Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

GISELLE - ABT (Mon, Jun 8, 2009)

2009-06-08 | バレエ
ABTの公演、それから昨年のマリインスキーのNY公演、、
(なにげにニューヨークシティバレエの『ロミ・ジュリ』は除外。)
友人yol嬢の導きにより数年前にやっとバレエ鑑賞の戸口に立ったばかりの人間にしては、
ほとんど身の程知らずといってもよいような素晴らしいものばかりに触れる機会を与えられている私は
考えてみると本当にラッキーです。

フェリの全幕さよなら公演コレーラとヴィシニョーワの『ロミ・ジュリ』
ロパートキナの瀕死の白鳥など、今まで鑑賞した思い出深い公演・演目の中で、
しかし、もう一度だけ同じ公演をタイム・スリップして見せてあげよう、と言われたら、
迷わず私が選ぶであろう公演は昨シーズンの、
ニーナ・アナニアシヴィリとホセ・マヌエル・カレーニョのコンビの『ジゼル』です。



私はそもそもこの作品が大好きなんだと思います。というのも、個人的に、一番オペラの、
いや、”オペラの優れた公演”を観ているときの感覚に近くなるバレエ作品がこの『ジゼル』なのです。

『白鳥の湖』を作曲したチャイコフスキーが『オネーギン』や『スペードの女王』、
バレエの『ロミオとジュリエット』を作曲したプロコフィエフは『戦争と平和』という、
オペラのレパートリーでも優れた作品を残しているのに比べ、
この『ジゼル』を作曲したアダンのオペラの作品の名前を挙げられる人って、
ヘッズの中にもそうたくさんはいないんじゃないでしょうか?
実は40近い数のオペラ作品を残しているそうなんですが、代表作が、
『我もし王なりせば Si j'etais roi』、、、、って、そんな作品知らん。

なのに、なぜそのアダンの『ジゼル』から私が最もオペラっぽさを感じるのか。
多くの人がバレエ作品におけるチャイコフスキーの音楽を褒め讃え、
私の連れもその一人で、『白鳥の湖』を観るといつも泣いてますが、
その感じは私には少し、ヴェルディとかワーグナーの、歌手がイマイチでも、
音楽そのものがある程度公演をひっぱって行ってくれるあの感じに似ているように思えます。
その点、アダンの作品は、オペラで言うとベル・カント。
音楽だけで観客をひっぱることはできないかもしれませんが、
素晴らしい踊りと一緒になったときの、その効果は絶大で、
それはヴェルディやワーグナーを崇拝する一部のオペラヘッドや批評家に、
ドニゼッティやベッリーニの音楽は小馬鹿にされながらも(かつてのカプテイニス氏も含む!)、
素晴らしい歌唱とコンビを組むと無限大の感動を与えてくれるのと似ています。
そしてそのことを痛感したのが前述のニーナとホセの『ジゼル』で、
ミルタ役のマーフィーを含めた3人の踊りが音楽を引き上げ、
至高のドラマを生み出す様は本当に圧巻でした。

以前の記事で書いた時代背景とか設定や雰囲気の類似以外にも、このような共通点から、
ますます、『ジゼル』はバレエのベル・カント作品である!という思い込みは強くなり、
もともとベル・カント的なオペラのあり方が大好きである私は、この『ジゼル』を偏愛しつつあるのです。

で、今年は、その大好きな『ジゼル』がABTメト・シーズンで私が初鑑賞する作品。
(注:メトと言えばオペラ!と思っているオペラファンにはややこしい呼称ですが、
オペラのシーズンの後、ABTはメトのオペラハウスで定期公演を行います。
これをABTのメト・シーズンと呼んでいます。ちなみにオケはABTオケで、
チケットの販売ルートや会場が共有される以外は、メトロポリタン・オペラとは関係がありません。)
ニーナのジゼル、ジリアン・マーフィーのミルタを初め、
多くのキャストが前述の昨シーズンからの公演とかぶっているのに加え、
アルブレヒトが今回は、マルセロ・ゴメス!!!!!!

バレエの鑑賞で泣かされるのは、怪我などの理由でキャストが変更になる場合が多く、
それは、オペラの公演で歌手が降板する頻度の比ではありません。
また単純に一人だけ交代するだけではなく、パートナーとの関係などから、
玉突き的に全スケジュールに渡ってキャスティングが影響を受けることが少なくなく、
あらかじめあるダンサーを目当てに購入していたチケットが当て外れになることもままあります。
そんななかで、一度も当てが外れたことがないばかりか、
チケットを購入後にキャストが発表された場合や、キャストに変更があった場合でも、
ゴメスに当たることが多いのは、これは彼が極端にキャンセルや怪我の少ないダンサーだからなのか、
はたまたダックスフントつながりがなせる縁の技なのか?

ああ、ゴメスもルアちゃんも素敵 私もそこに混ぜてー!




オペラやバレエ鑑賞を頻繁にしていると、ある歌手との縁、また縁のなさ、というのを感じることがあって、
振られる人には毎回振られ、そうかと思うとまたあんたか!と思うほど同じ人に当たってしまうことがあります。
さらに、またあんたか、、のその相手があまり好きな歌手でない場合、悲惨です。
私の場合のアラーニャのような、、、。
その点、いい意味で”またあなたなのね!”と思わされるパターンがこのゴメスで、
私がバレエを観始めて以来、ダントツで生で観た回数が多い男性ダンサーが彼です。

また、彼に関しては、本当に幸せなことなんですが、
彼のキャリアの一番面白い時期に私の鑑賞歴がはまったような気もしていて、
毎回観る度に激しく進歩している彼を観るのは本当にエキサイティング。
ABTは実力のあるプリンシパルを抱えていて、すでに成長の曲線の勾配がゆるやかになった、
ベテランのダンサーたちの、完成に近い技を見るのも素晴らしい体験ではあるのですが、
彼のように、非ベテラン・ダンサーで、その成長を見守らせてもらえるという、この楽しみはまた格別です。
というわけで、彼は私が最も応援しているABTのダンサーである、と言ってもよいかもしれません。

そして、今日の公演は、その期待通りの、いえ、期待以上のゴメスの進歩にまたも驚かされる公演となりました。
というか、毎年パワーアップするその幅が大きくなっているような気すらします。

彼の踊りは、例えばマリインスキーのNY公演の際に多くの男性ダンサーから感じた軽やかさのようなものは希薄で、
その重量感(鈍重という意味ではなく、踊りに備わった男性的と言ってもいい重さ。)をどう捉えるか、が、
彼を魅力的なダンサーと感じるかどうかの分かれ目になるかもしれません。

彼の踊りの長所である、端々にまで神経が通った美しさ、男性的でダイナミックでありながら備わったエレガントさ。
それらの方向性は全く変わっておらず、長所がそのままパワーアップしていたのはとても嬉しかったです。



またその一方で、彼の決意というか、”彼らしさ”をこれまででも最も強く感じたのが今日の公演でもありました。
彼がコンテものでも素晴らしい実力の持ち主であることは以前のレポの通りですが、
そういったコンテンポラリーの新作を踊ることで得たものが、血肉となっている、という感じで、
今日の彼の踊りからは、古典レパートリーなのにもかかわらず、
良い意味でのコンテものの影響を感じました。
古典は古典らしく!という考えの方もいらっしゃるでしょうが、
古典の中にすっと一瞬吹き込む現代っぽさというか、は、私はとても新鮮だと感じました。

また、もともと演技力に関して評価が高い彼ですが、完全に次の圏に突き抜けた感じがします。
彼が特に今回の公演で素晴らしかったと私が感じたのは、
もはや、彼が美しくないことを恐れていない、ということです。
ジゼルを死に追い込み、ヒラリオンらに責められる場面でよろよろよろめくその格好悪さ、
その場から全速力で逃げ出してしまうことしか出来ないアルブレヒトのだささ、、。
美しく踊ることは彼のようなダンサーなら簡単なことでしょうが、
そこを越えて、何かを表現するという強烈な意思。
これがあるからこそ、第二幕でのウィリに半殺しにされるまで踊り続けなければならない凄惨さの表現が可能なのです。
ヒラリオン役のサヴェリエフがその少し前に、似た状況でそのまま死に至りますが、
そのサヴェリエフの踊りと比べても、緊迫した感じと凄惨さの違いが明らかです。
こういった、同じ、または似た振付の個所で、ダンサーの力量がおのずと明らかになるのが、
バレエのベル・カントならではのこの作品の面白いところです。

また、さらにすごいのは、凄惨さの向こう、つまりウィリに課された肉体的な辛さを越えたところに、
本当にアルブレヒトを苦しめていること=ジゼルを死に追いやってしまったことへの
激しい後悔と彼女への思慕の情という、精神的な苦しみをゴメスが見事に表現している点です。
彼の踊りを見ていると、この場面で、この肉体的な苦痛から逃れ抗う、というよりは、
このままジゼルがいる場所に行ってしまいたい、
つまり、死んでしまいたい、とアルブレヒトが思っているようにさえ感じられるほどです。




だから、ジゼルが彼を身を呈して助けた後、彼が彼女の墓(木で作った十字架)の前から身を起こし、
花を撒きながら一歩、二歩と立ち去るラストの場面には、
その彼女の優しさの記憶だけが、その後の彼の生きるたった一つの理由になっていくような、
独特のせつなさが溢れます。

ゴメスのこの表現力の進化を可能にしているのが、まさに先に触れた、
① 格好悪さを恐れない
② 手段を選ばない (古典レパートリーにコンテらしい振りのテンポやシャープさを取り込むことを厭わない)
ということの二点で、その結果、今や、他のどのダンサーとも違う、
”ゴメス・スタイル”を感じ、彼は本当に今後も要注目である!との思いを強くしました。

一方、昨年の公演で、氷のように冷ややかなミルタを演じて私を魅了したジリアン・マーフィーですが、
今日の公演ではどこか人間らしさを感じる表現に変わっていたのが興味深かったです。
ミルタにもジゼルのような悲しい過去があったのかな?と思わせるような、、。



テクニックも安定していて、彼女のこの役はいつも一定以上の、
それも高いレベルのパフォーマンスが期待できるように感じますが、
私個人的には、彼女には昨シーズンのような、徹底的に体温の低そうな、
”バッタの足ををむしって喜ぶ女”系のミルタの方が彼女の個性に合っていると思います。
”去年のあたしはちょっと怖すぎたかしら?”などという邪念を抱くことなく、
せっかくの意地悪に見える美人顔を生かし、怖いミルタを追究して頂きたい!

リッチェットとマシューズのペザント組は昨シーズンに続いて健闘。
サヴェリエフのヒラリオンは昨年よりも踊りにキレ感が増し、
ソロで踊る個所はそれなりに見せてくれたのですが、
先ほども書いたとおり、ウィリに踊り狂わされる部分のうち、
ゴメスがつい数分前にサヴェリエフが踊ったのと似た振付部分を踊る個所は、
”ああ、やっぱりゴメスとサヴェリエフの間には何か決定的な差がある!”と
観客がはっきりと思い知るという、芸術というものの残酷さを垣間見る瞬間になっています。
このたった少しの、しかし、決定的なギャップ、というものをどれだけ埋めていけるかが、
今後の彼の頑張りどころだと思います。

ミルタの直属の部下、モイナとズルマのうち、ズルマ役を踊ったのが加治屋さん。
あの回転時に独特のためのある”加治屋ターン”と、上半身の美しさが私は好きなのですが、
今日はコンディションが良くなかったのか、いつもの彼女の良さが出切っていませんでした。
モイナ役のボイルストンと舞台上で交差する時には、
加治屋さん側のミスでボイルストンとほとんど接触寸前になり、その動揺が若干後を引き摺っていたように思います。
しかし、その後に続くコール・ドと一緒に踊る場面までには持ち直し、
そのコール・ドとの群舞は、”ABTのコール・ドはなあ、、”とよく言われる中にあっては、
非常に良い出来で、大変良く揃っていたと思います。
ここは音楽と振付のおかげもあって、こうして上手く決まると、すごくわくわくさせられるシーンであることも発見。
ここらあたりも、合唱が時にぴりりとスパイスを利かすベル・カント・オペラとそっくりです。
ABTの群舞の場面で、これほど拍手が多かったのを聞いたことがないくらいの盛り上がりようでした。



ニーナのジゼルは、もう今さら何を言うこともないのかもしれません。
彼女の年齢を考えると、当然肉体的にキャリアのプライムにいる
20代から30代のダンサーのような技の精緻さやキレを求めるのは無理な話で、
特に今回は相手役がまさに自らのプライム・タイムにさしかかりつつあるゴメスであったため、
必要以上にそれが強調されてしまった結果になっていた部分はあります。

しかし、そんなことが些細なことに思えるような、何か特別なものが彼女の踊りにはあって、
彼女の動きの一つ一つから、私達はジゼルの気持ちを痛いほど感じ取れる。
もはや”役を踊って”いるのではなく、”役を生きて”いる、
それがニーナのジゼルです。



バレエ版”狂乱の場”と私が名づけた一幕最後で、
アルブレヒトとの数少ない幸せな思い出の一つである冒頭の花占いを思い出しながら、
一枚ずつ花びらを抜いていく場面では、その仕草から、
彼女の”どうして?どうして?”という叫びが聞えて来ますし、
混乱したまま息絶えてしまう場面の、本当に一瞬でありながら、
なお、体の足元側から徐々に上に向かって力が抜けて行くのがはっきりと
観客側に感じられるあのリアルさは息を呑みます。

昨年の『白鳥の湖』の時にもそうだったのですが、
ニーナが踊る白系の作品での女性たちからは、聖母のような優しさを感じます。
ラストの、十字架でバランスをとりながら、アルブレヒトに最後の別れを告げるシーンでの彼女はあまりに優しく、
それが一層、アルブレヒトを後悔させることになるのです。
全く状況は違っているのですが、自分の過ちのために愛する人を失い、
罪と後悔の意識に苦しめられながら、残りの人生を過ごさなければならないというこのアルブレヒトの状況は、
『アイーダ』のアムネリスと通じるところがあり、
実際、『ジゼル』を見終わった後の切なさは、『アイーダ』の鑑賞後感にも少し似ています。
ベル・カントでありながら、最後にヴェルディに変態、とは、『ジゼル』、全く侮れない作品です。



ニーナという人は、共演するダンサーたちから最高の力や潜在能力を引き出す力があると昨年も感じましたが、
ゴメスとのコンビは、彼にものすごく大きなインスピレーションを与える結果になっているように感じます。
もともと演技の素養に恵まれていた彼が、同じく表現に秀でたニーナと共演することで得たものは
計り知れなかったはずです。
ということは、今日のゴメスの大熱演も、ニーナの貢献があってこそ、なわけで、
彼のこの一年の大成長ぶりは、今シーズンでABTを引退するニーナがたくさん残して行ってくれる
ABTの観客へのプレゼントの一つといえます。

そんな彼女が今年でABTを去るとは本当に本当に残念。
ニーナのABTでのさよなら公演『白鳥の湖』はコレーラとの共演で、
彼女の聖母のようなオデットを私もしっかりとこの目に焼き付けて来たいと思います。

(公演の写真はNYタイムズからで、全てこの日の公演のもの。
レポートの内容と呼応するよう、実際の順番とは少し組み替えています。)


Nina Ananiashvili (Giselle)
Marcelo Gomes (Count Albrecht)
Gennadi Saveliev (Hilarion)
Carlos Lopez (Wilfred)
Susan Jones (Berthe)
Victor Barbee (The Prince of Courland)
Maria Bystrova (Bathilde)
Maria Riccetto, Jared Matthews (Peasant Pas de Deux)
Gillian Murphy (Myrta)
Isabella Boylston (Moyna)
Yuriko Kajiya (Zulma)

Music: Adolphe Adam
Choreography: after Jean Coralli, Jules Perrot, and Marius Petipa
Staging: Kevin McKenzie
Costume: Anna Anni
Lighting: Jennifer Tipton
Conductor: Ormsby Wilkins
American Ballet Theatre Orchestra

Metropolitan Opera House
Grand Tier C Even

*** ジゼル Giselle ***