どこの県民も自分の郷土に愛着を持つのは当然だが、
時事通信と四国新聞による「香川の郷土愛」・世論調査が掲載されていた。
それによると郷土に満足を感じる県民が、何と9割以上、
災害が少なく温暖なところがよく、交通環境、水事情に不満を感じている。
私も確かに毎年繰り返される渇水と文化施設の貧弱さに不満を抱くが、
まあ良き郷土に住んでいると満足している。
さて自己満足で書いた連続残留物語⑤を続けよう。
ちょうどその頃、農薬にまつわる話として忘れ得ぬもう一人の記者がいる。
その記者は本県担当で毎日新聞の早瀬圭一記者である。
そのとき彼はまだ若く活動的であり、特に公害関係の報道に力をいれていた。
上司B課長も「時の人」に「公害を守るGメン」として、写真入りで掲載されていた。
ところが或る日、早瀬記者がどこから聞いてきたのか知らないが、
私共の研究室で母乳中の農薬汚染調査をしていることを聞きつけやって来た。
当時、その影響の大きさから厚生省は秘かに母乳汚染研究班を組織して、
全国の母乳中の残留農薬やPCBの汚染調査を実地していた。
その為に発表は全国一斉に国が行うことになっていたので、
早瀬記者の対応を上司B課長に委ねた。
早瀬記者は巧みな話術で、母乳汚染の実態を聞き出すことに躍起になっていた。
私もその場にいたが、実に記者魂しいの典型で粘りに粘って、
ついに慎重なB課長から、母乳汚染のデーターの一部を聞き出すことに成功した。
翌日、朝刊の地方版は母乳汚染が大きな活字で報道され、
しばらく県内では高濃度母乳汚染の記事が続き、行政当局は対応に苦慮した。
あの熟考型のB課長がつい口をすべらしてしまったのは、
巧みな早瀬記者の話術によるところが少なくないが、それよりも『公害Gメン』として、
好意的に報道してくれた、お返しの発言ではなかったろうか。
今では早瀬記者は毎日新聞本社で論説委員として、また文筆家として活躍しており、
昭和57年には『長い命のために』で大宅壮一ノンフィクション賞、
昭和58年には女性刑務所の日々をあつかった『長い午後』でドキュメンタリー賞を、
現在(平成24年)は北陸学院大学副学長・教授として活躍している。
なお早瀬圭一記者は、当時から頭の回転の早い卓越した新聞記者であったが、
今も彼の名前が出るたびに、苦しかった残留農薬問題を懐かしく思い出す。 (つづく)
(○○県○○会誌、1986.7.10)
●思い出の写真から(74) 宇高連絡線 (瀬戸大橋開通により昭和63年廃止)
○高松桟橋
○宇高連絡線・讃岐丸