舟地蔵の分身として置かれたようだ。ここに古道が通っていた証拠に、脇の石には「右中野横手 左大谷木(?)毛呂方面小瀬名駒寄」と記され、地蔵の台座には「右白子ヨリ子ノ権現道 左横手ヨリ大山道」とある。往時には、この辺からも大山道が通っていたのだろう。
さて、昭文社マップを広げてこの先の歩きを検討する。多峯主山、天覧山コースはすでに行く気が失せていた。日和田山下の展望地から眺めた多峯主山の下には広大な団地が見えたし、地図を見ると、その後ろにはゴルフ場がある。そこまでの里山満喫は欲しない。天覚山というのがあるが、それとて、これまでの感じの歩きの延長ではないのか。むしろ、この先にあるカタカナ表記のスカリ山、エビガ坂、ユガテが気になった。もう一つ、コワタというのがある。ここには道がないだろう。まぁ、こんなところを経由して東吾野駅に下るのが無難だろうか。
(スカリ山)

(スカリ山から)

(エビガ坂?)

「ユガテ1.5km→」方向に舗装林道を歩く。この辺になると、車の往来もある。少し行くと右に手製の「スカリ山入口→」の標識を見かけた。尾根伝いに道が続いている。入る。
前を重そうなザックを背負ったジイサンがダブルでストックを突きながら歩いていた。追い越すと小ピーク。ここがスカリ山かと思ったが、先がまだありそうだ。やはり、スカリ山はこの先のピークだった。山名板と三角点があった。武甲山がよく見える。
木に巻いた赤テープに「エビガ坂→」とあった。そちらの細い道を下った。下りきると、ちょっとした交差点になっていたが、標識の中にエビガ坂はない。ということは、今、下った道がエビガ坂だったのだろうか。だとすれば、名称を付けるほどの坂でもなかったような気がするが…。
林道に出て、次はユガテを目指す。ユガテが何なのか知らずに向かっているが、これはただの地名だろうか、あるいは山名? 林道がカーブして、ユガテに向かう分岐道がある。この先は私有地になっているようで、ハイカーはいいようだが、関係者以外の車は進入禁止になっている。
(ここが「ユガテ」らしい)

(ユガテの休憩スポット)

民家らしきものが見え、道は3分になった。左は民家に向かい、正面にはロープ。となると、右に行くしかない。この辺になると、標識に顔振峠が出てくる。また道が2分。ここは左。右はユガテを経由しない巻きだろう。「ユガテの森」の看板があった。やはり、ユガテは地名だったようだ。標識がやたらとある。ハイキングコースも入り乱れているようで、さっきまで後ろ方向にあった顔振峠方面は、今度は左方向になった。とりあえず、「ユガテ→」の指す方向に行ってみた。その方向に民家と畑が見えた。
ハイカーが1人休んでいた。このあたりは、自分とは逆方向から歩いて来るハイカーが多いようで、都合10人ほどに出会ったが、同方向に行く方はだれもいなかった。しばらく休んでタバコを吸う。ハイカーがいなくなってからは、自分とネコ1匹のみ残された。このネコは寄って来ず、日向ぼっこに集中している。かまいたかったがやめといた。
ここで自分も昼寝をしたい気分だが、東吾野駅に下るとしよう。電車も30分おきくらいには出ているだろう。「福徳寺経由東吾野駅 古道飛脚道」の手書き標識が目についた。この飛脚道を通らずともに駅には行けるのだが、どんなところか興味もあって、これを選んだ。
営業していない茶店の前を通って、見世物らしい「炭焼き窯」やら「きのこ園」を通過。どうも古道っぽくはないが、この先、すれ違いはできないようなところも出てくる。久しぶりに山歩きの景色に出会ったような気がする。アップダウンが結構続く。何人か散発的に歩いて来る。単独歩きが多いようだが、年齢層は他の山に比べて高いようだ。
(橋本山)

(雨乞塚。これだけ)

橋本山というのがあった。尾根筋に登ってみると、切り開かれたピーク。西側の展望がいい。武甲山からの延長の稜線が間近に見えている。この橋本山の先を下ると、標識があり、ここもまた下った道が男坂、巻きが女坂となっている。標識は、反対側歩きの方々向けに設置されているようで、下ってからわかる案配だ。
続いて「虎秀村雨乞塚」。期待して上がってみたが、何もなく、雨乞塚の看板だけがあり、解説板もない。
(福徳寺)

半端な気分で下って行くと、あっ気なく福徳寺に着いた。案内板を読むと、この寺の阿弥陀堂は国指定重要文化財になっている。阿弥陀堂は外からでは見られないし、収めた本殿も柵で中には入れないようになっている。
(駅伝大会をやっていた)

(東吾野駅。駅ホームから)

(高麗駅)

もう完全な里歩きになった。少し行くと国道に出た。何やら人だかりが見え、歓声が聞こえる。「奥むさし駅伝競走大会」だった。駅前が中継所になっている。
後で調べると、この駅伝大会、参加チームはなんと220チーム。これでは、タスキを間違って他のチームに渡したりのトラブルもかなりあったのではないのか。まして、男女混戦でやっていた。
走り終わった選手やらスタッフが東吾野駅に向かっている。飯能行の電車は11時15分。この区間は単線のようだ。待ち合わせの特急が遅れたのか3分遅れで到着した。
(日和田山)

(駐車場。ざっと40台ほどあった)

高麗駅からは車道歩きで駐車場に向かう。横道に逸れたくなるようなところはなかった。15分ほどで駐車場に到着。駐車場はすべて埋まっている。それでも、これから歩くハイカーもいて、待ち状態になっている。この山ならさして珍しくもない光景だろう。
まだ午前中だが、用事もないのでさっさと帰ることにする。山道を少しばかり歩いたが、山歩きをしたという感じがしなかった。本日の率直な感想である。暮れに加波山を歩いて以来、どうも不作が続いているようだ。ただ、今日は天気が良いだけでも救われた。雨か雪だったら、ほぼ確実に泣きが入ったろう。
(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
300円駐車場(7:33)……日和田山(7:58)……物見山(8:38)……北向地蔵(9:02)……スカリ山(9:30)……ユガテ(10:08)……福徳寺(10:54)……東吾野駅(11:07 11:18発)──高麗駅(11:27)……駐車場(11:44)
「日和田山」を知ったのは昨年のハイトスさん記事である。奥方のリハビリ山行で歩かれている。何でこんな山をハイトスさんが知っているのか不思議だった。調べると、この山、「関東百名山」。なるほどといったところだが、疲れずに山歩きをしたい折にでも行ってみようかなと思っていた。関越道を使って1時間半ほどで行けるエリアだ。
昨日は出勤だった。今日の日和は穏やかそうだが、わざわざ疲れを残してまでの山歩きをするつもりはないし、雪をこぐ歩きとなると最早、論外だ。ということで、あっさりと日和田山に行くことにした。
当初の机上の計画では、日和田山の先、物見山から北向地蔵経由で武蔵横手駅に下る。そのまま多峯主山、天覧山を回って高麗駅に出るというものであった。日和田山だけなら、地元の金山よりもあっ気なさ過ぎだろう。
(とりあえず駐車場から上がると公園になっている)

日和田山の真下に300円駐車場があるという情報は知っていた。予定コースの下山後のことを考慮して、飯能市民会館に車を置き、電車で高麗駅に行くことも想定したが、そんなややこしい歩き方をする必要もないだろう。件の駐車場は、仕切りは狭いが30台以上は入れるようだ。すでに7台くらいあった。カップウドンを食べて出発する。
ここも、空身の毎日歩きの方が目に付く。駐車場のすぐ上が公園のようになっていて、道があちこちにある。どこから上がって行けばいいのか迷ったが、標識を見つけ、これにしたがって上に行く。整地された幅広のハイキング道が続き、「日高市ふるさとの森」の看板が置かれていた。
(この先で男坂、女坂に分かれる)

(根が暴れている。上の岩場からの雨水の流れでこうなったのだろう)

(岩場の登り)

ちょっと行くと、鳥居。先で男坂と女坂に分岐する。別に意識したわけではないが男坂を選んだ。無意識のうちに、この程度の山なら、男坂とてたいしたことはないだろうというなめた思いもある。
先に水場があり、右手に小さな神社があった。中には石のようなものがある。これがご神体だろうか。続いて岩場に上がるルートが見えてきた。これが男坂だろう。規模の大きな岩場だが、よく歩かれているせいか、さほどの危険はない。上から2人下って来た。
(展望地に着く)

(富士山。やはりちっこい)

鳥居(二の鳥居というらしい)のある見晴らし場に着いた。後ろにはトタン張りの華奢な神社(金刀比羅神社だそうだ)。富士山が見えた。ここから見えるのは知っていたので、これを楽しみにもしていた。青空バックのすっきり富士だ。埼玉から見る富士山は小さいが、見えるとうれしいものだ。今年に入って、すっきりした富士山を見たのは初めて。高崎線の車窓からちらっと見ただけでいた。昨日の出勤がなかったら、もっと間近に富士山を眺めに行くつもりでもいたのだが、今さらぶつくさ言っても仕方がない。昨日のどんよりした天気では、富士山を拝めたかも怪しいところだ。
(日和田山山頂はそこ)

(日和田山山頂)

(山頂から南東方面)

山頂に間もなく到着。歩き出しから30分もかからなかった。やはり、日和田山だけならこの程度のものだ。さっきの展望スポットにもこの山頂にもハイカーはいない。山頂からの眺めはぱっとしないが、南東側が120度ほど開けている。かすかにビル群が臨める。あれは埼玉新都心の方だろうか。あるいは新宿か。ここからでは富士山方向は見えない。
山頂には大きな石塔があった。享保年間のもの。「宝筺印塔」というらしい。宝筺印塔の何たるかを知らないが、胴体に彫られた文字を読む限り、寺院か神社の相応の身分にいた方の供養塔だろう。高麗神社関係だろうか。
(こんな道がずっと続く)

(高指山)

道標に合わせて次の高指山に向かう。高指山はネット記事で、鉄塔だか電波塔だかが立っていて、山頂には入れないことは知っている。下って、林道レベルのハイキングコースを行くと、本物の舗装林道に出た。取りあえず、チェーンを越えて山頂に近づくと、やはり山頂にはバリケードがなされて入れない。石垣に登って富士山を見ておしまい。ここからの富士山は木がじゃまをしてすっきりしない。
舗装林道に戻り、しばらく歩く。車は通わないというか、あるいは通行禁止なのかもしれない。歩いていて、早々に退屈した。舗装林道は、そのまま集落に入って行く。里山とはいえ、日高あたりの里山は平野部の中にある里山だ。鬱蒼とした樹林の中の歩きを期待すること自体、錯誤している。
(東屋からの富士山。これは少しアップで)

(物見山。木の後ろにはファミリー)

右手に東屋とトイレがあった。東屋に入って、結果的に今日見納めの富士山を眺めた。その先に「ふじみや」なる店があり、シャッターが下りているのでも何屋かは知らないが、道標が置かれ、物見山と北向地蔵はここから右手に入る。舗装道はこの先でようやく途切れた。
右手に神社のようなものがあり、植林の中、少し薄暗くなって、ようやく山中を歩いている気分にはなってきたが、ハイキングコースは依然として幅広の整備道だ。踏み跡のない尾根に登って歩いても、すぐ先で合流する。最早、ここで余計な期待は持つまい。数人のハイカーで出会って物見山に到着。ファミリーが休んでいた。
物見山からの展望はない。落ち着かないので先に行く。
作業小屋の先に無人野菜販売所が置かれていた。品数はニラとジャガイモ、サトイモ程度のもの。脇には軽ワゴンが置かれていたが、窓にシートを被せ、置きっ放しの状態になっている。この八百屋の主の車だろう。
(北向地蔵)

毛呂山町表記の杭を見かける。日高市から離れたようだ。今、北向地蔵に向かっている。標識を見て、切通しの道を通って、また舗装林道に出た。途中、未舗装の旧道(古道?)に迂回したが、すぐに本道と合流し、そこに北向地蔵が置かれていた。上には腰掛けできる場所もあり、ここで休み、この先のルートを検討することにした。何だか、歩いていても、あまり楽しくもないなぁといった感じのままでいる。歩き損の思いにはならなきゃいいが。
この北向地蔵の北とは「野州岩舟地蔵」の方向で、天明の飢饉の際、岩舟地蔵の分身として置かれたようだ。ここに古道が通っていた証拠に、脇の石には「右中野横手 左大谷木(?)毛呂方面小瀬名駒寄」と記され、地蔵の台座には「右白子ヨリ子ノ権現道 左横手ヨリ大山道」とある。往時には、この辺からも大山道が通っていたのだろう。
さて、昭文社マップを広げてこの先の歩きを検討する。多峯主山、天覧山コースはすでに行く気が失せていた。日和田山下の展望地から眺めた多峯主山の下には広大な団地が見えたし、地図を見ると、その後ろにはゴルフ場がある。そこまでの里山満喫は欲しない。天覚山というのがあるが、それとて、これまでの感じの歩きの延長ではないのか。むしろ、この先にあるカタカナ表記のスカリ山、エビガ坂、ユガテが気になった。もう一つ、コワタというのがある。ここには道がないだろう。まぁ、こんなところを経由して東吾野駅に下るのが無難だろうか。
(スカリ山)

(スカリ山から)

(エビガ坂?)

「ユガテ1.5km→」方向に舗装林道を歩く。この辺になると、車の往来もある。少し行くと右に手製の「スカリ山入口→」の標識を見かけた。尾根伝いに道が続いている。入る。
前を重そうなザックを背負ったジイサンがダブルでストックを突きながら歩いていた。追い越すと小ピーク。ここがスカリ山かと思ったが、先がまだありそうだ。やはり、スカリ山はこの先のピークだった。山名板と三角点があった。武甲山がよく見える。
木に巻いた赤テープに「エビガ坂→」とあった。そちらの細い道を下った。下りきると、ちょっとした交差点になっていたが、標識の中にエビガ坂はない。ということは、今、下った道がエビガ坂だったのだろうか。だとすれば、名称を付けるほどの坂でもなかったような気がするが…。
林道に出て、次はユガテを目指す。ユガテが何なのか知らずに向かっているが、これはただの地名だろうか、あるいは山名? 林道がカーブして、ユガテに向かう分岐道がある。この先は私有地になっているようで、ハイカーはいいようだが、関係者以外の車は進入禁止になっている。
(ここが「ユガテ」らしい)

(ユガテの休憩スポット)

民家らしきものが見え、道は3分になった。左は民家に向かい、正面にはロープ。となると、右に行くしかない。この辺になると、標識に顔振峠が出てくる。また道が2分。ここは左。右はユガテを経由しない巻きだろう。「ユガテの森」の看板があった。やはり、ユガテは地名だったようだ。標識がやたらとある。ハイキングコースも入り乱れているようで、さっきまで後ろ方向にあった顔振峠方面は、今度は左方向になった。とりあえず、「ユガテ→」の指す方向に行ってみた。その方向に民家と畑が見えた。
ハイカーが1人休んでいた。このあたりは、自分とは逆方向から歩いて来るハイカーが多いようで、都合10人ほどに出会ったが、同方向に行く方はだれもいなかった。しばらく休んでタバコを吸う。ハイカーがいなくなってからは、自分とネコ1匹のみ残された。このネコは寄って来ず、日向ぼっこに集中している。かまいたかったがやめといた。
ここで自分も昼寝をしたい気分だが、東吾野駅に下るとしよう。電車も30分おきくらいには出ているだろう。「福徳寺経由東吾野駅 古道飛脚道」の手書き標識が目についた。この飛脚道を通らずともに駅には行けるのだが、どんなところか興味もあって、これを選んだ。
営業していない茶店の前を通って、見世物らしい「炭焼き窯」やら「きのこ園」を通過。どうも古道っぽくはないが、この先、すれ違いはできないようなところも出てくる。久しぶりに山歩きの景色に出会ったような気がする。アップダウンが結構続く。何人か散発的に歩いて来る。単独歩きが多いようだが、年齢層は他の山に比べて高いようだ。
(橋本山)

(雨乞塚。これだけ)

橋本山というのがあった。尾根筋に登ってみると、切り開かれたピーク。西側の展望がいい。武甲山からの延長の稜線が間近に見えている。この橋本山の先を下ると、標識があり、ここもまた下った道が男坂、巻きが女坂となっている。標識は、反対側歩きの方々向けに設置されているようで、下ってからわかる案配だ。
続いて「虎秀村雨乞塚」。期待して上がってみたが、何もなく、雨乞塚の看板だけがあり、解説板もない。
(福徳寺)

半端な気分で下って行くと、あっ気なく福徳寺に着いた。案内板を読むと、この寺の阿弥陀堂は国指定重要文化財になっている。阿弥陀堂は外からでは見られないし、収めた本殿も柵で中には入れないようになっている。
(駅伝大会をやっていた)

(東吾野駅。駅ホームから)

(高麗駅)

もう完全な里歩きになった。少し行くと国道に出た。何やら人だかりが見え、歓声が聞こえる。「奥むさし駅伝競走大会」だった。駅前が中継所になっている。
後で調べると、この駅伝大会、参加チームはなんと220チーム。これでは、タスキを間違って他のチームに渡したりのトラブルもかなりあったのではないのか。まして、男女混戦でやっていた。
走り終わった選手やらスタッフが東吾野駅に向かっている。飯能行の電車は11時15分。この区間は単線のようだ。待ち合わせの特急が遅れたのか3分遅れで到着した。
(日和田山)

(駐車場。ざっと40台ほどあった)

高麗駅からは車道歩きで駐車場に向かう。横道に逸れたくなるようなところはなかった。15分ほどで駐車場に到着。駐車場はすべて埋まっている。それでも、これから歩くハイカーもいて、待ち状態になっている。この山ならさして珍しくもない光景だろう。
まだ午前中だが、用事もないのでさっさと帰ることにする。山道を少しばかり歩いたが、山歩きをしたという感じがしなかった。本日の率直な感想である。暮れに加波山を歩いて以来、どうも不作が続いているようだ。ただ、今日は天気が良いだけでも救われた。雨か雪だったら、ほぼ確実に泣きが入ったろう。
(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
日和田山とは少々ビックリです。
それにしても人が少なそうですね。
我々が訪れたときは大賑わいでしたが。
時間帯が早すぎたのでしょうね。
やはりユガテ経由のコース採りになりますよね。
それでも物足りなかったことでしょう。
ゆるおやじさんからユガテは春がお勧めと云われております。
お花畑が楽しめるのかもしれません。
今回はハイトスさんの後追いですよ。ちょっと距離は延ばしましたけどね。
この山の混雑というのはどの程度のものなのかは想像できかねますが、私が帰り着いた12時頃は、駐車場も満杯で、山頂もかなり賑わっていたのかもしれません。ただ、その時間帯に富士山が見えたかどうか。
ユガテの春は花いっぱいですか。
花見に趣味があればいいでしょうね。
ユガテには家が何軒かありましたが、その庭先に入り込んだ気がいたしましたよ。
関東100名山というのもあるんですね。
それは知らなかったです(^^;)
高速道を使って1時間ちょっととは言え私はこの手の里山には行かないだろうな~と思ってます。
歩いてみないと・・とは思いますが、いつもの山で十分満足してしまいますね。
そんなんだから歩く山が決まってしまって少ないのでしょうね。
いろんな山々を歩いているたそがれさん、流石です。
山に貧富の差、甲乙の差、貴賤は無しと思っていても、歩いて楽しさがなければ、やはり落胆はするものです。
実際のところ、自分にはあまり似合わない山だと、実際に歩いて確かめて来たようなものです。
関東百名山を名乗る以上は、それなりの魅力ある山じゃないかと思っておったのですが。
こういうことって、新たな山を歩いている限りはずっと続くでしょう。
「いつもの山」に手と足と品を変えて登る、四季折々に歩く。いいじゃないですか。
自分もそんな山を持ちたいものですが、この時期、そちら方面は雪もあって危ないな~ではしょうがないですよね。そういう山は「いつもの山」の部類にはならないし…。
奥武蔵遠征ですね。
日和田山、ユガテとも西武鉄道オススメのハイキングコースです。もう少し遅い時間帯だと、日和田山もハイカーさんで大賑わいでしたね。
早朝で正解ですね。
さほど雪もなく、それほど疲れないで済む、個人的には好きなエリアです。近場なのが一番の理由かもしれませんが^^;
以前ユガテから飛脚道を歩いた際、橋本山を巻いてしまい、少し悔いが残っております。そんなことを思い出しました。つまらないこだわりですが、いつ果たせるか分からない課題です^_^
この日和田山を歩くに際しては、HIDEJIさんの記事も何回か読ませていただきました。
HIDEJIさんには何年も前のことですが、ネットで拝見する限りはつい最近のお歩きのように思えるのが不思議です。
西武鉄道お薦めのハイキングコースでしたか。ユガテには、私になつきそうにもないタマが一匹だけ残されましたが、その数時間後には、おそらくタマも退散だったのでしょうね。大賑わいではねぇ。
コメントを拝見する限り、私とは逆方向を歩かれたようで、つまりは、巻いた女坂を歩かれたようですね。
果たして、男坂を登って橋本山の登ったとしても、HIDEJIさんの「悔い」が解消されたとは思えないのですが。
こだわりを解消するまでもないような気がいたしますよ。
どうも、今回の反動でしょうか、しばらくは、いわゆる奥武蔵は避けて、秩父のマニアックルート探訪をしたくなりましたよ。
私は、日和田山から秩父鉄道の駅まで3回に分けて歩いてみましたが、ずーっとこんなものでした。まさしくたそがれさんのエリアではないでしょうね。
やはり「ユガテ」は気になりますよね。何とはなしにエキゾチックな響きを感じて引き寄せられます。道端の古い石の標識に「湯ヶ手」の彫り込みを発見した瞬間に、そんな思いも霧散してしまいました。
まぁ,首都圏発関東近県の山として,日和田山は,「山」本なんかでも,それなりに知名度は高いし,古道も通じているのでしょうが,はやり,たそがれオヤジさんのお眼鏡にかかるには,チョッとばかりメジャーすぎたんじゃないですかネ。
ところで「ユガテ」と聞いて,何だか「キリンテ」を思い出してしまいましたヨ。このユガテは,湯勝手,湯ガ天などの説があって,いずれも『湯』が絡む地名みたいですが,桧枝岐のキリンテの由来が,どうにも気になっています(笑)。
この先も、こんなものですか。きっと、どこ歩いても、同じようなところを歩いている感じがするでしょうね。
私も、これを続けても、あまり意味のないような気がいたしましたよ。
やはり、この辺は、都会人がちょっと山歩きの気分を味わうために出かける程度の所なのでしょう。
ユガテは、その昔、お湯が出て涸れたとかで、その「湯ヶ手」の地名が付いたようですね。温泉ではなくお湯なのがおもしろいところです。
まぁ、メガネをかけていなくとも、ちょっとばかりの歩きをしていれば、<?!>の印象の山でしょう。
古道というのも、林道が交差した時点で、名のみのものです。いくら昔日の道標やら地蔵さんが残っていても、やはり、山の中の一本道でないと雰囲気も出ませんよ。
瀑泉さん、ユガテを調べましたね。私は調べる気もおきませんでしたが、ヒマだったので、ちらっと検索しましたけど。
キリンテは、桧枝岐というバックからして、平家落人がらみでしょうかね。やはりあてがう字は「麒麟手」でしょうか。