地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

【定め】東京マラソン名物・ キリストランナーことララバイ、 今年は出場せず

2015-02-23 05:14:13 | 今日の御言葉
▼手書きにこだわり。こいのぼり
(埼玉県草加市 2015.2.19 )






こういうわけで、わたしたちもまた、
このようにおびただしい証人の群れに
囲まれている以上、すべての重荷や
絡みつく罪をかなぐり捨てて、

自分に定められている競走を忍耐強く
走り抜こうではありませんか。


ヘブライ人への手紙/ 12章 01節
新約聖書 新共同訳



すべての宗教は、永遠なるもの、
つまりもうひとつの命を信じています。


この地上の人生は
終わりではありません。

終わりだと信じている人たちは、
死を恐れます。

もしも、死は神の家に帰ることだと、
正しく説明されれば、

死を恐れることなどなくなるのです。



マザーテレサ 

(『日々のことば』より)






防犯の都合上、出走が認められなかったらしい…。


★東京マラソン名物・
キリストランナーことララバイ、
今年は出場せず

◆ガジェット通信2015年02月22日 07:00


東京マラソンをイエス・キリストを彷彿とさせるコスプレで疾走することで有名な、ロックバンド「ザ・チャンバーズ」のボーカリスト・ララバイが、2月22日(日)に開催される「東京マラソン 2015」に出場しないことがわかった。

ザ・チャンバーズはOTOTOYニュースの取材に対し「ララバイは今年の東京マラソンには出場せず、現時点では4月26日にロンドンで行われるロンドンマラソンに出走を予定。その凱旋ライブとして5月1日(金)に新宿レッドクロスでザ・チャンバーズ企画のイベントをおこなうことを予定している」と答え、ララバイが当初より今年は東京マラソンへの出場を予定していなかったことを明らかにした。

ララバイは例年、東京マラソンに出場して十字架を背負いながら寒空の下をキリストを彷彿とさせるコスプレで疾走することで知られており、沿道の見物客だけでなく出場ランナーからも写メで目撃報告をツイートされることでおなじみとなっている。筆者も2012年の東京マラソンに出場して完走したのだが(自慢)、その際に品川の折り返し地点で実際にララバイとすれ違った。沢山のコスプレランナーがいる中でも、思わず2度見してしまう別格のインパクトがあったことを覚えている。それだけに今年は不出場というのは非常に残念だが、本業のバンドマンとしての活躍に期待しよう。

ザ・チャンバーズは2月21日(土)渋谷aubeでおこなわれるライヴ・イベントに出演するので、東京マラソンファンの方は、バンドマンとしてのララバイの雄姿を確かめにライヴ・ハウスに足を運んでほしい。(岡本貴之)

・ザ・チャンバーズ オフィシャル・ウェブサイト
http://www.thechambers.jp/

◆ザ・チャンバーズ出演ライヴ情報

〈THE SOFT PARADE~JOSY 2nd single”LASER BEAM” release party~〉
2015年2月21日(土)渋谷aube
OPEN/START 16:00/16:30
ADV/DAY 2000円/2500円(+1D)
w/乱舞虎 / ザ・チャンバーズ / 廃人トニック006 / 鼻ホームランの森 / THE STEPHANIES / Riff / The Muddy Dogs


http://getnews.jp/archives/828148
(2015.02.22 07:00 OTOTOY カテゴリー : エンタメ タグ : OTOTOY)





▲平成27年2月22日 (日) 産経新聞号外

ネゲセV 東京マラソン 女性はディババ



★殺害直前に後藤健二さんの脳裏に
おそらくよぎった詩編

佐藤優 直伝「インテリジェンスの教室」


◆現代ビジネス 2015年2月19日



▲〔PHOTO〕gettyimages

「キリスト教徒の死生観」


【コメント】

1.―(1)

過激組織「イスラム国」による後藤健二氏の殺害をめぐって、さまざまな議論が展開されているが、後藤氏がプロテスタントのキリスト教徒であったことを考慮しないと、分析を誤る。

1.―(2)

例えば、2月4日、自民党の高村正彦副総裁は、<後藤健二さんが外務省から昨年9月以降、3回の渡航自粛要請を受けたにもかかわらず、中東の過激派「イスラム国」の支配地域に入り殺害されたことに「真の勇気でなく、蛮勇とも言うべきものであったと言わざるを得ない」と述べた。党本部で記者団に語った。/高村氏は、後藤さんがイスラム国の支配地域に入る前に「自己責任だ」と述べたことに触れ「個人で責任を取りえないようになることもありうる」と指摘した。>(前掲)。高村氏は、後藤氏の内在的論理を理解できないために、「蛮勇」という否定的評価をするのである。

2.―(1)

後藤氏は、日本基督教団に所属するプロテスタントのキリスト教徒だ。筆者も同じ教団に所属するプロテスタントなので、後藤氏の宗教人としての内在的論理を理解することができる。

(略)

イエス・キリストは、99匹の羊を野原に残してでも、迷った1匹の羊を探すべきだと言った。「イスラム国」に湯川遥菜さんが捕らえられたとき、誰も本気で彼を助け出そうとしなかった。後藤氏には、「誰もやらないのならば、君がやらなくてはならない」という神の声が聞こえたのだと思う。

2.―(2)

突然、心の中に聞こえてくる神の声をキリスト教徒は重視する。後藤氏の場合、湯川氏を捜すことが召命と思えたのである。だから、外務省の渡航自粛要請を無視したのだ。キリスト教徒にとって、神からの召命の方が国家の要請よりも上位に立つからだ。

3.―(1)

2014年5月30日付の日本のキリスト教系メールマガジン「クリスチャントゥデイ」に、後藤氏のインタビューが掲載されている(インタビュー「国際ジャーナリスト・後藤健二~それでも神は私を助けてくださる~」)。これを読むと後藤氏の信仰がよくわかる。

後藤氏は洗礼を受けたときの事情についてこう述べる。<「もし、取材先で命を落とすようなことがあったとき、誰にも看取られないで死ぬのは寂しいかなとも思いました。天国で父なる主イエス様が迎えてくださるのであれば、寂しくないかな…なんて、少々後ろ向きな考えで受洗を決意したのは事実です」と後藤さん。しかし、当時の牧師に「われわれの信じる神様は、われわれが死ぬときのためにいらっしゃるのではないのですよ」と咎められ、はっとした。>

後藤氏は、取材先での死を意識してキリスト教徒になった。ジャーナリストとの職業的良心とキリスト教徒としての信仰的良心をできるだけ重ね合わせるようにして生きてきたのだと思う。

3.―(4)

後藤氏は、黒装束のテロリストによって首にナイフを当てられたときも、うろたえず、まっすぐ前を向いていた。そのとき、心に刻み込んでいる詩編が脳裏をよぎったであろう。

<見よ、神はわたしを助けてくださる。
主はわたしの魂を支えてくださる。
わたしを陥れようとする者に災いを報い
あなたのまことに従って
彼らを絶やしてください。
主よ、わたしは自ら進んでいけにえをささげ
恵み深いあなたの御名に感謝します。
主は苦難から常に救い出してくださいます。
わたしの目が敵を支配しますように。>(「詩編」54編6~9節)


キリスト教徒にとって、死がすべての終わりではない。イエス・キリストを信じる者は、死から復活し、永遠の命を得ると信じている。・・・(以下略)


佐藤優直伝「インテリジェンスの教室」Vol.054
(2015年2月13日配信)より
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42134#
(現代ビジネス [講談社] 2015年2月19日)





▲平成27年2月1日 産経号外



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