laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

one rainy night in Hakata

2011-03-06 | kabuki en dehors de Tokio

<携帯から1>博多は雨だった。
今棒しばり終わりです。
いよいよだあ!



<携帯から2>終わりました。
いろいろ感じたことはありますがとにかく大詰でやられました。
くわしくは帰京後に。
明日も見ます。

<数日後>

とりあえず感想書きました。

今回、夜の部だけの観劇予定だったのですが、幕見があったので、昼の部「磯異人館」のみ幕見しました。

磯異人館

 

数年前にほぼ同じ顔ぶれで見たときは、勘太郎七之助の熱演がくだらない脚本でもったいない!と思わされたのだが、今回、これ、わりといいんじゃないの?と思ってしまった。

ご都合主義の展開の物語はそのままなので、たぶん役者(主役の兄弟二人に加えて、猿弥や松也ら)が成長して、物語の展開の強引さより、魅力的な芝居を見せてくれるようになったのだと思う。

意外とこの芝居、勘太郎七之助の当たり狂言になったりするのかも、と周りで鼻をぐずぐず言わせてる人たちを観察しながら思ったりもした。なによりわかりやすいしねぇ。

 

夜の部・棒しばり

 

本来なら勘太郎・猿弥・亀蔵の座組みだったのが、勘三郎休演のあおりで猿弥・七之助・亀蔵に。
猿弥の次郎冠者は、いい意味でも悪い意味でも軽い。体重は十分あるはずなのに、軽い。これを軽妙と見るか、物足らないと見るかは主観によるのかな。
個人的には嫌いじゃなかったが、七之助の太郎冠者(これは体重も芸質も軽い)にはもう少しがっつり次郎が踊りこんでくれたほうがバランスがいいような気もした。
亀蔵、こんなに踊り下手だっけ?とびっくりするほど下手だった。役者の踊りでびっくりしたのは笑也以来だ。下手だと怒るまえに、ただただびっくり。

 

夏祭浪花鑑(容赦なく長文ですw)

 

博多遠征はしない予定だったのに、ただただ勘太郎代役団七見たさに急遽の遠征、しかも前後二回。期待するなというほうが無理でしょう。

今回の遠征では二回見ましたが、とりあえず感想はまとめて。

どうしたって、眼に焼きついているのは(好みか好みじゃないかにはかかわらず)勘三郎の団七なわけで。

どうしたってそこと比べつつ見てしまうわけで。

正直、最初の出から住吉まであたりは、少し物足りなかった(特に一回目)。
出てきただけで周りがぱっと明るくなるような勘三郎の華(この言葉あまり好きじゃないんだけど、ほかになんと書けばいいのかわからん。オーラとも違うしなあ)は勘太郎には感じられないし、むしろ、群衆に埋もれている中から知らず知らずにひきつけられていくのがこの役者の魅力だと思ってるんで、こういうわかりやすいヒーローっぽい役はどっちかというとニンじゃないんだろうなあ、などとちょっと辛い思いで見てしまっていた。

いわゆる「つかみはOK」じゃなくて「つかみNG」じゃないの?とか。
あちこちで聞いていたほどに空席があったわけじゃないけれど、なんとなく客席もあたたまっていないというか。

これがですねぇ・・・三婦内で、義平次が琴浦をかどわかしていったことを知って♪長町裏へ~~~となるあたりから、もう尋常じゃない変身っぷりというか。
すそをからげて長町へと駆け出していく際の見得の美しさ、腰の割り方の完璧さ・・・そして全身にみなぎる男の色気。これは只者じゃないなあ、と改めて確認。

その後、泥場はもう神がかり的な恐ろしさ。勘三郎のような様式美ではなく、本当に殺しあってるんじゃないの?と思わせるほどの迫力。相手の笹野も、勘三郎とのときの過剰な表現ではなく、ちゃんと勘太郎団七に合わせたリアルな立ち回りをしてるのはさすが。
勘三郎の泥場を「夏の夜の悪夢」と表現したNYタイムズの記者が勘太郎版の泥場を見たら、なんと評するだろうか、見せてあげたい!と思うほどの、「凄絶」としか表現できないほどの恐怖の美の極致なのであった。

打って変わっての九郎兵衛内での舅殺し以降の腑抜け状態の団七。ここがまた見事な心理描写で、勘三郎団七と一番くっきり違ったのはこの部分かなあ、と。
内省的というか、昏い(暗い、ではない)団七がこんなに魅力的だとは。勘三郎がどんなに芸を磨いてもこの昏さは出せないのだろうなあ、と、親子で、すべての芸をなぞっているはずなのに、役者の味の違いって出てくるのだなあと。だからこそ同じ演目を飽きもせずに見られるんだろうなあ、と当たり前のことをいまさらのように確認。
この場の団七、個人的には白眉でした。

そして、そして、もう大感動の大詰め。白眉のあとの大感動ってどっちが上なんだ、と突っ込まないように。どっちもすごかったんです。

基本的には串田版夏祭の立ち回りを踏襲、つまり最近見慣れてる中村座での勘三郎団七と同じパターンなんだけれど、泥場と同じで、様式化された美しい丸い動きの勘三郎立ち回りに対して、あくまでリアルで(もちろん所作は美しい)、直線的シャープな勘太郎立ち回り。年齢の違い、体質の違い、表現の違い、すべてが、同じはずなのに違っている。
親の芸をなぞれているだけで初役としては合格なんだが、そこを見事にクリアしつつ、親とは違った味を(意識的には無意識にかはわからないが)はっきりと打ち出している、これはもう、大絶賛に値する出来ではないだろうか。

と、いいつつ正直ここまでは割りと冷静に見ていたのですよ。
「いいところも多いけど、不満もあるよなあ」みたいに。

 

最後の最後に、もうやられちまいました。

(串田版のラストは毎回楽しみにしている人がいると思います。どこからか迷い込んできてここを読んでいらっしゃる方で今後観劇予定のある向きは、ここからは完全ネタバレしてますんでご用心ください)

 

今までの串田版のラストは、たいてい舞台後方があいて、外界に開け、そこを団七と徳兵衛が突破して別の世界に出て行く~みたいのが定番だった。劇場空間の制限で逆に突破できない閉塞感を表現した中ではベルリン版のベルリンの壁っぽい表現が好きだったけれど、勘三郎団七にはやっぱり軽やかな「外界への脱出」が似合っていたと思う。

今回、もちろん博多座はビルの二階以上に舞台があるわけで、外に出て行くのは不可能ってわけで「閉塞感」ヴァージョンの終わり方だったわけだが、それがさっきから述べている勘太郎団七の昏さに実にマッチしていて、それだけでも満足だったのだが・・・

これは勝手に串田からの勘太郎へのオマージュだと解釈しているんだけれど・・・

壁を打ち破れずにどうしようもなく焦燥している団七たちの耳に、どこからともなく、夏祭の囃子が聞こえてくる・・・

囃子が耳に入って、絶望の表情が、恍惚へと変わり、勝手に体が動き出し、踊りだし・・・その表情のまま祭囃子にあわせて踊り狂いながら舞台中心へ。そしてストップモーション。チョン。

赤い靴を履いて生まれてきた男、足が壊れるまで踊り続ける男、勘太郎にしか表現できない団七の幕切れがそこにあった。

ここにおいて、勘太郎団七は勘三郎団七とはまったく違う、オリジナルの団七として確立されたのだと思う。

なんてのは後付の理屈でして。

祭囃子にあわせて狂ったように踊っている勘太郎を見ながらただただ呆然、ただただ感動、ただただ驚愕、という感じだったのでした。

勘太郎の舞台でよくある反応なのですが、拍手がなかなか起きない。客に拍手する隙を与えない。これって役者(特に歌舞伎役者)としてはどうなの?と思うこともあるのですが、今回ばかりは拍手なんてさせちゃうようなそんな安い(とあえて言ってしまいます)芸じゃない、そんな役者じゃなくてよかった、と思いました。

とにかく勘太郎の団七を見られただけで満足だったのですが、脇もまた全員いいです。

最近の中村座芝居では、やりすぎで大嫌いだった笹野の義平次も、勘太郎ヴァージョンのほうがずっと好きだし、橋之助の徳兵衛がさすがの大きさで、かといって勘太郎と兄弟仁義を結んだといっても不思議はない若々しさで、実は勘太郎とのコンビのほうがつりあいも取れてるんじゃ?などと思ったり(ただ、背丈も顔も似ているので、時々どっちがどっちかわからなくなる瞬間がw)。
扇雀七之助新悟歌女之丞の女形陣もそれぞれに安定。
何より感心したのは松也の磯之丞。物語の中心をなしていながら、その自覚がいっさいないブラックホール的存在の若様を、実にいい感じの「浮き方」で表現していて、歴代のどの磯様より磯様だったと思う。
勘三郎ヴァージョンで、勘太郎の持ち役のひとつだった捕り手頭にいてうが抜擢され、見事な立ち回りを見せる。しかし、同じ拵えをすると、勘太郎とあまりに酷似していてあらためてびっくり。双子だよまるで。(大きさ違うけど)。

 

時差ぼけのままのへろへろのよれよれで博多に飛び、どうなるかと思いましたが、夏祭の勘太郎登場場面では(ほかの場面は・・・wですが)一睡もすることなく、ずっと楽しい緊張感で見られました。

脚を引きずりぎみだったり、声がちょっとかれてたり、強行スケジュールで心配なこともたくさんあるけれど、もうこの人の「死ぬまで踊り狂う」役者馬鹿っぷりを見届けることに専念して、余計な心配はしないことにしましたよ。

あああああ。行ってよかった。

後半にも行くので更なる進化・深化を遂げた勘太郎団七に再会するのが楽しみでならない。

今唯一の不安があるとすれば、勘太郎団七に魅力がありすぎて、「戻ってきた勘三郎団七」がつまらなく感じちゃわないか、ってことくらいかな。

まあ勘三郎のことだから、息子ががんばれば、それに負けじとまたパワーをためて戻ってくるんだろうけれど。それはそれで楽しみ、(ということにしておこう)。

 

 

 

 


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