今日の「インターネット随想」は世間でよくあるマザコン家庭の嫁と姑の話で、
よく事実は小説よりも奇なりと言いますが、これは実際にあった記録である。
一人の老婆が風呂敷包みを抱えて研究室にやって来た。
年の頃なら70過ぎ、白髪で気品高く、一見良家のお婆あさんであることが分かった。
「どういう要件でしようか」とやおら尋ねると、老婆は長々と話し始めた。
「実は早く夫と死別し一人息子を女手一つで育て、大学までやって高校の先生にしたんです。
その息子に一年ほど前に嫁をもらい、現在は3人で楽しく暮らしているんです。
しかも嫁のA子はとても気立てがよく、何一つ不自由なことはないのです。
ところが近頃、家の中で奇妙なことが起こるようになったのです。
食事の用意は交互に作るのですが、どういう訳か決まって私の作ったお惣菜が、
甘くて食べられたものではなく、嫁が作ると何ら異常がないのです。
そこで息子が『もうお母さんも歳だから、砂糖でも間違っているのだろうから、
もう食事の用意はA子にまかせなさい』というのです。
私は70歳ですけど、この通りボケていませんし、
料理に使用した調味料も、A子さんと全く同じものを使っているのです。
これは夕べ作った肉と野菜の煮物ですが、甘くて食べられたものではありません。
どう言う訳で甘くなるのか、先生に試験して頂きたく・・・」
やっと依頼の主旨が解ったが、この種の相談によくある、
お婆さんがボケているのではなかろうかという雰囲気は、
話し方からして、どうしても思われなかった。
しかも持参してきた煮物は、確かに甘くて食べられた物ではなかった。
「お婆さん、お嫁さんとは上手くいっているんですか」と聞き返すと、
「そーら、上手くいっていますよ。
嫁は大変親切で大事にしてくれますし、近所では評判の嫁ですよ」と言うことだった。
今日は取りあえず煮物を預かって、甘い原因を試験することにした。
2~3日が過ぎただろうか、この老婆に電話した。
「甘い原因が判りましたよ。サッカリンです。
恐らく調味料か何かにサッカリンが入っていますのでよく調べて下さい。
これだけ甘ければ舌でなめればすぐ解りますから」
翌日、早朝この老婆が私を待っていた。
「先生、有難うございました。甘い原因は調味料の醤油が2本有り、
1本にサッカリンが沢山入っていました。
私は知らずに、この醤油を料理に使っていました」
「ではサッカリンは誰が入れたのですか」と問い返した。
「先生、それがですね、お恥ずかしい話ですが、息子を可愛がり過ぎたためか、
嫁が息子との中を離そうと思って、醤油の中にサッカリンを入れ、
自分の調理には入っていない醤油を使っていたんです。
気立てが良く何の不平のないような嫁にも、私の子供への愛情に嫉妬したのでしょう。
これで目が覚めました。
これからは息子や嫁の邪魔にならないように、自分自身の「老いの坂道」を歩む事にしました」
老婆は寂しそうに話して、何度もお礼を言って帰っていった。
この事件から私は違った社会の裏を覗いたようでもあり、長く心の底に白雲が漂っていた。
(○○県○○会誌、1985.3.15)
●「レトロ写真館」(40) ロンドン
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