Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

LUCIA DI LAMMERMOOR (Sat, May 23, 2009) 後編

2009-05-23 | メト以外のオペラ
前編より続く>

追記:前編に参考の音源と映像(コステロとグティエレス)を加えました!
追々記:コステロに彼に合った歌唱を思い出してもらうため、『スターバト・マーテル』の抜粋も同じく前編にupしました。

座席に着席してまず違和感があるのが、緞帳にプロジェクターで投影されているBellの大きな文字。
このBellというのはどうやらBell Canadaという、
カナダで最大の電話通信会社(日本のNTTみたいな感じと思われます。)なんですが、
いくら大手のスポンサーといえ、民営の会社のロゴがオペラの公演の緞帳に写されているというのは、
非常に違和感があります。
メトも民営の会社から多額の寄付金を受けていますし、プレイビルやイヤーブックには
それらの会社の広告が入っていることがありますが、緞帳に彼らのロゴが写されることは決してありません。
(メトに関しては同額位の寄付をしている会社があまりに多いので、
こんなことをしたら誰のロゴを写すかでもめて大変なことになってしまうでしょうが、、。)
最近ではアメリカの野球のチームなど、
ホームのスタジアムにスポンサーの名前を冠することが普通になっていますが、
なんだかそれに通じる商業主義を感じます。

それからさらにびっくりしたのは、オケがチューニングを始めた頃に舞台を見ると、
なぜか下手に演壇のようなものが設定されていること。
メトではチューニングが始まる頃に、例のシャンデリアがするすると天井に上がって劇場内が暗転し、
”ああ、いよいよ公演が始まる!”とわくわくしながら指揮者の登場を待つ、、、
これが鑑賞の時間の中でも最高に素敵な瞬間の一つなんですが、
なぜか、ここモントリオールでは、チューニングの音が消えると、
”あんた、誰よ?”と思わず聞きたくなる、カンパニーの関係者と思われる男性がおもむろに演壇に立ち、
”今日はお越し頂きありがとうございます。”に始まり、軽く『ルチア』という演目の位置づけを
語ったりしているのです。最初はフランス語で、そして続いて英語で。
彼が語り終わると彼の部下なんでしょうか?二人の男性が演壇をかついで舞台袖に消えていきました。
もちろん、チューニングで盛り上がっていた私の心はこの間抜けな一連のプロセスによって、すっかり腰砕け。
スティーブン・ホワイトという、ホロストフスキーばりの銀髪の指揮者が現れても、
いつものような興奮状態に自分を持っていくことが難しかったです。

しかし、幕が開いて再び心が昂揚しました。
前編に続き、何度も貶めて申し訳ないのですが、メトという、
大道具の豪華さと、デザインを実際に形にするエグセキューション能力では
現在間違いなく世界のトップを走っている歌劇場に普段から甘やかされているせいもあって、
モントリオールの舞台セットなんて猛烈にしょぼく見えるんだろうなあ、、と覚悟していたのですが、
これが大間違い。
ヘンリー・バードンがダラス・オペラのためにデザインしたものをそっくり拝借してきたそうで、
いまどき珍しいほど古典的なセットなんですが、ベル・カントのレパートリー、
特にこの『ルチア』のような作品は、歌手陣に力があるという条件付きで、
私はこのような演出の方が好きなのです。
一昔前の世代の舞台セット、という感じで、
特別に唸るような工夫もギミックも何もありませんが、色彩の美しさと、
それから、舞台のアクセントになっている巨大な柱の使いまわし方の上手さ
(最初の泉のシーンでは、屋外に、その後のシーンでは同じ柱が館の中の柱となる、など。)で、
メトのように各幕毎に舞台を大きく組み立てなおす資金も人材もない制限の中で
最大限の工夫がされています。
衣装も変な遊びがなく、オーソドックスで安心して見れます。



この感想を書き始めたのと丁度時期を一にして、
私が観たのと同日の公演について、モントリオール・ローカルのガゼット紙(The Gazette)の
アーサー・カプテイニス氏が書いた批評が上がっているのを見つけました。
公演全体に対しては好意的である、という点では共通するのですが、
個々のポイントで、私の意見と彼の意見が全く違うのが”同じ公演を観てるのに、、”と、
逆に面白く、今回はそのカプテイニス氏の評と並行する形で感想を書いてみたいと思います。

このカプテイニス氏、なかなか正直な点に好感が持て、批評の一番最初に、
ものすごく昔の前のことですが、と言い訳した上で、
”自分の名前のもとにこれまで世に出た文章のうちで最大に愚かだったのは、
『ルチア』のことを、ヴェルディ、ワーグナー、モーツァルト、シュトラウス作品を愛聴する
耳の肥えたオペラファンにはほとんど何の利益もない、カナリヤ(技巧だけに富んだ歌手たち)のための作品、
と貶めてしまったことである。”

、、あんた、そんなこと公衆に向けて言っちゃったんですか(笑)。批評家失格!!

でも彼はカミング・アウトしてその恥ずかしむべき事実と、後になってそれが間違いだったと気付いた、
ということをきちんと認めているだけ、えらいです。
正直、特にクラおた寄りのオペラ・ファンや、もしかすると一部の批評家も、
まだ昔の彼と同じように思っている人が実はたくさんいるんではないか?と思っている私です。
ベル・カント・レパートリーがなかなか正当な評価を勝ち取れ得ないというのはいかにも残念なことです。

で、さらに言ってしまうと、このカプテイニス氏は間違いを訂正したところまではいいんですが、
しかし、このルチアに求められる歌唱というのが本当には理解できていないのではないかな?
というのが私の感想です。
というのも、彼はこの公演では、一番非力だったのがルチア役を歌ったグティエレスと感じているらしく、
”タイトル・ロールに弱いソプラノが入っていても、素晴らしいルチアの公演は可能か?”という問題を提起し、
今回の公演に基づき答えをYesとする、そんな文章を書いているのです。嗚呼。



まず彼がしょっぱなに褒めているのが、例の銀髪のアメリカ人指揮者、スティーブン・ホワイトが率いるオケ。
冗談きつい。
このホワイトという指揮者は主にアメリカの地方都市のオペラ公演などを振って来ているようですが、
2008-9年シーズンに、『夢遊病の女』のカバーの指揮者として、初めてメトに採用されています。
(ちなみに表の指揮者はピドでした。)
彼のオフィシャル・サイトには、これまでの公演のレビューの抜粋が掲載されていますが、
もちろん、好意的なものしか採用していないわけで、
その好意的な評によると、彼の指揮振りは、ベル・カント・レパートリーの熱さを巧みに表現し、云々、
みたいなことになっているのですが、私は逆にそここそが最も彼の指揮で苦手に感じた部分で、
ものすごくテンポを熱く煽るんですが、オケがついていけていない。



演奏しているのはオーケストル・メトロポリタン・ドゥ・グラン・モントリオールというオケで、
このオケの首席指揮者であるヤニック・ネゼ=セギャンという超若手指揮者は、
昨年のザルツブルク音楽祭の『ロミオとジュリエット』を指揮した今ちょっとした話題の人で、
彼は2009-10年シーズン、ゲオルギューが出演する『カルメン』でメト・デビューすることが決まっています。
彼は他にもロッテルダム響やロンドン・フィルの指揮もしているのですが、
私は『ロミオ~』も含め未聴なので、彼の実力がどんなものかは来るメト・シーズンで確認するしかありません。
そんなわけで、ネゼ=セギャンがどれほど実力があるかは知りませんが、
オケは音色そのものはそう悪くはないものの、メト・オケと比べてしまうと、
アンサンブルの点でかなりの問題があり、ホワイトの指揮についていけてない個所が散見され、
これがもしメト・オケのようなオケが演奏していたなら、ホワイト氏のサイトにあるような、
”ベル・カント・レパートリーの熱さを表現した演奏”にもしかしたらなりえるのかもしれませんが、
このモントリオール版メト・オケ(ややこしい名前をつけるな!)の演奏では、
”熱い”はずの演奏も、ただ”むやみに急ぎ、そして時に崩壊している”という風にしか聴こえませんでした。
特に六重唱のところでそう感じました。
カプテイニス氏はここが一番良かったと感じたようですが、ベル・カントの演目だって、
ただ早く演奏すればそれで熱さを表現できる、というような単純なものじゃないと思うのです。
オーケストラがきちんとついて演奏できてなんぼ、演奏が素晴らしいとすれば、
それはその先にあるもののはずです。



次にカプテイニス氏のお褒めに預かったのは、スティーブン・コステロ。
”美しく良く鳴る声”と”ルチアへの愛情をリアルに演じた”点が褒められています。
本来なら、大喜びしたいところなんですが、私は実はこの公演を聴いて彼の将来に一抹の不安を覚えています。
まず、カプテイニス氏の後半の言葉、これは間違いなく正しく、
数シーズン前まででくの棒のようだった演技が目覚しく進歩しています。
メトの舞台で同じエドガルド役を歌った時は、あまりの演技のつたなさにこちらがどきどきしてしまいましたが、
実際に演技力が向上したのか、メトよりはモントリオールの方が緊張せずに演じられるからか、
とにかく演技に関しては堂々としていて、微妙なニュアンスもあり、特に気になる欠点はありませんでした。
しかし、心配になったのは声と歌唱の方です。
カプテイニス氏の彼の声への評、”美しく良く鳴る”という言葉は、
メトでアルトゥーロを歌った時の彼にこそ捧げたい言葉です。
今日の公演では、その彼の最大の美点であったものがだんだん消えつつあると私は感じました。
というか、非常に間違った方向に彼の歌唱が進んでいる、とすら言ってもいいかもしれません。

彼がメトでエドガルド役を歌ったのを聴いた際、でくの棒演技の他に気になったのは
スタミナの配分のまずさと絶対的なスタミナ量の欠如でした。
おそらく彼自身、この点についての自覚があったと見られ、
表面的には、かなりその点が改良されており、スタミナ不足に感じられた場面は一度もなかったのですが、
しかし、それを達成する過程で、何か、彼の歌唱の根本的な何かが変わってしまったように思います。
実際、今の彼の歌唱を初めて聴いたとしたら、彼の声に特別なものがあるようには
私は感じないかもしれません。
発声の仕方そのものがかなり変わってしまって、そのために声がややロブストになった感じがしますし、
それに伴って高音に以前のような自然に湧き上がってくるような美しい響きがなくなり、
どこか辛そうで、この歌唱のスタイルでずっとこの先押し通すのは、どう考えても無理があります。

本人自身、歌唱にものすごく迷いがあるのが、
終演後の舞台挨拶でほとんど笑みを見せなかった彼の複雑な表情に表れていました。
メトではあれほど繊細で美しかった”神に向かって飛び立ったあなたよ Tu che a Dio spiegasti l'ali”も、
まるで違うテノールの歌唱を聴いているようでした。
一日も早く彼の迷いが吹っ切れるような、本来の美声を活かせる発声が戻って来ることを心から願っています。



この演目の裏主人公と言ってもよい、ある意味、エドガルドよりも重要なエンリーコ役を歌った
メキシコのバリトン、ホルヘ・ラグネスもカプテイニス氏的には
OKらしいのですが(”無情さを火のような声で表現した”)、Madokakip的には全然駄目。
彼は声にバリトンらしさがなく、軽すぎるように思います。
声域が下がったテノール、とでも呼びたい声の質感で、
その声でエンリーコのパートを歌っても曲が活きないのが最大のネックです。
それから彼はリズム感が最悪ですね。一つ一つの音の長さが実にいい加減。
こんなにリズム感が欠如している人、国際的なレベルで活躍する歌手の中にはちょっと珍しいんではないでしょうか?
カットされることもままある”嵐の場面”もいつもの私なら聴きたいんですが、
彼がこの役を歌う限りにおいては、ここモントリオールでその場面がカットされていたのは正解。
メトの公演はこの嵐の場面も演奏されますが、それ以外の個所で、若干のカットがあります。
モントリオールは嵐の場面はないかわりに、メトが施した細かいカットを
ノーカットで演奏している場面が多かったです。

残る脇男性三役、つまりライモンド、アルトゥーロ、そして、ノルマンノを歌った歌手たちは、
プレイビルによると全てカナダ人で、
名前から判断するにフランス系(なのでおそらくモントリオール出身、、?)なんですが、
ディクションがものすごくフランス語っぽいのには苦笑させられました。
言葉のつなぎが非常にだらだらして聴こえて、イタリア語の持つ語感が全く活きません。
特にライモンドを歌ったアラン・クロムは、声そのものはなかなかいいものを持っているのに、
このディクションの悪さのせいでだいぶ損をしていると思います。
びっくりはノルマンノ役で、通常この役はテノールが歌うはずなのですが、
なぜか、バス・バリトンのベルジェロンが担当。コストカットの一策なのか、
もともと高い声域も出る歌手だからなのか、、?
公演中はあまり違和感がなかったので、後者かもしれません。
カプテイニス氏も、彼ら地元ボーイズには冷たくできないのか、好意的な評でした。

同じくカナダ出身、ただしこちらはイギリス系ではないかと思われるサラ・マイアット。
彼女が歌うアリーサ。これはなかなか良かったと思います。
美しい声質、適切なディクション、舞台姿のちょっと地味目の美人という感じもこの役にぴったりです。
カプテイニス氏も地味目の美人に弱いのか、”ルチアよりも輝かしく明るい声”と評しています。

そして、氏は最後のポイントで一気に攻撃に出ます。
”キューバ出身のソプラノ、エグリーズ・グティエレスは第三幕の狂乱の場を
ピュアなサウンドと確かな技巧で歌ってのけた。
しかし、このルチアというキャラクターにはそれ以前に表現すべき音楽と言葉がある。
最初のニ幕で力をセーブするようなルチアは観客の忍耐を試し、信頼を損なうリスクすら犯すことになるのに。”

、、、、、何を言ってるんだ、ルチアをカナリヤのための作品呼ばわりしたおっさんが。

まず、言っておきますが、グティエレスの歌は一幕の”あたりは沈黙に閉ざされ Regnava nel silenzio”でも、
絶品でした。
思わず溜息と共に、終わった瞬間、”アウェイ”であるモントリオールで、
Brava出ししてしまいましたから。
声には適度な温かさがあり、この巨大なホールでも響き負けしないいい声をしています。
正直、ネトレプコはもちろんのこと、あのデッセイと比べても、
彼女の方が真性のベル・カントに近いところにいるような技巧を持っていて、
今、こういう技巧を聴かせることのできる歌手は本当に数が少ないので、耳への最大のご馳走です。

ただ彼女はものすごく歌が上手いですが、その中でもものすごく特別な域に飛び込む瞬間があって、
その域以外では若干、本当に若干ですが、音がシャローに響く傾向があります。
この日の公演でも特別な域に入ったのは、狂乱の場の前半
(”この世の苦い涙を Spargi d'amaro pianto"に入る前の部分)のうちの後半部分で、
しかし、残りの部分が本当の意味で特別な域に行けないのは、
それは”力をセーブする”という問題なんかではなく、
いつも歌唱をミクロの穴に糸を通すような繊細さで同じコンディションに持っていけるか、という話であって、
そういう意味で彼女はまだ完全に彼女の最高の歌を何度でも再現できる、というレベルには達しておらず、
デヴィーアやグルベローヴァといった人たちと同じレベルで語ることはできないのですが、
もし本人が精進したならば、もしかしたらそこに到達してしまうのでは?と思わせるような
優れた素材の持ち主です。



特別な域に入った時の彼女は本当にすごくて、こちらの体を焼きつくされそうな
強力なビームのような高音を出してきますし、
何よりも細かい音の扱いが舌を巻くほど上手い。
彼女に関してはOONYガラのような下品な装飾歌唱だけを予期しているとびっくりさせられるような、
極めて品の良い歌も歌える人です。
彼女のルチアはYou Tubeにも上がっていますが、私が見た映像は相変わらずちょっと下品な装飾があったりするのですが、
今回の公演では全くそれらが影を潜め、とても品良い歌でした。
基本に忠実で、どの音も本当に大事に歌っていて、、。
演出により歌い分けているのか、気分によるのか、それとも長期的な流れとして、
段々ださい装飾歌唱がそぎ落とされてきたのか(最後のケースだと喜ばしいですが。)、それは謎です。
それにしてもOONYガラの時は彼女がこんな歌を歌えるとは見破れなかった、、。
私の目もたいがいの節穴です。

そして、カプテイニス氏の言葉が演技の欠如も含めているのだとしたら、それは私もある程度は同意します。
確かにコステロの演技に比べると、歌に完全にウェイトが寄った、硬い演技だったとも思います。
でも、歌唱がこれだけ良かったら、私には文句をつける気になれません。
カナリヤもここまで歌が上手いカナリヤだと、その歌自体に演技以上の意味が生まれるのです。



カプテイニス氏がお茶目なのは、自分の意見にフォローを入れてしまう点で、
”しかし、もしかすると、グティエレスはモントリオール初登場なので、
客席数が多く、音響的にもあまり恵まれていないホールの状況をテストしていたのかもしれない。
彼女には素晴らしい声とルックスが備わっている。私の予想ではこの後に続く公演で
もっと歌と演技がオープンになるはずだ。
いずれにせよ、狂乱の場は間違いなく目も眩むような素晴らしい場面があり、
後半に入る前の喝采は雷のようにホール中にとどろいていた。”

もちろん、私のBrava!の絶叫もそれに貢献してました。

最後のカプテイニス氏の言葉は、
”アルトゥーロ(カプテイニス氏の名前アーサーのイタリア語読みがアルトゥーロ)の意見は、
今すぐ皆さん、チケットを買いに急ぎなさい!だ。”

この点については全く同意。
ルチア役の歌唱だけに絞っていうなら、今まで観た全てのルチアの公演の中でも最高の興奮を味わいました。
ほとんど偶然に観に行ったモントリオールの『ルチア』で、こんな幸せに恵まれるとは。
やはりバケーション中でもオペラと縁が切れるわけなんてないのです。


Eglise Gutierrez (Lucia)
Stephen Costello (Edgardo)
Jorge Lagunes (Enrico)
Alain Coulombe (Raimondo)
Antoine Belanger (Arturo)
Pierre-Etienne Bergeron (Normanno)
Sarah Myatt (Alisa)
Conductor: Steven White
Stage direction: David Gately
Set design: Henry Bardon for Dallas Opera
Lighting design: Anne-Catherine Simard-Deraspe
Chorus master: Claude Webster

Opera de Montreal
Orchestre Metropolitain du Grand Montreal
Chœur de l’Opéra de Montréal
Parterre Pair C Even
Salle Wilfrid-Pelletier, Place des Arts, Montreal

*** ドニゼッティ ランメルモールのルチア Donizetti Lucia di Lammermoor ***

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8 コメント

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コステロ (シャンティ)
2009-05-31 20:48:25
先月 アニック・マシスを検索していて こちらを発見しました。http://www.youtube.com/watch?v=JGg9z6FgsPI
madokakipさんの注目株ということで聞いたのですが わたしには、ときめくものがありませんでした。(とりあえず、歌っているという感じがして) youtubeの音の限度があるので 先日の観劇のレポートにコメントすることを避けていたのですが、このマントヴァの歌唱は 今回のエドガルドと共通するものがあるのかも?と思いました。
返信する
まさに、です。 (Madokakip)
2009-06-01 03:09:12
シャンティさん、

ありがとうございます。
ええ、そうですね。この紹介頂いたマントヴァなんかが、
私が今回モントリオールで感じ、また残念に思っている彼の歌唱を具体的かつ顕著に表しています。

参考までに、前編の方に、
彼が2007年のメトで歌ったアルトゥーロの歌唱をupしてみました。
そこにも書きましたが、まるで清水が湧き出てくるような
あのオペラハウスで”鳴っている”感じというのは
十分には伝わらないかもしれないですが、
2本目に紹介している今回のモントリオールの公演とは
声のテクスチャーが違うことは伝わるのではないかと思います。

この紹介頂いた映像も含め、彼の映像をupしているこのMusicalArtistsというのは、
彼本人か関係者(マネージメントなど)だと思うのですが、
”人知れぬ涙”のポスティングのところのコメント欄で、
彼の声はサイズが小さい、小さくないという議論がありますね。
その中で、メトで彼の声を実際に聴いた人が、
彼の声はあの大きなハウスでもよく通っていた、と力説されていますが、
私も同感です。
彼の声は、小さい大きいの話をすれば、若干小さい方ではあると思います。
でも、小さくても、”よく鳴る”、”よく響く”声であれば、
メトのような箱でも全然問題はなくて、
アルトゥーロをメトで聴いたときは、
全く問題ありませんでした。

こういったYou Tubeへの書き込みは、
えてして歌手にとっては雑音でしかない場合が多く、
本人がこういうポスティングを見て、
もっと声を張り上げなきゃとか、
もっとロブストにならなきゃ、と、
考え過ぎてなければいいな、と思います。
彼は今回聴いたような、またマントヴァの映像にあるような
変な発声をしなくても、十分通る声をしているんですから。
返信する
アメリカ人テノール (keyaki)
2009-06-01 16:12:35
ステファン・コステロって、ザルツブルグのムーティ指揮のオテロでカッシオを歌ったテノールですよね。
多分1981年か1982年みたいですけど、生年月日ご存知ですか?
シャンティさんがリンクしてくださっている公演のレビューを2種類目を通してみましたが、両方とも、テノールの新星....とけっこう絶賛調で書き始めていますが、後半が腰砕け状態...長続きしないかも.....みたいに書いてます。小さい役ではよくても、大きい役だと声の疲れが顕著に出るタイプということかしら。本場イタリアで、歌うってことは実力があるってことでしょうけど、オペラは、声がいいだけでは難しいんですよね。オペラ用の強靱な咽喉が必要ってことでしょう。
Prima della Prima の映像で気になったのは、イタオペ専門でいくつもりなら、イタリアでのインタビューはイタリア語でやってね......若いんだから。
返信する
中途半端な情報ですみません (Madokakip)
2009-06-02 10:45:56
 keyakiさん、

>ザルツブルグのムーティ指揮のオテロでカッシオを歌ったテノール

その通りです!

>生年月日ご存知ですか?

現在27歳でてんびん座らしいということはわかっているので、
ということは、今年2009年には28歳になるわけですから、
生年は1981年ということになりますね。
なので、生年月日は1981年の9月22日から10月23日の間と思われます。
微妙に中途半端な情報ですみません。
正確な日付がわかったらご連絡しますね。

>小さい役ではよくても、大きい役だと声の疲れが顕著に出るタイプということかしら

2007年のメトの『ルチア』のときに少しスタミナが足りないかな、という風には思いました。
でも、一線でやっていきたければ、
一生アルトゥーロやカッシオを歌っていく訳にはいかないですものね。
私は彼のもともとの声にはベル・カントから一部のフランスものあたりくらいが向いているのではないかと思っていたのですが、
もしかすると、マネジメントは近い将来、ヴェルディとかプッチーニの作品あたりをレパートリーの中心に持ってきたいのかな、という気もします。

今回聴いた彼の発声は、言葉で説明するのが難しいんですが、
声に顎を引いているような音が加わっているとでもいいましょうか、、。、
そうすると、音の重心が下がって男性的に聴こえはするんですが、
一方で、空気の流れが十分に生かせてなくて、
ちょっと詰まってる感じがするんですよね。
以前の彼は、管の直径一杯に使って声を出していたように聴こえたのですが、
今はその直径が少し狭まっているように私には聴こえました。
スタミナの問題を間違ったやり方で克服しようとしているように思えてなりません。
今は一見、以前よりはスタミナがついたように聴こえるのですが、
この歌い方では長くは(上演時間というミクロの問題ではなく、
キャリアというマクロの面で)持たないと思います。
彼は歌を始める前に、トランペットを吹いていたそうですし、
以前の歌声を聴くに、肺活量といった体のつくりの問題ではなく、
空気の使い方、テクニックの問題だと思うんですよね。

で、そのことが結局以前よりも高音に安定感を欠く結果になってしまっていて、
腰砕け、というのも、スタミナのみならず、
そのあたりで高音でがくん、と来て、
そのまま気持ち的にも尻すぼみになってしまう、という部分もあるのではないかな、と思います。
今回のエドガルドでも、たまに以前を思わせる綺麗な高音がぽーんと出るときもあるのですが、
また逆に喉が締まっているような辛そうな響きのものもありました。

強靭な喉がないからそういうことになってしまう、といえば、そうともいえるのかもしれないですが、
私は彼がスタミナの不足をもっと違う方法で克服してくれるのを期待してたんですよね。

彼は生真面目なところがあるのか、
たった二年前にはものすごくほっそりしていた体型が、
今回、顔も体型もかなりぽっちゃりし始めていて、
スタミナをつけようと、相撲の力士ように、
必死に日々、食べ物を流し込んでいるのではないか、という気もしました。

>イタリアでのインタビューはイタリア語でやってね......

私も彼はイタリア系の家庭の出だと思っていて、
そういう家庭では、おじいちゃんやおばあちゃんたちの世代がイタリア語で喋っていて、
むしろ英語が全然話せない、というパターンが結構あるので、
(私の同僚の旦那さまもそうで、お母様はいつもイタリア語。
彼もイタリア語がぺらぺらです。)
彼が英語でインタビューを受けているのは、え?って感じでした。
返信する
Eglise Gutierrez (babyfairy)
2009-06-08 09:15:50
どうもお久しぶりです。遠出をされたんですね。カナダのオペラ界の様子は、有名人は居ないけれど、将来有望そうな人も時々混じっていたりする・・・と言う点で、ちょっとウェックスフォードオペラと同じ感じっぽいんですね。

評論家氏が酷評していたこのソプラノさんは、フローレス王子のファンフォーラムでも注目している人が多いんですよ。お人形さんのようなレッジェーロではない、ふっくらした声の持ち主ですよね。

一方で、コステロ氏は以前、スカラ座の『ジャンニ・スキッキ』のBキャストだった時、Aキャストのテノールが首になって、どうやら自分がAキャストとして初日を歌うに違いないと期待していたら、いきなりグリゴーロ君がどこからともなく現れて、その期待が無惨にも(?)破れてしまった・・・で、インタビューで文句を言っていたテノールですよね。

私もこの人、声に特に魅力を感じません。重い役を歌いたいが為に、無理矢理声の重心を下げるなんて事を、その年齢からやってるとは。自分の声を生かした役の選択をし、無理をしなければ、フローレス王子のように自分の持ち味を生かした分野からスターダムに登る事だってあるのですから(彼に出来る、と言う意味ではなく)、早く間違いに気づいて欲しいです。
返信する
なんと奇遇! (Madokakip)
2009-06-08 11:39:11
 babyfairyさん、

>カナダのオペラ界の様子は、有名人は居ないけれど、将来有望そうな人も時々混じっていたりする・・・と言う点で、ちょっとウェックスフォードオペラと同じ感じっぽいんですね。

そうだったんですね!
超失礼な私は寒い舞台を見せられて凍えて帰って来ることになるのでは?なんて
心配してたのですが、
とんでもない!
おっしゃるとおり、すごく面白いものを見せてもらえて大満足でした。
ウェックスフォードでも、エキサイティングな舞台をご覧になれること、お祈りしております!

グティエレスがフローレスのファンフォーラムで注目されているというのは納得です。
彼女の関しては、私、歌を聴くのは二回目なんですが、
(全幕は今回が初めてですが)
コンディションにより出来にムラがあるのが
課題かもしれませんが、
今回聴いたルチアのような歌を歌えるというのは、
大きな希望を持たせてくれます。
おっしゃるとおり、すごくふっくらした声で、
私がすごく好きなタイプの声なんですね。

>評論家氏が酷評

ルチアを貶めるような評論家ですから、信頼できませんよ、この人は(笑)。

>スカラ座の『ジャンニ・スキッキ』のBキャストだった時

私の記憶が正しければ、それはおそらく、
マイケル・ファビアーノじゃないでしょうか?
コステロはまだスカラで歌ったことはないと記憶しています。
しかしですね、すごく奇遇なんですが、
このファビアーノは、今日本で上映中で、
何人かの方がコメントを寄せてくださっている、
メトがからんだドキュメンタリー映画”The Audition"で、
ちょっぴりクセのあるコンテスタントとして
登場しています。
スカラの件で文句を言うのも納得できそうなキャラです。

http://blog.goo.ne.jp/madokakip/e/6884cce4e3dcd58d53fec2b59bf892ec

http://blog.goo.ne.jp/madokakip/e/2944a161957d66e6d2e645b73beeff4f

しかし、さらに偶然なのは、彼はコステロと同じAVA(フィラデルフィアにあるAcademy of Vocal Artsという声楽の学校です)の出身で、
ファビアーノの方が後輩なんですが、
ついているボーカルのコーチが同じなのか、
コステロが、I'll walk with Godを歌っているYou Tubeのポスティングで、
ピアノの譜めくりをやっているんですよ。
特徴的な少し薄くなっている頭ですぐにわかりました(笑)。
これがその映像です。↓

http://www.youtube.com/watch?v=uMTHQSYZdAc

コステロは多分、ファビアーノのようなことは出来ない、大人しそうな感じの人です。
もともとの声はいい声をしているんですよ。

フローレスもそうですし、あとはクラウスとか、
軽めのレパートリーでもそれを極めることで、
良いキャリアを積んでいくことはできるのに、
たった二年で声の感じがすごく変わっていて、
(私は歌い方を変えたせいだと思っているのですが)、
すごく残念でした。
返信する
人違いでしたね (babyfairy)
2009-06-09 07:47:29
ごめんなさい、ファビアーノの方でした。出身校が同じなんですか。オーディションの記事リンクありがとうございます。早速拝読させて頂きました。

うーん、確か、私が読んだ話だと、ちょっと間違えたら名誉毀損になりそうな発言をしていたような気がします>ファビアーノ。そういうキャラだとしたら、特に悪気や深い意味は無いのかもしれないけれど。。。

リンクを貼って頂いた映像のモダン系の賛美歌(?)はなかなか良い感じではないですか。声を大切にして欲しいですね。
返信する
人違いとはいえ (Madokakip)
2009-06-09 13:25:41
 babyfairyさん、

いえいえ。人違いとはいえ、その相手が奇遇なまでにコステロに縁のある人でびっくりしました 

>ちょっと間違えたら名誉毀損になりそうな発言

そうなんですか(笑)。
なんだか、想像つきますね。
"The Audition”で見たあくまで私の感想ですが、
彼は根は悪い人ではないと思うのですよね。
むしろ、本当に根が悪い人というのは、もっと上手く立ち回るような気がします。
ファビアーノ君は神経質なところがあるのがああいう行動になってしまうんだと思うのですが、
それと同時に、あまりに自分の感情の処理の仕方、
表現の仕方がまずすぎると思いますね。
あれでは下手をすると、誤解されて、自ら
干されるような状況を作りかねないと思います。
若さなんでしょうか、、、性格なんでしょうか、、。

コステロに関してはこのゴスペルを歌っているのと同じ時期くらいの音源や映像は
一様に今の歌唱よりいいように思います。
あのまま伸びていってくれたなら、、

今からでも遅くはない!早く方向転換してくれることを願っています。
返信する

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