Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

SWAN LAKE - ABT (Fri, Jun 26, 2009)

2009-06-26 | バレエ
22日からの一週間、ABTの上演演目は『白鳥の湖』。
フェリのさよなら公演の時のような、チケットを準備し損ねる、という頓馬な真似はできない!と、
(あの時は幸運の女神が微笑んだからよかったようなものの、、)
土曜の夜のニーナのフェアウェル公演は事前にチケットも抑えて、
月曜から心の準備に励んでいたところ、ローカルのバレエの師匠からお電話をいただきました。
私にはありがたいことに、バレエについては日本(yol嬢)とここNY(M子さん)の二箇所に
バレエ鑑賞の師匠がおりまして、いってみれば私は超英才教育を受けているのであります。
その割に出来の悪い生徒ですみません

で、M子師匠は以前から、ぜひ私にヴェロニカ・パルトのパフォーマンスを観て欲しい、とおっしゃっていて、
それは、金曜のパルト&ボッレの『白鳥の湖』を観ませんか?というお誘いのお電話だったのです。
パルトは何度か準主役や脇で踊るのは見た事があるのですが、
”なんだかやたら背の高いバレリーナ”という印象が強くて、
実は一部の人たちの間にはカリスマ的人気を誇る彼女なのですが、
私自身は、まだ彼女の一番いいところを観ていない気がする、、。
それが、『白鳥』でオデット/オディール役を演じるというのですから、これを見逃す手はありません。

彼女はそのカリスマ的人気の一方で、表現力の確かさに比し、若干テクニックが不安定、
いい時と悪いときの差が大きいとも言われており、
それが原因の一つか、なかなかプリンシパルになれず、一時はABTを脱けるのではないか?という噂まであったのですが、
ABTに入団して7年目の今年、やっとプリンシパルの座を手に入れた彼女ですから、
今日の公演には気合が入っているはずです!

さらにパルトに気合が入るである理由のもう一つはジークフリート役のボッレ。
ボッレといえば、スカラ座でアラーニャを辱めた超美形ダンサーで、バレエ・ファン、特に女子からの人気はすさまじい。
ま、こんな美男子に年甲斐もなく嫉妬したアラーニャの方が身の程知らずだったとも言えるでしょう。

顔はこんなで、


体はこんな。


いかにアラーニャの嫉妬が向こう見ずだったかということがよくわかる、、。

そのボッレ様がABTの舞台に初めて立ったのは、既述のフェリのさよなら公演ですが、
あれから二年経った今年のメト・シーズンより、
彼もプリンシパルとしてABTに入団することになりました。
ということで、今日は新プリンシパル同士の共演、ということになります。

ABTの『白鳥』は序奏の部分で半魚人の方のロットバルト(舞踏会の場面を踊るのは
別のダンサーで、二人一役。)がオデットを捕らえて白鳥にする場面が描かれているので、
ほんの短い間ですが、パルトが登場します。
うーん、やっぱり、でかい!!
私は彼女に関してはちょっとバレエのダンサーにしては背が高すぎるような気がしていて、
ジゼル役やジュリエット役はなんだか想像がつきません。
この二つの役は、私の勝手な思い込みかもしれませんが、小柄な女性、というイメージがあるので、、。

バレエはビジュアルの比重が大きいアート・フォームなので、
オペラでは顔なんて見えなくてもどうでもよい!とまで思っている私なのですが、
バレエはできればダンサーの表情も見たい!
それが、今日はM子師匠が舞台に至近距離の座席を手配してくださったので、
ダンサーの表情が怖いくらいよく見える。
そればかりか、第一幕では、ボッレのお尻も目の前に。ぽよん!

そんな至近距離なので、パルトがすっと舞台から消えた後に、半魚人のロットバルトが、
毛で出来たおまるのような白鳥(=オデットの化身)を抱えて出て来た時には、ちょっとぎょっとしました。
私は超がつく動物愛護の人なので、本物の白鳥の剥製を使うのは論外ですが、
このあまりに白鳥らしくない小道具もどうかと思う、、。
いや、別にこのような具体的な小道具がなくても十分にこのシーンの持つ意味を表現できるんじゃないかな?
しばしば批判の多い、ABTのマッケンジー版ですが、振付の良し悪しといったバレエ特有の点以外でも、
この、稚拙な舞台づくりが批判のタネの一部になっていることは疑いの余地がないように思います。

ボッレはやはり華があるというのか、舞台に現れた瞬間、
舞台が明るくなるような、独特の存在感があります。
しかし、バレエもオペラもそうなんですが、本人のカリスマだけで持たせるには限度というものがあって、
美は細部に宿る、と言いますが、ボッレはその細部の詰めがやや甘く、
そのせいで、せっかく盛り上がった緊張の糸が、ゆるんでしまうのが残念です。
舞台芸術は一瞬一瞬が綱渡り。
もちろん、いつ失敗してもおかしくありません!という文字通りの綱渡りでは困るのですが、
そうではなくて、一つ一つの技を最高の状態で繰り出されるのを目にする、耳にする、
その緊張感が舞台芸術の醍醐味なわけで、真に優れたダンサーや歌手、演奏家のパフォーマンスからは、
必ずそういった至高の緊張感を感じるものです。
で、またバレタマンの女子に刺し殺されるのを覚悟で言うと、私はボッレからそれをあまり感じない、、。
フェリのフェアウェルの時も、そして今日も、なぜか彼の踊りからは”微妙なゆるさ”を感じてしまうのです。
ちなみに、今、ABTで最も緩みのない男性ダンサーはダックス王子ゴメスであることに疑いはなく、
そのあまりの緊張感に呼吸困難を感じるほどの細部への異常なこだわり、演じることへの執着、、、
私がゴメスを同じ演目でも何度でも観たくなる理由はそこにあります。

逆にボッレの美点は、緩んでいるのかと思いきや、突然軽やかかつ優雅に技を決めてくる点で、
もしかするとこの涼やかさが、ゴメスの呼吸困難喚起系の踊りの対極にある、
彼のアピール・ポイントなのかもしれません。
そういえば、体のつくりも、こうして至近距離で見ると、ボッレは男性にしては、
筋肉質ながらも割と細作りなような、、。

ボッレは演技の方も私の好みに比すと若干淡白で、例えば一幕で、
母親に”あなたもそろそろ結婚を、、”と言われてしまう後のジークフリートの表情も、
少し表情に影が入る程度で、”ちょっと心にひっかかるヤなことが出来てしまったな。”という位の表現にとどまっています。

ジークフリートの友人ベンノ役はコール・ドのホーヴェンが予定されていたマシューズの代わりに入りましたが、
隅々に神経を行き届かせようとする意図が伝わる踊りで、私は好感を持ちました。
彼を含むパ・ド・トロワでむしろ気になったのは女性の方。
リッチェットとアブレラという、この辺りの役を踊るには十分に力があるはずの二人で、
このパもきっとこれまで何度も踊って来たのではないか、と推察するのですが、
腕の動きが硬くて色気がないのが気になります。
特に二人ともダンサーとしても、痩せている方の部類に入るので、
一歩間違うと痩せぎすの色気のない村娘、に見えてしまう危険大。
この日は、そのあたり、非常に危ういところを漂っていたと思います。
また、ホーヴェンと片方の女性ダンサー(おそらくリッチェット)の息はぴったりなのに、
もう一人の女性ダンサーが息が合っていないのも気になりました。
いつも思うのですが、この3人というのは魔の数字で、結構コンビネーションのあらが目立つ難しい人数だと思います。

さっき、私の好みには薄味過ぎる、と文句をつけてしまったボッレの演技ですが、
一幕から二幕への橋渡し部分にあたる、ベンノがジークフリートを森の中に追ってくる部分、
この場面で、ベンノはジークフリートの母親がジークフリートに贈った弓矢を持って
ジークフリートを追いかけてくるのですが、
この後に続くやりとりを、私はこれまで恥ずかしながら、単純に、
ベンノ:”これで獲物でもとって楽しんで来いよ!”
ジークフリート:”いや、何か気が乗らなくってさ、、”という会話なのかと思っていたのですが、
とんでもない勘違いでした!!
この弓矢を使っての会話は、結婚相手の女性を定めて落とす、ということのメタファーだったんだ、、。
ですから、ベンノが執拗に、”いいからさー、絶対に楽しいからさー、狩に行って来いよ!!”と言っているように見えていたのは、
同時に、”まだその気にならなくっってさ、、”と煮え切らないジークフリートに、
”お前、まだそんなこと言ってんのかよ。自分の立場考えて、
そろそろ嫁さん決めろよ!”と突き放す友人の一言だったんだ、、と、今さらながら気付きました。
まだまだ一緒に遊んで愉快に過ごせると思っていた友人からこれを言われて
大ショック!なジークフリートが一層ブルーになる、
そこに、あの湖の畔でのオデットと運命の出会いが続くのです。
いや、オデットとの出会いこそは、ロットバルトの仕組んだ罠ではなかったか?
そんな隙間だらけの心理状態だから、ロットバルトにつけ入られるんだぞ!ジークフリート!!!
この場面をこんな風に解釈できることに気付いたのは、ボッレとホーヴェンの二人のおかげです。

しかし、何よりも今回の鑑賞の収穫はパルト。
フェリやニーナが引退をしてしまった・するのに伴って、
ボッレとゴメスの対比の部分でも書いたとおり、技がどれくらい正確に美しく決まっているか、ということよりも、
何がどのように表現されているか、という点に比重が寄った見方をしている私のような人間にとって心配なのは、
残るABTの女性ダンサーたちには、”淡白さん”タイプが多いように感じる点です。
(ジュリー・ケントは私に言わせると淡白さんタイプに入ってしまいます。)
そうでなければ、ヴィシニョーワのように、
逆に技を極限まで磨きあげ、それ自体から何かを生み出そうとするタイプのいずれか、、。
(技を突き詰めたところにドラマが生まれるデヴィーアの歌が好きな私ですから、
このようなタイプのダンサーも、ヴィシニョーワのように技が突き詰められていれば、
それはそれで好きなんですが。)

その中にあって、このパルトという人は少なくともこの『白鳥の湖』を観る限り、
役の器次第で、ものすごく濃密な表現が可能な人で、
ABTの他の女性プリンシパルとは全く違う個性を持っており、
ゆえに一部のファンにカリスマティックな人気があるのもよくわかります。
特に上半身の表現力は特筆もので、小さい役では背の高さゆえにドン臭そうな感じを与えてしまう彼女ですが、
このオデット/オディールのような大きな役で、同じ背の高さに表現力がコンビネーションで加わると、
どん臭さではなく、堂々とした大輪の花を思わせるようになるから不思議です。

特にニ幕のような、曲のテンポがゆったりした場面では、
同じ振付でも、足や腕の動きの直径が大きいので、小柄なダンサーが踊るときとは
全然違う振りに見えるほど、迫力があります。
また、一つ一つのポーズが言葉を発する、というのか、
彼女が何を表現したいのか、ということが的確に表現されていて、
この点においては、私好みの、実に表現の濃いダンサーです。

一方、技に関しての安定度が不足している、という前評判ですが、
この日の公演では安定度が不足している、というより、スタミナの問題かな、と感じました。
ニ幕は、私が観る限り、技が不安定に思われる場面は皆無でしたが、
三幕の舞踏会の場面の後半でややスタミナが切れたか、極細かいミスが見られるようになりました。
特に32回のフェッテの最後の一回の回転が足りなかったのは、とても残念。
こういうところがぴっちり決まると、ぐっと印象が上がるのですが、、。
それまでが綺麗だっただけに惜しまれます。
ただ、ヴィシニョーワのような、完璧な技を誇るタイプではもともとなく、
表現力やそのユニークさに強みのあるダンサーだとは思うのですが、
フェリ、ニーナの抜けた後を埋められる大きなダンサーになるには、
もう一回り、演技へのそれと同じくらいの、技術へのこだわりが出るといいな、と思います。



ここで、パルトについてまとめると、、

1.この背の高さはパートナーを選ぶ。
 ボッレくらいが相手で丁度いい感じ。
 ということは、カレーニョやコレーラのような背の高さの男性ダンサーが相手だと漫画のようになってしまう。

2.この背の高さはレパートリーを選ぶ。
 堂々としたヒロインは適役だけれど、村や町の小娘風はちょっとイメージが違うし、
 体の動きにも合わない気がする。

3.彼女の表現力はレパートリーを選ぶ。
 彼女の評価が分かれているというのは、大いに役のせいによると思う。
 私も脇の彼女を観たときはあまり強い印象を持たなかった。 
 完璧な技ではなく、個性的な表現力に強みのある彼女は、あまり表現の余地のない小さめの役では、
 本来の力が出ないと思う。

一言で言えば、もう一段高い技術へのこだわりが出れば、
一部の役に限定されはするかもしれませんが、
彼女は非常に面白い存在になるポテンシャルを持ったダンサーだと思います。

M子師匠からは彼女の白(オデット)はとてもいい!と聞いていて、実際危なげのないのは白の方だったのですが、
黒(オディール)になってからの妖艶さも捨てがたく、前述の細かいミスを除けば、
表現としてはいずれ甲乙つけ難い出来です。
三幕での、いたずらっ子のような表情でジークフリートを誘惑し、
”どう?あたし、やるでしょ?”という声が聞こえそうな表情でロットバルトと目配せしている様は、
彼に操られているというよりは、自ら進んで彼と組んでいるような積極性を感じさせ、面白い表現だと思いました。



また偏執的な意見ではあるのですが、私は彼女がポーズをとった時に残る後ろ足の
アーチが好きです。
ちょっと若干反り気味なんですが、なんともいえない色気と美しさがあって、、。

ボッレとのケミストリーは前半はどこかぴったりはまっていない感じもあったのですが、
後半に尻上がりによくなっていったように思います。
ただ、最初にも書いた通り、ボッレはもともと表現が涼やかなタイプで、
細かく、かつ濃い表現を身上とするパルトとはちょっとタイプが違うのかな、という気もします。
表現に於いてはゴメスと方向性が似ているように思うので、
来年、彼と組む演目があれば、ぜひ見てみたいです。

なお、私が座っている座席からは確認しづらかったのですが、
M子師匠によると、三幕の舞踏会のシーンは、
通常は舞台上で各国の招待客が踊るのをジークフリートが見ている、という設定なのですが、
今日のボッレは舞台脇にはけてしまっていたということなので、
もしかすると、この日の彼は万全なコンディションではなかったことも考えられます。

7/6からはいよいよABTのメト・シーズンの最終週となりますが、
『ロミオとジュリエット』を、ゴメスの回(ジュリエットはヴィシニョーワ)と
ボッレの回(ジュリエットはドヴォロヴェンコ)の二回、鑑賞する予定にしています。
M子師匠によれば、ロミオ役でのボッレは良い!ということなので、
ゴメスとの一騎打ちが楽しみです。

ついでのようで申し訳ないのですが、他の役にもふれておくと、
ナポリの踊りを踊ったサルステインとフィリップスの二人が元気だった以外は、
舞踏会のシーンで特に目を引いたキャストはなし。

非半魚人、つまり、舞踏会に出てきてジークフリート母まで眩惑させる、
いけてる方のロットバルトを演じたサヴェリエフ。
うーん、、、この人は身長に対して頭が占める比率が大きくて、
ダンサーとして、この先、特にノーブルな役を演じて行くとしたら、この体型がちょっとネックかもしれません。
踊りもミスはないのですが、どこといってあまり魅力的な部分もなく、
ぬるま湯のような温度感のパフォーマンスです。
きつい言い方ですが、いるだけのロットバルト、という感じでしょうか、、?

そして、半魚人の方のロットバルトを演じたズルビン。
昨シーズンよりもずっと表現が細かくなっていいます。
湖から浮き上がって来た13金のジェイソンも真っ青のあんな衣装で舞台に立たされて
この役を演じるダンサーには気の毒以外の何物でもないのですが、
実は最後の一番大切なシーンでその演技力を問われる大事な役でもあります。
彼は気を抜かず精進しているようで嬉しい限り。

コール・ドは、、、、。
何も言わないでおきましょう。

M子師匠に”終演後にボッレを出待ちしましょう!”と嬉しいお誘いを受けるも、
仕事からほとんど直行状態だったため、家でうちの息子たち(犬)が腹をすかせているので、
今回は残念ながらあきらめる。
明日のニーナのフェアウェル公演の前に、
M子師匠、師匠のご主人、私の連れの4人でプリ・シアターのお食事をする予定なので、
その時にゆっくり出待ちの様子を聞かせて頂くことを楽しみにすることにして。

ちなみに、M子師匠がボッレを追いかけるのは”一目ぼれ的”状態だからであり、
(この公演の少し前に某書店で開かれたボッレのサイン会にもきちんと参加されていて、
携帯電話に保存されたその時のボッレとのツー・ショット写真も見せて頂いた。)
ABTで最も好きな、かつ素晴らしいと思うダンサーは、”もちろん、マルセロ(・ゴメス)!”
好きの種類もちゃんと区別されておられるのである。さすが、my 師匠!!!

追記:当レポートをあげた後、M子師匠よりメールを頂きました。あまりにおかしく、かつ興味深い内容なので、抜粋をご紹介します。

”ブログで書いてあったこと、私も同意です!
ヴェロニカ(・パルト)は万能ではないの。アダージョは良いのだけれど、アレグロは駄目。
というのも、彼女は早く動けないから。(だって、、、彼女はでかいもの。)
『眠りの森の美女』ではひどかったという噂を聞きました(あのローズ・アダージョをしくじったらしい。)
どういうわけか、今年の彼女は去年ほどには良くなかったような気がしました。
それは、多分、パートナーの問題もあるかな。去年はマルセロ(・ゴメス)がパートナーだったのよね。
でも、彼女はポール・ド・ブラと足の伸びがすごく綺麗。
それから、私にも、ボッレは少し”淡白”です。
モデルみたいな顔なんだから、何でもっとそれを有効利用しないか!と思っちゃう。
そうそう、それからケヴィン・マッケンジーについても同意見で、
彼の手がける作品は、『白鳥の湖』だけでなく、全部大嫌い!
あれほど無才能で、カリスマに欠けた、給料泥棒のディレクターはいないと思う。
まじで、彼が関わると何もかもがちんどん屋みたいな舞台になるのよ!『白鳥』も例外じゃなく。
本当彼にはむかむかさせられることがたくさん!
ところで、ボッレとミシェル・ワイルズの『シルヴィア』を観たのだけれど、
彼らのケミストリーは、パルトとボッレのそれよりずっと良かったよ。
ワイルズに関しては、これまで観た出演作品・役の中でも最高だったんじゃないかな。
(中略)
昨日、マルセロ(・ゴメス)に道でばったり会ったから、
「あなたの方がボッレよりいいダンサーだわよ。」って言っといた(笑)!”

もう、本当に、my師匠、面白すぎます!!

(冒頭の写真はボッレとパルトのコンビのものが見つからないゆえ、
どさくさにまぎれて、ゴメスとパルトのペアを。)

Veronika Part (Odette/Odile)
Roberto Bolle (Prince Seigfried)
Roman Zhurbin/Gennadi Saveliev (von Rothbart)
Blaine Hoven replacing Jared Matthews (Benno)
Maria Bystrova (The Queen Mother)
Maria Riccetto, Stella Abrera (Two girls from Act I Pas de Trois)
Gemma Bond, Marian Butler, Anne Milewski, Jacquelyn Reyes (Cygnettes)
Simone Messmer, Nicola Curry (Two Swans)
Victor Barbee (Master of Ceremonies)
Misty Copeland replacing Melissa Thomas (The Hungarian Princess)
Leann Underwood (The Spanish Princess)
Renata Pavam (The Italian Princess)
Hee Seo (The Polish Princess)
Joseph Phillips, Craig Salstein (Neapolitan)

Music: Peter Ilyitch Tchaikovsky
Choreography: Kevin McKenzie after Marius Petipa and Lev Ivanov
Conductor: Ormsby Wilkins

Metropolitan Opera House
Orch J→G Even

***白鳥の湖 Swan Lake***