倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

福祉と公マネ「二刀流」の実践例

2022-08-18 | 日記

この日(17日)、カーラジオを通じて 夕方のTBS系列ラジオ情報番組を耳にした際、非常に興味深い取り組みが特集され、耳目を引きました。

その概要は、知的障がい者の支援活動の場に 学校の空き教室を活用するというもので、その取り組みから 実に多面的な効果(成果)を感じ取ることができたものです(以下、その後ネット等で得た情報も含め掲載します)。

ラジオで紹介されたのは、福岡県糟屋郡志免町(かすやぐんしめちょう)にある「志免町立志免南小学校」です。

で この小学校の空き教室(の一室)に、町内の社会福祉法人「柚の木(ゆずのき)福祉会」が 知的障がい者の作業所を開設・運営しているとのことなのです。

 

(「柚の木福祉会」HPより)

 

 

番組の中では、約20年も前に「柚の木福祉会」が志免南小学校の教室に 通所型の授産施設『ふれあいの部屋』を開設、爾来 志免南小学校の生徒と交流を重ねながら作業に勤しむ様子が伝えられていました。

志免南小学校の1年生の教室と同じ校舎の1階に『ふれあいの部屋』があり、子供たちの授業中(同じ時間帯)に 障がい者のみなさん(知的障がいのある18歳から42歳の9人)が毎日通い、商品として販売するリースなどを作っています。

ことの起こりは、町内の法人施設が満員になってしまったことからだったそうです。

施設が足りなくなった状況に鑑み、同法人(理事長)が町・町教育委員会に相談・検討したうえで 志免南小学校の空き教室を借りる形で新たに作業所を開設する運びとなったとのこと。

学校の空き教室を福祉作業所にするのは、無論 全国で初めての試みです。

運営にあたっては さまざまな課題や不安材料があったことでしょうが、それも おそらくは、施設(法人)⇔町(教育委員会)⇔学校(教職員・児童)との相互理解をもって事業を実現へと運び、現在に至っていると拝察されます。

この施設名「ふれあいの部屋」の名前(命名)は、当時の志免南小の児童らが「みんなが仲良くなれるように」という思いを込めて(ふれあいの部屋と)名付けたことがエピソードとして紹介されていました。

 

 

 

『ふれあいの部屋』の利用者さんらは、部屋の名前の通り (校内での)作業を通じ、また さまざまな行事や総合学習を通じて 児童と一緒になって活動を重ねているそうです。

自分たちの作業ぶりを積極的に児童らに開示し、曰(いわ)く「自分たちのできることに精一杯取り組んでいるところを見てもらう」を旨としているそうです。

 

 

 

また、校内のレクレーションの機会には 積極的に〝部屋〟を解放し、児童はじめ外部の人たちを積極的に受け入れてきているとのことです。

 

 

 

 

この〝成功〟の陰(かげ)には、関係者の深い造詣と理解があったそうです。

柚の木福祉会の白谷憲生理事長は「当時の日本は、障がい者は施設の中で生活する〝閉じ込められた空間〟でした。この閉塞感を解消するために「開かれた施設」を目指しました。

そのうえで白谷理事長は「できないと諦(あきら)めるのではなく「できる」を探す。それを(志免南小の)子供たちに見てもらって「やればできるんだ」ということを知ってもらう。『ふれあいの部屋』はそういう(相互に学びの)場所になるようにしてゆきたい。」と述べておられました。

これに呼応するように、志免南小学校の松吉敏郎校長は「(『ふれあいの部屋』の存在により)障がいを持っている方々に対する偏見が 自然となくなるのが目にみえて分かります。(授業などを通じて)指導したうえで子供たちから偏見をなくすではなく、(利用者さんと交流する)学校生活を送る中で 自然体のうちに偏見自体が生まれてこない。これが最大の成果じゃないでしょうか。児童たちは、障がい者さんたちとの「違い」というより「特徴」をお互いに知り・理解し・そのうえで自然体の共生の道を歩んでいるんだな、と。」と目を細めておられる様子が伝えられていました。

 

この日の この特集は、聴く人を さまざまに感心させると同時に、実に さまざまなヒントを与えてくれるものでした。

障がいをもつ人と学校・児童との共生、それによる「ノーマライゼーション社会」の構築。

その陰には、(前述のとおり)関係者の理解が欠かせない。

特に、この事業の大きな特徴である「学校施設(空き教室)の貸与」に向けては いわゆる実務的な面で多様な課題(障壁)があったことが拝察されます。

単なる施設貸与の範疇(はんちゅう)では済まされない、教育施設の共用…そこに障がい者授産施設を開設するという いわば〝ウルトラC〟ともいえる英断に向けては、かなりの相互信頼と〝覚悟〟のようなものがなければ なし得なかったことでありましょう。

 

そのうえで さらに私が感心するのが「公共施設マネジメント」の視点における 学校施設の利活用です。

「地域の拠点施設」ともいえる学校施設。しかしながら その存在は特別なものであり、それ(学校施設)を いわば一般に開放することは、そうそう実現できるものではありませんが、それをなし遂げてこそ 真の公共施設マネジメントの実現につながるのです。

そのために欠かせないのが「(繰り返しますが)相互理解」これに尽きると思います。

私自身 今回のラジオ特番を通じて、今後の循環型社会に向け「かくあるべき」ものを強く感じ取ることができました。

偶然聴いたカーラジオ、それは 今後の(私の)活動に大いに参考になるものでもありました。