たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

往復12キロの林道歩きをしてまで行った倉渕の十丈の滝と八曲の滝は、大満足レベルには遠かった。自分の慎重さから出たミスではあったが。

2021年09月16日 | 近所じゃない群馬県の山
◎2021年9月12日(日)

姉妹観音ちょい先の路肩から出発(8:26)……<倒木のため車両通行止>のバリケードを見る(8:34)……一つ目の橋(8:54)……名称不明林道終点。そして別林道<三ツ丸大平線>へ(9:18)……二つ目の橋(9:20)……三つ目の橋(9:54)……林道終点。休憩(10:00~10:05)……十丈の滝(10:29~10:42)……沢の二俣(10:51)……八曲の滝(10:59~11:19)……林道終点に戻り、別の閉鎖林道に入り込む(11:35)……途中で引き返す(11:48)……また林道終点。休憩(11:57~12:20)……三ツ丸大平線起点(12:50)……休憩。蜂に刺されて治療(13:20~13:40)……駐車地(14:02)……姉妹観音(14:15)……駐車地(14:24) ※その後に小栗上野介の墓所見物

 7月後半に十丈の滝にいらした足立区の方のブログを拝見した。林道は倒木で通行止め。林道に覆いかぶさる倒木の写真も載っていた。結局、通行止め地点から滝まで林道をテクテク歩かれていた。
 倉渕せせらぎ公園(高崎市立)の公園事務所に電話したのは一週間ほど前のこと。滝に通じるこの林道の様子が気になっていた。倒木が撤去されていたら先まで車で行ける。問いをかける都度に待たされた。倒木はそのまま。林道は荒れている。崩壊し、落石もある。車は通れない、……。では、自転車なら行けるのかと聞くと、また待たされて、姉妹観音までは行けるがその先は無理とのこと。管理事務所の職員だから、市の観光課あたりの職員だろう。ただ、どこに行きたいのかと逆に聞かれ、十丈の滝と答えるときょとんとしている感じで知らないようだ。これだけで観光課の職員としてはあてにならないようだが、林道はかなり荒れているようだいうことだけはわかった。車は通れまい。まして倒木はそのままだ。足立区さんと同じで歩くしかないか。
 今でこそ高崎市倉渕町だが、以前は群馬郡倉渕村で、その前は「倉淵村」だった。自分は倉渕村に良い印象はない。この村の名前を初めて知ったのは連合赤軍事件だった。あさま山荘事件の前に、連合赤軍と称するグループはアジトを転々としながら、「総括」の名のもとに集団リンチ殺人を繰り返し、倉淵村の山林には8人もの「同志」を埋めている。その事実を知って以来、倉渕村が高崎市に組み込まれても不気味なイメージが続いていた。JALが墜落した上野村も同じだ。角落山に登ったことはあるが、以降、通ることはあっても、車を止めることもなかった。まったくの余談だった。あれから半世紀。高崎市倉渕町の方には失礼で迷惑な昔話だろうが、個人の感想として敢えて記した。何を隠そう、あさま山荘事件についてだけは、延々と続くテレビ中継を見ながら、自分の単純な頭には、権力に対する銃撃戦という構図が出来上がり、立て籠もり側にちょっとした共感の気持ちもあったことは確かだ。それに至る狂気の集団リンチ殺人のことは知るはずもない。山荘での攻防戦には、当時、警視庁勤務の伯父も特科車両隊の一員として出動し、同僚が射殺されている。
 今でこそ倉渕町は渋沢栄一の大河ドラマで小栗上野介が斬首された終焉の地というイメージが強くなったようだが、小栗忠順にとって倉渕は知行地に過ぎず、生涯、一か月ほどしか住んでいなかったようだ。いずれにしても、倉渕には悲話がどうしても重なってしまう。下手な講釈はこれぐらいでいいだろう。知ったかぶりに思われる。テーマは滝見物なのだから。

(こんな道からスタート)


 姉妹観音方面への林道に入り込む。これが果たして林道なのか市道なのかはわからない。ここでは林道とする。道沿いにはしばらく住居、倉庫、工場が散見し、道幅も普通車なら問題なくすれ違える道幅だったが、やがて建物が絶えると狭くなり、軽自動車どうしのすれ違いがようやくといった感じになった。とりあえず、行けるところまで行く。道は舗装してある。「姉妹観音通行止め」の看板が目に入ると、未舗装になり、広い水溜りが出てくるようになり、これが限界かと先でUターンして路肩に車を止めて歩き出す。遅かれ早かれ、倒木地点から先には車では行けない。観光課職員の返答を信じきっていたし、真に受けてもいた。これが、片道6kmの林道歩きをすることになってしまう。

(倒木通行止めのバリケードは脇に寄せられている)


(岩伝いのこんな水落ちが随所にある)


(おそらく、これが件の倒木だろう)


 林道は傾斜が緩やかな上り基調。息切れするほどのものではない。水溜りを避けながら歩いて行くと、舗装道が復活し、先には「倒木につき車両通行止」のバリケードが置かれていて、これかと思ったが、なぜか道の真ん中ではなく、道路脇に寄せられていた。倒木は片付けられたのかと半信半疑になったが、歩く心構えでいたから、今さら車に戻ることは考えなかった。舗装道のヌメリで靴が滑った。ワークマンズックの第一印象はそのままだ。1,900円では改良の余地もない。傾斜のある舗装道は、うかつに早足で歩くとヘタをすれば転ぶ。下りは要注意だ。
 岩伝いの水の流れ、左下の相間川、「伐採作業中」の看板を見ながら歩いて行くと、路肩に軽トラが置かれていた。荷台の様子から、釣りだろう。そしてバリケードから15分後、おそらくこれだろうと思われる倒木が左に寄せられていた。やはり片付けられていて拍子抜け。車でまだまだ先に行けた。考えてみれば、伐採が稼働中なら、いつまでも倒木を放っておくわけもない。ただ、この先は道路状態が悪いはず。観光課職員はそう言っていた。
 そのうちに未舗装に戻った。また水溜り。だが、路面の状態は良く、落石やら土砂崩れなんぞない。車の走行には、すれ違い以外にまったく支障はない。難をいえば、待機場所の路肩が少ないこと。伐採作業には大型のトラックや重機がつきものだ。出会ったら長距離のバックを強いられる。今日の車はジムニーではなかった。おそらく、足立区さんのブログも見ず、観光課に電話も入れなかったら、ジムニーでかなり先まで行っていただろう。

(最初の橋)


(長い林道歩き)


(相間川の流れ)


(紅葉期ならきれいだろうが、葉はすでに焼けて穴があいている)


(堰堤も時々現れる)


 歩き出し30分でコケむした橋を渡る。欄干には「三ツ丸橋」とあった。この手の橋が終点までに三つあるようだ。この頃だろうか、後ろからバイクのエンジン音が聞こえ、抜かれた。コンニチワと声をかけ合った。モトクロス用のバイクではない。何となくほっとした。熊注意の看板が置かれている林道だ。人の気配もないのに、この先にバイクの方がいると思うだけでも心強くなる。山中もさることながら、林道で熊に襲われる人が多くなっている。
 林道沿いに流れる相間川の景色を「渓谷美」と記されている方がいたが、どうも、自分にはその感覚がわからない。実は期待していた。だが、その渓相は、さほどのものでもなく、たまにナメ床もあるが至って短く、基本は大きな岩が混じったゴーロ沢で、沢通しに歩いてみたいといった気分にはなれない。林道はコンクリートの擁壁上に続く。まして堰堤もあったりで、川からの高さは4~5mはある。ただ、流れがきれいなところでは、紅葉になったらもっときれいだろうなといったスポットはいくつかあった。最近の歩きでは夜後沢の渓谷美には劣るが。

(一応、これまでの林道はここで終わり。ここから三ツ丸大平線になる。バリケードは左に寄せられ、車が通れる)


(看板のアップ)


 普通車が路肩に置かれている。これも釣りか。車の脇には河原に続く明瞭な踏み跡があった。そして歩き出しから50分後ということになるが、これまでの林道だか市道が終点となった。いや、終点とは断言できない。本道らしき道は左手にカーブし、そちらはすぐに立入禁止の看板と遮断機が下りているものの、直進道も続いている。ここに林道三ツ丸大平線の案内板があり、起点と記されている。ともに並ぶ「100m先伐採作業中」と立入禁止がありながらも、バリケードは車一台分が通れるくらいにずらされている。結果として、少なくともここまで乗用車の乗り入れは可能だったということで、この三ツ丸線の林道歩きも含めて片道一時間半で6kmの歩きを50分に勘案すると3.3kmとなり、往復で6.6kmのムダ歩きをしたことになる。役所の観光課のアドバイスというのはこんなものだろう。今日は日曜日だから伐採作業はないだろうが、平日に入り込む際にはすれ違いに要注意だ。バックに苦慮することになるのは明白だ。川側は擁壁で切れているし、ガードレールもまばらだ。

(二つ目の橋)


(ほどなく伐採地)


(伐採地のちょい先にも駐車可能な広いスペースはあった。本来、伐採作業員の駐車場所だろう)


 二つ目の橋を通過。橋の名前が彫られているが、濃いコケとおかしな書体、さらにコンクリートの頭が欠けていて字が読めない。建造時期だけはわかった。昭和29年。70年近い。この道はかなり以前からあったようだ。架け替えだとしたらそれ以前からということになる。
 実際は100m以上先だったが、重機が2台置かれていた。ここが伐採地らしい。貯木場も兼ねていて、先に切り出しの材木の山が二つあった。看板には国有林とある。もう、こうなると、重機も通るから道はグチャグチャになってはいるが、立入禁止を無視すれば、ここまでは車が入れる。現に、伐採地の広場にはエクストレイルが駐まっていた。これも釣りだろう。バイク音がしたかと思うと、さっきのバイクのオッサンが戻って来た。どこまで行ったのか知らないが、おそらく終点まで行っての折り返しだろう。挨拶代わりに右手を上げて下って行った。バイクは去ったが、エクストレイルの方が近くにいる。

(次第に悪路になっていく)


(起点から500m。続いて1km、1.5km、2km、終点となる)


(ここで落石箇所を見るが、最後まで落石はここだけだった。無理すれば左側を通れる)


(右手に滝。帰りに寄ってみよう)


(これも滝といえるだろうな)


(林道先の風景。草まじりになっている)


(この河原のおむすび状の大岩だが、相間川にはこんな岩が多い。造山運動期もしくは噴火で飛んできたのだろう)


(渓谷の様相になってきた)


(渓相もきれいになってくる)


(これもまた続く)


(チョロチョロばかりでもない)


 三ツ丸大平線の起点から500m過ぎ。ここで初めて落石散乱場所があった。それでもタイヤ痕がある。こんなところでも走る車がいる。右手に左の相間川に流れ込む滝を発見。屈曲したわりと大きめな滝だが、水量はさほどに多くはなく、岩肌が見えている。この先、こんな岩伝いの滝がよく目に入るようになった。中には落差30m以上はありそうな細い滝もあった。これまでとは違って、退屈さはしのげるし、相間川との高さは低くなり、渓谷美に近い雰囲気も出てきた。気づいたら起点から1.5kmの標識が置かれていた。GPSを取り出すと、あと500mほどで終点になりそうだ。

(三つ目の橋)


(橋から釣り人二名)


 ガードレールが支流の沢を横切っている。あれが三番目の橋かなと思ったら、それは橋ではなかった。右手にまた岩に滴る滝(滝といえるかはどうか?)を見て、ようやく三番目の橋を通った。この欄干にも橋の名前があったが、明らかに草書かくずしの仮名文字で記されていて、自分には読めない。コケのへばり付き具合からして、二番目の昭和29年よりも古いかもしれないし、そうすれば、二番目は架け替えということになるか。そんなことよりも、橋から下の相間川の上流で釣りをしている二人いて、こちらの気配を察したのか、軽く会釈したら、一人が応じた。もう一人は加えたばこで釣りをしていたが、同様にこちらの存在は気づいたようだ。この時点で、さっきの伐採地に置かれたエクストレイルの人たちかと思った。

(左から沢が入り込み)


(ようやく、林道終点に着いた)


(トカゲが3匹。動じない)


 林道はまだ続いたが、すでに細い道になり、橋から5分もかからず、これまたコケが巻きついた木材の山が積まれた広場に出ると、コンクリ道を通って林道終点に至った。びっくりした。終点広場にはナンバープレートの付いたジムニーが置かれていた。だれかいないかと車を覗き込むと、無人で、ダッシュボードには「群馬県 漁場監視員」の札が置かれていた。この時は何も感じなかったが、帰路のかなり下流で件の二人組の釣り人をまた見かけたから、当て推量でしかないが、おそらく、あの二人が監視員で、手前にあったエクストレイルと分乗して来ていたのではないだろうか。
 とにかくここまで長かった。倒木に腰掛けようとしたらトカゲが3匹昼寝をしていたから別の湿った感じの倒木に腰をおろして菓子パンを食べてアイコスで一服。休みなくの一時間半歩き。歩数計を見ると8,000歩になっていた。普通の歩幅75cm歩きなら6kmになる。70cmでも5.6kmだ。林道歩きなら時速4kmも妥当だろう。
 後でカシミールに記録した数値で計算遊びをして確認してみると、この日は姉妹観音を加えても16kmほど歩いているが、正確に近い数値として、駐車地からここの林道終点までは5.84km、通行可能な林道分岐のバリケード、つまり三ツ丸大平線の起点までは3.56kmで、7kmのムダ歩きをしたことになる。結果として、情報に惑わされたというか、用心し過ぎたということになるが、ぶつくさ言ってもはじまらず、こぼしださんのようなこのエリアの常連さんたちはもっと手前の倉渕せせらぎ公園から躊躇せずに延々と歩かれている。
 それはともかくとして、天気予報は晴れだったが、出発からどんよりし、気温も23~24℃のままだった。汗だくでバテバテにならなかっただけでも幸いだった。

(入渓へ)


(大きな石がゴロゴロしている沢。歩きづらいので右手の高台に上がるとする)


(高台歩き。大した距離でもなかった)


(沢の二俣。わかりづらい写真だが、右と左に分かれている)


 休憩してワークマンズックから沢タビに履き替え、ヘルメットをかぶる。ズックはそのまま残置。あるはずの手書きの標識は見あたらないが、終点広場直前で沢は二分しているものの相間川の本流がいずれか悩むことはなく、河原に降りようとしたら、短区間の草地に踏み跡はしっかりとあった。林道歩きが長かったわりには、この先の滝の見物はあっさりしたものになる。自分らしいお笑い歩きかも。
 ゴーロ帯の歩きづらい沢だ。右手に高台があったので沢から上がってそちらに行くと、やはりそちらを歩く人が多いようで道状になっている。ただ、この区間は短く、沢が二俣になると消え、沢を歩くしかなくなる。事前情報で、左俣は十丈の滝に至り、右俣は八曲の滝であることは知っていたから、十丈の滝を先行して左俣に入る。おそらく、地図上の水線からして、左俣が相間川の本流であろう。二俣までの距離は大したものではなく、遠回りした自分の足で4分ほどのもの。

(左俣入口の石積みの目印)


(沢を歩いて行く)


(結構、コケがついている)


(そして、奥に十丈の滝が見えてきた)


 左俣入口には石積みのケルンが2つあった。そして、これは滝方向を意味しているのか分からぬが、樹にピンクテープも巻きつけられている。ここからは致し方なく沢歩きになる。大きな石がゴロゴロしていて歩きづらい。カーブがいくつかあって先が見えない。二俣から10分ほどで、先に十丈の滝と思われる滝が小さく見えてきた。

(十丈の滝)


(少し大きくして)


(滝つぼ)


(上部。つるつる滑りそうだ)


(この黒光りの出っ張りがお気に入りだった)


(下流を見て)


(左上の高台から。下が隠れてしまう)


 ゴロゴロ石がさらに続き、十丈の滝の前に出た。林道終点から25分。沢歩き慣れした方なら20分もかかるまい。『ぐんま滝めぐり』には落差18mとある。せいぜい12~13mか。滝つぼはさほどに深くもないので、左右いずれにも移動できる。この滝、見た感じがみなかみの大沢大滝に似ている。大沢大滝は奥まっている。両岸は屹立した凶暴そうな岩で、上流に出るには、かなり手前から大巻きするしかないようだ。正直に本音を記せば、好みの幅広の豪瀑タイプでもないので、「こんなものだろうな」といった感じ。ただ、滝の中腹にある出っ張った岩に滝水がかかり黒光りして幻想的だったことだけは気に入った。
 この滝を見るまでに出発から2時間かけたが、それでも元は取れていない気分は残る。1時間少々だったら、ある程度の満足もあったかもしれない。これから八曲の滝に寄ることになるが、八曲の滝は『滝めぐり』にも出ていないのであまり期待はしていない。

(下る)


(右俣の沢。ナメッぽいので期待したが)


(やはりこれだった)


(本流よりもさらに雑然として、滝への途中で、せいぜい、この程度の見せ場があるくらいだ)


(そして八曲の滝。カーブしていて全体像が見えない)


(一番下と滝つぼ)


(左から八曲の滝。微妙に八つのカーブ)


(上から二段目)


(下を見て)


(一番上。右から登ろうとしたが、意外と高さがあり、確実な足場と手がかりがなかった)


(一段目と二段目)


(一段目を横から)


(改めて全体を見て、終わり)


(直下の流れ)


(林道終点広場に戻った。別にジムニーをメインに撮ったわけでもないのだが)


 一旦、二俣に戻り、右俣に入る。こちらも左俣と同じで歩きづらい。二俣からの距離は同じようなもので、間もなく八曲の滝が見えた。「なんだこんなものか」の印象。「こんなものだろうな」とどこが違うかといえば、表現が違うだけのこと。せっかくだから、アイコスを吸いながら、休憩しがてら眺める。どこが八曲かとじっと見ていると、確かに上から八か所ほどカーブして落ちている。おそらく「はちまがりの滝」と言うのだろう。それまでは「はっきょく」とばかりに思っていた。
 段瀑と言えば聞こえはいいが、簡単に上段まで行けた。だが、一番上の滝には足場がなく、丸石ではつかむところもないのでどうにも越えられない。滝の水をかぶって両足を突っ張って登れば行けそうでもあるが、今度は下る際に恐い思いをしそうなのであっさりあきらめた。足立区さんはこの先にある小滝も見たようだ。足立区といえば、この方、嬬恋のコマタ滝、三条の滝に行かれた記事を拝見し、その気になって、他の方の記事も拝見したが、落差はあっても、ああいうシャワー状の滝は好みではなく、いずれ見に行くことになるかとは思うが、それほど積極的にはなれないといったところだ。

(今度はこちらを歩いてみる)


(最初から知っていれば、このナメを歩きたかった。気づくのが遅すぎた)


(林道沿いの沢は右。左方向から沢が入り込む)


(少しばかりのナメ歩き)


(すぐに消えた)


 課題の滝を二本見終えたので、二俣経由で林道広場に戻る。ジムニーはまだあった。林道終点とはいっても、別の林道がここから出ていて、そちらはバリケードで通行禁止になっている。林道名を記した看板はない。この林道沿いに相間川に流れ込む支流が流れている。
 この林道を行けば、今度は中尾根沢の滝、松岩沢の滝、千丈の滝に出られると思っていた。だが、この林道沿いの沢が何沢かもわからない。とりあえず草に覆われた林道を先に行くと、下がナメ床の流れになっていて、沢に移動したかったが、ここは3mほどの高さのコンクリートの擁壁が続いていて降りるに降りられない。ようやく擁壁が切れたところで沢に降りたものの、あっという間にナメは終わり、結局、沢はまた二俣になってしまった。どこにどの滝があるのか皆目知らないから、擁壁上の林道に再び上がる。沢通しでも行けそうだが、この沢も例外にもれず大石で歩きづらかった。

(林道は作業道に近づきつつある)


(沢の景色は部分的にはきれいだが)


(道はどこまで続くのやら。まさか角落山ということはあるまい。地図には破線路もない。そういえば、終点広場手前に南北に送電線があったはずだが、それには気づかなかった)


(この辺で終わりにするか)


(戻って)


(ナメをまた見て)


(広場に)


 いずれ滝が出てくるのではと期待しながら沢沿いに林道を行く。右手上に向かう道が分岐する。やがて道は荒れ、沢の水も細くなった。どうもこの先に滝がありそうには思えず、おそらく最初の分岐沢の方ではあるまいかと、薄地の沢タビで石が散乱した林道を歩き続けるのもしんどく、結局はあきらめて戻った。収穫はまったくの0。辛抱が足りなかったのか。二滝の気分的な損失をカバーしたかったのだが。
 林道終点で休憩。菓子パンとアイコス。ここで濡れた靴下を交換して、ワークマンズックに履き替え、沢靴とヘルメットはザックにぶら下げた。水を含んだ分重くなった。そろそろ帰るか。また6km歩きかとうんざりしたが、今度は下り基調だから、滑らないように注意しさえすれば往路時よりは楽だろう。と思う。

(帰る)


(歩いたら気持ち良かろう)


(つい気になる)


(往路で帰路に立ち寄るつもりの滝だが、右からワークマンズックで行くには滑りそうでやめた)


 相間川を眺めながら下る。ところどころにナメが見えるが、長いナメ床はなく、すぐにゴーロ沢になる。同じ林道を歩いているものの、往路時ではとにかく終点までといった気持ちが強かったため、岩壁に滴る水の流れも含め、新たな発見そのものはないが、立ち止まってはじっくりと観察する余裕はある。心配なのは、今日は陽がまったくあたらず、いつ雨になってもおかしくないどんよりした空模様で、雨が落ちてくる前に半分以上は歩いておきたい。くの字型の滝が見えた。往路でも立ち寄ったが、さらに奥まで入ろうかと思ったが、岩の反対側はどうもズルズルっぽく、用心して奥まで入らなかったことだけは残念だ。

(四駆でなきゃきついだろう)


(ましてこんな段差もある)


(三ツ丸大平線の起点を逆から。ここまでの本線は右に向かうのかと思う)


 路面がひどい泥濘で、ぐちゃぐちゃ部分にはタイヤ痕。おそらく、あのジムニーのだろうが、よくもこんなところを通れたものだと感心する。インチアップもしていない普通の旧型ジムニーだった。伐採地の貯木場が近づくと20cmほどのぬかるんだ段差もあった。貯木場にはまだエクストレイルがある。ジムニーは高崎、エクストレイルは群馬ナンバーだった。年式として、高崎ナンバーはまだ出来ていない頃だ。

(ジムニーの後ろからBBQの煙が)


 三ツ丸大平線の起点に戻った。その先に煙が見えた。そこには堰堤がある。近づくと、別口のジムニーがあり、脇で、オジサンが一人バーベキューをやっていて、トウモロコシを食べていた。こういう休日の過ごし方もいいものだなと思いながら脇を通り過ぎた。これも高崎ナンバー。
 きれいな流れを見ていると、また高崎ナンバーのジムニー。これは釣りだろう。周辺に人の姿はない。その先で河原に降りてみた。確かに渓谷美かもしれない。その先には細長い滝が落ちている。往路で気になってはいた。やはり確実に30mはある。木の葉に隠れて落ち口は見えない。見えなくとも十分だ。

(紅葉の時期はきれいかも)


(ここも)


(えらい高さから流れ落ちている)


(どうも時間がとられる)


 往路ではたいした渓相でもないなと思っていたが、気持ちの余裕ができたようだ。むしろ流れをゆっくり見ながらの歩きになり、歩程は遅くなった。道路下に二人の釣り人の姿が見えた。往路で見た二人で、相変わらず一人は加えタバコだ。あそこから随分と下って来たものだなと感心したが、ここで、前述のように、ジムニーが置かれた林道終点からここまで来たのではないかと思った次第だ。おそらく、エクストレイルに戻って、ジムニーの回収なのだろうか。この二人がやはり漁場監視員に間違いない。

(あそこで休憩して災難に遭った)


 路肩駐車の高崎フィットを見て二つ目の橋を渡る。雨の心配もなさそうだし、そろそろどこかに腰掛けて休みたいなと思っているが、この林道には狭いがゆえに手頃な石や倒木は撤去されている。しばらく我慢すると、河原に下る道があり、そこに大きめな石があった。ほっとして腰掛け、アイコスを吸う。ついでに水でも飲もうと、ザックに手を突っ込むと、左手人差し指の腹に強烈な痛みが走った。ザックから小蜂が飛んで行った。ずっとザックに潜んでいたようだ。指は赤くなっている。そのうち腫れが出てくるだろう。薬袋からポイズン・リムーバーを取り出し、刺されたらしい所にあてがって毒液の吸引をした。一回目で刺された痕が分かり、これを3回繰り返した。血が薄く混じったオレンジ色の毒液らしきものが少量ながらも吸引できた。痛みは引いた。念のためムヒを塗った。これで痛みや腫れはもう出なかったが、翌々日によく見ると、針が指に残っていて、これは、カッター先で皮膚を少し切って毛抜きで抜いた。とんだハプニングだったが、リムーバーを持ち合わせていなかったら、ムヒだけでは効き目もなかったろう。ほっとして水を飲んで、またアイコスを吸った。その間、一人バーベキューのオジサンのジムニーが下って行った。

(緊急時避難場所とあったが、一般人は入れないようだ)


(駐車地に戻って来た)


 出発。虫刺されの治療で時間をくった。林道は川から高くなり、左手の岩への落水も少なくなり、やがて舗装道になった。ただ歩いているだけになった。変化は往路で見かけなかった車を2台見ただけか。工事用らしきプレハブの物置を通過し、すぐに路肩に置いた自分の車が見えた。結局、蜂に刺されたり、景色をゆっくり見て、往路よりも時間がかかったようだが、時間と距離の長さはさほどに感じなかった。地元の観光課にはだまされた気分だが、現に、林道伝いに置いた車はすべて群馬県ナンバーだったし、観光行政の窓口よりも一般の地元の人たちが情報に精通していることはわかった。久しぶりに長い距離を歩き、さらに汗だくにもならなかったから、皮肉ではないが、いい加減な役所の観光案内情報のおかげともいえる。

(姉妹観音に下るらしき道)


(階段がついていた)


(鎮魂句碑)


(その先は通せんぼ。様子見で入る)


(姉妹観音。最近、だれかが花を手向けたのだろう)


(ヘタな解説よりも…)


(観音像の下流。ここはきれいだった)


(戻る途中、別方向に踏み跡が下っていたので行ってみると、巨大な二段堰堤があった)


(姉妹観音に特別な駐車場はない。こんな路肩に駐めるしかない)


 スマホを見ると、姉妹観音は駐車地から100mほどらしい。ここは電波も通じている。ザックを車に入れ、そのまま姉妹観音に向かった。以前は文字が記されていたらしい標柱が置かれ、川に下る道が続いている。文字が読めないので何ともいえないが、ここが入口だろうと、道路の反対側を見ると、来る時に見かけた「姉妹観音通行止め」看板があった。ここに違いないと下る。ちょっとした広場には、鎮魂句碑があったが、さらに下に行こうとするとトラロープのバリケード。構わずに越えて川に近づいた。観光課の言う「姉妹観音までは行ける」という言葉は「姉妹観音は見ることができる」と同義語ではないようだ。
 姉妹像には、最近供えられたらしい花があった。像の脇に由来碑があった。姉妹像そのものは平成5年建立のようだ。やはり、小栗上野介の斬首といい、どうも、倉渕は死の悲話が付きまとうところらしい。つい両手を合わせた。

(林道終点付近の歩き)


 倉渕には他に見どころの滝として溶岩滝、今朝丸滝があるが、時間的に無理。せっかくだから、小栗上野介の墓を見ておきたく東善寺に向かった。溶岩滝はいずれでいいだろう。朝、滝に向かう林道に入る前に、小栗忠順が介錯された場所に建てられた国道沿いの顕彰慰霊碑の看板を見て、寄って行こうかと思ったが、その水沼河原に向かう道幅は細過ぎ、さりとて駐車適地もなかったのであきらめていた。

(墓所のある東善寺入口。信号なしを渡ろうと横断歩道に立っていたが、10台ほどの車が通ったものの、止まる車は一台もなかった。ジジイだからか)


(小栗上野介の胸像)


(ということだ)


(小栗家家臣の墓が並ぶ。なお、小栗家代々の墓所は雑司が谷にあるらしい)


(小栗上野介の墓)


(境内で見かけたシュウカイドウ。この花、後日、地元の常楽寺に彼岸花を見に行った際にやたらと咲いていたのでスマホアプリの「ハナノナ」で名前を覚えた。おそらく、すぐに忘れる)


(東善寺)


 さっきまでの林道沿いに置かれた車は群馬県ナンバーしか見かけなかったが、国道に入ると県外ナンバーの車が目立ち、東善寺の駐車場には他県ナンバーばかり。墓所に着くと、花を持ったオッサンがいて、墓参りなのだろうが、しばらくは写真も撮れなかった。渋沢栄一の大河ドラマでは、上野介の斬首シーンはあっという間に終わり、川路聖謨なんかとともに端役レベルの扱いだったが、ついしばらく前までは、小栗上野介といったら、徳川幕府御用金を赤城山やらに運んだのではと埋蔵金探しで盛り上がり、それを生涯をかけた方もいる。大河ドラマで復活といったところだろう。ただ、東善寺に埋葬されたという確証はない。首は館林に首実検に運ばれ、館林の寺にあるという話もあるらしい。

 雨にあうことはなく、下道で家に帰ったが、平坦に近いとはいえ(それでも600mの標高差は歩いたようだ)、久しぶりに16kmも歩いた。さすがに即効で、車から出ると両足は痛く、痛みは2日続き、階段歩きはしんどかった。

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