萌えてばかりもいられない!

そんなに色々なことにやたらと深い造詣などいだけないから適当に綴っていこうかしらん

魚にまつわるエトセトラ

2012-03-14 07:49:14 | 懐かしい思い出
子供の頃の食卓に思いを馳せる。

痩せっぽちだった私は、おふくろに「肉を食わせろ!」と威張って云う。
ハンバーグを焼いてくれることもあったし、唐揚げを揚げてくれることもあったが、やはり我が家には魚が並ぶことが多かった。

小田原には早川に漁港があり、そこに魚市場がある。
ダイヤ街と錦通がぶつかる角には「魚国」さんがあり、威勢のいい掛け声で魚を売っている(これは今でも)。

大学で知り合った、築地の料亭の娘が「うち、あそこ(魚国)までお魚を仕入れに買いに行くことがある」と云っていたのはびっくりだった。

うちのおふくろはそこでの買い物は余りしていない・・・・と思われ、公民館横の路地をひたすら国道1号線に触れるか触れないか辺りの神社の脇にあるお魚屋さんで刺身を買っていたと記憶している。他のお店だと仲見世商店街だったかな。。。

大きな陶器のお皿を預け、柵(さく)で売っている鮪やら鰤やらを指定すると、綺麗にそのお皿に並べて返してくれるお魚屋さんで、よく受け取りに行かされた。

刺身はもっぱら親父の肴だ。

もちろん私達も食べたが、日本酒の熱燗に合うことが一番だったのだろうと思う。


ぶつ切りのマグロには山芋を擂ったやまかけを添えてあり、今でも思うがあの組み合わせは絶妙だった。

鰤は照り焼きもあったが、焼き魚といえば、やはり鯵の開きだ。
朝食に出てくることもよくあり、朝の目覚めに台所から煙が昇り、換気扇がフル回転しても排気が追いつかず、TBSラジオの朝番組が響く台所はよく鯵の焼いた匂いが充満していた。

秋刀魚、秋刀魚を焼くのが風景になるほどではないが、肝の部分が旨いというのは確かに親から教わった。ただ肝を食べると決って鱗のようなものが出てくるのが煩わしく思っていたかも。

そして煮魚といえば、金目。金目鯛を煮付けたものがよく出された。

甘塩っぱく煮付けられた魚、目の辺りはプルンとしていて、口に含んで中の白い芯のようなものが出てくるまで舌と上顎の力で押し潰して食べていた。

「肉を食わせろ」と喚いた過去の自分が、当時の食卓の贅沢さに一番気付けていない。


我が家の食卓は台所内に併設されていて、テレビがある居間とは隔絶されていた。

早くテレビが見たい自分は食事そのものを煩わしく思っていたことも思い出される。
今の息子も御飯を食べるのが遅く、唾が出ないのかお米を噛むのに時間がかかって仕方がないのだが、当時の自分も御飯をそれほど多くは食べていなかったと思う。
何を食べたいかと問われても戸惑う息子を見ていると、当時の自分もそれほど食事に拘りなどなかったことを思い出す。出されるものを食べる、出されるものに子供なりの文句をつける。ハンバーグ、ナポリタン、ビフテキ、エビフライ。洋物を強請るのは当時の自分の癖だったろう。

おかわりをすれば褒められていたような気もする。。。。
カレーライスは必ずおかわりするのが習慣だったなぁ。

焼き魚で思い出すのは、骨を喉に引っ掛けてしまった経験が何度かあり、それを白飯を噛まずに飲み込んで流した経験も何度かある。一度目に経験した後は、焼き魚が大嫌いになったような。。。


一度ムニエルを作ってみたというおふくろが得意そうにしていたのを覚えているがムニエルが定番化したか?と問われるとまるで思い出せない。あれは何の魚だったのだろう?

芦ノ湖にブラックバスを釣りに行き、釣り上げたバスを持ち帰りバターで焼いた時、小麦粉を振っていたかな?だとしたらムニエルだったかも知れないけど、その釣りから帰って来た私は熱を出して寝込んでしまったため、バスを食したことは未だにない。Daiwaの釣り魚事典か何かに書いてある調理法を指差し、その通りに作ったものを食べているおふくろの姿の記憶はあるが、気分の悪くなった私は食事をせずに横になっていた。


あぁ鰈の煮付け、、、、卵をふんだんに持った鰈の煮付けが好きだったなぁ。。。


温かいものが食べられるのはとても贅沢だと云い続けられたのだが、本当にそう思うことがあったのは小学校高学年の時の記憶に拠る。。。。

おふくろ方のおばあちゃんの家に一人で泊まりに何日も行っていたときの記憶だ。

炊飯器はあるが保温機能がないため、朝はいつも冷たくなった夕飯の時に炊いた御飯を食べるのだった。
これが嫌で嫌で仕方がなかったのだが、肉屋さんでメンチカツやら買い物に付き合っている時に、おばあちゃんに「今夜カレーにして」とお願いした。
翌朝はその残ったカレーのルーの中に冷えた白飯を入れてもらい、ドライカレー風にして温かく食べさせてもらうことに成功した。

子供なりに懸命に考えての発案だった。電子レンジなんかまだ各家庭にない頃の話。

イルカや鯨の鍋も食べたが、鍋で一番の思い出は鮟鱇(あんこう)。鮟鱇の肝をふんだんに入れた鍋が出てくると軟体な具が一斉になくなって行くのが思い出だ。

ある時から身体にいいと湯豆腐がよく出されるので、その中に入る魚は鱈ばかりになっていった。

自分も釣りをしていた時期があるが、釣ってきた魚を食べたのはやはりワカサギ。

これが楽しみになり、釣りといえばワカサギ釣りばかりになっていった。


最近、実家に帰ると、ワカサギ、ワカサギと親父が云う。。。





今度、芦ノ湖か丹沢でも行ってこようか。釣りじゃなくて単に食べに。

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2 コメント

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Unknown (セシリア)
2012-03-14 08:44:44
私も、痩せっぽちで、さらに肉が嫌いで、親も大変だったろうな?と思います。うちも、魚が食卓に上がる方が多かったです。ハンバーグやグラタンが出る事は無かったな。洋食と呼ばれるものは、ナポリタン、カレーくらいだったかな?焼肉は、自宅でもしてましたが、肉が余り好きじゃなかったから、嬉しくなかったです。色々な刺身が乗ったチラシ寿司は、よく父が作ってくれました。カツ丼も父作で、これは食べてました。今思うと確かに、今より魚が多く食べられてましたよね、当時。
あーうちも、保温してなかったな。機能としては付いていたけど、母が、保温すると、ご飯が黄色くなるといって、使わなかったです。朝は、ふかし(蒸し器)で、ふかしなおしたご飯でした。余り物とかと。懐かしいなぁ。カレーの翌日は、嬉しかったなぁ。朝からカレー^^; 母のカレー、
もう一度食べたいなぁとおもいます。煮魚も美味しかったな。煮汁をご飯に掛けて食べると美味しいんですよね~ う~ん、懐かし過ぎるU+203C
お袋の味って、いいですよね?当時は嫌だなぁ~とか、またこれU+2049なんて思ってても。
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御飯の保温とかについて (mac)
2012-03-15 05:25:59
>セシリアさん、

保温、うちのおふくろもしません。私が中学から高校・大学の頃はガスでその都度火加減を調節して炊き、余ればそれはおふくろ自身がお昼に自分で食べていました。たまに残った御飯を蒸したものもでたかもしれませんけど、ほとんど都度炊きのイメージが強いです。。。お替りが発生すると蒸しパターンだったかもしれません。
なので、自宅で冷たい御飯に遭遇した経験が私にはありませんでしたね。。。
セシリアさんはお父様に作ってもらった記憶がかなりあるんですね?
私は2回くらいの記憶しかないです。
しかも一度はお昼に鳥のささみを用いて作ったカレーで、肉に味が一切滲み込まず二人で「なんか美味しくないなぁ」と言い合った記憶があります。
定年後はお昼は自分で自炊で賄うことをし続けているようですので、蕎麦やら素麺やらを親父にふるまってもらうことが増えました。

一時期茹でる前に、「乾麺を水に一旦晒して置く」ということをしていたけど、、、最近はバットに水を張ったりしていないようです。自炊にも流行があるようなのです。
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