たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

立て続けに赤城の不動大滝。滝見はあくまでもついでだった。目的の岩穴の石仏はどこにあるのやら…。

2022年05月31日 | 赤城山周辺
◎2022年5月31日掲載

 昨年の9月、上毛新聞で下の記事を見つけた。これはぜひとも見ておきたい。だが、どこにあるのかわからない。上毛よりも先行して掲載されたらしい朝日新聞地方版記事にも場所を特定できるものはなかった。ただ「赤城温泉の東。標高約800m。かつてはハイキングコースだったらしい」等々の漠然とした表記では場所の特定にはほど遠い。ネットで調べられる数少ない情報の中に「不動大滝の滝つぼから下流10mほどのところから右岸を小尾根に登って至る」というネタばらし的な記事を見つけた。これはラッキーと思ったが、後日、失敗の挙句の果てに改めて探すと、この記事はなぜか消えていた。どうもガセネタだったらしい。この時点では、これで場所が特定できたと喜び、このニセ情報に振り回されて探し続けることになる。余談だが、朝日新聞にあった「標高約800m」の記述。前不動駐車場が800m。不動尊を経由して大滝の下まで、若干の凹凸はあるものの、基本は標高800m前後で続いている。ならば、この岩穴もコースと同じ高さになるということになり、沿線で容易に探せそうな気もするが、それでは今さら「見つかった」と記すまでもなくなってしまう。不動大滝見物に行く方は多い。だれかの目に触れてもおかしくはない。おそらく、コースからはかなり離れたところにあるのだろう。
 今さらのことだが、上毛新聞記事の見出しには『滝沢不動尊近く』とあるが、まったくの見当違いで、ただの聞きかじりの記事ではなかろうか。正確には『滝沢不動滝近く』だろう。

(上毛新聞記事)


◎【2021年11月13日(土)・一回目】
 不動大滝には、2015年の9月にハイトスさんと行って以来になる。岩穴のある場所は滝つぼ10m下から登る右岸尾根と分かったし、滝見よりも石仏が目的だから、特別な歩きの工夫もせずに前不動駐車場からの定番コースでの往復にした。

(滝沢不動尊の胎内くぐりらしい)


(不動大滝)


 滝見を兼ねて長靴で来ていたので、大滝不動尊から先は川の中を歩き、時間もたいしてかからずに滝下に着いてしまった。途中の歩きはネット記事に見どころスポットを含めていろいろ出ているから敢えて記さない。滝見には何人か来ていたのに、皆、足を濡らさないように注意して登山靴で歩いている。こちらはそれを横目に長靴で川の中をジャブジャブ歩くのは爽快だった。

(右岸の台地から見下ろす。あの方々に見られていた)


(右岸の小尾根。確かに、写真では簡単に行けそうだ。右端の岩壁の回りこんだところに岩穴があると思い込んでいる)


 確かに、右岸側の正面には横長の小尾根があった。登る高さは15mほどだろうか。岩場ではない。かなり急で、直登はきつい。やや緩そうな左から取り付いた。結果は、もう少しのところで危険を感じてやめた。つかまる潅木なり、足場になりそうな石でもあれば何とか登り着けたろうが、使えそうなものはまったくなかった。まして、滝の飛沫が飛んできていて、水分を多量に含んだ斜面はズルズル。あっさりとあきらめた。この間、滝下には数人の女性グループがいて、登って下ったこちらの姿はしっかり見られていて、あの人何をしているのかしらと不可解な顔をされて恥ずかしい思いだった。

(戻って林道の橋)


(法面工事は今年の12月までとある)


 帰りは、新設の林道(法面工事で通行止め)を通って駐車場に戻った。この林道、7年前の時点であったかどうかは記憶にないが、当時の写真を見ると、橋脚になるらしきコンクリートが建ち、広い道状の掘り返しが東西に通じていた。ここに林道を通すのかなと思ったくらいのことで、その時点では、赤城の名瀑を見て満足し、もう来ることもあるまいと思っていた。これは後悔したことだが、今回、すでに舗装された林道をただぼんやりと歩いていた。もっと林道上の斜面の様子を観察しておけばよかった。岩穴が、まさか林道の上側にあるかもなんて考えも及ばなかった。

(駐車場脇のモミジ)


 駐車場に到着。2時間20分の歩き。時間もあったので鍋割山の紅葉でも見ようかと向かったがすでに紅葉は終焉だった。

◎【5月8日(日)・二回目】
 二回目は半年後になってしまう。これからは氷瀑の季節に入るし、件の小尾根に出るのは自分には無理だろうと、そのうちに半ば忘れかけていたが、春になると気になってきた。素人的な発想ながら、アイゼンを履き、ピッケルを2本持って、地面に突き刺して登るというのはどうだろう。これをやると、下りは懸垂下降か。そのノウハウはすっかり忘れた。
 一回目の時の写真を改めて見る。その時は緩そうに見えた左から回ろうとして失敗したが、急な右側にはじっくり目も向けなかった。写真には、右側に踏み跡のようなものが上に続いていた。おそらく滝脇にそそり立つ岩の陰になって飛沫もさほどではなく、ズルズルも左ほどでもないのではないか。今度は右から上がってみることにする。撮った当人ですら、忘れかけた傾斜を感じてこない平面的な写真を見ていれば、時間も経ち、考えも甘くなってしまうというもの。やはり結果もそうなった。
 前回は長靴だったということもあって、踏ん張りの効きそうな地下タビにした。さすがにピッケルとアイゼンはやめた。いつものように前不動入口に駐車して、滝沢不動尊経由の普通の行き方で出発。ただ、地下タビゆえ、極力、水には浸からないようにした。渡渉は飛び石。

(今回はこちらからと思っていた)


(前回は左を行って失敗した)


(ロープ止め)


 途中経過は省略して滝前に到着。だれもいなかった。帰る二人組と行き会っただけ。滝見物はそこそこに、右岸を5、6mほど上がって、目の前の小尾根を眺めた。さらに上に向かった。右方向。11月には気づかなかったが、古そうな鉄のロープ止めが2本、地面に打ち込まれていた。そこから下の離れたところにロープが放置されていた。このロープもかなり古く、使い物にはならない。これは何を意味するものなのか。この上を見ても、ロープ止めの残骸はなく、おそらく、滝の展望台のようなものがここにあり、ロープはここに登るための補助なのか。狭いながらも平らにはなっている。数年前まではこの辺に祠と不動明王の伽楼羅炎(かるらえん)なるものが置かれていたそうだが、この時点ではそんなことも知らず、宗教儀式めいた形跡は何も目にも入らず、おそらくは撤去されたか土砂にでも流されたのか、残ったロープとロープ止めはその名残りだったのだろうか。

(結局、敗退)


 さて、小尾根を見上げ、さらに上に向かうのはあっさりとやめた。やはり無理。前回撮りの写真とは様相がまったく違う。急斜面を撮った写真が緩斜面に見えることはよくあることで、現実の傾斜が写真のままであるわけがない。前回の左よりも急だ。中央も左も改めて見た。足の動きはほんの数歩で止まった。踏み跡らしきものも見えない。右がダメなら左もダメ。だったら中央はとなると、もっと無理。中央がダメだったから左右に目を向けた。そのうちに、奇特な方がロープを設置してくれることを願うしかない。だが、危険な場所だ。当局が撤去するだろう。すごすごと撤退した。自分には岩穴の石仏は縁がないとあきらめた。ロープだけは持参していたがお荷物だった。
 岩穴がこの小尾根上にあるというのは自分のまったくの勘違いで、おかしなことをしていたようだと気づいたのは、帰ってからのこと。例の滝つぼ下流10m云々のネット記事はすでに消えていた。どうも悪い冗談を真に受けてしまったようだ。15mを10mと読み違えていたとしても、目の前の小尾根は一つだけ。岩穴の場所は川の右岸側ではなく左岸側と知ったのはさらに後のことだが、左岸側を登るのは、眺めただけでも想定しづらい。

(左岸側にこんなのが。正面から中も撮ったが、足場が悪くてピンボケになっていた)


(道が見えたので行ってみると)


(忠治のかくれ岩があった)


(さすがに一人では中に入らない)


(ここから先には行けない。向こう側は林道)


 この二回目の探索だが、石仏はダメだったが、それなりの面白い歩きというか収穫はあった。右岸に腰掛け、タバコを吸いながら何となく左岸側を眺めていたら巣箱のようなものが見えたので渉って行ってみた。巣箱ではなかった。よくは知らないが、祈祷にでも使うのか、金属製の錆びた箱の中には正三角形の石が立てかけてあった。その先、左岸側に踏み跡もなかったので右岸に戻った。右岸側の下りで、左岸側に道のようなものが見えたので、また渉って歩いてみると、忠治の岩屋に至った。この辺はロープが張られて立入禁止になっている。岩屋(洞穴)に下る階段もまた閉鎖だが、いくら何でも、何があるのか、何が出てくるかも知れず、これは一人では恐くて中には入れなかった。後で知ったが、穴の中には忠治と子分の人形が置かれているらしい。この先をこのまま行きたかった。道は滝沢不動尊まで続き、その間に第二の見張岩があるはず。その旧道は崩壊なのか、林道が通ったためか、ロープが張られている。残念ながら、道の続きも確認しないままに右岸の歩道に戻った。

 滝沢不動尊から不動大滝方面に下ったすぐのところに、2015年の時に写真に撮っていたふれあい道の<山里のいで湯のみち>の標識が今はなくなっていることに気づいた。粕川を右岸側に渉って歩くコースらしく、地図には破線路が記されていて、忠治温泉に下っている。そういえば、2015年の時、白装束の修験者が下の河原で護摩を焚き、荒げた声で読経していた。
 車道を駐車場に戻るのも何だったが、今さらつつじが峰通りから銚子の伽藍を歩く時間でもなかったので、ふれあい道を帰路にしてみることにした。

(滝沢不動尊の下で対岸に渉る)


(こんなのがゴミになって置かれていた)


 これでいいのかと思いながら川を渉ると、川岸にはレトロな絵看板が2枚あった。刀をかざした国定忠治を入れた「瀧澤不動尊」。そして「上杉謙信ゆかりの地」。これには不動大滝らしき滝が描かれている。看板の脇から道が続いていた。あまり歩く人もいないような道だ。

(石段を登ると大通龍大神)


(狛犬やら)


(手水鉢?)


(神社の周辺には石碑がかなりあった)


 すぐ先には神社があった。陰鬱で、薄暗い時にでも来たら不気味な空間だ。葉が落ちた時季なら何とも感じないだろう。階段を登ると、鳥居があり、鳥居には「大通龍大神」の扁額が掲げられている。狛犬やら石碑がかなり散在して置かれている。明治の年代が見えるから、さほどに古くはなさそうだ。神社の手前で道は分岐し、標識には分岐方向に「赤城温泉」とある。そちらはロープで閉鎖されている。敢えて近づきもせず、直進して「忠治温泉」方面に下る。このふれあい道は忠治温泉と赤城温泉を結んでいて(これに不動大滝も含んでいるのかは不詳)、現在はふれあい道そのものが崩壊で通行止めになっているようで、出口の忠治温泉にもロープが張られていた。

(ふれあい道は荒れている)


(岩から水が染み出ている)


(ここの泥道トラバースには参った)


 神社を過ぎると、後は何もなかった。破線路はもう一本、粕川沿いにあるようだが、明瞭な分岐は確認できなかった。通行止めとはいっても(この時点ではそのことは知らない)さすがにふれあい道。朽ちかけた標識がいくつかあり、迷うこともなさそうなのでそのまま下る。
 ところどころで崩れたり、落石の道になっていたりしたが、最悪は泥道のトラバース。距離は10mほどだろうか、地下タビがここで泥んこになってしまった。左右ともに急斜面で、迂回しようもない。慎重に歩いた。泥道の上には一人分の新しい足型が残っていた。滝の手前で出会った方々だったら二人分になる。ここまでもそうだったが、右斜面にあるへばりついたような火山性の岩からは水が染み出ていた。不動大滝への一般コースにも見られるが、ここはこういう染み出しの岩が多いようだ。

(使うハイカーもまれな階段)


(ヤマツツジがあちこちに咲いていた)


(忠治温泉側出口)


 ここを過ぎれば、あとはふれあいの凡な道。展望も風景の変化もない。歩く人も稀だろうし、だれにも会うことはなかったからなれあい道にもならない。出口付近では石ゴロになり、地下タビでは歩きづらかった。舗装の車道が見えてフィニッシュ。ロープの入口の脇から車道に出た。

(登り気味の車道歩き)


(駐車場に到着)


(忠治の岩屋の先は×印になっている)


 手頃な石に座って一服。ここから前不動駐車までは車道歩きになる。3キロはあった。車は数台通っただけ。地図を見れば、南下して北上する車道。ショートカットできそうな気配があって、下を覗き込んでは地図と照らし合わせたものの、等高線の間隔が広いわりには急な下りになっていて、結局は無難に車道歩きになった。前不動駐車場までは地味に登りが続き、途中、縁石に座り込んで休憩した。
 駐車場に着き、歩いた時間は3時間未満ながらも11時は過ぎていた。もっと早い時間だったら、つつじが峰通りの歩きをしたかった。おそらくはアカヤシオは終わっても、ミツバ、ヤマツツジは見頃だろう。半端な見物で終わりそうなのでやめにした。

◎【5月22日(日)・三回目】三度目の正直にはならなかった
 以前から知ってはいたが、滝沢不動尊のイラストマップには「胎内くぐり」というのが記されている。この胎内くぐりの位置はマップによって異なり、つつじが峰通りのすぐ西側下だったり、大滝不動尊のすぐの右横だったりしている。後者の方は本殿参門前に設置された丸いゲート状の木を胎内くぐりと呼ぶ方もいるが、この位置はイラスト図とは違って右横ではなく左横になっている。これとは違う胎内くぐりが本殿の裏側にでもあるのだろうか。
 その胎内くぐりが気になったのは、自分が執着している岩穴が胎内くぐりのことではないのかと思うようになったことからだが、これを決定的にしたのが、赤城山に精通された赤城良常氏の『気ままな男の山歩き』の14年前の記事だ。新聞掲載と同じ岩穴(石門)と石仏の写真が載っていた。詳細なルートは記されていない。そこを経由してつつじが峰通りに出ている。ヒントは「忠治の岩屋の下流の小沢を登って、不動尊からの道に合流したところ」。ということは、過去の2回ともにまったく見当外れのところを登ろうとしていたことになる。情けなくなった。
 だが、結果から申せば、今度の三回目、せっかくの貴重な赤城氏情報だったのに、自分の記事読みの甘さのせいで失敗に帰してしまった。イラストマップの胎内くぐりの位置ははなからあてにしておらず、石仏が安置されているからには、不動尊の近くにあるはずだという思い込みがあり、まさか、工事林道の上にあるとは思いも寄らず、林道下ばかりを探していた。そんなことはともかく、最終的に翌年の赤城氏の記事を含めて、その岩穴記事をネットで検索することはできなかった。最新情報は「見つかった」という先の新聞記事だけで、その記事にしても続編はないままだ。
 徒労で終わったというわけではない。例のふれあい道の脇にちょっとした岩峰があり、そこに天狗様が祀られているという情報を知り、見ることができた。取るに足りないことではあるが、手ぶらで帰るよりはましというもの。この天狗様、前回はまったく気づきも知りもしなかった。
 唐突だが、運の悪いことに、15日に左足薬指を家の階段で突き指してしまい、腫れて痛い状態が続いていた。整形外科で診てもらうと、骨折はしていないが、足指の場合、痛みが続くと、後になって骨折だと判明する場合があるとのこと。突き指から一週間。腫れは少しは引いたものの、依然として痛みはある。歩行に支障はないので新たな情報を元に出かけた。ついでのつつじが峰通りの歩きは、この足では無理だろう。

(前置きが長かった。今回は前回と反対からの忠治温泉の駐車場から)


(立入禁止ではないが、ふれあい道の入口はロープバリケードになっている)


(中に入るとふれあい道の標識)


 今回は忠治温泉に車を置いた。前回の車道歩き3キロが登り調子だったので、今回の帰路は前不動駐車場からの下り歩きにした。その方が楽だ。足は長靴。ふれあい道の泥道があったからだが、瀑泉さんご愛用のバードウォッチング用長靴。折りたたみ式だから便利だと買ったのは3年前。その後に足を通していなかった。つまり、初めての使用。ゴムには白い粉が吹き出ていた。やはり長靴の目的が限定だし、薄手でもあり、ハードな使い方はできそうにない。尖った岩に引っかけでもしたらすぐに裂けそうだ。
 忠治温泉の駐車場はトイレ付き。広い駐車場にハイカーらしき姿は見えない。ロープでバリケードされているふれあい道の入口の脇から入り込む。立入禁止の看板はない。
 歩道は石ゴロなので右手の尾根に上がったが、結局は歩道に出てしまう。この先もそんな感じだったため、そのまま歩道歩きになった。

(泥道はズボズボ。向こうから来た。足首を超えた)


(天狗様の岩峰)


(最近来た信者がいるのか、真新しい御幣が置かれている)


(鎖を登る)


(最初の岩峰には何もない)


(先に進む)


(次の岩峰にはこんなのがあった。これって天狗様?)


(かつての石祠の屋根らしい)


(焚火といっては失礼だが、篝火の残骸かと思う。こんな狭い岩峰で焚火して落ち着くわけがない)


 前日は雨だったせいで、件のトラバース泥道はさらにひどくなっていて、田植えの状態だ。やはり長靴で正解だった。さて、天狗様はそろそろだろうかと思っているところで、道から外れた右下に下る踏み跡が目に入った。その上は小ぶりな岩峰になっている。10mはあるまい。どうもイメージとは違うなと思った。天狗様岩をバックにしたヤマレコ記事の写真にはニョキっとした岩峰が二つ並んでいた。理由は後でわかった。その時の写真は晩秋の頃のもので、樹々の葉はすべて落ちていた。今は緑が濃い。奥の岩峰が見えなくとも不思議ではない。
 岩の下には御幣が二つ置かれ、上からは年代を感じさせる鎖が垂れていた。鎖を頼りに登ると、今度は細い鎖に変わって岩の上。そこには何もなく、先にヤセ尾根が続いている。恐々と次の岩峰に向かうと、そこには狭いスペースに真新しい石祠と、二体の石膏で固めたような石像が置かれていた。ここが天狗様岩のようだ。石祠の中には「杉之坊天狗」と記された札があった。他には篝火を焚いた跡、古い石祠の屋根部、小さな鉄の鳥居、そして御幣二つ(単位が「本」や「枚」ではないだろうから「つ」にした)。狭くて周囲は切れ落ちているので落ち着かず、そそくさと下る。ラストは鎖をつかんでいても岩に滑った。やはり、足底の型も浅いので、岩登りには不向きな長靴だった。ついでながら、この長靴の弱点をもう一つ。折りたたみの部分が足首部にあり、上のヒモをしっかり結わえないと、自然に上部が足首にずり下りてくる。
 これで課題の一つは済んだつもりでいたが、帰宅して地図を広げると、忠治温泉のふれあい道の入口の南側に標高点740mがあり、これが御殿山という名のある山のようで、それなりの由緒ある山らしい。ここにあった御殿で醸造した酒粕を川に流したところから粕川という名前がついたとか。そんなことを知っていれば、駐車場に戻ってから登れた。結果としてまた来ないといけなくなってしまったから、その時にまだ覚えていれば登ってみることにしよう。

(前回は気づかなかったが、大通龍神社の手前に水雷神様が鎮座していた)


(ふれあい道の禁止ロープを越えて、赤城温泉方面に行ってみる)


(どこにいくのやら)


(石碑が出てきた)


(なんと、上には立派な神社があった)


 続いて大通龍神社。せっかくだから、ロープで閉鎖されたふれあい道を赤城温泉方面に行ってみる。危なっかしい階段を手すりに頼って登る。そちらにもいろんな見どころがあった。忠治温泉から崩れかけのふれあい道を通って不動大滝に行くハイカーは珍しい部類に入るだろうが、さらに赤城温泉方面に抜ける人は稀有ではなかろうか。ふれあいの道を好んで歩く方もいるから、かつてはそれなりに歩くハイカーもいたかと思うが、今は立入禁止になっているのではわざわざ歩く人もいまい。そのうちに工事林道が開放されれば、滝見でこんなところを歩く人もいなくなり、ますます廃れていく。
 階段の先には別の神社があった。建屋は粗末ながらも<防犯カメラ作動中>の看板が置かれていた。その脇には「赤城山三寶堂蓮経會」の大きな看板。隣の物置のような建屋は見るからに廃屋。防犯カメラは確認できなかったが、わざわざそんな看板を置くくらいだから、ここの神社の氏子はいるようだ。

(さらに上に行くとこんなのが。ふれあい道はこの先で折り返したが、赤城温泉につながるふれあい道には、まだまだ石仏や神社があるかもしれない。そこまでオタクではないから探るつもりはないが。それよりも、この先の赤城温泉までのふれあい道は工事林道に吸収されたのかもしれない)


(工事林道が見えたので、ここから戻った)


(これは日光でも見た覚えがある)


(登ってみる)


(あちこち向いた石祠が三基。キツネさんはだれかが置いたのだろう。わざわざ持参ということになる)


(何でここに擬宝珠かと思った)


 さらにふれあい道を上がる。鳥居があって、その先に石碑と小さな社があった。石碑の文字は「南無妙法蓮華経」と読めるが、社の隣に仏教では相応しくない。自分の見間違いだろうか。その脇から、工事林道が近くに見えていたから、あれを横切るのだろうか。探索はここで打ち切りにしたが、ここでも下り途中で鎖付きの岩が見えたので上がってみると、石祠が三基あった。片隅に狐の置物があったのでお稲荷様なのか。線香用の器があったり、なぜか石の擬宝珠があったりして(その時は擬宝珠と思ったが、石灯籠の頭だったかもしれない)、わけがわからない。神仏信仰がごちゃ混ぜになっている。他にも、目につく岩場の上には何かありそうな気配はあったが、自分の想定するところ、あちこちにあった神仏をこの辺に集めただけのような気がしないでもない。もしくは、古来の赤城山の信仰は神仏習合なのだろうか。そんなことよりも、本来の目的は岩穴の石仏なのだから、もう脇目を振らずに下って不動大滝に向かう。

(小滝を見て)


(滝沢不動尊からの道に合流し、すぐに離れる)


(とにかく、左岸側に目を集中する)


(どこをどう歩いても)


(何もない)


(工事林道に出てしまった)


不動尊には寄らず、そのまま川を歩く。もしかすると左岸側に何か目印か踏み跡のようなものがあるかもしれない。小尾根があれば登って、両サイドの沢筋の様子も見た。何もなかった。仕方なく工事林道に這い上がった。犬連れの夫婦がいた。奥さんを残して、ダンナと犬が滝の方に向かったが、すぐに戻って来た。

(前回、前々回ともにあの尾根に惑わされた)


(申しわけ程度に不動大滝。こうなると見飽きたと言ってもいいか)


(忠治の岩屋のロープを乗り越えた。この先はどうにもならなかった。林道が昔の道を破壊したともいえる)


出来るだけ川を歩いて不動大滝に出た。だれもいない。二回目まで惑わされた右岸尾根を眺めて一服。そのまま忠治の岩屋に行く。相変わらず、入ってみたい衝動はまったく起きない。その先、「この先危険 通行禁止」の看板のあるところをロープを越えて行ってみた。危険どころではなかった。林道が通ったためか、それとも崩壊したのか、切り立って先には行けない。右下に下ると、小滝があって、これを乗り越えるにはこの長靴では危険が伴いそうだ。元に戻って、右岸から滝を巻いて川を下るが、結局は林道に出てしまった。川歩きに復帰。とにかく「忠治の岩屋の下流の小沢」を探す。

(改めて林道から外れてみた)


(赤城氏の「忠治の岩屋の下流の小沢」とはこの沢かと思って登ると堰堤にぶちあたった。すぐ上は林道が通っている。おそらく、14年前は林道も工事の開始の頃で、昔の道も残り、もっと上を通って行けたのかと想像するしかない)


(ヤブの中をうろつく。何もなし)


(出たところには道が通じていた。写真の手前で工事林道に合流する。おそらく、滝沢不動尊に通じる古道かと思う)


 それらしい小沢はすぐに見つかった。水がチョロチョロ流れている。さっき、この前を通った気がする。沢を登ると、すぐに古い堰堤が立ちはだかった。これを越えようとすると、すぐ上に林道が見えた。ここではないみたいだ。何せ、岩穴は林道下と思い込んでいるから、林道を越えたら無駄歩きになる。右下に粕川を見ながら、ヤブの中をうろうろした。大岩があれば回り込んで確認もした。穴は開いてはいない。いくつか小尾根を越えると左上に道が見えた。林道ではない。道に出て振り返ると、先で工事林道に合流していた。この道が「不動尊からの道」だろうか。だが、その周辺に岩はない。今回も見当違いの探索だったようだ。こうなると、「つつじが峰通りのすぐ西側下」の胎内くぐりがやはり正解だろうか。また持ち越しだな。それは頭の中を整理してからのことにしよう。

(いきなり狭くなって林間の道になった)


(道端にはこんなのがあって)


(千手観音も同居する)


(ピンボケのアルミ橋)


(やはり、滝沢不動尊の裏手に出そうだが、ロープを回避すると)


(恵の瀧)


 道を下る。杉林に入りそうだ。手前に右に下る尾根があった。入ってみる。何もなし。先は激下りになっていたので引き返す。杉林の中を下って行くと石祠と石仏、石灯籠。石仏は千手観音だ。手前には赤い鳥居。仏様と鳥居か。この一帯は何でもありだ。
 仮設したようなアルミの橋を渡ると、右手下に建屋が見えた。そういうことか。滝沢不動尊だ。そちらには行かず、そのまま道を下ると<恵の瀧>に出た。不動尊側の胎内くぐりは単にイラストマップの位置が間違っていたことを知っただけのこと。

(入口に出る)


(ここからなら下り調子で3キロ歩きも楽だった)


(今回はこれで終わりにする)


 今日は汗をかなりかいた。暑かった。前不動駐車場の前の側溝に腰かけて一服し、おにぎりを食べた。
 やはり3キロの車道歩き。下りだったから楽だったが、途中で足指の痛みがぶり返したので、中指から小指まで含めてぐるぐる巻きにテーピングした。本日の歩きは3時間15分。何だか、自己満足にもならない、あまり意味のない歩きばかりしているような気がする。

◎【5月29日(日)・四回目】やはり自分には重過ぎて縁がなかったとあきらめた。これで終わり。
 当初は足尾の山にでも行くつもりでいたが、28日、29日とかなり暑いらしい。少なくとも7~8時間は歩くだろうと敬遠した。足指の痛みも続いている。となると、赤城不動大滝の石仏探しの続行になる。前回から一週間。執拗にネット情報を探していたらあった。石仏探訪の偏平足さんのブログで、石仏5体の岩穴のある位置を特定できた。偏平足さんのブログアップは2年前ながらも、行かれたのはかなり以前らしく、林道のことは記されていない。林道工事のことが記されている赤城良常氏の記事は14年前だから、それよりも前のことだろう。
 ただ、地図上の位置は特定できたが、お歩きルートは省かれている。文章を読んでもすっきりしない。あっさりと行かれているようだが、林道が通って地形が変わり、当然、崩壊も進んでいる。肝心の「かすかな踏みあと」すら、実際に歩くと、シカ道に混じって、これかなと思う程度のものがいくつか交差し、結論から記せば、岩穴はあれかなと思ったものの、そこに至るには、自分には限界越えと断念し、つつじが峰通りに逃れて下山して終わってしまった。あの現地の状況を見てしまった以上、特別なことがない限りはここでピリオドを打つことにした。しかし、上毛新聞なり、朝日新聞に岩穴・五体の石仏の記事を紹介した方はどうやって行かれたのか。かなりの土地勘と経験を積んだ方かと思う。もしくは、今回の自分が岩穴と思ったのは別穴だったのだろうか。
 あの岩穴が例の胎内くぐりだとしたら、さもあらん場所かと思う。不動大滝が見えているはずだし、修験者が加持祈祷をするとしたら最適な所だ。偏平足さんのブログには五体ともに観音菩薩像とあった。不動明王とばかりに思っていたがそうではないらしい。仏さまのランク付けは知らないが、観音様は不動様よりも地位が高いようだ。下の滝沢不動尊は当然に不動様だろうが、ここの岩穴の観音様は滝沢不動尊の上がり、つまりは不動尊の奥の院的な存在になるのかと思ったが、そんなことは、ど素人の考えだろう。
 ちなみに、28日よりも暑い29日にしたのにはわけがある。一回目に行ったのが土曜日。帰りに林道を歩いたら工事中だった。日曜日の工事はあるまいと29日にした次第だ。そこには入らないようにと注意されたら、それで終わりになってしまう。

(工事林道の入口)


(擁壁が続く)


 前不動尊駐車場に車を置く。今日は険しいところを歩く予想があったので足は地下タビにした。おおさる山乃家方面に向かう車道を歩くと、つつじが峰西登山口手前で工事林道が左に分岐する。ガードを越える。右斜面は擁壁が続き、見上げるといずこも急な斜面だ。どこか取り付くところはないものかと見ながら歩いていると、橋まで来てしまった。これでは行き過ぎ。とにかく、粕川の左岸に登らなきゃならない。この時点では、とにかく崖マークの上の一帯に等高線の入り乱れはないし、適当な高さからずっとトラバースで行けると思っている。まして、岩穴付近の等高線間隔はかなり広いようで、緩斜面にあるものと信じ込んでいる。地図といえば、滝沢不動尊の北にも卍マークがある。ここに寺らしきものはない。過去にあったとしたら、林道計画で撤去されたのだろうか。どこでもそうだが、新しい林道の周辺は地図に合わせても地形が読めなくなっている。
 せっかくだからと、橋のすぐ下を左岸に飛びながら渉ると古い歩道があり、それを辿ると、何ということはない。忠治の岩屋だった。戻る時の飛び石はきつかった。

(ここから入り込む。アスファルトで固めたような斜面があるが、あれはザレ斜面で、これ以上、落ちる物がない状態になっていた。右から回ったが、写真を見れば、左の方がいくらか楽だったかもしれない)


(ロープが垂れていた)


(ロープ尾根の途中から見下ろして。これを見てしまったから、ここを下るわけにはいかなくなった)


(激ヤセ尾根にロープが続いている。北から西向きになった)


(南の斜面はこんな具合だ。ザレよりもひどい状態は何と言うのだろう。ただの土砂崩れか)


 橋に上がって林道を戻る。とにかく、上に登るしかない。橋のすぐ先に落石除けの金網があって、その脇から上に登れるように見えた。上がるとすればここしかない。もろそうで急な斜面を這い上がり、金網の脇から抜けた。左は崩壊地で行けず、目の前のヤセ尾根を行くしかないが、足場はかなり脆くなっている。ロープが垂れているのに気づいた。ロープとはいっても細引きのようなものだが、かなり古く、工事以前からあったものだろう。頼っていいものか気になったが、基本は手を添える程度にした。途中、直下に擁壁すら視界に入らない道路が見えて足が震えた。いずれにせよ、ロープが北方向に延びている以上は、ここに道があったということではなかろうか。それにしても林道を通すために随分と広範囲に削ったものだ。朝日新聞の「かつてはハイキングコース」の記述からはほど遠いものがある。
 期待したほどにロープが長くは続かなかった。すでにノドがからからになっていて、水を飲みたいが、落ち着けそうな平地がない。正面の小尾根以外に周囲はすべて崩れていて、滑りでもしたら、たちまちのうちに転落する。

(尾根が消えかかってズルズル。すでにロープはない。岩に穴が見える。緩く見えるが、転倒したら、擁壁から飛んで行くだろう)


(穴を間近に。ただの穴だった。ここは溶岩が溜まったところのようだった)


 小尾根が消え、傾斜も緩やかになった。いくらか平らになった所に座り込んで水をガブ飲みした。取り付きから15分も経っていない。汗をたっぷりかき、もう2時間は歩き続けたような精神的な疲労感。南側は底なし沼のような岩続き。東側は蟻地獄のようなザレ場斜面。この先に行くのはかなりしんどいが、戻ることはできない。あのロープを頼って下るのはかなり危険だ。最終的には北のつつじが峰通りに逃げるしかない。
 目の前の岩に穴があった。目的の岩ではないことは承知だが、滑りながら見に行くと何もなかった。ただの穴だった。

(たまにこんな踏み跡があって、それを追ったりもする)


(南側の小尾根を下ってみたが、先がまったく見えないのでさっさと引き返す)


(石垣がところどころにあった)


 地形はいくらか落ち着いたが、南斜面だけは傾斜は緩くなったものの、下って転びでもしたらどこまで落ちていくのかわからない状態だ。安全そうなところを、岩を探しながらうろうろ先に行く。基本的にはトラバース歩き。踏み跡があればそれを追う。すぐに消える。人為的なものはまったくない。せいぜい、かなり以前に造ったらしい土砂止め用の石垣だけ。
 GPSを見ると、岩穴付近の上にいる。ここを下ればいいようだが、地形図とは違って、まったく緩くはない。視界は広いので先まで見えるが、岩らしいものはない。ここではないようだ。不動大滝の滝の音が身近に聞こえてくる。

(不動大滝がすぐそこに見えた)


(あの岩に行ってみようと思ったが、ロープなしでは無理。滝のすぐそばだし、最悪、その先は垂直になっている可能性がある)


(もしかして石仏のある岩穴はあれではなかろうか。ロープなしのトラバースはかなり無理。左下は急角度で落ち込んでいる。何枚か撮ったが、落ち着かず、大方がピンボケになっていた)


 先に行く。左に小尾根が見えたので下ってみる。手がかりなし。時期が悪かった。緑が深過ぎて先が見えない。戻ってさらに先に行くと不動大滝がちらりと見えた。GPSを見ると行き過ぎている。引き返して南下を試みる。
 何気なく右を見ると洞穴があった。もしかして岩穴はあれか? とてもじゃないが近づけない。せいぜい10mもないトラバースは、ロープでも通ってなければ、自分には不可能。例外なく、左側は下まで落ちている。
 回り込むしかないか。先に行って小尾根に乗る。岩は小尾根からは続いていずに切り離されていた。さらに先に回り込む。岩に続いているところはない。ということは、さっきのトラバースしかないか。つまりはあきらめだな。

(不動大滝をもう一枚。晩秋なら葉もなく、もっとくっきりな姿を見られるだろうに)


(どこもかしこもこれではまったく落ち着かない)


 普通の感覚なら、もっと他に岩穴はないかと探したり、他の手段を考えたり、あるいは、ここまで来たら、不動大滝の落ち口調査に頭を切り替える等々するだろうが、すでに取り付き時点から冷静さは欠いていた。この空恐ろしいエリアから早いとこ逃げ出したかった。タバコを吸ってからつつじが峰通りに北上しようと思ったら、タバコは車の中に置き忘れていた。

(つつじが峰通りに逃げる。ここにはもういたくない)


(間もなく)


(生還できたとほっとする)


 地図上の尾根型にこだわることもない。つつじが峰通りまでは標高差100mもない。これまでと比べたら安全といえばそうだが、急登になった。きつい。つつじが峰通りが見えたところで、右足の向う脛を石にしたたかに打ちつけ、しばらくしゃがみこんだ。痛みが治まったところでズボンを見ると血が少し滲んでいた。
 つつじが峰通りに出た。ほっとした。助かったといった気分。ここから銚子の伽藍まで行く気力はすでにない。たまたまオバちゃん二人組が歩いて来ていた。銚子の伽藍まで行っておおさる山乃家まで周回するそうな。おかしなところから出てきたので登山道があるのかと聞かれ、覗き込んでもいたが、そんなものはあるわけもなく、石仏のことを話しても通じまいと、適当によもやま話をして別れた。その間、一人のオバちゃんの大きなバストが気になり、こちらはずっと上の空でいたのかもしれない。とことん疲れても、そちらの方は本能だから己を責めようもない。石仏探しの敬虔な心持ちは浮き世の現実にはあっけなく崩れる。

(こんなのを何本か見た)


(西登山口への分岐道)


(つつじ群生地の看板。もうすでにツツジは終わり)



 今さらながらも暑さを感じた。汗がダラダラと流れ落ちる。その後にだれとも会わなかった。ここの尾根上のヒノキの皮が派手に剥けているのが結構多いのが気になった。これはクマなのかシカの仕業なのかは木の本体にキズが見あたらなかったのでわからなかったが、尾根に上がる途中で、新しい大きなクマの糞を見かけたから、この辺は生息地なのだろう。

(これを見て、矢印方面に行ってみると)


(これでは迷いそうなので戻る。今思えば、滝沢不動尊に続いているわけだから、工事林道との接触部分はどうなっているのだろう)


 右手に西登山口の分岐標識があったので右に下る。ほどなく「つつじ群生地」の看板のあるところに出た。もうヤマツツジの花びらすら落ちていない。ここに滝沢不動尊方面に向かう金属板の標識が倒れていた。おそらく、イラストマップにあった、つつじが峰通りの下にある「胎内くぐり」はこのコース上にあるような気がして入り込んでみた。かすかな踏み跡もすぐに消えた。地図に破線路としてでも載っていれば行きようもあるが、ないのでは道の探しようもない。引き返す。もっともな話だが、疲れてもいたし、どんどん暑くなっていくので、ヤブ漕ぎをする気分にはなれなかったといった方が正解だろう。冬の時期なら、そのかすかな踏み跡も追えたかもしれない。

(林道が見えて)


(登山口)


(駐車場。もうヘロヘロだ)


 林道に出た。陽をもろに浴びてさらに暑くなった。右手に工事林道を見た。もうここを入ることはあるまい。来年あたりから一般車両の乗り入れが可能になるようだが、そうなれば、わざわざ滝沢不動尊を経由して不動大滝を見に行く人も少なくなり、完全に観光滝化するだろう。
 前不動尊駐車場に到着。出発時は自分の車だけだったのが10台になっていた。ようやくタバコにありついた。たかが2時間15分の歩きだったが、6時間ほど歩いたような気だるさだった。翌日、起きると、身体のいたるところが痛かった。

(石祠があった。御殿山に行ってみようか)


(明瞭な道もさして続かず)


(これでやめた。暑い時のヤブ漕ぎは結構だ)


(忠治温泉の宿には城があったようだ)


 忠治温泉を通過。御殿山に行くのは今日はやめておこうかと思っていた。ましてどこから入山するのかも調べていない。そのまま通過しようとしたら、道路傍に石祠が見え、その脇に道が続いているのが見えた。車を駐車場に入れて歩いてみた。しばらく歩くと道はヤブ化し、ずっと裾野を巻いているようにも思える。古道歩きでもしているような感じだったが、テープが左上に導いてはくれたものの、ヤブはひどくなって、ここもまた踏み跡は消えてしまった。低山だからと地図も持ってこなかった。引き返した。

 岩穴の石仏探しもこの御殿山も、今日はすべてが半端に終わり、そして五体の石仏の捜索活動も終了になってしまった。
 ふと思う。林道がなかったらどうだろう。滝沢不動尊からの道が寸断されずに左岸側のかなり上まで続き、そこからトラバースで岩穴へ。そんな歩きルートだったかもしれない。これなら「かつてはハイキングコース」としてもおかしくはない。ただ、岩穴直前の歩きはどういう状況だったのだろう。あのトラバースはかなりきつい。

(29日の歩きルート)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
(↑この断わり書き、今は不要になったようだが、よく知らないのでこれまでのように記した)

◎発見編は→こちら

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Unknown (瀑泉)
2022-06-08 23:12:25
たそがれオヤジさん、こんばんは。
今回の岩穴の石仏、昔、青木清氏の「赤城山 花と渓谷」を手にした時に、なんか見たなぁ~と思って読み返したら、案の定、載っていましたヨ。
P58の「かめ割の滝」の項目で、写真付きで「第一石門(胎内くぐり岩)」として紹介されていて、アプローチは、(滝沢)不動堂の隣の杉林を登ると、まもなく「山の神の石宮」があり、「杉林を過ぎて左岸の中腹を登ると「第一石門」が斜面に突き出している。」とあります。ちなみに、不動堂から20分のようですヨ。
それと、P59には周辺図が載っていますが、それによると「忠治の岩屋」より手前のようですヨ。
扁平足さんの位置情報は、上の卍より北に記されてますが、ご承知のとおり「滝沢不動尊」は下の卍で、其処から20分ではとても届かないから、この位置情報は間違っていると思います。(ちなみに、赤城さんも大滝見物の後、忠治の岩屋より下流の小さな沢を登って、戻りがてら立ち寄っていますしネ。)
ちなみに、途中脱出された4回目の途中までのルートは、以前、ハイトスさんのお師匠様が「銚子の伽藍」に向かわれた際に歩かれたルートかと思います。(https://akanekopn.web.fc2.com/yama/sanyaken/sanyaken95.html
ただ、なんにしてもハイトスさんのお師匠様をして、大滝の巻きに1時間半を要したそうですし、史跡に造形の深い方だから、見ていれば記事にされたと思いますケドね。
ということで、軌跡を掲載いただいてないので定かではありませんが、おそらく3回目の探索が、一番、核心をついていたんじゃないですかネ。ちなみに、ぶちあたった堰堤の「すぐ上には林道が通っている。」とありますが、此れって実線の道ですか?
新聞には「林道沿いのがけの上に」とあり、文化財保護課の職員や指導員でも入れるとすれば、この実線林道の近くだと思うんですケドね。
それはさておき、バードウォッチング用長靴、ようやくお使いになりましたか。
短所ばかりお示しで、あまりお気に召さなかったようですが、この長靴、「軽い」上に「足首を縛る必要が無い」のは、メリットだと思いますヨ。それに、少しキツく紐を締めればそこまでずり落ちないし、ハードな歩きで破れそうにお感じのようですが、それなりに使い込んでいても、全然、破れませんヨ。まぁ、滑りやすいのは否めませんが、其れだって結局は馴れですから、此れを期に、次の探索でも使ってくださいナ。
とまぁ、ダラダラ書かせていただきましたが、何にしてもお疲れさまでした。
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瀑泉さん (たそがれオヤジ)
2022-06-09 09:36:34
瀑泉さん、こんにちは。貴重な情報ありがとうございます。
おかげさまで、近々、5回目の探索に行ってきますよ。おそらく、3回目の歩きの再検証ということになるでしょう。どうせ、梅雨の間の歩きは適当な時間で済ませないといけませんから。
しかし、いろんなネット情報に惑わされて探し続け、結局は灯台下暗しだったとは何とも情けない話ですわ。4回目に至っては、なかば命がけのようなものでした。
その「花と渓谷」を入手しようとしたら、ネットでは中古でもないようで、アマゾンでかろうじて見つけましたが、4,257円もするのでやめました。
「山の神の石宮」とは、おそらく、不動堂の裏道にあった鳥居付きの石祠、千手観音もありましたけど、おそらくそれでしょう。ブログ写真に掲載しています。
その石宮には、工事林道から不動堂方面に分かれた実線路の途中から杉林(ヒノキ林かと思っていましたが)を下って出会いました。
「堰堤の上の林道」とは、ガードレールが見えたので工事林道と思っていたのですが、正直のところ明言はできかねます。
いずれにせよ、核心的な情報、ありがとうございます。このまま終わりにしてはしっくりしないなと思っていましたので、本当に助かりました。
4回目の歩き、師匠さんの不動大滝の巻きですよね。これは私も事前に読みました。確かに、あの方なら、岩穴の石仏にも気づかれたかと思います。それがなかったので偏平足さんの記事と合わせて、アレッと思っていました。そのまま行く手もあるかと思ったりしましたが、結局は師匠さんですら岩に阻まれて行けなかったようですね。あのままつつじが峰通りに逃げて正解でした。
瀑泉さん長靴について少しばかり。気に入らなかったということはありませんから誤解なく。これまで、長靴といったら、ピン付きやら雪用の軽快さに欠ける重い長靴ばかり履いていましたから、それらに比べての違和感はありました。軽い、歩きやすい、携行できるといった長所は敢えて記さなかっただけのことで、結果として、ハードな使い方をしない限りはチョイ沢でも使えると思ってはいます。5回目は身軽に動き回る必要がありそうですので、瀑泉さん長靴で行きますよ(笑)。
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