Addicted To Who Or What?

引っ越しました~
by lotusruby

『デュエリスト』鑑賞

2006-04-26 23:38:44 | K-Movie Notes

今日は久々に時間がとれたので、レディースデーだし、『デュエリスト』鑑賞。
夜の上映回だったせいか、ガラガラで観客は20名弱ほど

評価はあまり良く書かれていない。カン・ドンウォンssi のペンでさえ、「よくわからない映画」と評していた。なにしろ、セリフが極端に少ないので、ストーリー性の説得力が弱い。カン・ドンウォンssi のセリフなんて、数えるほどしかない。その方が、解釈に幅を持たせるという意味ではいいのかもしれないけど・・・

ストーリーは、やれ捕盗庁だ、偽金づくりだとかで、あれれ『チェオクの剣(現代:茶母)』と同じネタ。偽金は船の中で製造って、たしか『輪舞曲』でそんな設定が。また『輪舞曲』のあらたなパクリ疑惑? 発見

それでも、映像表現は楽しめる。イ・ミョンセ ワールド。独特のカメラワーク、見せ方。斬新なスタイルといわれた『情け容赦なし』を思い出す。『デュエリスト』では、冒頭の市場の場面が、すごく面白い 。全体の99%がセット撮影だそうなので、舞台セットも楽しめるかも。

そういえば、これはいつの時代の話なのか。漠然と、李朝朝鮮時代らしい。朝鮮王朝は500年も続いた王朝なのに、時代背景を特定していないところが、監督のこだわりだそうだ。ただ、なぜか、松尾芭蕉の俳句が引用されているので、江戸の元禄以降の設定と言える。

面白かったのは、ハ・ジウォンssi とアン・ソンギssi の漫才刑事コンビ。このコンビの会話が笑わせてくれるが、アン・ソンギssi の存在がいなかったら、この映画はどうにも収拾がつかなかったような気がする。

監督はこの作品を「朝鮮ノアール」と言っているそうだ。アクションもあるけど泥くさくなく、ラブエレメントあり、コミカルエレメントありなんだけど、もうちょっとストーリーを膨らませてほしかったなぁ~


Mr. Vengeance に興味あり(終)

2006-04-25 23:57:50 | K-Movie Notes


 Mr. Vengeance
筆者:IAN BURMA 掲載日:2006年4月9日 掲載紙:New York Times
(*なお、ここに挙げる翻訳文はあくまでも、個人で楽しむ目的なので、リンク・転載・引用はご遠慮願いたい)

訳文(最終回) translated by lotusruby

筆者が再度パクに会ったのは、冬の午後、江南のヨーロッパ様式のレストランでのこと。江南地区は、ソウルの新興地域で彼の作品の雰囲気にぴったりである。インターネットカフェやワインバー、デザインオフィス、高級ブランドブティックが立ち並ぶモダンな界隈である。パクは、普段どおりカジュアルな黒の装いだったが、以前に会った時よりも陽気である。彼のホームグラウンドだからなのか。彼の横には、愛想の良いベビーフェースの持ち主、『オールドボーイ』で主演をつとめたチェ・ミンシクが座っていた。チェは、国内きってのビッグスターであり、舞台俳優として名声を得た後、数々の映画に出演し、19世紀の画家、北朝鮮のスパイ、トランペットを愛する音楽教師、ヤクザなどあらゆる役をこなし有名になった。パクの作品では、『オールドボーイ』で復讐に燃える男、『親切なクムジャさん』で殺人者と、2度出演している。

スターであるがゆえに、精神的に厳しい撮影シーンにも耐えてきた。活タコを飲み込むだけでなく、凍りついた川の中に立ち、血のプールで泳ぎ、また、長いワンカットのシーンで、何人もの人に殴られ切りつけられる。この長いワンカットシーンは、『オールドボーイ』の一場面だが、チェが最も苦労したシーンだったそうだ。パクは笑いながら、「私が『カット』と言うたびに、彼は哀れな子犬のような目で私を見上げたが、私はもう一度と言わなければならなかった」と語る。どんな映画監督も心にサディスティックな部分が潜んでいると思うか、とチェにたずねてみた。チェは、「彼の場合はまちがいなくそうだ」と答えた。パクはまた笑いながら、「男優に接する場合だけです」と言った。 この2人には、特別な信頼関係があるように見えた。

チェは、『オールドボーイ』の脚本制作でパクに協力した。「脚本制作の過程で、私たちは何度も話し合った。」「この過程は、有名な俳優が自分の思い通りに演技するためではない。脚本を共同で制作するには、互いに絶大なる尊敬と信頼が必要である。」 パクが後に語ったことだが、彼は、いつも他の人々からアイデアをもらいながら脚本を執筆している。彼はコンピュータを2台所有し、1台は自分用、もう1台は制作に参加する彼の協力者たちが使用する。協力者は、演技者だったり、スタッフであることも。アイデアをあれこれ投入し、セリフを増やしたり減らしたり、ト書きを修正したり、最終的にはパクの夫人が目を通す。この過程は驚くほど早い。『親切なクムジャさん』の脚本は、20時間ぶっ通しで書き上げた。

具体的に、『オールドボーイ』で、チェはどんなアイデアを出したのだろう。チェは以前舞台でハムレットを演じたことがある。アジアでは、「ハムレット」を復讐劇として解釈することが多い。韓国の演劇は、復讐劇が多いためだろうか。チェが演じた「ハムレット」も同様の解釈であったそうだが、チェもパクも、それは韓国の伝統とは無関係だと言い切った。パクいわく、日本の作品にも復讐劇は多いが、韓国文化は「復讐というより許しであり、いとも簡単に許す」文化なのであると。

この発言はかなり大胆であるが、パクは、通常、文化や伝統について一般論を述べることには慎重である。ニューヨークで、「恨」という言葉について触れたことがある。韓国人が自国の国民性を語るときによく使う言葉である。恨は、国民性を説明する決まり文句であるが、それを解釈(翻訳)するのは容易くない。恨は、「過去の過ちに対してくすぶる憤り」のようなもの。筆者は、これが、パクの復讐への執着を知る手がかりとなると考えた。しかし、パクは、それを一蹴した。「私たちは、そういった類の言葉はもう使おうと思わない。」 彼は、女性が子供を産めないがゆえに一生恨みを抱いて過ごした時代、そんな因習的な社会を思い起こすのだそうだ。

さらに、パクの作品には韓国や日本文化特有の要素がある。ひとつは、幽霊が出現すること。パクの復讐3部作では、殺人犯が、殺された子供の幽霊にさいなまれる。たとえば、『親切なクムジャさん』では、溺死した娘が、死後何日もずぶ濡れの姿で父親のアパートに現われる。(水は、偶然ではなく、東アジアにおいては不吉な暗示がある。悪霊は沼や湖から出現することが多い。) 韓国の幽霊は、悪意のない霊なのか、それとも復讐に燃えて執念深い霊なのかと、チェにたずねてみた。チェは、「どちらの霊
もある」と答えた。そして、韓国の神話に登場するキャラクターに触れた。それは、女性に化ける100歳のキツネ。そのキツネは、人間を妬み、危害を及ぼす。しかし、人間と和解しようとする。「西洋の幽霊は悪魔だが、韓国の幽霊は和解の姿である。これが韓国的な精神である。」

パクは、「そう、私はそのことに実にうんざりしている。だからこそ、反発として、復讐を自分の作品のテーマにしている。」と真顔で語った。チェは笑いながら、イタズラっ子を扱うようにパクの脇を突付いた。しかし、キツネの話は興味深い。筆者は、パクの作品の登場人物を思い出してみた。『親切なクムジャさん』では、娘を誘拐した男を殺す良き父親、犯人に対しておぞましいほどの復讐を強要する天使のような女、復讐の行動に苦悩する「オールドボーイ」。キツネ女同様、だれもが曖昧な道徳観にさいなまれている。

パクの描く殺人や復讐の世界にないものは、性欲である。確かに、彼の作品にセックスシーンはある。『オールドボーイ』では近親相姦、『復讐者に憐れみを』では隣室から聞こえる女のうめき声で自慰行為にふける男、『親切なクムジャさん』では囚人のレズビアン行為。しかし、こうした場面はどれも、快楽的ではなく、また官能的でもない。パクの作品において、愛情は、父と娘の間、または兄弟姉妹間に存在するのである。『JSA』は例外である。

この作品において、男同士の間に愛情が存在するのは疑いようもない。この作品では、2人の韓国国境警備兵が、気楽に38度線を越えて北朝鮮兵に会いに行くようになる。彼らは酒を飲み、歌を歌い、プレゼント交換し、子供のようにはしゃぐ。ところがある日、北朝鮮の将校にその現場を目撃され、その際、発砲によって2人の北朝鮮兵士が殺されてしまう。韓国兵のうち1人はなんとか韓国側に無事に戻るが、もう1人は負傷してしまう。兵士の1人は、両国の仲間を巻き込むより、自殺を選ぶ。

『JSA』は、今日数多くの韓国の若者の心をとらえている左派寄りの愛国心を現代風に表現するメロドラマである。北朝鮮の人間は親切で穏やかな人物であり、また、残忍な行動は韓国側で見られることが多く、朝鮮半島の分裂は外国人の仕業だと。この作品で注目すべき点は、熱き男の絆ではなく、感傷的な言動である。国民感情の話になると、パクでさえも、ハードボイルドな空気を失っているのである。 もちろん、暴力は、激情のひとつの形であるが、唯一の人間の対話(コミュニケーション)の形であるかもしれない。パクの作品では、身体的な接触のない世界、伝統的な癒しや抑圧的な家族関係あるいは集団社会生活が消えた社会が描かれている。そこでは、個人が私的空間に閉じ込められながら、インターネットや機器を使ってコミュニケーションをする。韓国は、世界でも最も変わった社会のひとつである。以前、パクのオフィスで、暴力は、新興の仮想社会に対する過剰な反発ではないかと尋ねたことがある。

パクは筆者の質問にすぐに答えなかったが、しばらくしてから、目を細め、返答を頭の中で整理しながら、現代社会の本質における政治的テーマに怒りを向けた。「資本主義のせいで、人間とコミュニティ(家族、仲間、地域)の関係は、大きく壊れた。とくにアジアにおいては。」 彼は以前、欧米の映画製作者と比べて、韓国の映画製作者は「個人と社会の関係に非常に敏感である」と語ったことがあった。彼いわく、彼の作品のキャラクターは、「世間からの隔絶感、孤独感を味わっている」。だから、彼は、直接人と会うより、メールや携帯電話でコミュニケーションをとるキャラクターの姿を描くのである。「そこに、人間同士の距離があり、それが誤解を生むから興味深いのである。」

現代社会でも同様のことが言えよう。しかし、パクは、ネット社会においてさえも、昔からの慣習がどれだけ意味をもつかという話をしてくれた。「オフィスで働くある若い女性は、インターネットを通じてある男に恋をした。その男は、彼女に夢中になり、彼女のブログを覗くだけでなく、ブログのリンク内容をすべて追跡した。彼は、彼女の家族関係はもちろん、高校時代にまで遡って彼女が付き合ったボーイフレンドなど、彼女のプライバシーまで調べ上げた。ボーイフレンドの名前はもちろん、リンクから見ることのできるデジカメ写真まで。結局、彼は、探偵を雇う必要もなく、彼女のすべてを把握したのである。」 

パクはさらに続けた。「これは、プライバシーの侵害で、ちょっと怖ろしいと思うだろうが、韓国の若者はこういうことが好きだ。これは、ある意味、小集団生活(村)の復活、コミュニティの復活で、みんながお互いのことをすべて知っているということだ。」 しかし、これは特異なコミュニティである。身体的な接触がないのに、人間の密接なかかわりが存在する。筆者は、さきほどの暴力についてまた問いただした。「そう、暴力は、コミュニケーションの形の1つで、良いか悪いかは問題ではない。これは、象徴的な人間のコミュニケーションのようなものである。」

そして、パクの作品は、現代世界の本質はもちろん、血と罪と抑圧にさいなまれる朝鮮半島の過去をも描いている。パクは、東アジアの作家、画家、脚本家がそうであったように、激しい政治問題に影響されてきた。暴力的な感情をファンタジーで表現し、残虐性を様式化し、恐怖を理不尽な美の世界で描くことによりその恐怖を取り払う。おそらく、こうしたことが、何よりも、韓国、中国、そして日本の監督が不条理を描くことに長けている理由であろう。パクの次回作は、精神病院にいる人間の泥棒に恋するサイボーグをとりあげる。これ以上奇妙な話はなさそうだ。

 ベビーフェイスなオールドボーイ?
欧米人からみると、ミンシクssi のお顔はベビーフェイス なのか・・・
いや、どうも役柄でしか彼の顔を思い出せないので、実物はそうなのかな
写真↑を見ると、このお二人のアジョシ、なんだか雰囲気似てるよね。

 S な監督
監督が、俳優に対してサディストであることは、使命みたいなもの。俳優に無理難題を課して、自分のコマである俳優を追い込みながら演技させる。そんな、製作現場がなんとなく想像できるな。
 
 暴力はコミュニケーションの形
言われてみると、韓国映画は、暴力を扱う作品が実に多いが、これは、韓国映画の特長だと思う。『甘い人生』でも、キム・ジウン監督が、「暴力は、他にコミュニケーション手段をもたない愚かな人間のすること」みたいな発言があったから、似たような定義だと思う。

 ファジーだから・・・
訳しながら思ったのだけど、暴力や復讐は、ある意味、社会への反発と言いながらも、国民のセンチメンタルな部分に配慮っていうところが、ファジーな彼の良さなのかもしれない。どちらかとガッチリ組みそうで、どちらともガッチリ組むことはない、なんかそういうところがアジア的と言われるのかな。

ようやく終わりました。ながいよ、カンドクニム!。って監督のせいじゃないけど。
こんな拙訳でも、映画を見る新たな視点の発見に役立てばうれしいですわ。
って、思い切り自己満足ですが・・・


Mr. Vengeance に興味あり(3)

2006-04-20 23:46:35 | K-Movie Notes


 Mr. Vengeance
筆者:IAN BURMA 掲載日:2006年4月9日 掲載紙:New York Times
(*なお、ここに挙げる翻訳文はあくまでも、個人で楽しむ目的なので、リンク・転載・引用はご遠慮願いたい)

訳文(その3) translated by lotusruby

パクに初めて会ったのはニューヨークで、昨年秋、ニューヨークフィルムフェスティバルでの『親切なクムジャさん』のUSプレミア後であったが(今月アメリカでも公開される)、彼は、自分自身の恐怖と暴力への執着を説明できるのは、精神科医だけだと語った。しかし、現実には、彼の経歴がなんらかの手がかかりになる。パクは、当初、映画監督ではなく、美術評論家になることを望んでいた。ソウルの西江大学哲学科の学生だった彼は、主に美学に関心を寄せていた。この大学ではほとんど美学を教えていなかったため、彼は写真撮影や映画鑑賞に熱中した。

インタビュー中、パクはその後を語ってくれた。「ある日、ヒッチコックの『めまい』を見た。映画を見ながら、頭の中で叫んでいる自分を発見した。せめて映画監督になろうとしなければ、死に際にとても後悔するだろうと。そして、やみくもに謎めいた女性を追いかけるジェームズ・スチュワートに通ずるかのように、不合理な美のようなものを目的もなく探した。」 パクの作品は、最も暴力的なシーンでさえ、いや、特にそうしたシーンでは、まちがいなくヒッチコックから影響をうけた美的センス、どこか忘れがたい美しさを備えている。『オールドボーイ』で、主人公が階段を上り下りする若き日の自分自身を回想するシーンは、『めまい』のジェームズに通ずるものがあり、サスペンスの名手へ直接的に敬意を表している。しかし、パクは、独特の視覚的な言葉を持っている。暴力の場面といえども、ときに幻想的なのである。(たとえば、『親切なクムジャさん』では、女が雪の中を、半身人間の犬をひっぱって歩き、また、『オールドボーイ』では主人公が雪に覆われた森で娘を黙って抱きしめる。)凝ったインテリアや単色の彫像は、薄気味わるく、象徴的な効果がある。

パクはどんな映画を見て育ったのだろうか。子供の頃、映画を見る機会は少なかったという。1963年生まれのパクは、軍事独裁政権の末期に成長し、その頃ソウルはまだ夜間外出禁止令が出ていた。植民地支配の傷跡がまだ生々しく、日本映画は韓国で上映禁止であった。パクが得た映画の知識は、TVで放映されるハリウッドの古典的映画からであった。「黒澤、溝口、小津といった映画を見て育っていれば、違った人間になっていたと思う」と彼は語る。その代わり、彼が見ていたのは、『シェーン』、『真昼の決闘』、『ララミーから来た男』、そして、彼のお気に入りの映画、バート・ランカスター主演『アパッチ』である。「ランカスターがネイティブアメリカン(インディアン)を演じるのはおかしいが、白人と戦う男という主題が私を泣かせた。ターザンのように半裸で、砂漠を転げまわり、岩や石で傷やあざができていたランカスターのイメージが、頭の中ではっきり浮かび、いまだにそのイメージである。」

肉体的な苦悩のイメージは、パクにとって重要であることは明らかだ。そうしたイメージが彼の心を動かす。そして、彼の記憶にあるイメージは、その多くが西部劇からのものである。そうした相互文化的な受容は、珍しい現象ではない。黒澤明のサムライ映画は、数多くの西部劇作品の監督に影響を与えた。ス
ティーブ・マックイーン主演、ジョン・スタージェス監督の『荒野の七人』は、黒澤の『七人の侍』のリメイクであるし、イタリアウェスタンの巨匠であるセルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』は同じく『用心棒』のリメイクである。あまり知られていないが、実は、黒澤はハリウッドに借りがある。つまり、黒沢の侍映画はジョン・フォードのウェスタン作品に影響をうけていたのである。パクは、率直にウェスタン映画監督たちに畏敬の念を抱いている。『オールドボーイ』でカンヌ映画祭グランプリを受賞した際 (クエンティン・タランティーノが審査委員長)、彼は観客に向かってこう話した。「私は、パーティでローマン・ポランスキーにお会いし、一緒に写真をとりました。賞をいただけるとは思いもせず、本当に光栄でした。」

ポランスキーの病的な執念、あるいはタランティーノのハリウッド的幻覚に影響されつつも、パクの作品は、異なる傾向に属しているようである。つまり、より東アジアに根付いた流れを汲んでいる。たとえば、漫画(日本のコミック)、アニメ(サイバーパンクな趣を呈する日本のアニメ様式)、カンフー映画など。コンピュータゲームは、東京およびソウルから世界中に広がっており、そうした流れのひとつである。韓国の若者は日本文化に何ら抵抗がない、とパクは語る。実際、『オールドボーイ』は、土屋ガロンと峰岸信明の漫画が原作である。漫画では、伝統的な日本の浮世絵がその先駆けであったように、セックスや暴力を含むすべてが大きく誇張されている。そして、多くのシーンが途中でカットされ、「豆腐を切るナイフ」のようだと、かつてパクは語った。『オールドボーイ』は、パクの作品でもっとも漫画的な作品であるが、異常な暴力性がサーカスのように描かれ、美しくもあり、痛々しい。

奇怪さや不条理といった趣向は、様式美を中心とする中国、韓国、日本の演劇でも見られ、意図的に大げさな演出効果や演技に依存している。歌舞伎、京劇、タルチュムと呼ばれる韓国の仮面劇は、決して現実性を伴わない。日本人は、殺人、切腹、決闘場面など暴力の様式化が得意である一方、韓国人はユーモラスな社会風刺に定評がある。アニメ同様、韓国や日本のコンピュータゲームは、この様式化された演劇の伝統を汲んでおり、パクが若い頃に鑑賞したというヒッチコック同様、明らかにパクの作品に影響を与えてきた。デジタル効果により現実が曲げられ、カメラは瞬時に空間を飛び回って移動することも、ビルの壁全体を映し出して、ヒーローのアクションシーンをワンテイクで撮影できる。サイドスクロールビデオゲームに似たテクニックである。パクの作品がコンピュータゲームのようであると言われるのは、そうした所以である。

パクは、筆者がコンピュータゲームの話題に触れると、「実に面白い」と反応した。「私の作品がコンピュータゲームを思わせる理由が分かったが、私自身はゲームをしたことがない。実際、PlayStationのメタル・ギア・ソリッドのシリーズを手がける日本のゲームデザイナーからアプローチを受けたことがある。彼に会った時、私は話題がないことに気づいた。しかし、私は、コンピュータゲームの世界ではアイドルなのだと言われた。」

パクの暴力性への執着に関する解釈はもうひとつある。それは、美学的観点というよりは、政治的な状況に基づいている。彼は、軍事政権に反対する学生運動で沸く80年代半ばに大学生活を送った。奇妙なことに、警察との対立は、儀式的な側面があった。反乱軍のように突進して叫ぶ学生、催涙ガスの煙、そしてやむなく撤退。実際、世界のテレビカメラが映し出す街中では、最悪な事態にはならなかった。しかし、兵舎や刑務所で、学生たちは、死ぬまで殴られることもあった。

本好きで映画マニアだったパクは、いつも学生運動とは無縁だった。彼は、怖くてできなかったのである。そのことが彼に、決して振り払うことができない罪や恐怖の意識を植え付けた。「ある若者は焼身自殺を図り、ある者は拷問死した。また、ある者は、ビルから飛び降りた。暴力の恐怖が、大きな影響を及ぼした。」 80年代以降、「若者は二極化した。積極的に学生運動に参加した者は、自己犠牲を誇りに思った。彼らは社会を変えたが、また喪失感を味わった。なぜなら、彼らは青春を謳歌できなかったからである。一方、それ以外の者たちは、学生運動に参加しなかったことを後ろめたく思った。我々は、何もせずに自由を謳歌している。軍事独裁政権が残した負の資産の1つは、世代を二極化したことである。


罪と恐怖は、パクの作品全体を通じたテーマのひとつである。血みどろの行為は、罪に対して憤る人々によって実行される。たとえば、『復讐者に憐れみを』や『親切なクムジャさん』では、子供の誘拐が原因で、主人公が残忍な行為に及んだり、あるいは、『cut』の映画監督のように、妻を裏切ったりするのである。しばしば、彼のキャラクターの残忍性は、階級に対する憤怒からくることもある。新興の金持ちに対する、貧困で社会から取り残された人々の憤怒。80年代の学生運動は、臓器の闇売買や囚人の虐待、売春、工場労働者の解雇といった問題にも陰をおとしている。おそらく、パクは、根っからの道徳主義者であり、彼の持てる全ての才能を活かして、憤怒、恐怖、罪といった感情を映画の中に投影している。そうすることにより、植民地支配、内戦、軍事独裁政権という歴史をもつその国で、そうした感情に悩まされる人々の痛いところをついてきた。
to be continued...

ウエスタン映画が原点なの??
パク・チャヌク映画は、ウエスタンが原点だったとは・・・
日本映画が上映禁止されていた時代であったかもしれないけど、まぁ、彼に限らず、日本の監督さんたちも、たいていはハリウッドを古典としているものね。映画好き、映画マニアっていう一般人だって、映画といえばハリウッドしかない時代  だった。
 
ここにもゲーム業界のアイドル
あら、パクチャヌクにも日本のゲーム業からラブコールがあったのね。どうせなら、Brian と組んでゲーム作るっていう方がよっぽど興味深いのに・・・でもこちらは、プレステ、あちらはXboxだもんな・・・

美意識
パク・チャヌク作品独特のビジュアル的な側面(美術・舞台構成)って、とても興味があったのだけど、美術評論家志望の学生だったと聞き、なんだか納得 。色彩感覚、使用している小道具や背景など、他の作品には絶対ないものがある。うまく説明できないけど、彼の審美眼が如実に作品
に現われているのね。

80年代・・・
この時代、韓国はまだ軍事独裁政権下。60年代に学生運動が盛んだった日本からすると、かの国は20年遅れていると言われていた。
しかし、今、韓国映画界を支えているのは、パク・チャヌク監督世代なのよね
この学生運動に参加するしないで、世代が二極化してしまったとは、作品からあふれるどことなく悲痛な叫びは、そこから生まれていたものだったのね。なるほどねぇ~

さて、あと1回でこの記事の翻訳は終わります・・・週末に最終回を。
あー、長ーい。



Mr. Vengeance に興味あり(2)

2006-04-14 01:26:30 | K-Movie Notes


 Mr. Vengeance
筆者:IAN BURMA 掲載日:2006年4月9日 掲載紙:New York Times

訳文(その2) translated by lotusruby

パクの成功は、近年活気づく韓国映画界の成果であり、いわゆる韓流の一翼を担う。韓流は、まずアジアを席巻し、欧米にも波及している。1980年末期、韓国の軍事政権の終焉は、厳しい検閲の廃止を意味し、また韓国の映画産業もかつては厳しく統制されていたが、より多くの観客を魅了し始めた。(韓国文化相はつい最近まで2002年ベネツィア国際映画祭の受賞作『オアシス』の監督イ・チャンドンであった。) 近年の韓国映画の多くが、暴力を扱っているのは明らかである。カン・ジュギのヒット作『シュリ』、キム・ギドクのハードボイルドノアール作品、キム・ジウンのホラーヒット作『箪笥』。しかしそれだけではない。セックスを扱う作品もあり、中には『死んでもいい』のように、70代の老人のセックスシーンを取り上げ、かなり特異なものもある。この映画は、当初、国内の映像物等級委員会(日本の映倫にあたる)から、上映禁止措置を受けた。また、過去を時代背景とした繊細なヒューマンドラマもある。コミック作品もあるし、さらには、『冬のソナタ』のような涙を誘うTV作品もある。この作品は、日本や韓国で数百万人の視聴者を毎週涙の渦に巻き込んだ。

韓国には、多くの映画制作者が羨むような政府による支援制度がある。1966年以降、韓国の劇場は、国産映画を年間一定の日数上映しなければならない義務がある。1984年以降、その日数は146日と定められている。(この上映日数は先月米韓貿易協定交渉で半分になることになったが、国内の映画業界から広く反発の声が上がっている。)韓国映画最大の配給会社CJエンターテインメントは、国内の複合型映画施設の3分の1を所有しており、また親会社は、パクの制作会社モホフィルムのようなプロダクションに資金援助を行っている。しかし、資金援助や配給の容易さが、必ずしも国産映画の成功を保証するものではないが、国産映画は、しばしばハリウッド超大作をしのぐことがあり、それが自信過剰な愛国心の表れであり、韓国の新しい傾向なのであろう。「私たちは自信を持っている。おそらく、少しばかり過剰な自信を」とパクは語る。

韓国映画における表現には、何の制約がないように見える。映画にはタブーがあるのかとパクにたずねてみた。パクはしばらく考えてから、首をふり、「1つある」と応えた。それは、「外部審査(レーティング)」と呼ばれるもの。セックスや暴力が過激すぎると、制限付き範囲でしか映画が上映されない。作品が政治的な内容で非難されることはないのかとたずねてみた。

すると、パクはこう答えた。「『JSA』の公開時、観客はかなりショックを受けた。なぜなら、北朝鮮の兵士が、化け物ではなく、人間として描かれていたから。しかし、それが却って映画を興行的に成功させた」。しかし、もちろん「北朝鮮の政治を賞賛することはできない。それは大変な論議を呼ぶことになるだろう。」それだけなのか?パクはそれだけだと答えた。検閲もすでにない。その答えに驚いたし、私にはまだ韓国が軍事政権だった頃の記憶が残っていることもあり、もう一度彼にたずねてみた。彼は、再び目を閉じて考え、そして次のように語った。「韓国では決して口に出せないことがひとつある。それは、日本による占領が韓国にとって有益であったということ。これは、北朝鮮を賞賛する映画よりさらに敵意を招くだろう。ユダヤ人にホロコーストがなかったと言うようなものだ。」

道徳の曖昧さを問う男が語る驚くべき発言である。日本の占領は1910年から第二次世界大戦の終結まで続き、ときに残虐的であったが、ホロコーストではない。国内の多くのエリートたちは、戦後の独裁政権で
もそうであったように、敵と協力した。なぜなら、占領は利益をもたらしたからである。鉄道、学校、産業、効率の良い管理システム。パクは、敵への協力の矛盾には興味深いものがあることを認めており、そうした問題を扱った小説や本はあるものの、映画では触れることができないと語っている。これは、奇妙な話である。韓国映画では、子供を折檻するほどのおぞましい暴力を描写することができるのに、愛国者の歴史には触れることができないのである。

子供、とりわけ少女は、パクの構想の中では大きな役割を果たす。少女たちは、時に溺れ死んだり、折檻を受けたり暴力をふるわれて死んでしまう。『美しい夜、残酷な朝』に収められている短編映画『Cut』は、順調な人生を歩んでいる映画監督の話で、ある晩、彼が帰宅すると、以前彼の映画に出演したエキストラの1人が妻をグランドピアノに縛りつけている。そのエキストラは、脅えながらソファに座っている誘拐してきた子供を殺さなければ、ピアニストである妻の指を一本ずつ切り落とすと監督を脅す。

もしかすると、家庭を大切にする物静かなパクと、残虐性を表現するパクの間には、何の矛盾もないのかもしれない。彼の作品は、子煩悩な父親の悪夢として解釈できるのである。これは、復讐3部作の第1作目、そしておそらく最も暗鬱な作品『復讐者に憐れみを』(2002年)の中で、はっきり表れている。とある聴覚障害者が、自分を解雇した元上司の子供を誘拐する。しかし、解雇したことが理由で誘拐するのではない。耳の不自由な男は、腎臓移植をしなければ生きられない姉のためにお金が必要なのだ。左翼系テロ組織の一員である彼の恋人は、誘拐が、その父子にとって良いことなのだと言う。お金をもらった後(子供を返して)、親子が再会すれば嬉しいはずだと。しかし、男の姉が、2人の企みを知り自殺してしまう。さらに、子供を返す前に、子供が誤って川で溺れ死んでしまう。激怒した父親は、誘拐犯のアキレス腱を削いで死なせる。こうしたシーンは、水中で撮影されており、水が真っ赤に染まり、殺人をより不気味に見せている。

パクにとって、『復讐者に憐れみを』は、珍しく興行的に失敗した。その理由を尋ねると、彼はこう説明した。「この作品の前半、観客は耳の不自由な誘拐犯に感情移入してしまう。そして、後半は一転する。観客は、父親に自分を重ね合わす。私は、この作品の構成は面白いと思っている。なぜなら、観客が犯人にも被害者にも自分を重ね合わせるからである。そして、観客は、必ずしも自分を重ね合わせたがらない。」
to be continued....

 韓流の行方
韓国映画界は確かに熱い  評価と興行のバランスをうまく取れる作品が多いと言うが、駄作もかなりあるのだとか。そういう作品は日本語字幕付きDVDにならないから、私たちの目に触れないだけなのかな。
それでも韓流は、どんどん多様化し、この先、どこへたどりつくのだろうか? 
興味深いところだ。 

韓国映画のタブー
この部分についてはメディアで真っ先に取り上げらていたけど、パク・チャヌクはこの質問にはかなり慎重に応えていたのね。韓国の民主化は1980年代後半、つい最近のことなのである。筆者が、まだ文化・芸術の分野に政治的な圧力があるのではないかと勘ぐるのも無理はない。パク・チャヌクがこの問いに慎重に応えたのは、文化・芸術がある意味政治的に屈している部分があることを認めざるを得ない、痛いところを突かれたからかな、とふと感じた。


 親子関係
パク・チャヌクの復讐3部作の共通点のひとつは、この親子関係だろう。残虐なシーンで流される夥しい血が表面的には印象に残ってしまうのだが、一方で親子で結ばれている血が作品の根底を支えているような気がする。


Mr. Vengeance に興味あり(1)

2006-04-12 23:50:11 | K-Movie Notes
(Image source: yahoo.korea)
朝鮮日報でも紹介されていたが、パク・チャヌク監督のロングインタビュー記事が4月9日付けNew York Times 紙に掲載された。韓国映画界を代表する監督なので、興味アリアリなのだけど、読み始めたらあまりに長くてびっくり。内容が面白いので、数回に分けて全文紹介してみることにした。
(*なお、ここに挙げる翻訳文はあくまでも、個人で楽しむ目的なので、リンク・転載・引用はご遠慮願いたい)

 Mr. Vengeance
筆者:IAN BURMA 掲載日:2006年4月9日 掲載紙:New York Times

訳文(その1) translated by lotusruby

パク・チャヌクは、暴力的な人間には見えない。眼鏡をはずすと、彼の柔和な丸顔は、唐王朝時代の温和な仏陀の顔に似ている。彼の語り口は物静かで、時折微笑みを浮かべ、超暴力的な復讐3部作の映画監督というよりは、格好良い大学教授のように見える。ソウルの彼のオフィスの壁には、映画のポスターやポストカードに混じり、夫人と12歳の娘の写真の数々が貼ってある。パクは、1980年代に夫人と大学の映画サークルで知り合った。夫人は、彼の脚本にはすべて目を通し、彼が最も信頼するアドバイザーである。彼の娘もまた彼の作品の大半を見ている。物静かで内省的、家庭的な良き夫は、時に残虐で目を覆いたくなる描写に長けた42歳の監督でもある。

つい先ごろ、彼のオフィスで、私達は暴力について、いやもっと具体的に言うと、パクが考える暴力の恐怖について語った。パクは、「自分の映画では、痛みと恐怖感に重点を置いている。暴力行為が行われる前の恐怖感、暴力行為が行われた後の痛み。これは、犠牲者のみならず加害者にも同様に当てはめている」と言う。パクは、具体的に、最新作『親切なクムジャさん』のワンシーンで説明した。そのシーンは、誘拐され殺された子供の父親が、廃校で椅子に縛り付けられた犯人に死命を制すところ。その父親だけでなく、犯人が他にも殺した子供の家族や関係者達も一緒だ。彼らは全員、辛抱強く無抵抗の犯人へ復讐を加える順番を待つ。

「その父親は、斧を手にする。娘は父親を制止しようとする。観客はそれを見て、彼女が、父親に『だめよ、やめて』と言うだろうと思う。ところが、そうではなく、彼女は、犯人を生かしておいてと頼む。そうすれば、残りの家族達も犯人に恨みを晴らすことができると。観客はそこで笑う。次のシーンでは、血のしたたる斧を持った父親がたたずむ姿を映し出され、彼がやったことにゾッとさせられる。観客は、もう皮肉な笑いを浮かべることができず、残忍な行為の前振りで笑ったことを後悔する。」

こう語る間、パクは笑わなかった。彼にとって、暴力とは、深刻な問題なのだ。彼は、おそらく、観客の感情を操る物騒な方法を知っているのかもしれないが、先ほど述べたように、彼の作品の焦点は、「暴力の美化やユーモア」ではない。彼の作品を見る限り、彼は、彼自身のことを「倫理意識を備えた人間」と思っている。パクにとって、犯人の心理は、被害者の心理同様に重要である。彼の作品の主人公たちは、多くの場合、加害者であり被害者でもある。

流血場面の詳しい描写が、絶え間なくそして麻痺するほどの勢いで次々と映し出されなければ、彼らの苦痛は、ブラックな笑いとして簡単に片付くのかもしれない。3部作の2作目『オールドボーイ』(2003年)では、15年間独房に監禁された後、突然解放される男を追う。その男は、活タコをガツガツ食べたり、狭い廊下で凶器を持ったチンピラと戦ったり、はさみで自分の舌を切ったり、最終章で彼を監禁した張本人の男と対決場面では血みどろの床に足を滑らしたりする。そう、そして、そこに至るまでに、主人公の男は娘と近親相姦の関係に陥る。

パクは、自分の娘に『親切なクムジャさん』を鑑賞することは許しているが、『オールドボーイ』は近親相姦を扱っているため許していない。パクは、弱気な、そして、少し決まり悪そうな笑顔を浮かべた。「これが、母親と息子の関係だったら、もう少し気が楽なのだが、これは父親と娘の話なので、気まずくなるかもしれない」と語る。

たいてい、パクの作品は「Asian Extreme」として分類される。この分野は、韓国、日本、香港、タイで制作された新しいジャンルの超バイオレント作品の総称のようなもので、アジアだけでなく、欧米でもカルト的な人気を得ている。こうした作品は、客ウケを狙った映画の要素を数多く取り入れ、予想外の展開に持っていく。暴力は様式化され独創的で、時に、プロットには政治的な意識が漂う。 三池崇史による近未来の地下組織映画『犯罪者』や、フルーツ・チャンによる美容界の身の毛もよだつ話『Dumplings』は、両作品とも、極端な状況を利用して社会の病を浮き彫りにしている。この2人の作品は、パクの作品と共に、昨年アメリカで発売されたオムニバス映画『美しい夜、残酷な朝』に収録されている。

パクは、Asian Extreme の世界で先頭を走るようになった。アートシアターや大学祭では、彼の復讐3部作をこぞって上映するようになり、彼の作品は各映画祭で賞を獲得、2002年と2003年には映画専門サイトainticool.com が選ぶ映画監督No.1に。そして、彼はさらにメジャーな舞台に立った。2004年、『オールドボーイ』でカンヌ映画祭グランプリに輝いた。ユニバーサル社は、『オールドボーイ』のリメイク版権を購入し、リメイクを33歳台湾生まれのジャスティン・リン監督に託した。

また、パクは、韓国でとても人気が高い。2003年、『オールドボーイ』は300万人以上の観客を動員した。『オールドボーイ』よりも3年前に彼が手がけた『JSA-共同警備区域』は、韓国兵士2人がこっそり国境線を越え、北朝鮮の兵士と友情を育む話であるが、韓国映画史上、最高の興行成績を挙げた作品である。(『JSA』もまた、『グラディエーター』の原作者兼プロデューサー デビッド・フランゾーニによりアメリカでリメイクされる予定であり、舞台は米国とアメリカの国境地帯となる。) 
to be continued....


パク・チャヌク監督の「暴力」に対する考え方が、とても明快。彼の作品を象徴する暴力や残忍性は、それを決して美化することや、ユーモアで描いているのではないということ。
韓国映画に流血はつきものと誰が言ったか知らないけど、あまりに流血シーンが夥しいと、見慣れて麻痺してしまうのではないかと思う。やっぱり、いつ見ても、流血シーンはおぞましいのだが、直視することで感じる何かが「恐怖感」だったり「痛み」だったりするのかなぁ、と思う。

娘さんとの関わりについて触れているところ、ファミリーパパの一面が微笑ましい

Asian Extreme の先鋒
Asian Extreme って日本語に訳せない。しっくりくる日本語がない。単にアジアンホラーとかアジアンスリラーといってしまうと、ニュアンスや響きが違ってくるから。

リメイクってどうよ
『JSA』のリメイクの舞台が、アメリカとメキシコの国境線って、なんだかツボが外れた感じがする。『JSA』には南北分断という、歴史的&民族的悲劇が現実としてあるから、意味があるような気がする。それに、ハリウッドのアジア的感性の解釈っていつも一元的でいただけない、と思うのは私だけ

今秋公開予定のK-Movie

2006-04-10 23:53:28 | K-Movie Notes

(『心が…』の撮影風景 Image source: joynews24)

Honey Hunny の記事で、『夏物語』公開時に競合すると思われる今秋公開予定映画のリストアップがあがっていたので、それに内容と進捗状況を追加してみた。
すでにクランクアップしているものもあるが、秋に公開される映画は、いろんなジャンルにまたがっている。『夏物語』に近いメロ系は、『古い庭園』かな。

『堤防伝説(뚝방전설)』
監督:チョ・ボムグ  出演:イ・チォニ、MCモン、パク・コニョン
3月21日クランクイン 
3人の高校生仲間が、「堤防」をめぐって起こる出来事を描いたアクションコメディ。


『美女はつらくて(미녀는 괴로워)』
監督:キム・ヨンファ  出演:キム・アジュン、ジュ・ジンモ
5月11日クランクイン
日本の漫画が原作。太っている容姿にコンプレックスを感じている主人公が、整形とダイエットで魅力ある女性に変身するというストーリー。

『古い庭園(오래된 정원)』
監督:イム・サンス  出演:チ・ジニ、ヨム・ジョンア
1月5日クランクイン、4月6日クランクアップ
激動の 80年代に民主化運動でお尋ね者になった賢友と彼を愛する美術教師の悲しいラブストーリー。

『中天(중천)』
監督:チョ・ドンオ  出演:チョン・ウソン、キム・テヒ
4月10日頃クランクアップ
統一新羅末期の反乱に加担した兵士が、生きたまま中天に吸い込まれ、そこで死んだ恋人そっくりの天女に出会うファンタジーロマンス。

『武林女子大生(무림여대생)』
監督:クァク・ジェヨン  出演:シン・ミナ、ユゴン、オン・ジュワン
4月8日クランクイン
幼い頃から武術に天才的な才能を見せた溌剌女子大生のアクションラブストーリー。

『愛なんか必要なくて(사랑따윈 필요없어)』
監督:イ・チョルハ  出演:ムン・グニョン、キム・ジュヒョク
3月28日クランクイン
日本のドラマ『愛なんていらねぇ、夏』のリメイク。巨額の遺産を受けついた視覚障害者少女と愛を信じない男のラブストーリー。

『神々しい系譜(거룩한 계보)』
監督:チャン・ジン  出演:チョン・ジェヨン、チョン・ジュノ
3月12日クランクイン
拳に野望をかけた男と義理に人生を捧げた男のアクションストーリー。

『九尾狐家族(구미호 가족)』
監督:イ・ヒョンゴン監督 出演:パク・シヨン、パク・ジュンギュ、チュ・ヒョン
4月初旬クランクイン
人間になりたいと願う九尾狐の家族を描いた、家族や人間の問題をテーマにしたドタバタコミカルと音楽的要素を融合したミュージカル映画。

『心が....(마음이...)』
監督:パク・ウンヒョン  出演:ユ・スンホ、キム・ヒャンギ
2月16日クランクイン
子犬と11歳の少年の胸が熱くなる愛を描いた映画。
余談ながら、「マウミ」は出演する犬の役名だが、この犬の本名は「ダリ」なんだとか。

まだ4月から5月にかけてクランクイン予定の映画もあるだろうから、もっと競合作品は増えるのかなぁ・・・


どこかで見たようなシーン・・・

2006-04-06 23:43:28 | K-Movie Notes


Naver で記事を漁っていたら、世界日報で「どこかでたくさん見た場面・・・ 映画の中‘盗作’のミステリー」(link to [세계일보 2006-04-06 15:12] )という記事があり、内容が気になった

現在、韓国エンターテインメント界では盗作の話題でもちきりのようだけど、東西の作品を問わず映画を見ていて、この場面、どっかで見たようなというデジャブー現象  、いわゆるパクリの場面って、あちこちにあるような気がする

あるシーンを意図的に手法として取り入れているものもあるだろうし、また、
モチーフやコンセプトが似ているとしても、だいたい芸術の世界で持ち出されるモチーフやコンセプトなんて、これまた東西を問わず、似たり寄ったり

どこからが盗作で、どこまでが盗作ではないのか、線引きはどうみても難しそうだ
特にこういうクリエイティブな商品においては・・・
この記事にも書かれているが、盗作疑惑が持ち上がっても、結局、疑惑のまま
やがて消えていくことが多く、法的手段で争われるケースは少ないようだ。

ところで、映画『中毒』も、公開前、日本映画の盗作疑惑に巻き込まれて話題になっていたのね(朝鮮日報 2002/09/23)。知らなかった

日本映画『秘密』(原作:東野圭吾)では、交通事故に遭った母娘の魂が入れ替わるという設定。母親は死んでしまうが、娘の体に母親の魂が宿る。『中毒』は、兄と弟が場所は違うが同時刻に交通事故に遭い、両人とも意識不明になるが、やがて兄の魂を持った弟が目覚める。
両作品とも ‘憑依’ がモチーフ。

そして、『秘密』の方が先に公開されたため、『中毒』が盗作疑惑の対象となった。『中毒』制作側は、シナリオの制作開始が『秘密』公開前より先だって行われていた事を根拠に反論したようだ。それに、『中毒』は ‘憑依’ が作品の中核テーマではないし・・・
制作サイドは、どんでん返しの結末を公開前に言えないものだから、対応にずいぶん苦慮したらしい

個人的には『中毒』はよく出来た作品だ  と思っているのだけど、この作品の評価が可もなく不可もなくというのは、公開前に難クセつけられていたことも、原因だったのかなぁ、となんとなく勝手に納得してしまった



DVD鑑賞記 ~『品行ゼロ』~

2006-04-04 23:47:52 | K-Movie Notes

(Image source: movist.com)
『品行ゼロ』(2002年)は、『夏物語』のメガホンをとるチョ・グンシク監督のデビュー作。
主演は、野郎7人洋酒30本@釜山事件で今話題のリュ・スンボム ssi
1980年代の高校生の日々を描いた青春グラフィティというジャンル。

観終わった後は、何か漫画でも題材にしたのかなと思うような仕上がりで、単にハチャメチャな  高校生の日常を描いたものかぁ、という感想。でも、漫画を題材にしたのではなく、監督自らの原案・脚本で、漫画の影響を故意的にところどころにちりばめているそうな。

[あらすじ]
ムンドク高校の番長チョンピル(リュ・スンボム)は、品行最悪で、めっぽう喧嘩が強く、子分たちからも一目置かれる存在。そんなチョンピルは、女子高の品行満点の優等生ミニ(イム・ウンギョン)に恋をして、彼女が通うギター教室に通い始める。次第に親しさを増していく2人。しかし、以前からチョンピルに想いを抱いていたスケ番ナヨン(コン・ヒョジン)は、ミニに対抗心を抱くようになる。また、転校生サンマンが無敵のチョンピルの存在を脅かすようになり、やがて2人を決闘をすることに・・・

チョ・グンシク監督のインタビュー記事  を読むと、当初、この作品の主役はリュ・スンボム ssi ではなく、彼と話し合いをするうちに、彼の魅力を引き出すような企画にしたとか。

リュ・スンボムssi は、その辺にウロウロしていそうな、お行儀の悪い  高校生という感じで、頼りがいがありそうでどこか腑抜けていて憎めない役どころ。行動の一挙手一投足が笑える
女番長役のコン・ヒョジンssi は、凄みもあるのにどこか可愛げのあるハマリ役。
この監督は、俳優の個性を引き出すのが上手 なのかもしれない。

このインタビューが行われたのが2004年8月なのだけど、最後に「次回作はラブストーリーです。今、シナリオ執筆中です」と語っており、この頃にはすでに『夏物語』の構想に入っておられたのかしらん。
『品行ゼロ』を観て、この監督、一体
『夏物語』で Brian をどう撮るのかと、より一層興味が沸いてきたわ

インタビュー記事に興味のある方は (link to Cinema Topics Online)


1人上映会 『甘い人生』ディレクターズカット版

2006-04-02 18:29:49 | K-Movie Notes

今日はソウルでは『甘い人生』ディレクターズカット版の上映会なので、行けない私は家で1人上映会

このディレクターズカット版については、年末に感想を書いたけど、劇場公開版とはなんだか別の映画のように感じた。そのときは、監督の視点の置き方が違うからかな、なんて漠然と思ったけど、改めて観ると、ソヌの  情の導線  みたいなものがはっきり分かるような気がした。

後戻りはできないと覚悟を決め、決死の行動に出る時の憤怒の情
かと思えば、「どうしてこうなったのか」と静かに立ち止まり、ソヌが自分自身を投影させる情
ヒスに対しては、愛情というよりも、それまで自分が扱ったこともないような戸惑いの情
カン社長に対しては、完璧だと思っていた信頼が揺らぎ、理解し合えないことを思い知らされた失望感に似た情

こういう情の入り混じりが、輪郭を持って現われた感じがした。
『甘い人生』公開からもう1年か・・・ 
この1本の映画だけで、1年間語ることができるなんて、ある意味この映画から、映画の奥深さを教えてもらったような気がする

DVD鑑賞記 ~『もし、あなたなら-6つの視点』~

2006-04-01 23:57:52 | K-Movie Notes

『もし、あなたなら-6つの視点』は、短編6作品のオムニバス映画
観終わってから知ったのだけど、韓国人権委員会が制作依頼した作品なんだとか。
そういう背景だから、もちろん人権がテーマなので、それなりの重さはあるのだけど、ガチガチのお堅い内容というわけではなく、そのテーマの見せ方がとても上手い6作品。なんといっても、注目をあびている監督たちがずらりと並んでいる。

 Episode 1:『彼女の重さ』(監督:イム・スルレ)
就職するためには容姿が重要と学校で指導される女子高校生の話で、整形大国韓国の社会事情を皮肉る。
二重まぶたの手術や断食道場に憧れ、外見にこだわりすぎる彼女の価値判断が切なくも哀しい。

 Episode 2:『その男、事情あり』(監督:チョン・ジェウン)
ある近未来のアパートは、住人同士で行動を監視できるようなつくりになっている。そこに住むA氏は、性犯罪者として公開された男。誰からも無視されるが、おねしょをして怒られた男の子だけが彼に関心を持つ。
この作品は、ちょっと理解しずらいなぁ。
おねしょの子供と塩の関係がわからない・・・

 Episode 3:『大陸横断』(監督:ヨ・ギュンドン)
脳性まひの身体障害者の男は、自力で外出しようとすると連れ戻されたり、愛の告白ができなくて悩んだりする日々。ある日、松葉杖をついて光化門(政治・社会の中心地としての象徴)の交差点を突っ切ろうと決意する。

脳性まひの障害者だからと、自分も含め周囲がくだす拙速な判断が愚かであることを考えさせられる。

 Episode 4:『神秘的な英語の国』(監督:パク・チンピョ)
子供の英語教育に熱心な親は、ネイティブ並の発音を期待し、発音矯正のために、子供に痛みの伴う舌を手術を強要するが、子供には輝かしい未来があるのか。
韓国は、英語教育に熱心な国で有名だけど、親の過剰期待で子供が哀れ。

 Episode 5:『顔の価値』(監督:パク・クァンス)
葬儀場の駐車場の料金係の女と、その女の接客態度が気に入らない男性ドライバー。ドライバーが女の顔について話を持ち出したことから、駐車場を何度もぐるぐる回り執拗にその女と口論をする。
この作品もちょっと理解しずらいのだけど、ドライバーの男の執拗な行動は単なる「思い込み」で、自分の思い込みって自分がもっともわかってないことが多いなぁ。

 Episode 6:『NEPAL 平和と愛は終わらない』(監督:パク・チャヌク)
この作品は1990年代に本当に起こった事実をベースにしている。ネパール人女性チャンドラ・クマリ・グルンは、財布を持たずに食堂でラーメンを食べてしまい、食堂の主人から無銭飲食で警察へ引き渡された。警察は、韓国人そっくりの顔つきで、つたない韓国語を操る彼女のことを、精神障害者だと思いこみ、その後、チャンドラは6年4ヶ月もの間、精神病院などをたらい回しにされた。
ネパール語を理解する人が本当に見つからなかったのか、警察の無知で浅はかな人間の扱いには驚かされた。現在チャンドラさんは故郷のネパールで暮らしているそうだ。