くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

大きなお世話だ国連児童権利委員会!

2010-07-25 22:50:39 | 政治経済のことも考えよう

国連児童権利委員会が日本の歴史教科書について、
アジア・太平洋地域の歴史に対するバランスのとれた視点が見られず、
他国と子供たちとの相互理解の増進を阻んでいるとして、
日本政府に教科書内容の見直しを勧告しました。

「国連の児童権利委員会が、なぜ歴史教科書問題を?」
と思って調べてみたら、委員長がソウルの成均館大学の教授でした。

つまり、日本と韓国・中国との間にある歴史教科書問題について、
「子供たちの公正な歴史教育を受ける権利が阻害されている」
という切り口で日本を追い込もうとする意図が見え隠れしています。

しかもこの組織は、以前にも日本政府に対し、
日本の教育制度は「高度に競争主義的」であり、
それがいじめや精神的障害、不登校、中退、自殺につながるとし、
学校制度および学力に関する仕組みを再検討するよう勧告しています。

いまの韓国の超過激な競争主義教育と受験地獄は、
かつて受験戦争と呼ばれた、高度経済成長期の日本の比ではありません。
韓国では、大学受験で就職や出世、結婚までもが決まるのは有名な話です。
しかし、それが韓国で世界に通用する大企業を生みだし、
急速な経済発展と先進国への仲間入りをもたらしたのも事実です。

翻って日本では、かつて受験競争を反省し、「ゆとり教育」を導入しました。
そしてそれは約20年の歳月をかけ、子供たちの学力を低下させ、
「競争の避けられない実社会を生きぬく精神力」を衰弱させていきました。
おそらく一刻も早く手を打たなければ、今後の日本は、
あらゆる面で、ますます国際競争力を弱めていくことになるでしょう。

日本がそのことに気づき始めた矢先、国連児童権利委員会は、
日本政府に対して「教育制度が競争主義的」との勧告をつきつけてきたのです。

「子供の権利を守る」ということにかこつけて、
「日本を封じ込めようとする邪意」を感じるのは、考えすぎでしょうか。

「児童の権利に関する法律」は193ヶ国が批准しているといいます。
日本に対して恣意的な、重箱の隅をつつくような勧告をするよりも、
委員会が本当にやらなければならないこと、
向き合わなければならない国は他に山ほどあるはずです。

さもなければ、各国が分担している虎の子の
大いなるムダ遣いと言わざるを得ません。


ガラスの心に育てないために

2010-07-24 23:35:09 | 子育て

「オンリーワン」とはすなわち、「ナンバーワン」であるということです。
ナンバーワンになれないオンリーワンは、とっても苦しいもの。
「だったら、みんなと一緒のほうがいい」と思うくらい辛いものなのです。

もともと人は誰でも、その存在がオンリーワンです。
姿かたちも違うし、性格や能力も一人一人みな違います。
この世に二人といない、唯一無二の存在です。

しかし、ただそれだけの、
「人と違う」というだけのオンリーワンでは、
残念ながら社会では通用しません。

そのようなオンリーワンが100人、1000人と集まっても、
結局それは「大衆」でしかありえません。

「ナンバーワンよりオンリーワン」という教育方針は否定しません。
子供たちに生きていく術としての「オンリーワン」を目指させることは、
とても大切なことだと思います。

しかし、それと同時に、
「それが、いかにナンバーワンを目指すことより努力を要することか」
そのことを理解させなければ、単なる甘言でしかありません。

「世界に一つだけの花である」ということだけで生きていけるほど、
世の中は甘くないことを、当の大人たちが一番知っているはずです。
「もともと特別なオンリーワン」だということは、
単に「人と違う」ということに悩んでいる人への慰めにしかなりません。

それを幼稚園のころから子供たちに歌わせ、
「オンリーワン」は素晴らしいと刷り込むのですから、
なんとも罪つくりな教育方針です。

内閣府の調査で、15~39歳未満の「ひきこもり」は、
全国で推計70万人いると発表されました。

実社会は、学校の学級会ではありません。
理想は、同時に現実を教えてこそ、意味のあるものになるのです。


親方日の丸はやめられない?

2010-07-22 22:46:05 | 政治経済のことも考えよう

先日のゆうパックの遅配事故について、
郵便事業㈱の配達員約6万人が、
全国約5千万戸の利用者へお詫び訪問するそうです。

遅配事故でマスコミから「親方日の丸体質」と批判されたと思ったら、
今度は、卑屈なまでの「お詫び行脚」への方向転換です。

しかし、お詫び行脚するのは、経営層や経営管理者層の職員ではなく、
組織の末端(最先端)で実動を担うスタッフたちだというのが、
これまた「親方日の丸」的と言わざるを得ません。

郵便事業㈱の経営者は、これが「誠意」だと本気で思っているのでしょうか。
利用者が、こんな謝罪を望んでいるとでも本気で考えているのでしょうか。

今回の遅配事故は、明らかに統合を急いだための準備不測であり、
現場の不始末ではなく、経営の見通しの甘さにあったことが指摘されています。

本来であれば、経営責任者が公の場で会見し、
事故の根本的な原因を説明して謝罪する。
また、今後のペリカン便とゆうパックの統合見通しと再発防止を説明する。
法的に損害賠償すべきものについては、きちんと賠償する。
もちろん迷惑料などというものは、要求されても支払う必要はありません。
戸別訪問しなくても、これで充分なのではないでしょうか。

むしろ、昔、倒産した証券会社の社長の記者会見のように、
「社員(現場のスタッフ)は悪くありません。責任は自分にあります」
と謝罪したほうが、遥かに利用者の共感が得られると言うものです。

「お詫び行脚」のような、こんなトンチンカンな謝罪をするから、
おかしな勘違いクレーマーが、世の中にはびこる原因にもなるのです。

しかも、総務省の「地デジの準備はお済ですか?」の案内まで、
郵便事業㈱の配達員が担うといいます。

お年寄りに地デジのことを質問されても、回答に責任を持てず、
「不明な点はデジサポセンターへ電話してください」
としか答えられない配達員になぜそのようなことをさせるのか疑問です。

郵便事業㈱と総務省では、「タイミングが悪い」と苦笑しているそうですが、
「タイミングが悪い」と自覚していながら、なぜ別の方策を考えようとしないのでしょう。
笑って済ませているなど、まさに「親方日の丸根性、ここに極まれり」です。

「謝罪するときは、謝罪だけをする」
「事情に不案内で責任を負えない者は担当者にしない」

この普通の会社で当たり前のことが、なぜできないのでしょうか。

今度は、「謝罪」と「地デジ」が原因で遅配が生じたら、
それこそシャレになりません。

ゆうパックの配達員の皆様には、本当にご同情申しあげます。


裁判傍聴(3)

2010-07-21 23:19:13 | 今日の出来事

東京高等裁判所へ控訴審の第一回公判の傍聴に行ってきました。
傍聴したのは、今年3月に一審判決の出た裁判の控訴審です。

一審の第一回公判はこちらです・・・裁判傍聴(その1) / 裁判傍聴(その2)

一審の判決は、懲役12年の求刑に対して懲役9年でしたが、
被告人側はこれを不服として控訴していました。

公判は、わずか5分で終了。
人定質問のあと、
弁護側の「精神鑑定と被告人質問を請求します」という控訴理由に対し、
検察側が「精神鑑定、被告人質問の双方とも必要ありません」と反論し、
裁判官が「裁判所は、精神鑑定と被告人質問の必要性を認めません」と結論。
「よって、第一審の審理をもとに判断します。次回、判決は9月・・・」
と締めくくって閉廷です。

あまりのスピード閉廷に、
弁護士は「認めない・・・ですか?」と絶句し、
私も含め、傍聴席の女子大生らしき三人組も「唖然」です。

控訴審というものは、
審理のやり直しを行うものと思っていましたが、違っていました。

帰社して調べてみると、
控訴審というのは、一審の続きであると解釈されており、
新たな証拠だとか、違った法解釈の争いなどがなければ、
審理のやり直しは行われないということだそうです。

同行した会社の上司がひと言。
「なんちゅう税金の無駄づかいだ!」

このわずか5分の公判のために、
被告人を拘置所から護送し、
刑務官やら書記官やら裁判官が関わり、
裁判費用はすべて税金で賄われています。

「この程度の内容なら、通知書の送致で充分ではないか」というわけです。

きっと「被告人の権利」とかなんとか、
いろいろ理屈があって、この手続きがあるのでしょう。
でも、素人にはやっぱり税金の無駄にしか思えないのでした。

 


評論家だらけ

2010-07-20 22:39:30 | 政治経済のことも考えよう

某新聞社の調査によると、
みんなの党の渡辺喜美代表が、
「首相にふさわしい政治家」の二位に躍り出たそうです。
そして自民党時代にはいつもトップだった、
新党改革の舛添要一代表は四位に転落しました。

結果を見ると、またイメージで選ばれてるという感が否めません。
渡辺代表のインタビューを見聞きしていると、
胸のすくような発言で与党を批判し、わかりやすい言葉で理想を語る。
まるで報道番組に出てくる評論家のようです。

かつての民主党もそうでした。
政治家が評論家と違うのは、それが実行できるからです。
評論家が政治家になれないのは、クチだけだからです。

この国の国会には、評論家が多すぎませんか?