このドキュメンタリーは昭和40年代の食品公害、環境公害が叫ばれ出した初期の物語で、
今は法的にも確立し、手法も迅速に対応でき、
透明性のある科学行政に変わっているので、そのつもりでお読みください。
なお長編物語ですので5回に分けて連載します。
昭和45年の秋の気配が漂い始めた、ある昼下がりのことである。
上司A課長が収穫されたばかりの一握りの玄米を持ってやって来た。
「この米は、○○県のB地区から取れたもので、
安全と思うが念のためカドミウムの検査を頼むよ」
ポンと実験台に置いて出ていった。
当時、富山県神通川流域で発生したイタイイタイ病を始め、
全国各地でカドミウム汚染が多発していた。
しかし食品衛生を担当していた私は、本県ではカドミウム汚染など皆無であろうと思い、
カドミウム分析法は検討していなかった。
しかも無機金属を試験する新鋭の原子吸光分析器は、当研究所に設置されたばかりで、
その機器の取扱も不慣れで、かつ、カドミウム分析法の確固たる成書もなく、
先進研究所に聞きつつ、手探り状態で実験しなければならなかった。
そのようにして、なんとか玄米中のカドミウムを分析することが出来たが、
当時の暫定規制値、0.7ppmをはるかに越えた数値に、私もA課長も驚いた。
私は幾度となく実験を繰り返したが、同じ結果であった。
A課長が念のためにと持ち帰った一握りの玄米が、2カ月後に県議会をも巻き込む、
カドミウム汚染米事件に発展しようとは、この時、誰も予想しなかった。 (つづく)
(○○県○○会誌、1985.10.1)
●思い出の写真から(78) 高知周辺①
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