地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

地の果て【アレクシイ2世がロシア正教会の総主教に選ばれる (1990~2008)】

2013-07-04 18:38:02 | 今日の御言葉

Photo: RIA Novosti



あなたがたの上に聖霊が降ると、
あなたがたは力を受ける。

そして、エルサレムばかりでなく、
ユダヤとサマリアの全土で、

また、地の果てに至るまで、
わたしの証人となる。


「使徒言行録」 / 1章 8節
新約聖書 新共同訳


苦労の多い社会であるから
一日も早く平和にしてあげたいと思い
困難な道だからこそ
最も愛する者を遣わすのです。

悲しみと孤独の境地を通過する時
その気持ちを神様に帰しなさい。

涙を流しただけ
神様の心情を知ることができ
苦労する人の心の痛みを
理解できるのです。

あなたが歩んだ苦労の道は
いずれの日にかきっと
多くの人に希望と喜びを
与えることでしょう。



★アレクシイ2世がロシア正教会の総主教に選ばれる
(1990~2008)


◆ロシアNOW 2013年6月13日
http://roshianow.jp/arts/2013/06/07/2_43401.html


1990年の今日、6月7日に、アレクシイ2世がロシア正教会の総主教に選ばれた。


▲ロシア正教会の総主教アレクシイ2世
写真提供:wikipedia.org


◼スウェーデンの貴族の末裔

アレクシイ2世、俗名アレクセイ・リディゲル(1929~2008)は、エストニアのタリンに生まれた。ドイツ系で、先祖は、1695年にスウェーデンのカール11世により、貴族に列せられている。当時、エストニアは、スウェーデン領であり、ピョートル1世時代の大北方戦争の結果、ロシア領となった。

◼激動の時代に

アレクセイの父は1940年に神学校を卒業して、司祭となったが、これは奇しくも、ロシア革命後独立国となっていたエストニアがソ連に併合された年であった。

同国は41~44年には、今度はナチス・ドイツに占領され、その後はまたソ連に再占領される。こういう激動の時代に、アレクセイ少年は育った。

アレクセイは、1947~1949年にレニングラード神学校で、1949~1953年にレニングラード神学アカデミー(現サンクトペテルブルク神学校)でそれぞれ学び、卒業した。

この間、1950年に叙聖されて、エストニアの教区司祭に任命された。同年、司祭の娘ヴェーラ・アレクセーエヴァと結婚したが、1年後に離婚している。

1961年、アレクシイはタリンおよびエストニアの主教に選ばれる。1968年、府主教に選出。1986~1990年にノヴゴロド・レニングラード府主教。

1990年、総主教ピーメン1世の逝去を受けて、総主教に選ばれる。


◼8月クーデターでの断固たる対応


1991年8月、守旧派が起したソ連8月クーデターでは、アレクシイ2世は、クーデター反対の態度を鮮明にし、断固たる対応をとる。


クーデターの首謀者たちを破門し、ゴルバチョフ大統領の軟禁を非難する一方、軍に対しては、暴力と同胞の殺戮に反対する声明を出した。まだ、クーデターの成否が判然としなかった時点でのことだ。しかも、この声明は拡声器で増幅され、「ホワイト・ハウス」前で待機中の部隊にも伝えられた。

こうした対応は、新生ロシアにおける教会の立場に少なからず影響したと思われる。

連邦崩壊直後から、ソビエト政権に迫害、殺害された皇族、聖職者などが列聖されていく。1995年、初のドイツ公式訪問では、アレクシイ2世は「ソビエト連邦によりドイツに押しつけられていた共産主義の圧政」について公式に謝罪している。

2008年、アレクシイ2世は、モスクワ州のペレデルキノの自宅で、心不全のために死去した。



※ 現在のロシア正教の最高位
キリル総主教 (2008~)



★ロシア正教会、「三位一体祭」は教会の誕生日

◆The Voice of Russia 日本語版 2013年6月28日

「三位一体祭、五旬祭、あるいは精霊降臨はキリストの復活から50日めに起きました。まさにこの日、救世主の使徒と弟子のもとに火の舌の形をした精霊が下ってきたのです。この降臨がなされたあと、使徒、弟子たちは様々な言語で語り始め、彼らに伝道を行う恵みが与えられたのです。神の子キリストの教えを記憶に刻んだ使徒らは世界の方々へ散らばってゆき、キリストの復活について、救世主について布教し、キリスト教の教えを広めました。」


イーゴリ長司祭は三位一体祭はよく、「教会の誕生の日」を言われるとして、さらに次のように語っている。


「三位一体祭は復活祭(パスハ)と並び、古代ルーシから人々にとても愛されてきました。民間ではこの日に夏がやってくるとされていたのです。そのため革命前のロシアでは三位一体祭の日、信徒たちは朝から花や木々の枝を持って教会にやってきたものでした。教会も家も床には草や葉が緑の絨毯のように敷き詰められ、イコンのある場所は白樺の若い枝で飾られました。目覚めたばかりの大地の力を力いっぱい吸収した若い枝は、新しい収穫をもたらし、人間にも動物にも健康と幸せをもたらすと信じられていたからです。」

この喜ばしい三位一体祭の日、モスクワでは、15世紀にアンドレイ・ルブリョフが書いた有名な「三位一体(トロイツァ)」のイコンがトルマチ通りの聖ニコライ教会に置かれた。ルブリョフの「トロイツァ」は普段常設されているトレチャコフ美術館から4日間の期限で、美術館に隣接するこの教会へと移されている。美術館のなかではなく、祈りの場で信徒らがこのイコンと真向かう機会を設けることはすでに伝統となった。これについて聖ニコライ教会のニコライ・ソコロフ長司祭は次のように語っている。

「毎年、三位一体祭の前日にこのイコンは展示室から教会へと移され、ここに3~4日置かれます。この教会はトレチャコフ美術館の一種の別館のようなもので、温度、湿度管理など、イコンの保存に欠かせない美術館としての条件はすべて備わっています。またこのルブリョフのイコンは特殊なケースに入れられていますから大丈夫です。」

ロシアにはこの祝日を記念し、三位一体の名称を冠した教会、修道院が少なくない。モスクワ郊外にある有名な聖トロイツァ大修道院もそのひとつ。この男子大修道院は1337年、聖セルゲイ・ラドネシュキーによって開かれた。

http://japanese.ruvr.ru/2013_06_28/116819946/



モスクワにある現在の首座聖堂、
救世主ハリストス教会 (写真)。

宗教弾圧政策をとるソ連時代に爆破(1931年)されたが、
2000年8月に再建された。



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