まきた@VetEpi

酪農学園大学をベースに、発展途上国と日本の獣医疫学に取り組む獣医師のブログです。

手話は言語

2009-03-21 05:42:31 | 異文化
3月13日(日)。

ナイロビで、日本から来たとても可愛らしい女学生と会う機会がありました。
この学生さんは、耳が不自由なので、対話は紙に文章を書くか、手話で行います。

僕は、これまで手話に興味はあったのですが、学んだことは一度もありませんでした。今回は、その学生さんが来られたことがきっかけで、ナイロビ在住で、以前日本で手話の先生をされていた方から、10人ほど集まって、50音と、ごく初歩の手話を土曜日に習いました。

学生さんは、数日前に、うちの子の幼稚園を訪問されたようですが、その際、うちの子が頑張って学生さんに日本語で手紙を書きました。すごく集中して書いたようで、下心というのは、学問に上手く作用することがあるということを、改めて思い出したのでした。

なので、日曜日に会った時に、たどたどしく僕の名前を手話で伝えると、嬉しそうに、あの子のお父さんですね、と伝えてくれました。何故か分からず驚いていると、うちの子が手紙を書いているところのデジカメの写真を見せてくれ、私に手紙を書いてくれたんですよ、と教えてくれました。

他にもたくさん人がいたので、会話はそれだけでしたが、気が付いたのは、手話は僕のカテゴリーでは、完全に一つの言語だと認識したことです。明日はそういえばネパール語を使いますが、僕のナイロビでの日常では、ほぼ毎日、英語、日本語、フランス語とスワヒリ語の4ヶ国語を使って生活しています。手話でたどたどしくも意思が通じたときの喜びは、新しい言語、今はスワヒリ語で意思が通じたときの喜びと、全く同じなのです。

手話も、話し言葉と一緒で、国により全く言語が異なるようです。なので、ちょっと習った日本語の手話はケニヤでは通じないようですが、いつか手話を習いたい、と思いました。

そういえば、その一週間前には、うちの職場のホステルで働いている、やはり耳の不自由なケニヤ人の男性と、職場のパブ(あるのです、驚きでしょ)で会いました。この日はアフリカン・ダンスの催し物があったので、何人か踊っていました。その耳の不自由な人は、興味ありそうにしていたので、誘ってみました。

最初は、耳が聞こえないから、と断る仕草をしたのですが、身振りで、目で見てリズムを感じれば大丈夫、と伝えると、了解して立ち上がりました。踊りの輪に連れて行くと、アフリカ人の血なのでしょうか、上手に踊り始めました。

しばらく踊って席に戻ったときの笑顔は、汗もかいて、とても嬉しそうでした。僕だって、日常的に、未だに英語や異文化のハンデを感じることはあります。人にも自分にも、ハンデや違いを超えて生きていくゆとりと思いやりを持たなくては、と再認識しました。そうすれば、毎日がもっと楽しくなることでしょう。

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4 コメント

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Unknown (TAKAMI)
2009-03-21 19:44:06
ううっ、すばらしいですね。なんだか胸がつまる、、、
言語や、手話は、伝える手段であって、伝えるのは「心」ですもんね。
ところで、ウチの息子、明日の礼拝で「暗唱聖句」を唱えるそうです。
毎週、ほんとうに楽しく通っています(*^_^*)
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そうですか! (まっきー)
2009-03-22 01:06:14
TAKAMIさん、
僕にも大発見でした。今まで意志の疎通が出来なかった相手と対話出来るようになることが、僕は大好きなのです。もっと話せるようになるといいんですけどね。
Takくん、楽しんでますね。きっと、素晴らしい心の肥やしになることと思いますよ。
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Unknown (まるきち)
2009-03-23 22:24:30
>とても可愛らしい女学生
さんということで
これで余計に手話の勉強のエンジンが加速しますね(笑)

>ハンデや違いを超えて生きていくゆとりと思いやりを持たなくては

というのは夫婦間で実現することがまず基本ですね。
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そうそう (まっき)
2009-03-24 07:16:41
まるきちさん、

やっぱり下心は勉強を加速しますね。別に何かしようって魂胆はさらさらないんだけど、何か一生懸命になりますね。

>夫婦間で実現することがまず基本ですね。
ほんとそうです。人は身近になればなるほど、自分と同一視しますからね。僕は、つい最近になって心がけるようになりました。
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