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空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

コロナになりました

2024年06月10日 23時00分00秒 | 身辺雑記

おくればせながら、コロナにかかりました。

先週月曜日・3日にのどが痛くなり、
何となくだるい。
体温を計ると、
36.5度の平熱から37.2、37.5、37.7と、
高め。
血圧も高く、体重も1キロ減少。

コロナか?

心配だったので、PCR検査を受けることにしました。
というのは、ある事情があって、
今、娘にうつすわけにはいかないからです。

かかりつけのクリニックでは
検査をしていないことが分かりましたので、
市に訊いてみると、
千葉県が作成した検査可能医院のリストをご覧下さい、
とのこと。
アクセスしてみると、
膨大なリストで、なかなか浦安市に行き着かない。
ようやく浦安市のリストになりましたが、
これが使えない。
自分の住まいの近所の医院を探したいのに、
住所別になっていないのです。
あっちこっち探して、電話すると、
予約が一杯だという。
どこも当日受付のみで、翌日の朝○○時になったら、
電話をかけてみてくれという。
今、コロナが増えているらしい。

ようやく一箇所、予約を取れて、行くと、
正面玄関からは入れず、裏口にまわってインターホン。
いろいろ書かされ、
順番が来て、裏口入ってすぐの椅子で検体を採られました。
PCR検査ではなく、迅速キットというやつで、10分で結果が出るといいます。
2、30分後に、名前を呼ばれて、再び椅子へ。
診察室さえ入れてもらえない。
立ったままの医師から結果通告。
コロナは陽性、インフルは陰性。
治療は、と訊くと、特に何もせず、
一週間ほどすれば、自然に治るとのこと。
治療薬は、と訊くと、
ご希望なら出してもいいが、
高価で、24時間程度完治が早まる程度なので、お勧めできないと。

結局、のどの薬、せき止めを各7日分、
解熱剤を5日分くれただけ。
治ったかどうかの再診察は、ないという。
何だ、これ。
ほんとに「普通の風邪」だ。

これが都市封鎖だの、
国が滅びる、人類が滅亡する
などと騒いだ病気なのか。
5類になったからではない。
前からその程度の病気ということだ。
マスコミの煽動でパニックが起こっただけなのか。

ただ、欧米での死者数を見ると、
それだけとは思えない。
日本に来たウィルスは、
欧米のものとは別物だったのか。

一度、あの時の騒動の本質
誰かが分析する必要があるだろう。

というわけで、家庭内隔離生活に。

行動範囲は、自室とトイレ、洗面所に限られ、
居間へのドアは固く閉ざされる。
部屋を出る時は、あちこち触る前に手洗い、
そしてマスク。
食事はドアの前に措いておく。
引きこもりだね。
カミさんとの連絡は、携帯電話で。
当然外出禁止。
映画も観れません。

発症から4日、
金曜日あたりで平熱になり、
のどの痛みも取れました。
発症日を「0」日と数えて、
今日で7日目。


本来なら、外出出来ますが、
余裕を見て、明日解禁に。
ただし、家庭内隔離は継続
既に書いたように、
娘の事情で、今、感染させるわけにはいきませんので。

私はコロナ禍の中でも、
「自分はかからない」という
娘に言わせると「根拠の無い自信」がありました。
ウィルスとの接触は仕方ないとしても、
結局は、体内の抵抗力の問題。
体力には自信があります。
そうやってこの4年間を乗り切りました。
なのに、なぜ、今回かかったか。
とうやら、直島・しまなみ海道の旅が、
予想外に疲労を蓄積させたらしい。
それしか考えられません。
そりゃそうだ。
この歳で80キロも自転車で走るなんて。

というわけで、
初めてのコロナ感染、
人並みになった、ということでしょうか。

最後に、コロナのパロディ名画を。

 

 


直島・しまなみ海道の旅・その4

2024年06月09日 23時00分00秒 | 旅行関係

前夜、真っ暗だった窓の外は、

朝、カーテンを開くと、この景色。

そういえば、タクシーの運転手さんが、
「朝、びっくりしますよ」
と言っていましたっけ。

外へ出てみると、こんな記念撮影スポットが。

逆光なので、拝借した写真を。

朝食へ。

席からの景色。

和洋2種類から選びます。

洋食を選び、出て来たのがこれ。

パンは焼き立て。(冷凍かな)

あまりの高レベルに、レジで褒めると、
「厨房に伝えます」とのこと。

このあたりはイノシシが出るらしい。

宿泊所のすぐ脇にレンタサイクルの貸し出し所があります。

この宿泊施設「サンライズ糸山」は、
サイクルロードに設けられたレンタサイクル10の拠点の9番目に当たり、
今治側の出発拠点。

今治市が開設し、指定管理者制度により
市が60%出資する事業団が管理・運営を行っています。

朝8時に借りて、すぐ出発できるので、この宿泊所を選びました。

食事を終え、貸出窓口へ。

予約していたので、すぐ借りられました。

「ファルコンⅧ号」と勝手に命名。

前から、
「一度しまなみ海道を自転車で走破してみたい」
という願望がありましたが、
普通自転車ではまず無理、
電動アシストであれば、と思っていたのですが、
電動アシストは乗り捨てが出来ない上、
走行距離の電池が足りない、
などの古い情報で断念していました。
最近、今治側で借りて、尾道側で返却出来ることが分かり、
走行距離もエコモードで200㎞、オートモードで105㎞、
パワーモードで62㎞との説明があり、
決行を決意した次第。
古い情報は、まだ修正されていません。

天気は曇り。

絶好のサイクリング日和
天気予報で雨模様だった時は、
雨ガッパでの走行を覚悟しましたが、
「晴れ男」なので、この天気に。
なお、自転車の予約は当日支払い(4000円)でキャンセルは無料。
天候に左右されますからね。

で、サイクリングスタート。
まず来島懐郷大橋(くるしまかいきょうおおはし)を渡って、大島へ。

入口は、こうなっています。


来島海峡大橋は、
3つの長大橋梁により構成された世界初の3連吊橋で、
全長4105m
高さ178m(主塔)、65m(航路高)。

この高速道路は
正式には西瀬戸自動車道といい、
本州四国連絡道路の3ルートの一つ。
尾道・今治間を
6つの島を5つの橋(数え方によっては10橋)で結んでおり、
公募した愛称である
瀬戸内しまなみ海道または、
単に「しまなみ海道」と呼ばれています。

1999年5月1日に
全ての橋が完成し、
2006年、未開通道路が通り、
自動車専用部のみで、
尾道・今治の行き来が可能となりました。

高速道路でありながら、
歩行者・自転車・原動機付自転車のみ通行ができる
専用路が設けられています。

その専用路を利用して、
しまなみサイクリングロードも整備。


尾道市から今治市までの
日本初の海峡横断自転車道

私はてっきり高速道路全道に専用路がついていると思っていましたが、
専用路があるのは、橋の上だけ。
そのほかの部分は一般道を利用。
そのため、各橋を渡るたびに
↓のような道を下って普通道に戻り、


再び入口目指して坂道(山道)を登る必要があります。
この高低差はなかなかのもの。

しかし、ブルーラインという、
便利なものがあり、
車道の左側に導線として青い線が引かれています。

↓このラインを辿っていけば、
尾道・今治間を迷わずに行けます。
これがなくて、地図を見ながらでは、まず無理でしょう。

ところどころに尾道までの残りの距離も描かれています。

なぜ、今治行きと尾道行きで色を変えなかったか、
(例えば一方を青、片方を緑にするとか)
謎です。
「ブルーライン」という名称にこだわったのか。

後で調べたら、
「しまなみ海道サイクリングロード整備連絡会議」において、
しまなみ海道を象徴する色として「しまなみブルー」が選定されており、
その「しまなみブルー」を尊重し、ラインの色にブルーを採用した、
とのことでした。

このブルーライン、
外国人にも親切で、
実際に走ってみると、
外国人のレーサーがものすごく多かったです。

最大の魅力は海の上を自転車で渡れることであり、
海と島との一体感、空を飛ぶような爽快感が
楽しめます。
そこが魅力でしょう。

橋からの眺め。

けれども似たような景色なので、あまり掲載はしません。

全長約70㎞
公表による片道走破時間は、
早い人で4~5時間、
体力に自信のある人で5~6時間、
初心者やゆっくり走って10時間、とされています。

私は午後3時44分又は56分の
尾道発岡山行きの列車に乗らなければなりませんので、
約7時間半を予定。
楽勝でしょう。

大島に着きました。

 

大島の面積は41.89平方キロメートル。

一時、ブルーラインを離れて、亀老山(きろうざん)へ。


標高307. 8m。

約1300年前に旅の僧が
島の海岸の洞窟で黄金の観音像を背負った大亀と出会い、
その観音像を本尊とする伽藍を山上に建立したことから
この山を亀老山と呼ぶようになったと伝えられています。

こういった農村の景色。

ものすごい急坂で、


電動アシストも効かず、最後は押して登りました。

亀老山展望公園に到着。

亀の石像。

1994年に山頂に展望台が設置されました。


建築家の隈研吾さんが設計。

パノラマ展望台ブリッジからは、夕日が海に沈む様子や、
世界初三連吊橋「来島海峡大橋」、
日本三大急潮のひとつ「来島海峡」の潮流、
天気が良ければ西日本最高峰の「石鎚山」まで見渡すことができます。

拝借した晴れた日や夕方や夜景の写真。

2017年、
亀老山山頂から望む来島海峡が
四国八十八景の一つに選定されました。
また、トリップアドバイザーの
行ってみてよかった!日本の展望スポット2017で
第2位に選出されました。(なお、1 位は京都清水寺、3 位は東京都庁舎)

亀老山からは東の海沿いの道を行く予定でしたが、
前日のタクシーの運転手さんから、
「車も通らないような道だから、
国道に戻った方がいい」
というアドバイスをいただき、国道に戻りました。

途中、峠越えがあります。

村上海賊ミュージアムにも寄り道しました。

意外と立派な施設なのでびっく。

村上海賊は、中世の瀬戸内海で活動した水軍。


日本最大の海賊とも言われたものの本拠地のひとつで、
小説『村上海賊の娘』の舞台でもある能島城跡が見える展望室や、
活躍が記された古文書、復元した船などを展示。

これは、「村上海賊の娘」の碑。

元の道に戻ります。

伯方・大島大橋(はかたおおしまおおはし)は、
一体構造になっている伯方橋と大島大橋の総称。


全長1230m。

伯方(はかた)


2005年、旧越智郡伯方町と今治市他の合併により、今治市の一部となりました。


海運と造船の島。
「伯方の塩」発祥の地でもあります。
面積20.86平方キロメートル。

時々、電池の残量をチェック。

電池の消耗を防ぐため、
坂道ではパワーモード、
平地ではエコモード、
下り坂はペダルを漕がない(アシストOFF)など、
小まめにモードを変更します。

伯方島は、さらりと過ぎて、

大三島橋は、伯方島と大三島を結ぶアーチ橋。


全長328m。

大三島(おおみしま)は、
大山祇神社がある「神の島」として知られており、
面積64.54平方キロメートル。


大山祇神社には、残念ながら、寄れませんでした。

多々羅大橋(たたらおおはし)は、


吊橋の一種である斜張橋で、全長1480m。

橋の中央にある、これは、

愛媛県と広島県の県境。

ここで電池の残量は、半分以下。


亀老山の坂で、電池を消耗したようです。

今日は、ここまで。
続きは今度。

 

 


直島・しまなみ海道の旅・その3

2024年06月07日 23時00分00秒 | 旅行関係

美術館エリアを去って、本村エリアへ。

このような山道を

沼などを見ながら行きます。

途中、こんなオブジェがありました。

本村エリア。漁村ですね。

こんなオブジェは、自転車置き場。

昼食は、ここで。

このエリアにあるのが「家プロジェクト」

1998年に始まったこのアートプロジェクトは、
空き家などを改修し、
人が住んでいた頃の時間と記憶を織り込みながら、
空間そのものをアーティストが作品化したもの。

本村ラウンジ&アーカイブ

かつて農協のスーパーマーケットとして使用されていた建物。
基本的な構造をほぼ残し、建築家・西沢立衛が空間をデザイン。
家プロジェクトの鑑賞チケットは、ここで購入します。

現在7軒が公開されていますが、
「ぎんざ」は火・水曜は閉館。
「南寺」は整理券が売り切れのため、
残りの5軒を回りました。

この山道を登ると、


「護王神社」


江戸時代から祀られている護王神社の改築にあわせ杉本博司が設計。
伊勢神宮など初期の神社建築の様式を念頭に、
作家自身の美意識に基づくものとなっています。

石室。


ライトを貸してくれました。


本殿とガラスの階段で結ばれていて、

地下と地上とが一つの世界を形成しています。

「碁会所」

昔、碁を打つ場所として島の人々が集まっていたことに由来します。
建物全体を作品空間として須田悦弘が手がけ、
内部には速水御舟の「名樹散椿」から着想を得た
作品「椿」が展示されています。


庭には本物の五色椿が植えられており、
室内の椿との対比的な効果を作り出しています。

「角屋」

200年ほど前に建てられた家屋を、宮島達男が作品化。
漆喰仕上げ、焼板、本瓦を使った元の姿に修復しました。

「石橋」

明治時代、製塩業で栄えていた石橋家の家屋。


直島では古くから製塩業が人々の生活を支えており、
直島の歴史や文化をとらえるという観点からも、
家そのものの再建に重点がおかれました。


千住博が着想から5年の歳月を費やして
「場のもつ記憶」を空間ごと作品化しています。

これは、塩を積んだ倉庫。

「はいしゃ」

 

かつて歯科医院兼住居であった建物を、
大竹伸朗がまるごと作品化。


家のあるところは彫刻的であり、
または絵画的であり、
あるいはさまざまなものがスクラップされているなど、
多様なスタイルが盛り込まれています。

夜にはネオンも。

次の2つは訪問できず。

「きんざ」

築200年超の小さな家屋。
内藤礼が、すでにそこにあった時間と自然の関係性に、
ほんの少し手を加えることによって
新たな空間を創出しています。
屋根や柱などの構造はそのままに
伝統的な技術を使いつつも、
家屋そのものが外壁も含め作品化されています。
お一人りずつ内部に入り作品を鑑賞するため、
完全予約制。

「南寺」

ジェームズ・タレルの作品のサイズにあわせ、
安藤忠雄が設計を担当した新築の建物。
元来この近辺には5つの社寺と城址が集まっており、
かつてここに実在していたお寺が
人々の精神的な拠り所であったという記憶を
とどめようとしています。

                            
幹線道路を東から西に走り、元の宮ノ浦エリアへ。
ここには、いくつかの美術品と
銭湯「I ♡湯」があります。

アーティスト・大竹伸朗が手がける
実際に入浴できる美術施設。
外観・内装はもちろん、浴槽、風呂絵、モザイク画、
トイレの陶器にいたるまで大竹伸朗の世界が反映されています。

入浴料660円とタオル代500円を支払って入浴しました。

撮影は出来ないので、拝借した写真を。

奥には熱帯植物が茂り、
男湯と女湯の境には、巨大な象が。

こうして釣上げて置いたようです。

湯船の底には江戸時代の春画が描かれています。

夜は、こんな感じ。

レンタサイクルを返却し、

この最後の便に乗りました。

来た時より混んでいます。

高松に戻りました。

預けておいた荷物をホテルでピックアップし、
ここで今回2度目のうどん。

いつもは駅弁を食べるのですが、
昨日の下見で駅弁は売り切れているに予想でしたので。

高松駅へ。

予想通り、駅弁は売り切れ。

乗るのは、この特急、

いしづち。

同じ車両の中で自由席と指定席が混在。


初めて見ました。

夕方の光を見ながら、発車。


揺れる。揺れる。
メモも取れないくらい。
新幹線の性能の高さを実感。

ところで、異変の報告。
美術館エリアにいる間、デジカメの調子が悪くなり、
シャッターが降りません。
一度電源を切ってみると、
一回目だけシャッターが降りるけど、
2度目が駄目。
何度も電源を切って、難儀しましたが、
高松を離れた途端、正常に戻りました。
何故でしょう。
現代美術の毒気に当たったのか。

今治に着きました。

タクシーで宿泊施設へ。
これは昼間の写真。

中のロビー。

サイクリングの人の汗の衣服を洗濯。

外は真っ暗。


3人部屋を一人で占有して、4400円。

部屋に風呂はなく、共同風呂。

誰もいなかったので、写真に。

さあ、いよいよ明日はしまなみ海道走破です。

         


小説『異人たちとの夏』

2024年06月06日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

シナリオライターの原田英雄は鬱々とした気分で仕事をしていた。
最近離婚をして、家も資産も息子も取られ、
仕事場にしていたマンションの一室に引っ越してきた。
夜中にマンションがひっそりと静かなことに気づく。
事務所として使用されている部屋が多いため、
夜になると、住民がどうやら、自分ともう一室だけらしい。
その一室に住む一人住まいの女性・ケイが原田を訪ねてきて、
やがて、深い関係になっていく。

プロデューサーの間宮からは、
別れた奥さんと付き合いたいなどという断りを受けた。
それも鬱の気分の一因だ。

一方、生れた町の浅草を訪ねた原田は、
演芸場で父とそっくりな男に出会う。
親しげに話しかけてきた男は
当たり前のように住いに誘い、
行ってみると、亡くなった母と同じ顔立ちの女がいた。
父と母は原田が12歳の時、交通事故で命を落としている。
その後、原田は親戚をたらい回しされた。
両親に似た男女だと思っていたら、
やがて、その男女がまぎれもない原田の父母だと分かる。
原田は48歳。
父は亡くなった歳の39歳、母は35歳。
奇妙な年齢関係のまま、
父とキャッチボールをしたり、
母手作りのアイスクリームを食べたり、
両親を失ってから一度も泣いたことはなく、
強がって生きてきた原田は子どものように甘え、
親子団らんの日々が繰り返され、
原田は安らぎを覚える。

しかし、原田の体に異変が起こる。
会った人が一様に、憔悴した姿に驚く。
原田自身には、鏡を見ても、その衰弱は見えない。
そして、ケイは、もうあの家に行かないで、と懇願する・・・

という、怪談譚。
離婚した四十男の孤独と人生の喪失感、
それを救う両親の幽霊。
そして、もし一人の「異人」との出会い。
日本人の根源にある異界への渇望を反映したような物語だ。

山田太一と言えば、
倉本聰、向田邦子と並ぶ、
昭和のシナリオライター御三家
「岸辺のアルバム」「男たちの旅路」「想い出づくり。」
「早春スケッチブック」「ふぞろいの林檎たち」など、
ヒット作が多く、
常に次回作が期待されたライター。
芸術選奨文部大臣賞、向田邦子賞、菊池寛賞
など、受賞歴も華麗で、
この小説でも山本周五郎賞を受け、
映画化・舞台化もされた。
英語だけでなく、フランス語やドイツ語、タイ語など10以上の言語に翻訳されている。
私は山田太一ファンでありながら、
この作品には縁がなく、
1987年の出版時、1988年の映画化時も触れておらず、
最近、イギリスで再映画化されたのを契機に
配信で映画を観、小説を読んだ。
ただ、英国映画は同性愛という
今はやりの勝手な改変がされていると聞き、
観るのをやめた。

本書は、いかにもシナリオ作家が書いた小説、という感じ。
小説を読む醍醐味は少ない。
物語の作り方は完璧なので、
映画化の際、脚色者(市川森一)は仕事が楽だったろうが、
その年の日本アカデミー賞で脚本賞を受賞。
監督は大林宣彦
風間杜夫の主演で、両親は片岡鶴太郎秋吉久美子が演じた。
ケイは名取裕子、間宮は永島敏行

山田太一は、2017年1月に脳出血を患い、
執筆が難しくなって、
「もう脚本家として原稿が書ける状態ではありませんが、
後悔はしていません。
これが僕の限界なんです」
と告白している。
2019年春頃から、
マスコミ関係者と連絡が取れなくなり、
2023年11月29日、
老衰のため神奈川県川崎市の施設で死去。
89歳だった。

その足跡は、テレビの歴史の中に刻まれている。

 


直島・しまなみ海道の旅・その2

2024年06月05日 23時00分00秒 | 旅行関係

2日目は晴れのようです。


1週間前から四国方面の天気をチェックしていましたが、
少々雨模様だったのが
私が出かける時期に限って晴れに。
晴れ男の面目躍如。

朝食は、ここで。


朝5時から営業。


高松の人は、朝からうどんを食べるそうです。

うどんは、ちょっと太すぎ。


港へ。


チケット売り場。


片道520円、往復で990円。


8時12分の便に乗りました。


やって来たフェリー。


くるりと半回転して、車を乗せます。


乗船。


高松港を後にして、


瀬戸内海を北上。


席の様子。


甲板の様子。


直島に着きました。

「ベネッセアートサイト直島」の本拠地。
「ベネッセアートサイト直島」は、
瀬戸内海の直島豊島犬島を舞台に
株式会社ベネッセホールディングスと
公益財団法人福武財団が展開しているアート活動の総称。

瀬戸内海の各島の自然や、地域固有の文化の中に、
現代アートや建築を置くことによって、
どこにもない特別な場所を生み出していくことが
「ベネッセアートサイト直島」の基本方針。


まず、ここで、


予約した電動アシスト自転車をレンタル。1日1200円。

前に直島に来たことのある娘から「電動アシストでないと無理」と言われましたので。


「ファルコンⅦ号」と名づけました。


港にあるオブジェ。
草間彌生の赤カボチャ。

中は、こんな。


これは、直島パビリオン

これも中に入れます。


街中を通った後、山道へ。

電動アシストの威力発揮。

途中に猫が沢山。

野良猫を村民が養っているそうです。

美術館エリアヘ。


ベネッセミュージアムの入口。


これより先は自転車は入れません。
坂道をとぼとぼと15分ほど。


ベネッセハウスミュージアム

1992年に開館。
「自然・建築・アートの共生」をコンセプトに、
安藤忠雄が設計した美術館とホテルが一体となった施設。

意外や、写真はOK。ウルトラマンの展示物だけNG。

こういう展示物です。


展示リストは持って行きましたが、どれが何やら分からない。

ジョナサン・ボロフスキー「3人のおしゃべりする人」↓

安田侃(やすだ・かん)「天秘」


ブルース・ナウマン「100 生きて死ね」

などが分かる程度。

何分に1回か、全部のネオンが着きます。

実は、私は美術鑑賞眼は、印象派で止っており、
現代美術には、感受性が無く、
ただのガラクタにしか見えません。
とにかく美しくない。

屋外展示。

ウォルター・デ・マリア「見えて/見えず 知って/知れず」

片瀬和夫「茶のめ」

ヴァレーギャラリー


ここは、二つの展示物だけ。

草間彌生「ナルシスの庭」

                            
小沢剛「スラグブッダ88 -豊島の産業廃棄物処理後のスラグで作られた88体の仏」

杉本博司ギャラリー 時の回廊

杉本博司の代表的な写真作品やデザイン、
彫刻作品などを継続的かつ本格的に鑑賞できる
世界的にも他に例をみない展示施設だそうです。

コーヒーハウスがあり、

抹茶と和菓子は料金のうち。

外国人が喜びそう。


屋外展示。

                           

李禹煥(リウファン)美術館

国際的評価の高いアーティスト・李禹煥と
建築家・安藤忠雄のコラボレーションによる美術館。

中には入らず、外の展示物だけを見ました。

地中美術館

予約制で、チケットは完売。


これが予約チケット。


「自然と人間との関係を考える場所」として、2004年に設立。

瀬戸内の美しい景観を損なわないよう建物の大半が地下に埋設されています。

安藤忠雄らしく、コンクリートを沢山使った構築物。

ここは撮影禁止なので、拝借した写真から。


クロード・モネ「睡蓮」の間。


ただ、後期のものなので、
抽象画のように見えます。

ジェームズ・タレルの作品。

光そのものをアートとして提示するもの。

このスクリーンのようなものの中に入って行くことが出来ます。

不思議な体験。

ウォルター・デ・マリアの作品、
「タイム/タイムレス/ノー・タイム」

直径2.2球体と27体の金箔を施した木彫を配置したアートスペース。
空間全体を作品と考えるデ・マリアの指示により設えられています。

球体は花崗岩で出来ているそうです。

柱は、三角柱、四角柱、五角柱の組み合わせで、
3×3×3=27で、27種類。

ごの展示物は、心に残りました。

お客さんは圧倒的に外国人が多く、
国際的にもよく知られているようです。

係の方も最初英語で話しかけて、顔を見て日本人と分かり、苦笑。

この後、島の東側の「家プロジェクト」を見に行きます。