(Image source: nkino)
どうせチンピラものだろうと思って観たのだけど、やっぱりチンピラものには違いないのだけど、ちょっと可笑しい・・・『マイ・ボス マイ・ヒーロー』(2001年 監督:ユン・ジェギン)。
原題は『頭師父一体』。←コレ、「頭目(ボス)、師匠、父親は一人なり」という意味らしい。この作品、興行的に成功して、確か昨年続編が公開されたのよね。
またチョン・ジュノに無理やり高校生の制服を着せていると思ったら・・・。
無理やり高校に通うハメになった、ヤクザの設定だった。もう、この時点で、ヤクザ映画ではなく、もちろんコメディ映画。ヤクザもシマを取り仕切るには、学歴が必要というわけで、高校をろくに卒業していなかったドゥシク(チョン・ジュノ)に、ボスは高校卒業証書を取るように命令する。
こんなヘンな高校生が編入してきたら、ハプニングが起こらないはずはない。この学校もあやしい学校だ。熱血教師がいるかと思えば、金の亡者の校長がいる。ヤクザの抗争付き学園ドラマといった感なのだけど、笑い飛ばして見るには、肩の凝らない映画。興行的に成功したのは、そんな軽さと、暴力を深刻に扱わなかったせいかな。
このチョン・ジュノssi は、ハマリ役。端正な顔立ちなのに、堅気の人間じゃない。勉強のできない頭の悪いヤクザだけど、ハートフルなヤクザ。彼の穏やかな容貌と雰囲気が、見る者の暴力への抵抗感を十分に緩和しているようだ。
ドゥシクが、ほのかに想いを寄せる女子高生ユンジュ(オ・スンウン)。この子、どこかで見たことがあると、ずーっと映画を見ている間気になったのだけど、あとで調べたら、『美日々』のグムスクだった(懐かしい・・・)
(Image source: nkino)
ユ・ジテssi のデビュー作、『バイ・ジュン』(1998年 監督:チェ・ホ)。
19歳の仲良し3人組み、ジュン(ハ・ラン)、トギ(ユ・ジテ)、チェヨン(キム・ハヌル)。ジュンとチェヨンは恋人同士。トギはチェヨンに恋している。ある日、ジュンが死んでしまう。ジュンの死後、トギとチェヨンは、恋人関係になるような、ならないような関係が続く。
10代から20代にかけて、生きる意味に戸惑う若者の憂鬱が描かれている。ジュンの「死」によって、トギはそれまで片思いの人だったチェヨンを手に入れることができる状況になってしまう。2人ともジュンの死をひきずりながら、どこか生きることに投げやりで、生意気にも退廃的。やがて、この2人は、自分達が「生きている者」であることに気づく。
うーん、全体的に暗ーい。10代の若者の話とは思えない暗さ。こんな描き方でなくてもいいのにと思う。でも、甘く仕上げたくなかったのかな。
当時22歳のユ・ジテssi。若いけど、ちっともカッコよくない。体は大きいのに、もう頼りなくって、情けなくって、でも「心根のよさ」をきっちり演じているところが、彼の強み。ユ・ジテssi に泣かれ たらもう
・・・しかし、デビュー作からお尻出してたのね。ユ・ジテssi、『オールド・ボーイ』でも、『女は男の未来だ』でも、拝見したけど、ここでも、またか・・・
キム・ハヌルssi もおそらくこれがデビュー作。このデビュー作が皮肉にも、これまで観た彼女の出演ドラマや映画の中では、これが一番女優らしい。ドラマ『秘密』や『HappyTogether』、映画『氷雨』、どれをとっても、キム・ハヌルssi 演じるキム・ハヌルで、私は彼女の演技があまり好きではない。この作品は怖いもの知らずなのか、なんというか、自分を纏っているバリアみたいなものがない。
チェ・ホ監督は、これが第1作。2作目が『フー・アー・ユー』、3作目は『死生決断』。『死生決断』はリュ・スンボム&ファン・ジョンミン主演で、今年かなり話題になった作品。まだ観てないけど、『フー・アー・ユー』からガラリとテーマも作風も変わっているような気がする。『死生決断』にも、ちょっと興味が湧いてきた・・・
(Image source:kore-eda.com/hebiichigo/)
久々に邦画で息抜きだわ・・・K-Movie観すぎ・・・
haru さんちでもお勧めの一品だった西川美和監督の『蛇イチゴ』。
これ、いつレンタルショップに行ってもレンタル中で、どーなってるんだと思ってこまめにチェックした甲斐あって、ようやく観ることに。
ストーリーは面白い。ある家族に焦点をあてた作品。キャスティングがなかなかいい。ふっと笑えてしまうのだけど、実は笑えないぐらいシリアスな課題がひしめきあっている。シニカルなウィットに富んだ会話がポンポンとびかう。映画館で観る映画かどうかは別だと思うけど、DVD鑑賞としては価値があるかも。
一家の大黒柱であった父親(平泉成)は、リストラによってその威厳を失墜。会社や組織に寄りかかって生きていると、放り出された時の情けなさは笑えない。
痴呆症の義父の介護に疲れ、つい知らないふりをして義父を死なせてしまった母親(大谷直子)。罪の意識の代償に得たものは開放感。家の中の息苦しさは、主婦にしかわからない。
口八丁でいい加減、勘当された長男(宮迫博之)は、仕事もせずに勝手気ままに詐欺まがいのことをやって食いつないでいる。長男のやっていることは犯罪なのに、そのいい加減さのおかげで、作品の中では犯罪として追求していない。
いつも正義感に燃えるクソまじめな小学校教師の長女(つみきみほ)。勘当された兄とは対照的で、いい子すぎて両親から理解されないことに苛立ちを覚えたりする。
どんなに幸せな家族でも何かに当てはまりそうなシチュエーションだ。子供が小さいうちは、「家族」というひとつの絆のようなチーム意識があるのだけど、子供が成長してしまうと、家族であっても、個々の人生なんだとつくづく思う 。作品に登場するこの家族のそれぞれには、お互いにウソがあって、絆なんて消えそうでいながら、完全に消えてなくなるわけではない。そんな細~い糸のようなものが見えていて、ちょっと考えてしまう・・・
さて、蛇イチゴ 。小さい頃、近所の土手でよく見かけた。実は赤いのに花は黄色いのだ。蛇が食べるのだと信じていたから、近くに蛇がいそうで怖かったので、とてもおいしそうな色だったのに、食べる勇気はなかったなぁ。
(Image source: amzon)
邦題『夏物語』は変わらないそうだが、原題が『その年の夏』に変わったというニュースの中で、製作会社が気にしていたのは、イギリス映画『サマー・ストーリー』ではなくて、↑こちらのおフランス作品『夏物語』だったのね。
エリック・ロメール監督の連作『四季の物語』(『春のソナタ』『夏物語』『恋の秋』『冬物語』)の1編。あらら四季シリーズなんていうのも、こちらからいただいちゃったのでしょうか(笑)・・・『夏物語』は、1996年カンヌ国際映画祭「ある視点」部門クロージング作品だったそうだ。
フランス映画をあまり観ていないので、エリック・ロメールには必ず枕詞として「巨匠」とつくぐらいのことしか知らない。巨匠の作品なのだから当然レンタルショップにあると思ったら、ないっ。ようやく見つけたら、VHSだった。
このおフランス『夏物語』は、3人の女性に翻弄される大学生のひと夏の経験を描く。まぁ、愛を求めることには変わりないが、さすがおフランス映画、初恋などという言葉が幼稚に聞こえるほど、ちょっと背伸びをした早熟な大人の愛。『その年の夏』とはまったくプロットが異なる。
この作品を見て、一番印象的だったのは、この大学生の若さだ。役柄に相応の年齢、22-24歳のその男子、まだ大人に成熟しきっていないヒョロっとした体型をおしげもなくさらしているのだけど、肉体的に無駄がないことももちろんだが、それ以上に、しぐさや表情などが自然で鬱陶しい動きがないのである。
↓の大学生があまりに熟れすぎていて・・・。観る前からけなすつもりはないけど、比べてしまうと、観る方にも覚悟とフィルタが要る作品かもしれないと改めて思った。(Image source: osen)
以前にも書いたけど、韓国映画には、どうしてこんなに無理やりな年齢設定をする作品が多いのだろうか。20代後半に高校の制服を着せたり・・・韓国人はこういう設定が好きなのかと思って、ハングル教室の先生に聞いたところ、無理やりな年齢設定はやはり「無理エヨ」とおっしゃっていた。無理やりな年齢設定で、高い評価を受けた作品はないと思う。
100本あまりのオファーから選んだ作品が、無理やりな年齢設定の作品とは・・・
期待というより、楽しみは倍増するばかり・・・
フィルムツアーであれこれとあまり見せてくれないことを祈る。楽しみはとっておきたいもの。
しかし、『その年の夏』の英題『Once in a summer』もちょっと意味不明・・・「夏に一度」って、一度何をしたんだ!ソギョンは・・・と突っ込みたくなってくる。「かつて、夏に」という意味にもとれなくないけど、それなら once upon a summer。
(Image source: hancinema)
キム・ギドク監督を知らない人が見たら、単なる「アブナイ」映画だ。老人による少女の誘拐、監禁、人質・・・ こんなアブナイNGワードで責められても仕方ないような作品だけど、キム・ギドク監督を知っている観客ならば、すぐにこれを「歪んだ愛」で解釈できてしまうだろう。キム・ギドク監督だから許されるし、そこも見越しているような作品。
海に浮かぶ古い船の上で、老人と少女は10年前から暮らしている。釣り人に釣り場を提供することで生計を立てている老人は、もうすぐ17歳になる少女と結婚する予定だ。ある日、釣りにやってきた青年と少女の間に芽生えるほのかな感情。この青年の出現により、老人と少女との関係が崩壊していく。
前作『うつせみ』同様、老人と少女にセリフがない。セリフがないのに、どうしてストーリーが進むのか、そこはキム・ギドク監督が天才と言われる所以だと思う。その代わりに二胡の音楽が、セリフよりも雄弁に語り、何もない海上の風景に彩を与えているように思える。
そして、この作品のタイトルにもなっている「弓」。弓は、少女を守る武器であり、少女のために曲を奏でる楽器(二胡)であり、信頼の証の占いの道具である。弓を通して老人が少女に向けるまなざしが描かれている。さて、それは「純愛」なのだろうか・・・。この「純愛」という響きはこの作品にはまったく似つかわしくない。
だから、観る者は戸惑ってしまうわ。
少女役は『サマリア』に出ていたハン・ヨルムssi。まったく若いのに胆のすわった女優。キム・ギドク作品には、監督のディレクションを邪魔しない俳優が必要なようだ。だって、観る者がこんなにも監督のディレクションを意識してしまう作品って、やはり珍しいと思う 。
最近とりつかれたようにひたすらK-Movieに走っているけど、良い作品に当たると、小躍りしてしまいたくなるぐらい嬉しくなってしまう。
この『小さな恋のステップ』(2004年)は、『拍手する時に去れ』のチャン・ジン監督の作品。『拍手・・・』ですっかりこの監督びいきになった私としては、もう無条件でお勧めしたいところだけど、ええ、個人的にはかなりお勧め品。
チャン・ジン監督の作品にはほとんど出演しているチョン・ジェヨンssi がいいのよね。劇団出身俳優ならではの、ちょっと濃いめの演技が、妙に「美味しい」のよね。彼とイ・ナヨンssiがずっとでずっぱりなのだけど、このコンビ、まったく噛みあわないところがまたこれ、いいのよね。わざとやってるのか、天然なのか読めないけどね 。
最初はね、余命3ヶ月の宣告を受けるところから始まって、おや、どこかできいた事のあるストーリー。来年はもうないとか言ってるし・・・。出たよ!さすが韓流エンターテインメントには不可欠のエレメント、「病気」。宣告を受けても、感情を押し殺したチョン・ジェヨンssi の演技が胸に迫ってくると思ってたら・・・ええ、確かに「病気」なのだけど・・・これ以上は言えない。そして、ちょっとウルっと泣かされるのだけど、こんな風に泣かされるとは想像だにしなかったなぁ。
劇中劇の映画などがあって、伏線があちこちに張り巡らされた凝ったつくりで、『拍手・・・』の時同様、自分の貧相な発想では展開が読めないし、思い切り裏切られるところがこの監督作品の面白いところ 。
邦題『小さな恋のステップ』って、誰が考えたのだか、『小さな恋の物語』みたいで、いかにもマーケティングの意向で作られたようなタイトル。原題は、『아는 여자(知り合いの女)』。英題は、『Someone Special』。この3つのタイトルに共通するものがないよ(爆)。もちろん原題がこの作品を最も端的に表しているのだけど、それは見ないと分からないからタイトルとしてはインパクトに欠けると判断されたのかしらね。
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これは以前に見たのだけど、昨日の続きで、そういえば、これにペ・ドゥナssi も出ていたのに、あまりよく覚えていないなぁと思って、もう一度。
ああ、久しぶりに見た。何をって・・・「血」
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最近、コメディ路線あるいは超マイナー路線を走っていたので、「血」にお目にかからなかった。復讐トリロジーには欠かせない「血」。『親切なクムジャさん』では、血のプールのようなシーンがあるためか、この作品で流される血に驚くこともなくなった。復讐トリロジーの場合は、残酷さがもう様式化してしまった感があり、復讐トリロジー以上の残酷シーンは、もうないような気がするし、たとえ創り出しても、さすがに観客に受け入れてもらえないのではないだろうか。個人的にも、トリロジーで精一杯・・・
最初見た時は、シン・ハギュンssi のグリーンな髪の毛ばかりが気になったのだけど、「色彩」は、チャヌク作品では重要だったことを思い出した。迫力のある演技で、シン・ハギュンssi は完全にソン・ガンホssi を喰っていたような。このシナリオがあまりに残虐なので、出演依頼を何度も断った挙句に出演したとか。
憐れみ
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でもって、ペ・ドゥナssi。彼女も、何かをバッサリそぎ落としたような、脱皮したような軽やかさがとてもいい。文字通り脱いでたけど
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あの河原の脳性麻痺の青年役がリュ・スンボムssi だったって、今日はじめて気づいた・・・
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『グエムル』で出番は少なかったけど、ちょっと気になった女優ペ・ドゥナssi 。『吠える犬は噛まない』にも出ていたけど、『子猫をお願い』(2001年 監督:チョン・ジェウン)は、公開時かなり話題になったというので見てみた 。
女流監督作品。韓国の女流監督って珍しいような。この監督の作品は、短編だけど『もしあなたなら~6つの視線から』の中の1篇『その男、事情あり』も見たことがあるけど、都会の孤独な風景がとても印象的だった。
で、『子猫をお願い』はどんな作品だったかというと、どうにも説明のつかない作品なのだけど、共感できるような部分が多い。これで何を書こうかと思って迷っていたら、DVDの特典映像に監督のインタビューがあった。監督いわく、「どんな作品かと聞かれると困る」そうだ。ええー、自分で撮っておきながら(笑)。そりゃ、観る方だってわからないよ・・・
決して、難しい内容ではない。学校を卒業して社会に出て行くとき、人間は何を考えるのだろうかというのを、5人の女の子に託している。1,2人じゃつまらないから、5人にしたそうだ。5人いると、観客が共感を寄せてくれる登場人物がいるはずだからって・・・(笑)動員狙い?? ははは。この監督、面白いかも
それは冗談だけど、社会に出たばかりのときは、不安がいっぱいだし、出たばかりでなくても、たとえば仕事を持っていれば、不安がなくて安穏としていられる日々なんて、そうそうあるものではない。
ここに登場する女の子たちは、20歳ぐらい。そんな彼女たちが見せる孤独感や不安が、とても暗く映し出されるのが気になる。20歳なんてもう戻れないけど、うらやましい。若いんだから頑張りなさいと、老婆心でつい口出したくなるのだけど、やっぱり現実って若さも押しつぶしてしまうことだってあるのかな 。
そして、なぜ子猫をお願いなのか。原題は「猫をお願い」。邦題はどうして子猫に変わったのか・・・登場する猫は、子猫だけど。この子猫が5人の絆を結びつけているのかもしれないけど。監督いわく、この作品は1回ではなく、何度も観てほしいそうだ。そうね、1回では、とにかく説明できないもの・・・
余談ながら、ペ・ドゥナssi のお母さん役は、演劇俳優である彼女の実母だそうだ。母娘で俳優なのね 。ペ・ドゥナssi は、ほんわかしていてどこか抜けているようで、実は肝がすわったような演技で上手いなぁと思う。
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韓国では知らぬ者はいない古典ラブロマンス「春香傳」をベースにした『春香伝』(2000年 監督:イム・グォンテク)。前から見てみたかったのだけど、ようやく見ることができた。いやー、ザ・コリアン・クラシック
という感じ。見てよかった。
もちろんこの古典の映画化は、これまでに何度(14本)もあって、このイム・グォンテク作品が最新「春香伝」というわけだ。
古典を素材として扱った上、ストーリーは「春香伝」のパンソリ(韓国の民謡)にあわせて進む。パンソリは、日本で言うと、「謡曲」とか「義太夫節」みたいな感じなのかな。パンソリの節回しは最初はなじめないのだけど、字幕もあるので意味も分かるし、その独特の節回しやメロディがだんだん心地よくなるので不思議だ。人の声だからだろうか。
そしてなんと言っても言葉・表現の豊かさが面白い 。映画の脚本で言うとト書き部分を「語り」にしてパンソリが謡われ、それに映像が乗っている。かなり、凝ったつくりである。イム・グォンテク監督の思い入れが伝わってくる。古典素材であっても、現代的な解釈もそこここに見られたりする。
物語は、チュンニャン(イ・ヒョンジョン)の「愛する者への貞節を守り抜く」烈女伝であるのだが、モンリョン(チョ・スンウ)もチュンニャン一筋の男性。まさしく、「純愛」の本家本元ここにありってことで、今、私たちが見ている韓国ドラマの基礎・骨格みたいなもの。ドラマ「怪傑春香」は、この素材をそのまま現代に持ってきたドラマだった。契約関係、三角関係、家柄の違いなどの純愛には欠かせない要素がてんこ盛り。
「男の清き心は鏡の光にも似たり」と、モンリョンは漢陽へ旅立つ前日、鏡 をチュンニャンに贈り、一方チュンニャンは「女の固い決心は玉の光に似ている」と玉の指輪
をモンリョンに贈る。こういう小物の使い方は、よく韓国ドラマや映画で見られる場面で、このあたりがベースなのかなぁと思ったりする。
あの惨劇からもう5年経った。あの日、NHKの夜10時のニュースで、2機目が突っ込む映像をリアルタイムで見て、体中が震えた 。
ニューヨーク、マンハッタンは、想い出の地。90年代前半に4年間住んだ街。あのWorld Trade Center Bldg. (WTC) のあった所が、今はグラウンド・ゼロと呼ばれていることが、なんだかいまだに信じられない。 あの街に思い入れがなくても、あの惨劇の映像を見るだけで、体が震えた人も多いだろう。私の中のNYは、WTCがそびえ立つ風景しかない。
家族、友人、愛する人が犠牲になった人たちの痛みを思うと、とても他人事とは思えなかった。かつて自分の家族もあのビルで働いていたし、時が違えば、自分の家族にも起こりえたことなのだと思うから 。
あのグラウンド・ゼロの上に、またビルを建てる予定だとか・・・再建はアメリカの意地ように思える。もちろん賛否両論あるようだけど。あの地に、どれだけの人の涙、思い、魂が詰まっているかと思うと、再度ビルを建てようとする発想は、私にはとうてい理解できない。
映画『トゥルーへの手紙』は、写真家の Bruce Weber が、9・11をきっかけに製作したドキュメンタリー映画。愛犬のゴールデンリトリバー「トゥルー」宛てに手紙を書くという形式で、世界平和を訴えている。映画は、監督の愛犬たちや動物と人間が心を通わす穏やかな「日常」と、世界中で起こっている戦争や紛争の「非日常」が、対比されて交互に映し出される。
ゴールデンリトリバーたちに囲まれて海辺の家で暮らし、海で犬たちと戯れる日常。なんて素敵なのだろう。そんな贅沢な日常は望むべくもないけど、世界のどこかで人と人を殺しあう「非日常」が日常化していることを考えると、自分の「日常」もかけがえのない
ものだということがわかってくる。
ゴールデンリトリバー大好き。うちで飼っていたのもこの種類。飼い主は自分の飼っている犬が無条件にかわいいものだが、ゴールデンは本当に性格が穏やかで、無駄吠えなぞ一切しない。「アレ取ってきて」と頼むと、すっとんで取ってきてくれるし、夜中に見回りだってしてくれる。私が体調を崩して寝ていると、心配しに見に来てくれたり、泣いていると慰めにきてくれたりする。ゴロンとお腹を出して、「お腹をなでて!」と、かわいい手で私のことをつついたり、遊んで欲しいときにロープを持ってきたりしても、必要以上に人間に何かを要求したりしない。人間に従順な犬という以上に、人間と寄り添って生きる犬なのだ。
象の頭の上にちゃっかり座っているゴールデンリトリバーの↑写真はお気に入りだ 。
(Image source: nkino)
ようこそマイナー K-Movie World へ。そんなつもりはないのだけど、今日も思い切りマイナーだわ、『ジャングル・ジュース』(2002年 監督:チョ・ミノ)。
むむむ、何か面白いことがあるんじゃないかと期待しながら最後まで見たけど、いつまでたっても面白き事はおこらず、終わってしまった。
コメディのはずなのに、ちっとも面白くないのは、ウェヨー???
「抱腹絶倒」っていうキャッチコピーは嘘なの???
笑いたくて見たのに、笑えないって、とても消化不良なんですけど。見る人によっては面白いのかなぁ。キャストは、イ・ボムスssi やポン・テギュssiなど コメディの常連がいるのに、笑えるところがないっ。
これって、もしかしてカルチャーギャップ?笑いのツボが違うとか・・・
何かがすれ違ったとか・・・
チンピラ、いやチンピラともいえない、ただのゴロツキ?ニート?が、街の暴力団の麻薬取引に巻き込まれるという話なので、だいたい想像がつく内容なのだけど、ジャングル・ジュースって何のこと?とおもったら、コカインのこと。
しかし、無理やり探せば、どこかにちょっとした宝物があるはず。
こういう、チンピラドタバタコメディには、必ずといっていいほど美しい俳優が登場するのがお決まりなのだ。この作品でも、イ・ボムスssi とコンビを組んでいるのが、『僕の彼女を紹介します』のチャン・ヒョクssi。この人、「僕カノ紹介」の時よりも、この作品の方がなぜかステキに見える。
でもこんなゴロツキ役じゃなくて、しっとりしたのが見たいなぁ。そういえば、『英語完全征服』にも出てたっけ。チョン・ウソンssi にどことなく似ていると思ったら、韓国では、チョン・ウソン2世といわれているらしい。
宝物かどうかビミョーなのだけど、もうひとつ「みっけーっ!」と思ったのは、『甘い人生』のムン・ソクこと、キム・ルェハssi。ソヌに逃げられちゃって大変だったね。この作品でも、やっぱりチンピラ、そして、あのちょっと爆発気味の髪型は、この頃からの定番?(爆)。
あー、それにしても消化不良だわ。もっと笑いたかったなぁ~
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最近、きわもの、いえいえ、脂っこいもの ばかり見ていたせいか、急に有機野菜料理を出された感じ。もちろん、有機野菜だから体によさそうで、脂を溶かしてくれそうなのだけど。正統派メロ作品の『フー・アー・ユー?』(2002年 監督:チェ・ホ)。何も英語にしなくても、「ヌグヤ?」と言えばエエじゃないかと、そんなノリのまま見たのがいけなかった。わざわざ Who are you? いや、Who are U? っていうところがおしゃれなのかどうか・・・
びみょー。
『ユー・ガット・メ-ル』のチャットゲーム版とも言えなくもない。主役のチョ・スンウssi とイ・ナヨンssi には、なんの落ち度もないけど。ストーリーは、よくある話。仮想の世界でチャットしていた相手が、現実の世界ですぐ近くにいたというだけの・・・ 以上・・・
この作品の舞台、汝矣島にそびえたつ「63ビル」なのだけど、あそこに水族館があったとは知らなかった。水族館大好きなので、このネタはまた別の機会に。ともあれ、今度ソウルに行ったときは「63ビル」にも行ってみなくちゃ。
チョ・スンウssi が、チャット相手にギターの弾き語りで、歌 を披露するところがあるのだけれど、この人、歌がうまい。そりゃそうよね、ミュージカル「ジキルとハイド」来日公演の主役をこなす実力だもの。妙に、腹式呼吸っぽい歌の歌い方だと思った(笑)。
そんなわけで、あまりツッコムところもなく、すがすがしく見終えた 。
(Image source: nkino)
『拍手する時に去れ』の時のチャ・スンウォンssi の子犬目が忘れられない。この作品『ジェイル・ブレーカー』(2002年 監督:キム・サンジン) は、スンウォンssi が出演というだけで即レンタル。最近、進む道がまちがってるかな。
スンウォンssi の外貌はちょっと怖いし、眉毛濃すぎるし、背も高すぎるし、私の好みではない。でも、半落ち、いや4分の1落ちぐらいかな。この方、大学1年の時にすでに身を固めてしまっている・・・
スッカラ1本で、6年間トンネルを掘り続けて脱獄を夢見るムソク(チャ・スンウォン)は模範囚。特赦でなんとか早く刑務所から出たがっているジェピル(ソル・ギョング゛)は、恋人のギョンスン(ソン・ユナ)が突然別の男と結婚すると聞いて驚き、一刻も早く出獄したがった。そんな2人はついに、ムソクの掘ったトンネルから脱獄に成功。しかし、かれらは、翌日の光復節の特赦で、2人とも出獄できる予定だったのだ。そんなこととはつゆ知らず。脱獄してから、それに気づいた2人はなんとか刑務所に戻ることに・・・
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韓国B級映画でよく見られる、血どろどろとか、暴力ぼこぼこ、げろげろなシーンがない。多少暴れていても、ドタバタの範疇なので、アホくさいけど不快感がない。登場人物のキャラだけで、うまくまわっているのである。
脱獄モノだから、逃げ回って追いかけられて・・・という展開かと思いきや、まったく裏切られる。おかしすぎるよ。脱獄したのに、戻ってくるなんて。それも戻りたくて仕方ないのに、なかなか戻れないって・・・この発想の転換がツボ なのかな。
こういう作品を夜中に見て、くっくっくっくと笑い転げている自分の姿を思うと、なんかヘンだわ。でも、こんなプチ楽しい発見があると、上機嫌になる自分は単細胞そのものみたい。
(Image source: nkino)
つい先日、韓国内で観客動員数 No.1 記録を塗り替えることがほぼ決定したこの作品。最短期間での観客動員1000万人も達成。記録尽くめだそうだ。1000万人というと、東京都の成人がほぼ全員見たことになる。かの国の数字はやや大げさなところがあるので、なんともいえないけど、相当な数の観客を集めていることは間違いなさそうだ。本当に化け物 映画になってしまったのね。
クェムル君、怪獣というよりは、「化け物」に近い。ヌルっとした感触はエイリアンっぽい 。「化け物」なので、顔がよくわからないし、口がグロテスクすぎる。しかし、背中にくっついている2匹のお魚さんはなんだろう。そのお魚さんが気になりだすと、グロテスクな容貌もちょっと滑稽だったりする。クェムル君の声(唸り声)は、オ・ダルスssi の声がベースだそうだが、「ウギャ、ウギャ、ガオ、ガオ、ギャオ、ギャオ」録音
したのだろうか。これも、想像するとあまりに滑稽。
韓国人にウケたツボは何なのだろうか。『ブラザーフッド』や『王の男』がもっていた記録を塗り替えてまで、1000万人以上を動員する魅力は何だったのか、よくわからない 。
作品を引っ張ったのは、クェムルに少女をさらわれたあの5人家族の個性だろうか。素人っぽい演技者が誰もいないので、淀みがなく完璧な演技。家長ヒボン(ヒョン・ヒボン)、長男カンドゥ(ソン・ガンホ)、次男ナミル(パク・ヘイル)、長女ナムジュ(ペ・ドゥナ)、カンドゥの娘ヒョソン(コ・アソン)。ごくごく普通の一般家庭。何も持っていない。お金も持っていないし、武器と呼べるものもないし、知恵もない、有力な協力者もいない。ヒョソンがさらわれたからといって、格好良く立ち上がって、クェムルに立ち向かうわけではない。一般市民の非力ぶりさえ強調されている。
さらわれた家族を助けるというただのファミリードラマというわけでもなさそうだ。ただ、主役は、クェムルにさらわれた娘ヒョソンだったのではないかという気がする。この作品の最初のシーンと、最後のシーンが、こんなにも切ないつながりだったのかと・・・
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しかし、SF映画でもなければ、怪獣映画でもないし、コメディでもないし、ホームドラマというわけでもないし、社会派映画でもない・・・ジャンルのない映画のため、「韓国内で最も宣伝担当者から嫌われている監督」、宣伝マン泣かせ
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残念ながら、今日の上映館はガラガラだった。怪獣映画好きといわれる日本では、怪獣と定義しずらいクェムルはウケるのかな?? 6月にのんびり漢江クルーズなどに興じたが、今度行ったら、漢江の水面から目が離せなさそうだ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase1.gif)
(Image source: celtoslavica.de/chiaroscuro/<WBR>films)
一応見ておかないと消化不良なので・・・
この作品はもう、アラン・ドロンの圧倒的な存在感に押し切られたという感じ。
久しぶりにドキドキ、ハラハラ。この映画、たしか大昔にTVの「ゴールデン洋画劇場」なんかで見たはずなのに、ちっとも覚えていなかった。エンディングだけは強烈なので、覚えていたけど・・・。
1960年製作だから、45年以上経ってもなお、ドキドキ、ハラハラ
させられるなんて、この映画の持つ力ってすごいなぁ。ストーリー性は現代にも通じるし、誰も入る余地のないスキのなさ。そりゃ、だれもがパクリたくなるような作品。
吸い込まれそうな青い瞳と長ーい睫。彼の完璧な容貌と、本当に演技なのかと思うほどのリアルな表情にもドキリとさせられる。屈折していながら孤独で狡猾。目の泳ぎ方、いかにも育ちが卑しいという食べ方。
フィリップを殺した後、トム1人が船の上で波に翻弄されるところなんて、セリフもないのに、冷静さの裏に隠れた彼の心理状況を表しているかのようで、見ている方が船の上で酔って しまいそうな気分だ。
京都の古刹の風景にガイジンさんが似合わないように、太陽がまぶしい地中海の風景にアジア人は似合わない。ヨーロッパ特有の世界なのだなぁと思う。あのけだるさは、デカダンスの象徴なのでしょうかね。女と金を手に入れさえすれば、「太陽がいっぱい」な気分になれるって、切ないわ
。
余談ながら、英題はこんなにもバラエティが・・・
Purple Noon (UK) (USA) → 紫の真昼
Blazing Sun (UK) → 灼熱の太陽
Full Sun (Australia) (literal English title) → 満ちる太陽
Lust for Evil (USA) (reissue title) → 邪悪な欲望