リハビリに行ってきた。
今日が最後かもしれないと思って、
下で回診を待っているときにも、周りをよく見ていた。
今度ここに来るときには、様子が変わっているかもしれない。
2階の待合室で、Mくんの写真を見る。
この写真の笑ったMくんの顔が、私は本当に好きだ。
何度この写真を写メりたいと思ったか知れない。
今日は患者さんは少なそうなのに、なかなか呼ばれなかった。
写メれたかもしれない。
そう思うけれど、やっぱりそんなことできないよね?
今日の部長先生の治療は痛かった。
もう何ヶ月も何ヶ月も前から、私はこんなに良くなったのに、
まだ通っていていいものかと悩んでいたのだ。
そして、自分ではずいぶん良くなったつもりでも、腕を動かしてもらうと結構痛い。
そのことに安心した。
最初に「調子はどうですか?」と聞かれるたび、
Mくん以外の先生に、そんな状態なのにしつこく来てるのかと思われるような気がして。
私がそう思ってしまうような言い方をする先生もいた。
さぐりを入れてみたこともある。
「こんな状態で通ってていいんでしょうか?」
そのたび、私の肩がまだ正常とは言えないことを言われ、安心した。
今日も、聞いてみた。
「生活に困ることもないので、もういいのかな?と思ってみたりもするんですが」。
今日は、探りを入れると言うより、Mくんがいなくなったことを知って、
急にやめたと思われたくないなという気持ちが強い。
部長先生は言う。
「でも、だるいのも辛いですよね」。
最近、いつ行ってもリハビリセンターは空いている。
夏場は、患者さんが少ないということか?
理学療法士という立場でも、やはり患者を引き留めようとするということかな?
とにかく、今日の治療は痛かった。
最近になく痛かったのである。
「痛いと思いますけど、ちょっと触りますねー」と言われて、押された腋の下。
すっごく懐かしい痛みだと思った。
去年の今頃、Mくんにそこを押されたのがものすごく痛かったことを思い出した。
「痛い、痛い、痛い!」と言ったのに、
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」とかわされた。
来週からは月も変わるし、様子を見て行かなくてもすみそうなら行くのを控えようと思っていたのだ。
その今日、こんな風に治療が痛くて、まだ治ってないんだと実感させられるなんて。
神様は一体、私に何を選択させようとしているのか?
今日が最後かもしれないと思って、
下で回診を待っているときにも、周りをよく見ていた。
今度ここに来るときには、様子が変わっているかもしれない。
2階の待合室で、Mくんの写真を見る。
この写真の笑ったMくんの顔が、私は本当に好きだ。
何度この写真を写メりたいと思ったか知れない。
今日は患者さんは少なそうなのに、なかなか呼ばれなかった。
写メれたかもしれない。
そう思うけれど、やっぱりそんなことできないよね?
今日の部長先生の治療は痛かった。
もう何ヶ月も何ヶ月も前から、私はこんなに良くなったのに、
まだ通っていていいものかと悩んでいたのだ。
そして、自分ではずいぶん良くなったつもりでも、腕を動かしてもらうと結構痛い。
そのことに安心した。
最初に「調子はどうですか?」と聞かれるたび、
Mくん以外の先生に、そんな状態なのにしつこく来てるのかと思われるような気がして。
私がそう思ってしまうような言い方をする先生もいた。
さぐりを入れてみたこともある。
「こんな状態で通ってていいんでしょうか?」
そのたび、私の肩がまだ正常とは言えないことを言われ、安心した。
今日も、聞いてみた。
「生活に困ることもないので、もういいのかな?と思ってみたりもするんですが」。
今日は、探りを入れると言うより、Mくんがいなくなったことを知って、
急にやめたと思われたくないなという気持ちが強い。
部長先生は言う。
「でも、だるいのも辛いですよね」。
最近、いつ行ってもリハビリセンターは空いている。
夏場は、患者さんが少ないということか?
理学療法士という立場でも、やはり患者を引き留めようとするということかな?
とにかく、今日の治療は痛かった。
最近になく痛かったのである。
「痛いと思いますけど、ちょっと触りますねー」と言われて、押された腋の下。
すっごく懐かしい痛みだと思った。
去年の今頃、Mくんにそこを押されたのがものすごく痛かったことを思い出した。
「痛い、痛い、痛い!」と言ったのに、
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」とかわされた。
来週からは月も変わるし、様子を見て行かなくてもすみそうなら行くのを控えようと思っていたのだ。
その今日、こんな風に治療が痛くて、まだ治ってないんだと実感させられるなんて。
神様は一体、私に何を選択させようとしているのか?