Addicted To Who Or What?

引っ越しました~
by lotusruby

[韓フェス2008] 『ス』 + 崔洋一監督 Q&A

2008-03-27 22:33:38 | K-Movie Notes


『ス』

原題: 수 (2007 年) 
監督: 崔洋一
出演: チ・ジニ、カン・ソンヨン、ムン・ソングン、イ・ギヨン、チョ・ギョンファン

1 人 vs 多数の戦い、蹴られても、殴られても、刺されても、撃たれても、なかなか死なない主人公の姿、そして噴き出す大量の血。アクション・ノアールだと聞いていたので、そういうシーンが作品の主軸だろうと思っていたし、衝撃的だともあまり思わなかった。

そういうシーンに慣れてきている自分が怖ろしくもあるが(笑)、ストーリー展開は想定の範囲内だった。ただ、何かに向かっていく力、方向性のはっきりした力強いベクトルのようなものを感じた。

でも戦いのシーンは長い。とことん戦うから。イ・ギヨンを見て思い出したのだけど、キム・ジウン監督の 『甘い人生』 でも、あれだけドンパチやりながら、引っぱりが長かった。

戦いに入るまで、そして戦いの最中には、標的も意味づけもはっきりしているが、戦いが終わると、これは何だったのかと突然 「虚しさ」 が訪れる。それまでの意味づけや時間までもが虚しく思えてしまう。

最後に映し出された、何事もなかったかのように、揺れのない、波うつことのない鏡のような水面が印象的。

双子の兄弟、なりすまし、復讐劇、裏社会など、おそらく韓国映画やドラマで見たことのあるような、あるいは見慣れた設定が多いが、最終的にすごいと思ったのは、最初のド派手なカーアクションから最後に私が虚しさに浸るまで、カチッ と決まっているところだ。私が言うのもおこがましいけれど、これが完成度というものなのかしら・・・

チ・ジニは、その端正で優雅な顔立ちゆえに骨太な役が似合わないのではないかと、見る前は思っていたが、そこは 「内側の気」 の方が勝っていた。紅一点のカン・ソンヨンや、ムン・ソングン、チョ・ギョンファン、イ・ギヨン、オ・マンソク、チェ・ドンムンらの助演陣も小気味よく光っていた。

上映後に、崔洋一監督と観客との Q&A があった。監督の Q&A があるとやはり理解の助けになる。目に見えるものに圧倒されてしまって、目に見えない多くの部分を見逃しているようだ。崔監督はトーク上手。


追記: (2008/03/29)

① コチラのレポよりも、Cinemart さんの HP (
link to)で詳細があがっていますので、そちらを参照してください。
 
② 韓国アート・フィルム・ショーケース上映作品 『妻の愛人に会う』 のキム・テシク監督と、崔洋一監督の対談記事 <越境する映画監督> ( link to)


【崔洋一監督と観客の Q&A の要約】
注:ネタバレあり
(記憶の範囲なので細部は正確ではない可能性あり。あしからず。)
進行: 東京FILMEXディレクター 市山尚三


[はじめに~崔監督の挨拶]
この作品は、韓国映画バブル期最後を飾る頃のものなので、元値が高い。なかなか配給がつかないだろうと思っていたら、こういう形で上映されることになり嬉しさ半分、意外性半分。どんな槍が飛んでくることか、では戦闘モードに・・・(笑)


  チ・ジニを起用した理由を教えてほしい。深く・・・

崔監督: 企画段階ではいわゆるスター達の名前があげられたが、しっくりはまらなかった。「チャングム」 のチ・ジニは知らなかったので、決まってから見た。

チ・ジニを起用した理由は、知性派としての評価が高いということ。チ・ジニが自分に興味を持ってくれているということ。そして、会ったときに強い意志を感じたこと。

会った時点で出演することを決めているなと感じ、またそれを表に露わにしない奥ゆかしさがあった。自己アピールの得意な民族にしては珍しいタイプ。目元がすずしく、誠実さを感じた。

もしかすると 『ス』 の主人公とは異なるタイプ。でも、とにかく意志の強い男だと思った。実際に仕事をしてみると、チ・ジニは忍耐強く、スタッフを鼓舞するようなところもあった。


 韓国と日本で、映画製作の過程で異なる点、また共通する点、苦労話などを聞かせてほしい。

崔監督:  みなさん、徹夜になりますよ(笑)。

言葉の違い、近代史・現代史における歴史的変遷の違い、そういったことが障害になるだろうと思っていたし、違いがあるということは大前提だった。唯一共通していることは、映画を製作することだと、スタッフたちとコサで団結した・・・ハズだった。でもその後が大変だった。

最初のロケは、予定より早く終了し、このままうまくいくだろうと思っていたが、最初に飛ばしすぎたようだ。やはり意思の疎通という問題。プサンで撮影していたある日、美術監督以下スタッフが忽然と消えた。「問題は監督だ」 と言われた。要は、やり方の違い。

たとえば・・・ でも本当のことだけど、スタッフがセミダブルのベッドにシングル用のシーツや布団を持ってきて、一生懸命ひっぱって間に合わせようとしたことがあった。それはちょっと違う。もっと準備周到にして撮影に望むのが自分のやり方。

ただ、韓国スタッフの困難なことに立ち向かって突破しようとする力はすごい。映画にかける情熱は、日本のそれとは比べものにならないぐらい熱い。

1 年半の撮影期間で、笑い、怒り、汗、涙の繰り返しだった。でも彼らにとっても、自分との仕事は面白い状況だったと思うし、彼らが次の仕事のどこかでそれを反映してくれればと思う。


 (主人公が)息絶えるまでの時間がとても長い。この時間の割り振りはどのように考えたのか。

崔監督:  映画の中での時間のあり方、配分は常に変わる。俳優のコンディションだったり、ポジションだったり。現場に関わっている人間、人間関係などによって、撮影配分の時間は変遷していく。


 ムン・ソングンが時々首をひねっているのを見て、ビートたけしを思い出した。『血と骨』 とこの作品には共通する部分があるのか。

崔監督:  ムン・ソングンはいろいろ演じてみてくれたけれど、ああいう演技になった。

人の醜さは美しさに必ず通ずるものだと考えている。ムン・ソングン演じる悪の華のような存在でも、闇社会で生きていても、決して醜悪なものだけではない。

それは自分のテーマではないけれど、どこかいつもくっついてまわる。ご指摘のとおり、共通する部分がある。


 復讐劇を扱うきっかけは何か。

崔監督:  人に恨みがあるわけではないが(笑)。

小さな存在、社会的に弱い存在が、意志をもって何らかを貫こうとするときに、大勢の人間に向けられる力を描きたい。その力が暴力に表れている。

自然に出てくる発想が、おのずと具体的に映画の中に表れる。単独で韓国映画界に飛び込み、異邦人としての自分の存在は、作品に反映されているだろう。

韓国でやってみてよかったと思う。楽観主義なので・・・

余談だが、映画のインタビューのため製作会社兼出版会社を訪れた時のこと。なんと隣の部屋で、件の逃亡劇の美術監督が新作の打ち合わせに来ていた。「やぁ、元気かっ!」と声をかけてきた(爆)。もう楽観主義でないとやってられないよ(笑)。


 冒頭のカーアクションや最後のバトルなどアクションシーンがすごいが、どれぐらいの期間や費用がかかったのか。

崔監督: お金はたくさんかかった(笑)。設定はソウルだが、実際に撮影したのはソウル郊外の水産市場だったり、プサンの米軍施設だったり。

最後のバトルは、最初のシナリオではあの 3 倍ぐらいの長さがあったが、さすがに観客がキツイだろうということで、エッセンスを固めたような感じになった。

アクションチームは迫力があった。ただ、韓国映画のアクションには、まだまだ香港映画のようなカンフー色が濃い。自分はカンフー色が嫌いなので、そういう色合いを取り除き、肉体と肉体とのぶつかり合いを撮りたかった。

アクションチームのメンバーは強靭な肉体を持っていて、血のりの出し方もうまいし、心強かった。最後のバトルの撮影期間は 10 日間。

復讐劇という共通項で、パク・チャヌク監督と対談したことがあるが、同じ復讐でも、暴力に対する考え方は違っていた。自分は、肉体と肉体がぶつかるエネルギーとして描いているが、パク・チャヌク監督はもうちょっと観点的な考え方のようだ。


[最後に~崔監督の挨拶]
また韓国で映画を撮ることはなかなかないだろうけれど、他のアジアの国から呼ばれたら、どこでも行くつもり。


 


『マイ・ブルーベリー・ナイツ』

2008-03-27 01:16:32 | Cinema な時間


『マイ・ブルーベリー・ナイツ』

監督:ウォン・カーウァイ
出演:ノラ・ジョーンズ、ジュード・ロウ、デビッド・ストラザーン、レイチェル・ワイズ、ナタリー・ポートマン

見終わった直後の感想は・・・
① ブルーベリーパイが食べたくなった。
② ジュード・ロウの声というか、あの英語 (話し方) がめちゃくちゃスキ~。

うーん、期待しすぎたのがいけなかったのか~

冒頭のノラ・ジョーンズとジュード・ロウのやり取りのシーンからして、セリフの間が噛みあわないような気がしたのだけど、一緒に行った友人も同じことを言っていたので私だけではないようだ。

地上を走る NY の地下鉄や、レトロ風だったり、カントリー風だったりする店内の装飾や街の一角を映し出す、ウォン・カーウァイ監督の独特の映像や色使いは健在。

でもストーリー展開は、エリザベス (ノラ・ジョーンズ) が NY を出て行った時点で、先が見えていたというか、たぶん、最終的にはそうなるだろうなぁと思ったらそのとおりで、何の裏切りもなく、単調だった。

失恋女のプチ・センチメンタル・ロード・ムービー

「ブルベリー」から連想する「甘酸っぱい恋」の魅力が、私にはほとんど伝わらなかった。もっともこれは恋愛の話なのか・・・

夜も眠れぬほどの、街を出て行くほどの切なさや、断ち切れない想いを抱えているという部分の感情表現が見えにくいし、しっくりこなかった。


「監督が指揮者なら、俳優は楽器。重要なのは、個々の楽器を用いて、いかにハーモニーを奏でられるか。今回は、ジョーンズを中心に、誰が彼女と化学反応を起こせるのか考えた」

と、監督が語るだけあって (  link to)、エリザベス (ノラ・ジョーンズ) が出会う人々はみな個性的かつ強烈で、助演の存在感が光っている。ただし、どのような 「化学反応」 が主人公に起きたのかはあまり深く掘り下げられていない。

楽曲構成のような組み立て方はなんとなくうなづける。プロローグ~第 1 楽章、第 2 楽章、第 3 楽章~エピローグへと進むが、それぞれの楽章が独立した感じだった。不協和音もないけれど、全体に流れるメロディラインが弱いような気がした。


・・・と、ここまでが鑑賞後の夜の感想で・・・


一晩寝たら、やっぱり私のメロなアンテナが壊れていたために感じるところが少なかっただけで、何か見逃したにちがいないと思い直してみたりした。

昨年、カンヌ国際映画祭オープニング作品として出品されたときの New York Times のレビュー (
link to) をちらりと読んだら、レビュアーの感想の一文↓が私のもやもや感と同じで、「なーんだ」 と安心。

「気持ちを整理する時間はたっぷりある。この作品の最初の印象は、甘ったるくて、内容が薄いということ。でも、もっと心躍る、意義深いものであったのかもしれない。」

そういえば、エンディング近くに、エリザベスがジェレミー (ジュード・ロウ) に語るセリフがちょっとひっかかった。ぼんやりとしか覚えていないので字幕のままではないけれど、↓こんな感じだったかと。

「数時間の出来事であったはずが数日間になったり、ほんの少し出かけるはずが遠出になってしまったり」 

そうか・・・
時間や距離が人の想いに与える影響とか、時間や距離によって変化することとか、きっと、そんなことも綴られていたのかなぁと、少し頭の中が整理できたような気がする。



 


お先に~ by カン・チョルジュン [追記 04/01]

2008-03-24 21:54:21 | Suda on J.J.Y.


「カン・ウソク監督 <カン・チョルジュン>、ハリウッド ブロックバスターと正面対決」
(
link to) だそうで、『カン・チョルジュン~公共の敵1-1 <강철중:공공의 적1-1>』 の公開は、当初の予定より繰り上がって 6 月になり、その後、大作 3 作、『ノム、ノム、ノム』、『神機箭』、『モダンボーイ』 が、ひと月ごとに続くという調整に落ち着いたらしい

先送りになることはあっても前倒しで公開なんて珍しいけど、ハリウッド大作に挑戦することで韓国映画のプライドを見せつけたいとの意気込みとか。そんな無謀な(笑)。

配給会社は 100 億ウォンかけた 『神機箭』 とハリウッド大作をバッティングさせたくない戦略かと・・・。『インディー・ジョーンズ 4』 の韓国公開は 5 月下旬。『ハルク』の続編やら、『ナルニア国物語』、『スピード・レーサー』もやってくるのね。 

個人的なスケジュールとしては、『神機箭』 に向けて心の準備をしていたので(何の準備だ・笑)、『カン・チョルジュン』 が先に来るなんて思いもしなかったわ~時期が入れ替わっただけだけど。

KWS 監督は、この作品で最後の賭けに出るみたいなことをおっしゃっていたような・・・投資を回収するという至上命題はクリアできるのかしらん、とは要らぬ心配。スケールも話題性も違うけど、昨年 『息子』 が、公開時期の重なった 『スパイダーマン』 の餌食になっていたのを目の当たりにしたので、スクリーン数が見もの。 

『カン・チョルジュン』 は、1 月にクランクインしたばかりなのに、今週もうクランクアップ! クランクイン時以外、スチールも撮影レポもないまま。
お仕事、はやっ・・・ まぁ CG とかほとんどない (?) だろうし・・・

短期集中一発勝負が吉と出るかどうか・・・私はチョル様↓の味方ですよ。

   



 追記
 2008/04/01

とりあえず、『カン・チョルジュン』 の公開日が 6 月 19 日に決まったようです。

また、ソル・ギョングが刑事カン・チョルジュンの役作りのために 13kg 増量したと話題になっていますが、まさかチョン・ジェヨンまでソル様に合わせて増量してないよね。

最近ジェヨンは元の姿に戻っているのではと一部で囁かれていたりしないと思いますが(笑)、そもそも 「元の姿」 っていうのは、マンテク寄りなのかキラー寄りなのか、わからないし・・・ どっちだって好きですが、思い出すだけでクラクラするほどカッチョよかった昨年 10 月時点の体重キープを希望。

ソル様 vs ジェヨン と考えるだけでヨダレ ものです。観に行けるかなぁ
・・・


『スルース』 vs 『探偵スルース』 Part II

2008-03-23 23:55:27 | Cinema な時間


『探偵スルース』 (原題: Sleuth) 1972年
監督: ジョセフ・L・マンキウィッツ
原作/脚本: アンソニー・シェーファー
出演: ローレンス・オリヴィエ、マイケル・ケイン

               

リメイク版 『スルース』 を見てから、オリジナル版 『探偵スルース』 を鑑賞。リメイク版で老推理作家ワイクを演じたマイケル・ケインが、このオリジナル版では、老作家の妻を寝取ったマイロ役を演じている。

オリジナル版とリメイク版を比較するのは、あまり意味があまりないかもしれない。オリジナル版にもリメイク版にもそれぞれの楽しさがあるので

あまりに違うと言えば違うし、違わないと言えば違わないけれど・・・一体どちらなんだか(笑)

まず真っ先に気づく違いは上映時間の長さ
オリジナル版が139分に対して、リメイク版は89分。長さの差、50分!!
どこにそんな差があるのかと、見る前から興奮・・・ 

ワイクの邸宅
リメイク版での推理作家ワイクの邸宅は、モダンそのもの。余計なものはすべて殺ぎ落とし、直線的、無機質な感じ。家の中が理路整然としている。それに対してオリジナル版のワイクの邸宅は、庭からして 「何じゃ、それは?」 というようなガラクタ(失礼?・笑)が所狭しと並べられており、おもちゃ箱のような室内。ワイクがマイロを邸内のあちこちに案内してまわるのは同じような設定。

この室内セットを見るだけで、ローレンス・オリヴィエが演じるワイクとマイケル・ケインが演じるワイクのキャラクターが、それぞれ的確に表現されていることは言うまでもない。


リメイク版の室内は暗くて、照明について前トピでもちょっと触れたけど、一人一人にスポットライトがあたるような、そんな感じ。外光が入ってこなくて、閉塞感があり、いかにも、サスペンスという雰囲気そのもの。それに対してオリジナル版の室内は明るくて、外の日差しが燦々と降り注ぎ、開放感がある。サスペンスというより、古典的なミステリー小説という雰囲気。

ワイクの妻を寝取ったマイロの職業
リメイク版ではマイロが 「俳優だ」 と言っているのに、ワイクは 「美容師だと聞いている」 と言っていたが、オリジナル版では、マイロは正真正銘 「美容師」 だった。リメイク版でのあのやり取りは笑いどころだったのね~と、笑いどころを逃したことに、ちょっと悔しい思い(爆)。

リメイク版ではマイロの職業が 「俳優」 なので、第 2 ゲームが成立するのかのように思えたのだが、オリジナル版で 「美容師」 であっても、なるほどねぇと思った。

結局、50分の差がどこにあるかというと・・・ 
オリジナル版では、ワイクの一人芝居シーンが多いこと。ワイクが自身の書いた推理小説の内容とだぶらせてマイロと会話すること。邸内が広いため邸内の部屋と部屋の移動やワイクが邸内に仕掛けた小道具が多いこと・・・
ワイクのキャラクターを外からの情報でアピールする時間を割いているところだと思う。

リメイク版はどちらかというと、心理ゲームそのものにより焦点を置いており、外側からの情報より、内側の駆け引き。家の中にほとんど小道具がないように、余計な情報がどこにもなくて、会話の中からいろんなものを引き出すように見せていたと思う。

あと違うところは、オリジナル版では、宝石泥棒劇が、サーカスのピエロシーンのようになっていたり、ワイクにも愛人がいたことだったり、エンディングもちょっと違ったり・・・

あそこもここもと言いたいけど、そろそろやめよう・・・
いずれにしろ、どちらも面白かったと言いたいだけなので・・・

Fin




『スルース』 vs 『探偵スルース』 Part I

2008-03-22 23:56:26 | Cinema な時間


どうしても見たかったので会社帰りに 『スルース』 (原題:Sleuth) を見た。この作品は 1972 年に公開された 『探偵スルース』 のリメイク。ちなみにスルース  (Sleuth) とは、「探偵」 という意味なので、邦題は 「探偵探偵」 となるのでちょっと笑える。ボードゲームにも「スルース」 という推理ゲームがあるな・・・

リメイク版 『スルース』 では、人気俳優ジュード・ロウにスポットが当たりがちだが、もちろん私もジュード好き。でも、もう 1 人の主役マイケル・ケインは、35 年前のオリジナル版で今回ジュードが演じている役を演じており、リメイク版のマイケルの役をオリジナル版ではローレンス・オリヴィエが演じているというのだから、もうどっちも見なくては・・・ということで、心密かに盛り上がった。

リメイク版の見所は、英国演劇界の粋を集めたとも言える錚々たる面々。最近ちょっぴり U.K. ブームの私にはあまりにも刺激的

リメイク版の監督は、そのローレンス・オリヴィエの再来と言われる英国演劇界の才人ケネス・ブラナー。脚本は、ノーベル文学賞受賞の劇作家ハロルド・ピンター。出演のジュード・ロウとマイケル・ケインはもちろん演劇畑から映画界でも名を馳せている実力派俳優。こんな美味しすぎる・・・(とは言え、私にとって英国演劇界は憧れの世界であるとともに、未知の世界なんだけどね。)


『スルース』  (原題: SLEUTH)
監督: ケネス・ブラナー 
脚本: ハロルド・ピンター
出演: マイケル・ケイン、ジュード・ロウ

                

演劇の舞台を見ているような 2 人劇。それもそのはず、映画のオリジナル版のさらにオリジナルは、演劇だから当然だ (アンソニー・シェーファー作) 。ロンドンでの初演は 1970 年 (日本でも劇団四季による初演が 1973 年) 。演劇が成功して映画化されたそうだ。

若い妻を寝取られた老いた推理作家 (マイケル・ケイン) は、その妻を寝取った売れない俳優 (ジュード・ロウ) を田舎の屋敷に呼び寄せる。2 人きりの世界で、女をめぐる心理ゲームが繰り広げられる。果たして勝者は、寝取られた側なのか寝取った側なのか・・・

初っ端から会話が実にウイットに富んでいる。双方からポンポン飛び出す会話はまるでコメディか?とも思え、可笑しくて笑いをこらえるのが大変。だって周囲は誰も笑っていなかったので

だんだんと心理ゲームが加速するにつれ、これは男の嫉妬なのか、偏執なのか、欲望なのか、何が主題なのか分からなくなっていく。追い詰めていたはずなのに、追い詰められていたり、コントロールしているようでコントロールされていたり、何とも言えないエキセントリックさが心地よい毒のようだ。

スタジオの中だけで撮影したそうだが、室内という設定に飽きないように、カメラの中のカメラも多用したカメラワークが凝っている。アップのショットが多いけれど、くどさはなくて、マイケルとジュードのどの表情も見逃せないから、こちらがスクリーンに顔をつっこんでいる感じ(笑)。

室内の照明も、どこか舞台照明のように。リメイク版を意識したのか、カントリー様式やトラディショナルな様式ではなく、モダンな様式で作られた室内セットに合わせて、照明もモダン。

2 人劇って難しいのだろうなと思う。演技力のバランスが崩れると、見ている方の視点もバランスを崩してしまう。どちらかがスクリーンをはみ出しても、埋もれすぎても後味が悪いものだ。その点、マイケルとジュードは、巧みなのに斬新さがあってさすがという感じ。あっ、これは演出のケネス・ブラナーの手腕なのかな~

ところでマイケルとジュードのロングインタービュー記事を読んだ。イギリス人らしく、sarcastic joke (皮肉をこめた冗談)も満載で面白い ( 
Times Online)。
以下、作品に関する話をテキトーに抜粋したポイントを紹介。
(MC=マイケル・ケイン、JL=ジュード・ロウ)

 オリジナル版の出来が良かったので、この作品がそれを超えるとは思えなかった。なぜ参加したかというと、脚本がピンターだっていうから。
[MC]

  誰かがケネスに向かって 「『スルース』はリメイクじゃないか」 と言ったら、ケネスは 「問題ない。僕がそもそも手がけている作品の多くはリメイクだよ。「オセロ」 を再演するなとでも?」 と言い返していたよ。 
[MC]

  2 作品の類似点をあげると、(オリジナル版の場合) 「Sir」 の称号を持つローレンス・オリヴィエと若僧の役者 (マイケル・ケイン) 、(リメイク版の場合) 「Sir」 の称号を持つマイケル・ケインと 「Mr.」 ジュード・ロウというように、両役者間の階級に格差があることだ。だが、当時と今じゃ、その重みは異なる。当時、ラリー(ローレンス・オリヴィエ)は 「自分と会うときは 'Larry' と呼んでくれていいからと」 手紙をくれたほどだ。ジュードにはそんな心配は無用だろう。 [MC]


  面白いのは、マイケルは共演俳優と共演するまで、その俳優がどんな仕事をしてきたか知らないことだ。
[JL]

  とても喜ばしく、そして驚いたのは、僕もマイケルもケネスも、仕事の仕方が似ているということだ。よく笑い、働きすぎることなく、ジョークばかり飛ばしている。でも、「アクション!」 の声がかかると、やるときはやる。 [JL]

  アメリカの俳優は、悩みながらスタジオの周りを半日でもジョギングしている。イギリスの俳優は怠けものだ。「ジョギングなんてクソ食らえ。とにかくやるっきゃない!」
[MC]

  『スルース』 の現場は笑いが絶えなかった。ジュードも私同様、リハーサルを本気でこなし、本番をリラックスしてこなす。 
[MC]

  オリジナル版スクリプトにある件のセリフ、’ベッドでは、イギリスの男性は下手だけど、イタリアの男性は上手い’ というのはもう古いよ! 
[MC]

etc.

Continued...


可もなく不可もなく系

2008-03-15 23:53:59 | K-Movie Notes


やや撃沈気味のモノもあるけれど、可もなく不可もなくシリーズ (笑)。
共通点は、ワクワク、ドキドキ感があまりなかったところと、個人的な萌えポイントがなかったことかな。萌えポイントがあると楽しめるような気がするけど??

         

『S ダイアリー』 (TV)

原題: S 다이어리  (2004 年)
監督: クォン・ジョングァン
出演: キム・ソナ、キム・スロ、イ・ヒョヌ、コン・ユ、チャン・ヒョク、ナ・ムニ

              

4 度目の恋で相手の男 (チャン・ヒョク) から突然別れを切り出され、これまで男に愛されたことがあるのか過去の男たちに聞いてみろと言われるジニ (キム・ソナ)。ジニは過去の恋愛遍歴を克明に日記に書き残している。そして、日記の中の過去の男たちを訪ねる...

ラブコメとしては視点が面白いと思うけど、見終わってほんわかした気持ちになれない。日記の中に登場する自分を愛していたハズの男たちの現状を目の当たりにして、いつしか補償を求める復讐まがいの行為に出るという部分で、面白く見せようとしてちょっとやりすぎの感あり。その分、主人公に共感できなかった

そして逆パターンを考えてみると... 
付き合ってた男がその恋愛記録をマメマメに記しているとしたら... 怖くない?


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『恋の潜伏捜査』 (DVD)

原題: 잠복근무 (2005 年)
監督: パク・クァンチュン
出演: キム・ソナ、コン・ユ、ナム・サンミ、ハ・ジョンウ、キム・ガプス、オ・グァンノク

                 

事件で追っている暴力団のメンバー (キム・ガプス) の居場所をつかむため、そのメンバーの娘 (ナム・サンミ) の通っている高校に潜入して捜査することになる女子デカ (キム・ソナ) の話。

キム・ソナが女子高生として潜入というところからして、無理矢理な感だけど、まぁそこに目をつぶるとして、あちらこちらにいろんな顔が出てきて面白い。アイロンがけしながら見ても楽しめる。それ以上はないけど…

でもでも、結局、コン・ユは何者だったの?ってことに。どなたか教えてください。ナガラ鑑賞したのがいけなかった? 反省。


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『マイ・ボス マイ・ヒーロー 2 リターンズ』  (DVD)

原題: 투사부일체 (2006 年)
監督: キム・ドンウォン
出演: チョン・ジュノ、キム・サンジュン、チョン・ウンイン、チョン・ウンテク

                 
 
1 作目『マイ・ボス マイ・ヒーロー』では高校に入学した暴力団の組員ドゥシク (チョン・ジュノ) が、今回、大学の教育実習生として高校に戻ってきて、また一騒動という話。

最近の韓国映画界は、『グェムル 2』、『食客 2』、『美女はつらいの 2』など続編企画が話題になっているけれど、二番手ものが好評というケースって少ないような...

この作品、二番手作としては、あまりにつまらなくて驚いた。これが 500 万人以上の観客を動員したとはわからないものだ。1 作目とは監督が違うのね (1 作目の監督はユン・ジェギュン)。

もともとヤクザと高校生じゃ普通接点はないので、オトナの事情とコドモの事情をからみ合わせるには、無理があると思うけれど、1 作目の方が展開はスムーズだった。それにしても、必然性のない女子高生の死、無意味な暴力、突如生まれた先生と生徒との間の強い信頼関係など、唐突でストーリーが破綻している部分が多すぎやしません? 


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『おまえを逮捕する』 (DVD)

原題: 강력 3 반   (2005 年)
監督: ソン・ヒチャン
出演: キム・ミンジュン、ホ・ジュノ、チャン・ハンソン、ナム・サンミ、ユン・テヨン

                 

麻薬組織を一網打尽にして、なんとか警察内で点数をかせぎたい強力 3 班の刑事さんたちの悲哀と情熱を描く。

刑事モノには珍しくない人情劇仕立て。『公共の敵』ほどのインパクトはなく、こじんまりまとまった作品。刑事さんたち、強くもないし、検挙率悪いし、どこかオマヌケなところは憎めない。キム・ミンジュンとホ・ジュノにくっついているプライベートストーリーが定番でインパクト薄い。

そして何よりも悪党のボス(ユン・テヨン)があまりにステレオタイプでつまらない(笑)。「ぞぞっ」とした薄気味悪さとか狂態も感じなかった。こういう刑事モノには、「敵役」って重要だわ~とつくづく思った。この悪役さん、最近、某 4 様時代劇で人気沸騰中らしい。

 


Korean Art Film Showcase 2008 『妻の恋人に会う』

2008-03-09 01:12:17 | K-Movie Notes

 

『妻の恋人に会う』 
原題: 아내의 애인을 만나다 (2007年 韓国)
監督: キム・テシク
出演: パク・クァンジョン、チョン・ボソク、チョ・ウンジ

韓国アートフィルム・ショーケース (KAFS) 2008 上映作品
link to

KAFS 初日、朝 9:30 上映って早いよ~と思いつつ、キム・テシク監督と主演のパク・クァンジョンの舞台挨拶があるなら行ってみようかと前夜に決めたら、こと遊びに関することならスッパリ起きられるものだ。イメージフォーラム前に着くと、えっ、もう並んでるし・・・

日本で映画製作の学校に通っていたという日本語ペラペラのキム・テシク監督。韓国内では興行がコケて、借金を抱えているそうだ。コケたけれど海外のあちこちの映画祭・イベントからは招待されている。招待されても返済の足しにはならないだろうけれど・・・ ビジネスとアートの相性が悪いのは、今に始まったことではないけれど。

この作品、妻を寝取られたハンコ屋のオヤジ(パク・クァンジョン)が、妻の浮気相手であるタクシー運転手の男(チョン・ボソク)と 1 日ドライブをするという話。

なにせ面白かった 。冒頭のハンコから笑ってしまった。この始まり方がとっても気に入っている。

パンフによると韓国のウディ・アレンという異名をとるパク・クァンジョンは、妻を寝取られたハンコ屋のヨタレオヤジ役があまりにサマになっていた。クローズアップシーンが多くて、オヤジの表情のひとつひとつの細かいところに神経が行き届いているのがわかる。嫉妬なのか、復讐なのか、葛藤なのか、ただのチキン(小心者)なのか。オヤジの表情を読み取るのが楽しい。

オヤジ、オヤジと連呼しているけれど、素のご本人はとてもステキ。見るからに演技派俳優という感じ。

チョン・ボソクは、ドラマや『誰にでも秘密がある』の次女の憧れの教授役で見た記憶がある。「この世に不倫はない。それは愛だ」というセリフがこの浮気男の口から出てくると、薄っぺらくて、ご都合主義な図々しい男なのだけどで、なんとも憎めない男・・・というキャラで好演。

タクシー運転手の妻役のチョ・ウンジは、『甘く、殺伐とした恋人』や『ユゴ』にも出演していて、いつもそのキャラが印象に残る個性派女優。細身のスタイルの良さもあるが、動きがスマートで無駄がない。


妻の浮気が主軸だけど、痴情のもつれがもたらす悲劇とか、道徳的に云々するような展開ではない。監督の話にもあったが、この作品のテーマは不倫ではなくて愛。でも俗に言う韓流愛ではありません。

KAFS パンフの記事、「韓流」へのアンチテーゼのような投げかけが書かれているけれど、韓国のエンタメが、何でもかんでも「韓流」という一言でひとくくりにされてしまったことが残念。

ともあれ、KAFS で謳われているところの「反韓流」は、まさしくそのツボをぐいっと押しているのかも(笑)。


『偉大なる系譜』 ~ 情熱のコリアンムービー 要チェック

2008-03-08 00:53:35 | Suda on J.J.Y.


今週はチョン・ジェヨン Week だった・・・

『ダイ・バッド~死ぬか、もしくは悪になるか』@Mnet
↑もう放送終わってしまった

『トンマッコルへようこそ』@衛星劇場
↑まだ放送回あり 3月16日(日)15:30、24日(月) 20:30

『シルミド』@テレビ朝日
↑3月8日(土) 26:15



そして、4月はというと・・・

衛星劇場の「情熱のコリアンムービーフェスティバル」企画 Part 2 で

なんと、『偉大なる系譜』 거룩한 계보) の日本語字幕版が登場!

4月8日(火) 15:30、19日(土) 23:00、28日(月) 13:00


日本のどこかの映画イベントで
上映してくれないかと待っていたのに、
衛劇さんに先を越されてしまうようです
 


   



『チャーミングガール』 (DVD) 

2008-03-04 22:55:14 | K-Movie Notes


『チャーミングガール』

原題: 여자,정혜   (韓国 2005年)
監督: イ・ユンギ
出演: キム・ジス、ファン・ジョンミン

最近、韓国映画で「当たり」がないので(自分のセレクションが悪いだけ)、これもインディペンデンス系 (?) ということであまり期待してなかったけれど、意外にも最後まで気が抜けない作品だった。

キム・ジスの映画デビュー作品。キム・ジスは人形のような顔立ちなのに、韓国女優らしからぬ、お肌ボロボロで映っているあたり、気合&根性も十分かと。

郵便局に勤める独り暮らしのチョンヘ(キム・ジス)。孤独が体の一部になっているかのように生きる。自分自身の過去に、愛に、そして家族に対しても、誰しもがなんらかの影をひきずっている。そんな平凡なチョンヘの日常を描く。

セリフが少ないと思ったら、この作品の監督は、第二のキム・ギドクと呼ばれているらしい。セリフが少なく、映像は写実的、ストーリというほどの展開もないのに、きっちり情感だけは伝わってくるのが不思議。エンタメ性はゼロ

カメラがいつもチョンへ(キム・ジス)のすぐ横にはりついていて、ハンディカムなのか、キム・ジスの動きに合わせて上下左右に揺れ動くので、カメラと一緒になってじっと追いかけると、だんだん疲れてきたり・・・。チョンへが何か執拗な影に追われて、その影に支配されていて抜け出せずにいることがわかる。

何の事前調査もしていなかったけれど、何気に郵便局にあらわれるダサ男がファン・ジョンミンっぽいと思ったら、本人だった。ノーチェックでも、突然現われてくれると思いがけず楽しかったりする。

エンディングは希望を受けて入れているのか、希望を拒んでいるのか、それとも、ただ受け入れることを躊躇しているのか、素直になれないのか。チョンへの心を本当に揺さぶっている相手なのかどうかも・・・

やっぱりインディペンデンス系 (?) はこうこなくちゃ。ひとつの回答に無理やり詰め込んだりしないし、甘く包み込んだりしてくれない。突き放されると、却って近寄ってみたくなる・・・


 


『女はみんな生きている』 (DVD)

2008-03-04 22:08:32 | Cinema な時間


『女はみんな生きている』
原題:Chaos   (フランス 2001年)
監督: コリーヌ・セロー
出演: カトリーヌ・フロ、ラシダ・ブラクニ、ヴァンサン・ランドン

「『サンジャックへの道』がよかった」と同僚に話したら、それなら同監督のコレを見るべしと勧めてくれた。

『サンジャックへの道』で見たコリーヌ・セロー監督が描く家族像とは、また違った家族と、男と女の関係がなんとも「痛快」に描かれている。ここでは女性中心で話は進むが、決して押し付けがましいフェミニズムを主張しているものではない。男にしてやったり・・・となるから痛快なのだけど、爽やかな後味が魅力。


ある晩、エレーヌ(カトリーヌ・フロ)と夫ポール(ヴァンサン・ランドン)の乗る車に、男たちに追われた女が血まみれになって助けを求めてきた。しかし、ポールは面倒なことに巻き込まれたくないためそのまま走り去る。翌日、エレーヌは、昨夜のことが気にかかり救急病院で、重症の女を見つける。

その女は、ノエミ(ラシダ・ブラクニ)という名の娼婦で元締めの組織から追われている。エレーヌは、家事も仕事もなげうって彼女の介護に励む。そして奇跡的に回復したノエミから、ノエミがここにそこに至った理由を知ることになり、エレーヌとノエミの復讐劇が始まる。

エレーヌを取り巻くのは、どこにでもいる女にすぐ夢中になる平凡な男たち(夫や息子)。ノエミを取り巻くのは、とことん女を食いものにする男たち。対照的な存在のようだけど、根底は同じで、どちらも女がいないと何もできない。エレーヌの夫や息子は、エレーヌがいないと家の中はてんてこまい。夫は仕事が生きがいと粋がっているが、所詮、洗い物ひとつ、アイロンひとつできない。ノエミを取り巻く男たちはノエミが金づる。自ら何も生み出すことはできない。どちらの男たちもビジネスという鎧を脱ぐと、「生活力」というものに欠けている

その点、女は強い、したたかというわけだ。したたかな上に、突発的に何かに走る情熱も持っている。邦題が『女はみんな生きている』なので、より「女の映画」が誇張されてしまいそうだが、原題は『Chaos』。「混沌」という意味。さて、何が混沌なのだろう。この世には男と女しかいないけど、男女関係はもちろん、人間関係は複雑きわまりない。

この作品で描かれる女性は、どこかひとつスジがピンと通っている。ただ男を見返してやろうという復讐だけではなくて、複雑きわまりない男と女の関係の見直しを迫られるような、意気込みが感じられる

エンディングのシーンは、男と女のあり方、家族のあり方が象徴的に描かれているように思える。

とは言いつつ、そんな深読みせずとも、とにかくスピード感があって十分に面白い。

 『女はみんな生きている』HP ( link to)
 


『アズールとアスマール』 (DVD)

2008-03-02 00:57:06 | Cinema な時間


『アズールとアスマール』
フランス 2006年
原題: Azur et Asmar
監督: ミッシェル・オスロー


アニメ映画を積極的に見る機会はほとんどない。これまでに見たものといえば、ジブリ作品、クレイアートのグルミットシリーズ、『ハッピーフィート』など。やはり少ないなぁ。

この『アズールとアスマール』は、レンタルショップの棚にズラリと並んでいたので、評判作なのかしらと、何気に手に取って見たら、パッケージの色彩がキレイだったので借りてみたら、大当たりだった。

これは是非
スクリーンで見たかったなぁと思う一品。とにかく色彩がキレイ。いかにもヨーロッパの色彩感覚。ジブリ作品の色遣いとはまた違った良さ。息を呑むほどキレイ。ブルーの色遣いがとても好き。

青い目のアズールと黒い目のアスマールは乳兄弟。アズールは領主の息子で乳母ジェヌナに育てられる。ジェヌナの実の息子がアスマール。幼い頃は兄弟のように育てられるが、その後離れ離れになる。青年になったアズールは、幼い頃に乳母から聞いた妖精の話が忘れられず、妖精を探しに旅に出る。そして旅先で離れ離れになったジェヌナとアスマールに再会し、ともに妖精を探しに出かけるという話。

ヨーロッパ社会とイスラム社会。青い目と黒い目。対立する者の融和がテーマだと一目でわかる社会派アニメ。かなり奥が深い。その一方で、もちろん子供も楽しめるファンタジー色も豊か。

花畑、森、砂漠といった自然の風景や
、イスラム美術の幾何学様式の建物などの背景には、緻密な心配りが行き届いている。昔見た切り絵のようなイメージがところどころに重なる。登場人物の表情や動きは独特な滑らかさを持っていて、セリフも決して多くはないけれど、キャラクターは明確で無駄がない

色彩が鮮やかで描写が緻密なのに、無駄のないキャラクターと端的なストーリーと、バランスもよく、まとまりがいい。とても心に残る作品。

日本語吹き替えが画面のイメージと違うので、字幕に切り替えて見たけれど、内容は吹き替えの方がわかりやすいかもしれない。

『アズールとアスマール』公式HP( link to