laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

腑抜け

2014-07-17 | kabukiza

舞台の上も下も・・・

歌舞伎座昼の部、

夏祭浪花鑑見てきました。酷いのでちゃっちゃと書いちゃいます。

(朝一草摺引はパスしちゃいました。右近さん笑みさぶさんごめんなちゃい。普通によいだろうことは予想できたので。)

夜中に目覚めて眠れないのは時差ボケのせいか、もともとボケなのか。
とりあえずへろへろで出かけました。出かけなくてもよかったかも。あ、でも中車くんの義平次だけは見たかったので。

前半。

普通に安心して眠れましたw
海老君をはじめとしてのお江戸のみなさんの上方弁はまあ予想通り変だったけど、それ以上に嫌な部分もなく。
むさい格好から抜き紋の拵えに変わって登場した海老蔵はやっぱりかっこよくて、華がある。(だからこそいろいろもったいないわけで)。
吉弥と海老じゃ母子だろどうみても、とか、徳兵衛はこれで後半かっこよく立ち回れるのだろうか、とか、おたつが徳兵衛に惚れたのもやっぱり「顔じゃのうてここでござんす!」(腹を叩く!)なんだろうな、と思ったり。いろいろ夢のなかでwつっこんでました。

後半が酷かった・・・

よかったのは義平次くらい。これもまあ、歌舞伎としてはどうなの?という意見もあるだろうとは思うのだけれど、なんてたってこちとらにとったら笹野義平次がデフォになっちゃってるから、ああいう造形は馴染み深い。で、笹野より好き。貧相じゃないところを、嫌味を倍増してカバーしてみましたって感じ?下品さは笹野より上(一応褒めてる)。
立ち回りの見得なんかも意外なほど違和感なく決まっていて、歌舞伎ってやっぱり経験より血なのかしらん、などと思ってしまう。本当、ダメモトで時代物に挑戦していただきたい。いっそのこと大冒険で四の切とか。無茶か。

あとはもう・・・タイトルどおり、お前ら腑抜けか、と。
猿弥や吉弥などの芸達者も、芯が悪いんで、どうやったっていいところを見せられないままで終わった感じ。
右之助さんが痩せてたのもちょっと気になった。あのお年で痩せるって、なんかねぇ・・・
おたつの玉三郎にはなんの意地も女気も感じられず、やたら無気力でいきなり火箸を頬に当てるって、あんたうつ病の発作かい?って感じだったし。夜の富姫のかっこよさと色気はどこに?
夜にならないと気力が出ないドラキュラなのか玉三郎は。

海老蔵は・・・台詞の酷さより所作の酷さに目を覆った。
義平次との立ちまわりはともかくとして、その後、一人になって本水で刀を洗ったり、祭り連中に混じって必死で逃げ惑ったりの所作が・・・なんつか・・・

ざんばらになって、月代が丸く見えてることもあって

カッパの水浴びダンス

という言葉が脳裏をよぎってしまった。

会場から笑いが漏れたのも、仕方ないと思う。あれじゃ苦笑するしかないっしょ。

 

静かな演技ということがこの人には出来ないのか。
團七内の自省的であるべき芝居が単なる無気力芝居に見えてしまう。
勘九郎のこの場面の目覚しかった記憶がなんか汚された思いすらして。
どんどん腹が立ってきた。

大詰め、屋根の上の大立ち回り。
一応「大」立ち回りという扱いなのだろうけれど、これまたなんだかしょぼい。
客は正直で、立ち回りなのに、拍手が少ない少ない・・・

最後まで盛り上がらずに、本当につまらなかった。

こんなつまらない夏祭ならやらないほうがいいよ。

本当、中村屋に謝れ!

 

 


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