laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

疲労困憊

2019-01-10 | kabukiza

歌舞伎座昼の部、物理的にはもっと長い興行も珍しくないのだろうし、質的にももっと酷いのもあるのだけれどなんかとっても疲れました。

感想をちゃんと書くともっと疲れそうなので今書いちゃいます。浅草の感想まだ書いてないけど。

三番叟

…そういえばパスしてもいいなと思ってたんだ、と見始めてから後悔。最初はちょっとよかったけど、芝翫まだ若いのに足腰衰えすぎ。魁春さんと同じくらいヘロヘロだった。

 

対面もどき(外題忘れた)

この出し物はもともとあるものなのか、福助のために作られたものなのか。調べるのも面倒くさいので、謎のまま。

五郎十郎もどき、巴御前(女暫)もどき、華やかさもなにもかももどきでさ・・・祐経もどきの福助が、復帰の金閣寺の神々しさ、感動とは比べるべくもなくなんかしおたれていて・・・体力的には立ったりして回復してるのかもしれないけれど、やっぱりちゃんとした狂言で、ちゃんとした復活でなければそうそう見たくはないなあ、と思った。

脇もなんかめっちゃショボくて。児太郎がお疲れ?芝翫は力んでるだけで汚い声が気持ち悪くて。それ以外の面子は言わずもがな。古典もどきの演目でいちばんちゃんとしてるのが七之助っていったいどうなの?

 

もう二つ目で疲れ切ってたんですが、三つ目四つ目はちょっと楽しみだったので頑張ってみた。

吉田屋

つっころばしのほうがずっとニン(のはず)の幸四郎と、病気の美女は絶対似合ってる(はず)の七之助の吉田屋、きっといいんだろうなあ。ニザ玉以外がやると必ず退屈する出し物の跡継ぎが見られるかなあ、と。実はかなり楽しみにしていたのですが。

悲惨だったなあ。

特に幸四郎。

可愛らしさを出そうとしてか、コメディ(といったらコメディに怒られる。単なる浅い受け狙い)に走りすぎて、気持ち悪い。正直あまりに酷いので夕霧が出てくる前に爆睡してしまった。(自己防衛本能か)

二人のじゃらじゃらになってからも、幸四郎が酷いので夕霧までつまらなく見える.綺麗なのは綺麗なんだけど情が薄いのよねぇ何やっても七之助って。

なので、あほの幸四郎を冷たく見つめてる金目当ての女郎に見えてしまう。

二人のシーンがまったく素敵じゃないので、またしても睡眠。

ご都合主義の幕切れが、良かった良かった、にならずに、ああやっと終わるという意味でほっとした。

期待と出来の差が大きすぎたのか、もう疲れ果てた。

最低。

 

一條大蔵

 

これもまた期待しすぎたかも。

最近かなり好きになってきた白鷗(もとより芝居は巧い)が一條大蔵をどうやるのか。

やりすぎちゃうんじゃ?との危惧があったのだけれど、逆。なんか妙におとなしくて。作り阿呆なのに作ってない?これじゃ阿呆だと思ってもらえなくない?と心配しちゃったw

中村屋とかのやりすぎも嫌いだけど、なんか播磨屋を意識しすぎて貫禄だそうとしたのかなあとか勘ぐりたくなる感じ。

脇も巧者と言えばその通りなのだけれど、なんか地味かつお歳のかたばかりで。梅玉さんと雀右衛門さんの鬼次郎お京コンビってさあ。まあいいけどw

1.退屈 2.失望 3.最低 4.当惑

って感じかなあ。新春早々全部悪口って・・・うーん。私のせいじゃない!