『ス』
原題: 수 (2007 年)
監督: 崔洋一
出演: チ・ジニ、カン・ソンヨン、ムン・ソングン、イ・ギヨン、チョ・ギョンファン
1 人 vs 多数の戦い、蹴られても、殴られても、刺されても、撃たれても、なかなか死なない主人公の姿、そして噴き出す大量の血。アクション・ノアールだと聞いていたので、そういうシーンが作品の主軸だろうと思っていたし、衝撃的だともあまり思わなかった。
そういうシーンに慣れてきている自分が怖ろしくもあるが(笑)、ストーリー展開は想定の範囲内だった。ただ、何かに向かっていく力、方向性のはっきりした力強いベクトルのようなものを感じた。
でも戦いのシーンは長い。とことん戦うから。イ・ギヨンを見て思い出したのだけど、キム・ジウン監督の 『甘い人生』 でも、あれだけドンパチやりながら、引っぱりが長かった。
戦いに入るまで、そして戦いの最中には、標的も意味づけもはっきりしているが、戦いが終わると、これは何だったのかと突然 「虚しさ」 が訪れる。それまでの意味づけや時間までもが虚しく思えてしまう。
最後に映し出された、何事もなかったかのように、揺れのない、波うつことのない鏡のような水面が印象的。
双子の兄弟、なりすまし、復讐劇、裏社会など、おそらく韓国映画やドラマで見たことのあるような、あるいは見慣れた設定が多いが、最終的にすごいと思ったのは、最初のド派手なカーアクションから最後に私が虚しさに浸るまで、カチッ と決まっているところだ。私が言うのもおこがましいけれど、これが完成度というものなのかしら・・・
チ・ジニは、その端正で優雅な顔立ちゆえに骨太な役が似合わないのではないかと、見る前は思っていたが、そこは 「内側の気」 の方が勝っていた。紅一点のカン・ソンヨンや、ムン・ソングン、チョ・ギョンファン、イ・ギヨン、オ・マンソク、チェ・ドンムンらの助演陣も小気味よく光っていた。
上映後に、崔洋一監督と観客との Q&A があった。監督の Q&A があるとやはり理解の助けになる。目に見えるものに圧倒されてしまって、目に見えない多くの部分を見逃しているようだ。崔監督はトーク上手。
追記: (2008/03/29)
① コチラのレポよりも、Cinemart さんの HP ( link to)で詳細があがっていますので、そちらを参照してください。
② 韓国アート・フィルム・ショーケース上映作品 『妻の愛人に会う』 のキム・テシク監督と、崔洋一監督の対談記事 <越境する映画監督> ( link to)
【崔洋一監督と観客の Q&A の要約】
注:ネタバレあり
(記憶の範囲なので細部は正確ではない可能性あり。あしからず。)
進行: 東京FILMEXディレクター 市山尚三
[はじめに~崔監督の挨拶]
この作品は、韓国映画バブル期最後を飾る頃のものなので、元値が高い。なかなか配給がつかないだろうと思っていたら、こういう形で上映されることになり嬉しさ半分、意外性半分。どんな槍が飛んでくることか、では戦闘モードに・・・(笑)
チ・ジニを起用した理由を教えてほしい。深く・・・
崔監督: 企画段階ではいわゆるスター達の名前があげられたが、しっくりはまらなかった。「チャングム」 のチ・ジニは知らなかったので、決まってから見た。
チ・ジニを起用した理由は、知性派としての評価が高いということ。チ・ジニが自分に興味を持ってくれているということ。そして、会ったときに強い意志を感じたこと。
会った時点で出演することを決めているなと感じ、またそれを表に露わにしない奥ゆかしさがあった。自己アピールの得意な民族にしては珍しいタイプ。目元がすずしく、誠実さを感じた。
もしかすると 『ス』 の主人公とは異なるタイプ。でも、とにかく意志の強い男だと思った。実際に仕事をしてみると、チ・ジニは忍耐強く、スタッフを鼓舞するようなところもあった。
韓国と日本で、映画製作の過程で異なる点、また共通する点、苦労話などを聞かせてほしい。
崔監督: みなさん、徹夜になりますよ(笑)。
言葉の違い、近代史・現代史における歴史的変遷の違い、そういったことが障害になるだろうと思っていたし、違いがあるということは大前提だった。唯一共通していることは、映画を製作することだと、スタッフたちとコサで団結した・・・ハズだった。でもその後が大変だった。
最初のロケは、予定より早く終了し、このままうまくいくだろうと思っていたが、最初に飛ばしすぎたようだ。やはり意思の疎通という問題。プサンで撮影していたある日、美術監督以下スタッフが忽然と消えた。「問題は監督だ」 と言われた。要は、やり方の違い。
たとえば・・・ でも本当のことだけど、スタッフがセミダブルのベッドにシングル用のシーツや布団を持ってきて、一生懸命ひっぱって間に合わせようとしたことがあった。それはちょっと違う。もっと準備周到にして撮影に望むのが自分のやり方。
ただ、韓国スタッフの困難なことに立ち向かって突破しようとする力はすごい。映画にかける情熱は、日本のそれとは比べものにならないぐらい熱い。
1 年半の撮影期間で、笑い、怒り、汗、涙の繰り返しだった。でも彼らにとっても、自分との仕事は面白い状況だったと思うし、彼らが次の仕事のどこかでそれを反映してくれればと思う。
(主人公が)息絶えるまでの時間がとても長い。この時間の割り振りはどのように考えたのか。
崔監督: 映画の中での時間のあり方、配分は常に変わる。俳優のコンディションだったり、ポジションだったり。現場に関わっている人間、人間関係などによって、撮影配分の時間は変遷していく。
ムン・ソングンが時々首をひねっているのを見て、ビートたけしを思い出した。『血と骨』 とこの作品には共通する部分があるのか。
崔監督: ムン・ソングンはいろいろ演じてみてくれたけれど、ああいう演技になった。
人の醜さは美しさに必ず通ずるものだと考えている。ムン・ソングン演じる悪の華のような存在でも、闇社会で生きていても、決して醜悪なものだけではない。
それは自分のテーマではないけれど、どこかいつもくっついてまわる。ご指摘のとおり、共通する部分がある。
復讐劇を扱うきっかけは何か。
崔監督: 人に恨みがあるわけではないが(笑)。
小さな存在、社会的に弱い存在が、意志をもって何らかを貫こうとするときに、大勢の人間に向けられる力を描きたい。その力が暴力に表れている。
自然に出てくる発想が、おのずと具体的に映画の中に表れる。単独で韓国映画界に飛び込み、異邦人としての自分の存在は、作品に反映されているだろう。
韓国でやってみてよかったと思う。楽観主義なので・・・
余談だが、映画のインタビューのため製作会社兼出版会社を訪れた時のこと。なんと隣の部屋で、件の逃亡劇の美術監督が新作の打ち合わせに来ていた。「やぁ、元気かっ!」と声をかけてきた(爆)。もう楽観主義でないとやってられないよ(笑)。
冒頭のカーアクションや最後のバトルなどアクションシーンがすごいが、どれぐらいの期間や費用がかかったのか。
崔監督: お金はたくさんかかった(笑)。設定はソウルだが、実際に撮影したのはソウル郊外の水産市場だったり、プサンの米軍施設だったり。
最後のバトルは、最初のシナリオではあの 3 倍ぐらいの長さがあったが、さすがに観客がキツイだろうということで、エッセンスを固めたような感じになった。
アクションチームは迫力があった。ただ、韓国映画のアクションには、まだまだ香港映画のようなカンフー色が濃い。自分はカンフー色が嫌いなので、そういう色合いを取り除き、肉体と肉体とのぶつかり合いを撮りたかった。
アクションチームのメンバーは強靭な肉体を持っていて、血のりの出し方もうまいし、心強かった。最後のバトルの撮影期間は 10 日間。
復讐劇という共通項で、パク・チャヌク監督と対談したことがあるが、同じ復讐でも、暴力に対する考え方は違っていた。自分は、肉体と肉体がぶつかるエネルギーとして描いているが、パク・チャヌク監督はもうちょっと観点的な考え方のようだ。
[最後に~崔監督の挨拶]
また韓国で映画を撮ることはなかなかないだろうけれど、他のアジアの国から呼ばれたら、どこでも行くつもり。