以前、あるセミナーに行ったことがあった。JALの再生をやりきった稲盛和夫の講座だというので向かったら、「私、稲盛さんのファンなんです。皆さんと同じです。」という講師が稲盛さんの考え方っていうのを紹介してくれた。
いや紹介してくれたというか、初めはその口ぶりに期待は薄れ、『どうすんべ。帰っちゃおうかな?』とか思うも、この人の惚れっぷりでも聞いてみますかと席を立つのを止めた。
昔は座学が苦手だったのだが、最近は座学がとても身に沁みるように変わってきた。
こちらから行動を起こすことでもなければ、ツラツラと流れていく時間に居たたまれないというのが以前の私だったが、
今は講義の途中から「それならこういうことも有効か?」とか「それひっくり返して考えればこうとも言えるじゃん」とかを異様に思い付く。
講義が終われば、一人でも居残り、講師に感想や質問を滔々と喋っている馬鹿な自分がいる。
この講座の時にそういうことはなかったのだが、講座の中で今までの名経営者の言葉というのを紹介していて、
その中に渋沢栄一の言葉が出てきた。
他にも渋沢栄一を描いた小説があるという、私の知らなかった情報を付け加えてくれた。それが城山三郎著「雄気堂々」。
以前「論語と算盤」は読んだことがあったが、どういう人生だったのかを知ることはなかった。
以前新聞で読んだことがあるのが、現代の名経営者の稲盛和夫は松下幸之助に憧れ、その松下幸之助は渋沢栄一を、渋沢栄一は論語に傾倒した訓を拠り所にしている。
結局全ての経営とは、理念というか信念とでもいうか、徳というものに圧倒的に裏打ちされた考え方そのものなのだということだけが、よーく分かった。
儲けようという強い意思でも、利に聡いということでもない。
どこまでも自身の描く理想というものに近いものを希求する純粋な気持ちそのものが経営というものなんだろうなと思わされる。
で、小説を読んだ。「雄気堂々」。
八重の桜をチラ見しているのだが、会津も薩摩も長州も、徳川の中にだって、「日本が心配だ」という理念が表層のところで形を変えて出現しているようにみえる。
栄一はある意味変わり身が早い。
自暴自棄になることもない。
農夫であり、国を憂えて(誰だって根本は同じ)横浜の外人居留館を焼き討ちしようと計画をしていたが(攘夷派)、ひょんなことから徳川慶喜の側近に目を付けられ、命からがら逃亡してきた京都で慶喜の用心として取り立ててもらって追っ手を振り切った。
小説内では、「慶喜をもって倒幕をなせん」とする栄一と喜作。慶喜は最後の将軍だが?と思ったがそれ以前は薩摩の西郷との駆け引きが凄まじくて、京都で主導権を握れば握ったものが江戸幕府を倒せるという権利を持つという競争のようだ。
容保にはそういうあれはないようだと思ってみているのだが、ここ数回見れていないため、今の八重の桜は分からない。
栄一は建白に建白を重ねる建白魔の上に、実務を着実にこなすことから昇進していくのだが、大政奉還・戊辰戦争の最中はフランスに留学している昭武に従っており、独自の判断で帰国しないことを決めた。
留学費の一切を任された栄一はそこで利殖を生む方法を考案し、新政府に慶喜に返すようにと返納している。
そこから慶喜のところで商工会議所のようなものを作って殖産に精を出そうとしている折に、新政府に呼ばれる。
大蔵省の役人時代、野に下って銀行家の時代、最後は岩崎弥太郎の三菱との全面戦争になるのだが、その中でも外国からの買い渋りに悲鳴をあげている蚕卵紙の生産農家・小売商を束ね、作戦を授ける辺りや、生糸でも展望を見据えて挑むその戦略には、留学時に培った、欧米人に対抗する気概と向こうの特質や考えていそうなことを看破する力が漲っている。
日本の産業を盛り立てなくてはというその意識に、不況下だからなどの言い訳はないのである。建白魔はそのまま対応案をも考えついてしまう。
私心がないと、結局向上することはないんじゃないか?と思ってきた自分だが、渋沢栄一の生きざまは自分を日本に資するように生きてきている。恵まれた家庭の環境がそうさせたのかも知れないし、母親の愛がそうさせたかもしれない。
小説の底辺でなんとなく流れている著者の与えた渋沢栄一像には「まぁそん時ゃ、そん時になんとかするべ」という、
不平不満だけが口を付いて出る人物とは違う、最終的には自分が背負って立つことを腹に決めた男性像が見えてくるのである。
それでは、今度は現代の怪物、稲盛和夫の著作でも読んでみようかな?
いや紹介してくれたというか、初めはその口ぶりに期待は薄れ、『どうすんべ。帰っちゃおうかな?』とか思うも、この人の惚れっぷりでも聞いてみますかと席を立つのを止めた。
昔は座学が苦手だったのだが、最近は座学がとても身に沁みるように変わってきた。
こちらから行動を起こすことでもなければ、ツラツラと流れていく時間に居たたまれないというのが以前の私だったが、
今は講義の途中から「それならこういうことも有効か?」とか「それひっくり返して考えればこうとも言えるじゃん」とかを異様に思い付く。
講義が終われば、一人でも居残り、講師に感想や質問を滔々と喋っている馬鹿な自分がいる。
この講座の時にそういうことはなかったのだが、講座の中で今までの名経営者の言葉というのを紹介していて、
その中に渋沢栄一の言葉が出てきた。
他にも渋沢栄一を描いた小説があるという、私の知らなかった情報を付け加えてくれた。それが城山三郎著「雄気堂々」。
以前「論語と算盤」は読んだことがあったが、どういう人生だったのかを知ることはなかった。
以前新聞で読んだことがあるのが、現代の名経営者の稲盛和夫は松下幸之助に憧れ、その松下幸之助は渋沢栄一を、渋沢栄一は論語に傾倒した訓を拠り所にしている。
結局全ての経営とは、理念というか信念とでもいうか、徳というものに圧倒的に裏打ちされた考え方そのものなのだということだけが、よーく分かった。
儲けようという強い意思でも、利に聡いということでもない。
どこまでも自身の描く理想というものに近いものを希求する純粋な気持ちそのものが経営というものなんだろうなと思わされる。
で、小説を読んだ。「雄気堂々」。
八重の桜をチラ見しているのだが、会津も薩摩も長州も、徳川の中にだって、「日本が心配だ」という理念が表層のところで形を変えて出現しているようにみえる。
栄一はある意味変わり身が早い。
自暴自棄になることもない。
農夫であり、国を憂えて(誰だって根本は同じ)横浜の外人居留館を焼き討ちしようと計画をしていたが(攘夷派)、ひょんなことから徳川慶喜の側近に目を付けられ、命からがら逃亡してきた京都で慶喜の用心として取り立ててもらって追っ手を振り切った。
小説内では、「慶喜をもって倒幕をなせん」とする栄一と喜作。慶喜は最後の将軍だが?と思ったがそれ以前は薩摩の西郷との駆け引きが凄まじくて、京都で主導権を握れば握ったものが江戸幕府を倒せるという権利を持つという競争のようだ。
容保にはそういうあれはないようだと思ってみているのだが、ここ数回見れていないため、今の八重の桜は分からない。
栄一は建白に建白を重ねる建白魔の上に、実務を着実にこなすことから昇進していくのだが、大政奉還・戊辰戦争の最中はフランスに留学している昭武に従っており、独自の判断で帰国しないことを決めた。
留学費の一切を任された栄一はそこで利殖を生む方法を考案し、新政府に慶喜に返すようにと返納している。
そこから慶喜のところで商工会議所のようなものを作って殖産に精を出そうとしている折に、新政府に呼ばれる。
大蔵省の役人時代、野に下って銀行家の時代、最後は岩崎弥太郎の三菱との全面戦争になるのだが、その中でも外国からの買い渋りに悲鳴をあげている蚕卵紙の生産農家・小売商を束ね、作戦を授ける辺りや、生糸でも展望を見据えて挑むその戦略には、留学時に培った、欧米人に対抗する気概と向こうの特質や考えていそうなことを看破する力が漲っている。
日本の産業を盛り立てなくてはというその意識に、不況下だからなどの言い訳はないのである。建白魔はそのまま対応案をも考えついてしまう。
私心がないと、結局向上することはないんじゃないか?と思ってきた自分だが、渋沢栄一の生きざまは自分を日本に資するように生きてきている。恵まれた家庭の環境がそうさせたのかも知れないし、母親の愛がそうさせたかもしれない。
小説の底辺でなんとなく流れている著者の与えた渋沢栄一像には「まぁそん時ゃ、そん時になんとかするべ」という、
不平不満だけが口を付いて出る人物とは違う、最終的には自分が背負って立つことを腹に決めた男性像が見えてくるのである。
それでは、今度は現代の怪物、稲盛和夫の著作でも読んでみようかな?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます