私の仕事は、『分析屋』である。
「分析屋」とは食品、薬品、家庭用品、水道水、温泉水などから、
どんな化学物質がどれだけあるのかを、化学分析によってppm単位で測定すること。
学生時代は分析学に興味もなく、
薬学を卒業すると病院か薬局の薬剤師になるものと思っていたので、
分析を飯の種にしている現在の自分に奇異を感じている。
しかし近頃では、この分析なる仕事に愛着を持つようになってきた。
というのも未知なる物質を探り当てるという、多分に夢とロマンに満ちた仕事に違いないからだ。
つい先日、芥川賞作家の池田満寿夫氏が、謎の浮世絵師・写楽なる人物を推理していた。
ご存じのように東洲斎写楽なる人物は、りっぱな浮世絵を多数残していながら、
その実像が判らず写楽候補は30人とも40人とも言われ、その推理の興味は尽きない。
また、近頃は古代史ブームとかで、遺跡の発掘は至る所で行われているものの、
まだ卑弥呼なる女王をいただいた耶馬台国が、畿内か九州に在ったかも判らない。
いずれも決定的な資料か遺跡から出ない限り、明らかになる事は無いであろうし、
「永遠のロマン」として後世に語り続けられるのではなかろうか。
私の仕事の「分析屋」も、未知なるものを求める夢とロマンの仕事にちがいなく、
一見、先の話に共通している様に思えるが、よく考えてみると実際とは異なっている。
というのは分析なる仕事は自然科学であり、
この自然科学におけるロマンは、かつて月が人のロマンでなくなったように、
現在分からなくても文明の進歩と共に必ず解明され、永遠のロマンと成らないからである。
もう一つ、分析なる仕事を通して最近気づいたことがある。
それは仕事によって、性格も変わると言うことだ。
よく性格は生まれながらに持っており、治すことの出来ないものであるという。
確かにある一面は当たっているとは思うが、そうでないような気もする。
私の性格も人並みの花鳥風月を慈しむ、牧歌的な性格だと思っていた。
ところが人から『疑い深く、冷酷な性格である』と、時々言われることがある。
その時、はっと驚くのであるが、その原因が近頃分かってきたような気がする。
というのは、それが仕事と関係しているようで、たえず化学分析によって真実を探り、
白か黒か、基準に違反するかしないか、冷静に判断しなければいけない立場にある。
例えば試験の依頼があると、その依頼の主旨をよく聞き、まず疑うことから仕事は始まる。
そして、0.000Xppmと精緻なる数値によって、適か不適かを判定する立場にある。
こういう仕事を20年以上もやっていると、
自然と検事のような冷静な心が芽生えたのかも知れない。
しかし最近のように、どんなに新しく機器分析が進歩しても、白か黒か決定しかねることがある。
こんな時ほど裁判官の心境がよく分かる。
俗に『疑たがわしきは、罰せず』という司法用語があるが、
幾度となく、この心境で試験結果に対応させられたこともあった。
かつて若かりし頃に法学部を夢見たが、親の進めもあって薬学の道に進み、
現在は分析化学を通して化学物質の判事役を仰せつかり、
「精緻なるロマン」を求める、今日この頃である。
(○○大学医学部公衆衛生教室機関誌 「光藍会」 1985.10.1)
尚、この文章は27年前に書いたもので池田満寿夫氏は1997年没、
現在の邪馬台国論争では畿内説が優勢だが、断定までには至っていない。
また「写楽」候補は阿波の能役者・斉藤十朗兵衛と、ほぼ断定されている。
●「レトロ写真館」⑭ (ルーヴル美術館) パリ
○ミロのヴィーナス①
○ミロのヴィーナス②